まったく弁解の余地のない事件が起きた。本社カメラマンがサンゴを傷つけ 「落書き」を撮影した。何とも言えぬ気持ちだ。申し訳なさに、腹立たしさ、 重苦しさがまじり合っている ▼とんでもないことをしたものだ。KYと書かれた 落書きを写し「サンゴを汚したK・Yってだれだ」という記事をつけた。 自然を守ろう、汚すまい、と訴える記事である。ところがその写真の撮影者自身が サンゴに傷をつけていた。沖縄の西表島崎山湾沖は巨大なアザミサンゴがあり 海中特別地区に指定されている ▼読者から怒りの電話がたくさんかかった。 もっともなことである。「長年、朝日新聞を読んでいるが裏切られた思いだ」と、 多数の人からきつくしかられた。平生、他人のことは厳しく追及し、書く新聞だ。「身内に甘いのではないか」とも指摘された。「記者たちの高慢な気持ちが 事件に表れている」との声が耳に痛い ▼「自然保護に力を入れた報道姿勢に 共感していただけに残念」という苦言も多かった。たしかに本紙も、またこの欄も、 自然に親しみ、自然を愛する人々のさまざまな活動を紹介し、ともすれば失われゆく自然を守る努力がたいせつだ、と訴えてきた。常軌を逸した行動は、これまでの 報道を帳消しにしかねない ▼美しいサンゴに無残な傷が残る。どれほどの年月をへて育って来たものか。なかなか消えるものではあるまい。大自然への乱暴な行為を、 本当に申し訳なく思う。同時に、本紙と読者との間の信頼関係に大きな傷が ついたことが、まことに残念だ。これも、なかなか消えないだろう ▼かつて「伊藤律との会見記」のような虚報を、紙面にのせたことがあった。そんな時に生ずる信頼感の傷を消すためには、報道の正確さを期して、長い間、地味で謙虚な努力を続ける以外にない。今回もしかり。厳しい自省に立ち、地道な努力を愚直に、毎日、積み重ねるほかはない、と考える。 |