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[日記]




2005.04.12


前回の日記をフォローする日記。及びサイト開設当初から書きたかった話。




まずは『ドラゴンクエスト3』のオルテガは何故ザオリクで生き返らなかったのか、という事について。

勇者の父であり勇者以上にその高名が知れ渡っていたあの人物が主人公一行の助けも借りずに戦い、そしてわざわざ息子が目前に迫った瞬間という最悪のタイミングで死んでいくあのシーンは、テレビの前で涙を流すよりも先に『ドラクエ』世界の生と死の矛盾を感じた方も多いのではないでしょうか。

そもそも、『ドラゴンクエスト』シリーズに登場する勇者一行が平気な顔して行っている「教会・ザオリク系呪文での蘇生」「全滅後に持ち金半分失くして王様の前で復活」という行為は、『ドラクエ』世界在住の人間のうちどれだけの者が許されているのでしょうか。
 例えば『ドラゴンクエスト2』に出てくるムーンブルクの城を思い出してみると、王家一族とその配下として従属していた近衛兵たちが揃って魂と化しています。一国の長でさえも現世に蘇るのは最後まで許されません。これを考えると、蘇生行為はそれほど一般的に行われているものではないと想像できます。

では逆に『ドラゴンクエスト』シリーズで主人公以外に復活を遂げた例があるかと思い返すと、FC版においてのみ言えば『ドラゴンクエスト4』のシンシア以外に思い当たりません(PS版の隠しシナリオには、一般の人間さえも蘇生させるアイテム『世界樹の花』が登場しますが)。
 更に言えばシンシアの場合は生き返ったのではなく、故郷へ帰った勇者がそうであってほしいと想い描いた結果、勇者の「主観」として画面上に現れた主人公個人の妄想であるとの説もありますので(出典:小野不由美『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』)、安易に蘇生とも断定できません。ていうか単に私がその意見を支持したいだけなんですけど。ラストに主人公が内的世界へ引き篭もって終わるのって、単調な二元論から脱却した『ドラクエ4』っぽいオチですし。

つまり以上の理由から、『ドラゴンクエスト』の世界で蘇生可能な人間は勇者たち以外に存在しない可能性が極めて高いのです。




では、勇者一行のみが蘇生を許されるのは何故か。
 ここで勇者の生命を管理する者である神様、つまり精霊神ルビスの加護を受けられる者のみが蘇生の対象になる、という仮説を提唱してみます。この場合「勇者であること=蘇生可能」となり、ルビス様(ドラクエ4の場合はマスタードラゴン)から頂いた命の恩恵を存分に無駄遣いできます。大して面識もない王様が「しんでしまうとは なにごとじゃ!」などと二つ返事で勇者蘇生後の面倒を見てくれるのは、ルビス様が各国の統治者に向けてその旨を伝える啓示を教会経由で発信しているからかもしれませんね。
 そこから更にその仮定を発展させると、ロト編『ドラゴンクエスト』の主人公が全て世襲により勇者の称号を引き継いでいるのは、蘇生というヒトとして誤った機能ごと受け継ぎ、さらには外部へ漏らさないためとも考えられます。
 ……ああ。でもこの場合、ルイーダの酒場にたむろする仲間達は例外となるのか。

つまり、生と死の境目を超越できるのは神の力を直に受けた勇者のみという仮定。しかし、こう考えた場合の矛盾点が一つ存在します。
 勇者ロトへ蘇生能力を産み渡した元祖・勇者であるはずのオルテガが蘇生しない部分です。

更に仮説を立ててみますが、もし精霊神ルビスが統括する蘇生行為の範疇内が「現行の」勇者パーティだとしたら。
 その場合、ある時点で復活の権利が「勇者オルテガ」から「勇者ロト」へと移行した可能性もあります。つまりオルテガはルビス様から見限られたんですね。勇者でありながら実の息子へ遺言めいたメッセージを与えて息を引き取るあたり、自分の命がそれ一つであることを本能的に知っていたか、前もって精霊神に伝えられていたか。

