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朝日新聞記者によりK・Yと落書きされた珊瑚礁
1989年(平成元年)5月20日土曜日 朝刊3面竹富町ダイビング組合経過報告書の要旨

2年前に、西表島の崎山のアザミサンゴに落書きされたことがあった。

これは後からの調査によると、現地のダイビングサービスを使わない ダイバーが、自分たちだけで地元の船を雇って潜り、傷を付けていたことに ほぼ間違いの無いことが分かった。

朝日新聞東京本社写真部の本田カメラマンは、かつて自らこの時の アザミサンゴの傷を見ており、ダイバーのモラルに警鐘を鳴らしたいと考えて、 4月10日に朝日新聞西部本社の村野記者と2人で、西表島に来た。

同11日、午前中にダイビングチーム「うなりさき」の下田一司氏のガイドで、アザミサンゴに潜り、3人で、傷を探すために丹念に調べたにもかかわらず、 作為的な傷らしい傷は見つけ出すことは出来なかった。ただ、今回問題に なっているアザミサンゴとは別の、少し離れたところにある小さいアザミサンゴには 「Y」らしき文字が確認された。

この潜水の後、本田カメラマンらは、「これじゃ写真にならない」と下田氏に 話しており、傷が残っているかもしれないと思ってガイドした下田氏は自分の 記憶違いをわびた。

アザミサンゴの傷の再生力についての話などをした後、白浜港で、昼食と ボートの燃料供給のために、約2時間の休憩をする。

この間に、本田カメラマンは、民宿に水中カメラのレンズを取りに帰る。

11日の午後、下田氏は、なにかしらの傷痕をなぞり、写真を撮りたいという 彼らをもういちどアザミサンゴのポイントまで連れていく。

このとき下田氏は、サンゴのポリプは軽く触れるだけでも一時的に白く なるので、その程度のことだろうと思っていた。

午後からのダイビングは、潮流も出てきており、カメラマンらは流されかけて いたので、下田氏は、アザミサンゴまで一緒に潜り連れていったが、午前中に 一度一緒に潜っているので、先にボートに戻っていた。

潜水終了後、特に新たな傷の発見があったという話はなかった。

12日午前。この日は、ヨナラ水道に行く予定であったが、本田カメラマンらが 急きょ、もう一度アザミサンゴに潜りたいというので、再び彼ら二人だけで潜り、 下田氏は船上でワッチをしていた。

この潜水終了後も、新たに傷の発見及びそれを撮影したことについて、話は なかった。

このとき、ユースダイビングの関暢策氏が、ダイバーを連れて潜っており、 撮影中の本田、村野両記者を目撃している。そして撮影直後のアザミサンゴに近づくと、問題の「KY」の文字と削り取られたばかりの白いサンゴの破片が 落ちていたことも確認している。

そしてこの12日の午前のダイビングを最後に本田、村野両記者は西表島をたった。 2日間で計3回のダイビングをした。

4月20日に矢野維幾氏が、21日に笠井雅夫氏がそれぞれアザミサンゴの傷を確認。

と同時に、二人のもとに東京の知人から、朝日新聞の記事についてつぎつぎと 電話で連絡が入る。

4月26日、竹富町ダイビング組合として、事態の真相究明に動きだす。

ボートを使わなければ潜ることの出来ないポイントなので4月11日と12日の 両日にこのポイントに行くことの出来るサービスの動向を調べた。

というのも、11日の午前中に、傷を探す目的で潜ったにもかかわらず、落書きが見つからなかったからである。

(中略=各ダイビングサービスの両日の行動)以上のような状況から、 アザミサンゴの「KY」という文字は、朝日新聞社の本田、村野両記者による 自作自演である疑いが非常に濃厚になったため、27日夕方、下田氏が東京本社の本田カメラマンに問い合わせの電話をするが、本人に笑って否定された。

同日夜、笠井氏がもう一度電話をしたが丁重に尋ねたにもかかわらず、 窓口の人間が「朝日にかぎって絶対そんなことはない」と非常に乱暴な対応をした。

竹富町ダイビング組合経過報告書の要旨

「2人」「二人」などの表記は原文そのままです。
関暢策氏、矢野維幾氏両名の氏名は
コピーが擦れていて上手く読み取れなかった
のでもしかしたら間違っているかもしれません。
間違っていたらこの場でお詫び申し上げます。

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