西表島のサンゴへのK・Yの落書き報道で、朝日新聞の写真と記事が 虚偽のものであったことを知り、読者として大変残念に思いました。 日ごろから、朝日の記事は偏向しているという論調も一部のマスコミに あることも事実です。そんな一部の報道も、「真実はこうなんだ」と いう姿勢で、新聞の使命を一貫して追求してきたのではなかったのですか。
”もともとサンゴについていたキズを報道するために写真記者がストロボの 金属部分でつけた”という説明をニュースで聞いて、朝日新聞の報道の 歴史に大きな汚点をつけたように感じました。
リクルート事件の報道のように、朝日新聞の真実に迫る報道姿勢は、 政治腐敗の昨今の世の中の「たいまつ」ともいえるものでした。
こんどの事件だけで私は、朝日新聞の報道をすべて虚偽のものとは 思いませんが、一度失った信頼を取り戻すのは大変なことです。これからも 読者の信頼を損なうことなく、厳しい姿勢で報道にあたってほしいものと 願っています。そのことが、新聞の社会に果たす役割でもあると思います。
1989年(平成元年)5月18日 木曜日 朝日新聞朝刊5面 ”演出報道”が他にはないか 市川市 ○○ ○美(自由業 31歳)
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の報道は、胸をしめつけられる思いが 強烈だっただけに、今回の事件には、憤りを超えて、悲しいものを感じて おります。それも「朝日新聞」が、ということでショックです。
二度と間違いのないよう、取材姿勢、環境保護の認識について、再教育を されるとのことですが、なぜ、このようなことが起こってしまったのか、 という背景を、紙面で報告していただきたく思います。
私は日ごろから、マスコミ報道のあり方には”行き過ぎ感”を覚えていました。 しかし、今回の事件には「マスコミの中でもトップクラスの朝日のカメラマン」の ”おごり”を感じました。インパクトの強い写真撮影のためには、多少の犠牲 (サンゴに傷をつけるという、実は大きな過ち)はやむを得ない、ということ だったのでしょう。おそらく、これに似た、高慢な行為による報道は、 日常茶飯事なのではないでしょうか。私たちが気付かないだけで……。
今回のことに限らず、毎日のあらゆる報道の中には、大なり小なりの ”演出”があるのだと思います。改めて「新聞記事は必ずしも正しくはないのだ」 ということを認識させられました。
1989年(平成元年)5月24日 水曜日 朝日新聞朝刊5面 ねつ造写真はなおも手元に 所沢市 上野 さちえ(主婦 33歳)「朝日よ、お前もか」の気分である。政治腐敗で病める日本、マスコミまでとなると、 いったい私たちは何を信じたらいいのだろうか。それとも、現代において、真実などは どこをさがしてもないのだろうか。
朝日と私のつきあいは、三、四歳だった幼児期からである。新聞記事など到底 理解できるわけもない私に、新聞好きだった祖父は、朝日を一面から丁寧に読んで 聞かせてくれた。縁側で籐(とう)イスに腰かけ新聞を読む祖父、横にチョコンと 座り見上げる私。そんな絵柄が、おぼろげながら、私の頭の隅に今も残っている。 たび重なる他紙の勧誘にも「ウチは朝日に決めているんです」と言い続けて来た。 それなのに……である。
月々三千百九十円を支払い、朝日の情報を信頼していた私にとって、これほど インパクトの強い事件はなかった。朝日は大新聞という名の上に胡座(あぐら)を かいてはいなかっただろうか? おごりはなかっただろうか? この事件が発覚した 直後の、朝日の対応にも疑問を持たざるをえない。
日常、ニュースはさまざまな分野から入ってくるが、スクラップを日課とし、 特に朝日には大きな信頼をよせていた私である。深い憤りと共に、失恋した時のような、 せつない気分にさえなっている。「K・Y」の記事はあざやかな色彩のまま、今も 私のスクラップブックに残っている。