勿論、これらは仮説であり偏執的な妄想であって、正解とは程遠いはずの架空のお話です。私がどういう点に基づいて述べている仮定の意見かと言うと、「そう考えると『ドラゴンクエスト』に出てくる生と死の区分がはっきりする」の部分を見据えながらの意見ですけど。
 ファンブックなど公式資料をお持ちで真実をご存知の方。もしくは、堀井雄二氏本人が『ドラクエ』内の死の概念について語っているインタビュー記事など拝見された方。掲示板までご一報ください。






さて、以前もお話しした通り『FF3』に登場する、キャラクター機能停止を意味するゲーム的な名称は「せんとうふのう」ではなく「しぼう」でした。
 なぜ私がこんな勘違いをしたかと言うと、最近忙しくてファミコンに触れるヒマが無かった以外の理由を挙げるとするならば、本作に登場するドーガとウネが死ぬから、です。

なぜ、彼らはレイズあるいはフェニックスの尾で蘇生しないのでしょう。

『ドラゴンクエスト』の蘇生を管轄する要素が精霊神ルビスならば、『FF』の場合はそれがクリスタルにあたるはずです。だとすると、それに程近い部分で生きてきたドーガとウネが犬死にする理由はどこにあるのでしょう。例えば、身体を邪悪なものに乗っ取られたまま死んだせいで、生きることを本人自身が拒絶した、とかでしょうか。『FF4』に登場するパロム・ポロムのブレイクみたいに。
 白魔術・黒魔術・召喚魔法の存在から考えると、主人公達も多神教だったりして命を統括する神様も案外多数存在する可能性もありますが。

正直『FF3』についてはそのストーリー自体をはっきりと覚えていないため具体的な言及がし辛いので、こちらも私の勘違いなどに気付いた方は掲示板までご連絡ください。いや「せんとうふのう」について書けないと知った時点で『FF』に関しては多少萎えてるんですけどね。何かもう正直しんどい。






前回の日記で書いた「不明瞭な概念・せんとうふのう」は、つまり死からの安易な逃れを指した話だったのですが、結局はそれ以前の問題だったんですね。
 これまでは生死の表現に対して誠実に接しているのは『ドラクエ』よりも『FF』と思っていたのですが、むしろ逆なのかも、と思えてきます。今まで私は「生と死を明確に描き、その間を安っぽく行き来する」としてむしろ『ドラクエ』を下と見えていたのですが。






こういう話の場合、大抵は「所詮ゲーム内で語られる記号的な命の有無じゃん」の一言で片付けられがちなんですが、8bitの限られた表現領域内で様々な描写に四苦八苦していた頃ならともかく、表現に関する足枷のうち多くが取り払われた現在においてさえ『ドラゴンクエスト8』の主人公パーティが青い棺桶を引きずることにもう少し違和感を感じなければならないのでは、と思うんです。ここまで簡略化された命が3Dで描写されるに至った原因は何か、と。

ここが混沌に塗れた腐乱ファミコンサイトだからこそ、こんな言及しても発展性のカケラも無いような議題を掲げているんですが、今後はFC版『ドラゴンクエスト3』をプレイしながら、オルテガの死因について調べていこうかと考えています。
 まあ、そもそも制作者本人が死に対する明確な定義を持っていたか自体が不明なんですが。『ドラクエ』の「しんでしまうとは……」も含めた台詞回しと命の使い捨て加減は、描写する問題とは別にそれを引き継ぐこと自身に古典として、そして『ドラクエ』として意味があったりしますし。




あ、違う違う。「オルテガの死因について調べる」じゃなくて「オルテガの死因っぽいものを、それとこじつける」だ。




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追記(2005.04.18):

勘違いしていた点を二つ。

勇者が蘇生できる理由として精霊神ルビスの加護に依るもの、と挙げていますが、『ドラゴンクエスト3』に登場するルビス様ってアレフガルド内に存在するルビスの塔の五階に封印されていましたね。これにより、私が提唱していた蘇生システムの根幹部分に矛盾が生じます。事実誤認、申し訳ございません。
 ……しかし、だとすると教会で信奉している神様は何なんでしょうか。毒の治療や蘇生の要求に対してお布施を払えば必ず呼応する神様。それはもうゾーマの支配下にあるルビス様の所業とは思えません。うーん。