1989年(平成元年)5月24日 水曜日 朝日新聞朝刊5面 深いキズ跡を読者にもまた 松戸市 安江 清(会社員 29歳)
今回の事件の最大の原因は、カメラマンが自然を愛しておらず、また、本当の意味で それを理解していなかったこと、そしてそんなカメラマンを使っていた朝日新聞にあると 思います。
私は、朝日新聞には自然を愛し、真摯(しんし)な姿勢でこれを取材している記者がいる ことを知っています。だからこそ今回の事件は、残念でくやしくてなりません。
事件は、美しい南海のサンゴ礁に、消すことのできない深いキズ跡を残しました。そして 同時に、私たち読者に、また朝日新聞自身に、取り返しのつかない大きなキズを残しました。
今、朝日新聞がなすべきこと、せめてもの償いは、今までよりいっそう厳しい姿勢で、 自然に対する取材をすること、そして、失われゆく日本の美しい自然を、子孫のために 少しでも多く残すために、最大限の努力をすることだと思います。
1989年(平成元年)5月24日 水曜日 朝日新聞朝刊5面 事件の背後に社会の欠陥が 船橋市 長谷川 紀男(会社役員 48歳)
貴紙カメラマンによる、沖縄・西表島のサンゴ損傷と写真ねつ造事件は、誠に不幸な 出来事でしたが、私は、二十日付朝刊で、貴紙がその非を全面的に認め、謝罪された勇気を 高く評価し、引き続き貴紙を愛読していきたいと思っています。
このような出来事は、私たちが体験している現代の非常な競争社会の中では、いつ、 だれの身にふりかかってきても不思議ではないのかもしれません。
したがって、私自身、このカメラマンを責める気にはなれません。おそらく、この人は、 大変責任感の強い人で、「高い取材費を会社から出させて、自分の見込み違いで記事に なりそうもない。どうしよう?」というアセリから、つい、魔がさしてしまったのでしょう。
人の非を責めるのは簡単ですが、この事件を契機として、私たちは、その背後にある、 もっと本質的なもの――現代の社会システム全体の欠陥――といったことに、早く気づく 必要はないでしょうか。
貴紙が率直な謝罪に踏み切られたことは、貴紙の新聞人としての良心が健在であることの 証左でもある、と私は考えます。
1989年(平成元年)5月25日 木曜日 朝日新聞朝刊5面 報道姿勢崩す不見識に憤り 横須賀市 高橋 繁治(無職 63歳)
なんとも大変なことをしてくれたものである。自然保護運動に身を置く私は、朝日新聞が 自然保護や自然破壊について常に厳しい目を向けておられる姿に共感し、長年にわたり 朝日新聞と共に過ごしてきた。それだけにこの度の元写真部員の行き過ぎた行為を大変 残念に思う。
人間だれしも「功成り名を遂げたい」とする気持ちはあるし、新聞にたずさわる人々に とっては、ことのほかその気持ちが強く、他社を出し抜け、とか、同僚さえも押しのけてやろう、 と言う気持ちも分かるが、やって良いことといけないことの区別さえつかなかったとは。 非難されても致し方あるまい。
この結果、朝日新聞紙上に掲載される報道写真が、これもまた「作りごと」だろうなどと、 信用されなくなることが最も怖い。かけがえのない自然と美しい風土を後世に残せ、と訴える 「社説」や「天声人語」等を書く人たちのお気持ちが、全社内に行き届いていなかったことも 至極残念である。
さらに、竹富町ダイビング組合の経過報告書要旨に「丁重に尋ねたにもかかわらず、窓口の 人間が『朝日にかぎって絶対そんなことはない』と非常に乱暴な対応をした」とあるが、 忠告などには、もっと謙虚な姿勢をとっていただきたい。
1989年(平成元年)5月25日 木曜日 朝日新聞朝刊5面 自然破壊防ぐ契機としよう 大宮市 川端 明孝(会社員 42歳)