もう一つは、今回の意見にはそれほど影響を与えない程度ですが、わりと重要な誤解釈。
 『勇者ロト』という称号、私は『ドラゴンクエスト3』の主人公のみを指したものだと思っていたのですが、正確には違うみたいですね。夢織時代の扉さんのロト、ルビスに関する考古学。を参考に見てみると、どうやらロトとは『ドラゴンクエスト』ロト編で描かれた勇者全員の先祖にあたる存在であり、『3』の勇者は勿論、その父であるオルテガさえもロトの子孫であるようです。
 ですから、日記中に書いた「勇者オルテガ」と「勇者ロト」という区分は間違いではないものの、それだと非常にややこしい表現となってしまうようです。まあゾーマ討伐を終えた偉業を称えて『3』の勇者本人を「ロト」と呼ぶようになったのは史実なのですが。



2005.04.04


お詫び:

以下の文章は『FF3』に「せんとうふのう」の概念があると思い込んだまま書いてしまったものです。

事実誤認に気付いた時にはこれを破棄する気力も無く、書き直そうにも今回の日記は『FF3』の世界をテーマにした話ではなく別の部分を主題とするもの。いっその事『ファミコン三段論法』の名前を捨てる覚悟で一部の名称を『FF5』辺りに差し替え掲載しようかとも思いました。
 しかしコレを掲載する意味を熟考した末、このままの状態でお披露目とするのが妥当だろうと勝手に判断。

近いうちに、これに対するフォローの日記も書きます。なんかいろいろルール違反でごめんなさい。






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わたしのこえがきこえますか?

はい、聞こえます。

あなたのなまえはなんですか?

俺の名前は000000です。

000000さんですね。それでは質問します。

はい。

000000さんはいまどんなじょうたいですか?

今の俺の状態は「戦闘不能」です。

せんとうふのうとはどんなじょうたいをいいますか?

死なないけど動けません。

いささかあいまいなせつめいですね。

でも、そうとしか言いようがありません。死とは無縁の世界です。でも何もできません。まるで「死」と「生」の間にもう一つ、人としての在り方があるような状態です。強いて言えば意識不明の重体、みたいな感じです。

それではせんとうふのうといしきふめいのじゅうたいとではどうちがうのでしょうか?

意識不明の重体は、放っておくと死にます。でも「戦闘不能」は放置しても死にません。

なぜでしょうか?

何故でしょうね。

ほうってもしなない。しなないけどうごけない。それはしぬこととどうちがうのでしょう?

死からは復帰できません。でも「戦闘不能」からは復帰できます。

かならずふっきできますか?

必ず復帰できます。

あなたをせんとうふのうにおいこんだのはだれですか?

ザンデです。

ザンデと000000さんはどんなかんけいですか?

敵対しています。

ザンデはひとをころしますか?

はい。殺します。

そのさついはあなたにもむけられますか?

はい、恐らく。敵対していますから。

ではなぜあなたはしなずにせんとうふのうなのでしょう。

全く分かりません。

もしせんとうふのうではなくころされるとしたらどうおもいますか?

やり残した事が多すぎるので困ります。

ではせんとうふのうからふっきするのとおなじようにしんだあといきかえることができるとしたらどんなきぶんですか?

それはそれ以前の問題です。生死の境目がありません。生命を冒涜しています。

ではもういちどききます。せんとうふのうとはどんなじょうたいをいいますか?

死なないけど動けません。

それはしぬこととどうちがうのでしょう?

死からは復帰できません。でも「戦闘不能」からは復帰できます。

せんとうふのうはせいめいのぼうとくではないのですか?

全く分かりません。

まったくわかりませんか?

全く分かりません。






「―――おい、起きろ、000000」

「……う、ん」

「大丈夫か、生きてるか?」

「生きてる、はずだ、多分」

「……?」

「……ああ、生きてる。何を言ってるんだ俺は。勿論だ。生きてる」

「よく分からないが、元気そうだな」

「ああ、もう大丈夫だ」

「もうフェニックスの尾もストックが少ない。怪我には気をつけろよ」

「……」

「どうした、まだ具合でも悪いのか?」

「……なあ」

「何だ?」

「フェニックスって、不死鳥だよな」

「……?」

「不死鳥なんだよ。死を、否定する鳥」



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