ついに海洋にまで落書きが及んだか――これが四月二十日付本紙夕刊の写真を見ての 第一印象だった。それは各地の登山道わきの樹木に、鋭く掘り込まれた傷跡を常々不愉快に 思っていた山岳愛好者としての実感であった。後日、写真は捏造との報道に驚いた。 責任については、五月二十日付朝刊の謝罪内容などの実行に期待したい。
本事件の要は、朝日新聞記者の取材姿勢と、自然損傷の二点である。前者には世論の 糾弾も厳しいが、根本問題である後者に対しては一般的に甘いようだ。取材姿勢の是正は 即刻可能だろう。しかし、自然の損傷は環境破壊を導き、後世に禍根を残すだけに、さらに 大きな問題ではなかろうか。
アザミサンゴのKYの傷を、沖縄近海すべてのサンゴ礁、さらには全国各地の 自然破壊防止への契機としなければ、本事件は報道姿勢の非難に終始し、自然保全という 根本問題を見逃すことになろう。木を見て森を見ずに終わらせたくないと思う。
1989年(平成元年)5月27日 土曜日 朝日新聞朝刊5面 「サンゴ事件」は日本を象徴 東京都 シンチヤ・N・ザヤス フィリピン・学生
自社カメラマンの犯した過ちを深く謝罪する十七日付社説「痛恨の思いを今後の 戒めに」を読み、その言外のお気持ちを十分お察しします。
私が日本で尊敬する唯一の新聞に、こうした事件が起きたことは大変残念です。 リクルート事件に迫る朝日新聞は、在日留学生として日本を見つめる私にとって、 ウォーターゲート事件のワシントン・ポストをほうふつさせます。
今回の事件はその朝日新聞に起きた故に、一層衝撃が大きかったといえますが、 もっと重要なことは、日本社会に今はびこっているものを、この事件が物語っていると いうことです。
日本人は自国の自然を愛する一方で、他国の原始林を略奪してはばからない――その 矛盾を、このサンゴ事件はある意味で象徴しています。また、真実?追究という目的の ためには、手段を選ばない方法論も暴露しています。なぜ一つの使命を、別の使命を 犠牲にしてまで果たさなければならないのでしょうか。また、自然保護を語るのになぜ 、
証拠写真が必要なのでしょうか。
こうした事件を二度と起こさないために、私たちは人間としてふりだしに戻るべきです。 人間は自らの生存を自然に依存しています。自然のリズムに従うことで、人間は自然を 征服し、自然を手なずけようと努めます。自然は決して急がないのに、なぜ、私たちは 急ぐのでしょうか。デッドラインばかり気にして、他者を思いやることを忘れています 。
1989年(平成元年)5月31日 水曜日朝日新聞朝刊5面 声 今月の投書から 「サンゴ事件」に多数の投稿 本欄への注文と意見も活発に
鶴岡市の江部忠夫さん(70歳)から、こんな励ましをいただいた。
「本紙のなかで、いつも最も時間をかけ、かつ最も楽しみにして読むところは本欄である。 政治・経済・社会といった面は、すでにテレビ・ラジオで視聴している場合が多いのに対し、 本欄は新鮮である。あらゆる事象に対する意見・要望・感想等は、まさに『百家争鳴』の観が ある。生きている現代社会の縮図を見る思いがする」
「日々大変な競争率をくぐり抜けて掲載されるだけあって、それぞれ珠玉のようである。 南海のサンゴにキズ跡を残し、社長退任にまで至った事件については、朝日にとっては
マイナス要因とも思えるのに、何通も掲載された。これには、本紙のフトコロの深さと公正の 精神の重視を感じさせられた」
本紙の≪サンゴ損傷≫は、本当にどうおわびしたらよいのか、誠に申しわけない事件だった。 たくさんの投稿をいただいた。その大部分は、電話やパソコン通信による一方的非難と異なり、 かなり抑制がきいていた。それだけに、われわれ担当者は、新聞記者として一層切なかった。
「だからといって落ち込まず、元気を出せ。そして改めて報道の本分をつくせ」という、 多くのお言葉に感謝する。「災いを転じて福となす」心構えで社会の信頼回復に努めたい。
(以下省略)
引用部分は全体の1/3程度ですがサンゴ事件とは関係ない内容だったので省略しました。