落書きに至る経緯 夕刊一面に掲載している「写’89」の企画で環境シリーズを始めることに なり、本田はニ、三年前に西表島沖に潜った時、サンゴ礁に大きな傷痕が あったことを思い出し、現在どうなっているのか、地元、竹富町ダイビング組合 所属のダイバーに電話で問い合わせた。その結果「今も落書きはあるようだ」 との返事を受け、四月十日、村野と西表島に入った。
海が荒れていたため、この日は世界最大のアザミサンゴのある崎山湾には行かず、 ダイバーの案内で近くの鹿川湾に潜った。そこにもアザミサンゴがあり、「山下」 「F」など引っかいたような傷がたくさん認められた。
翌十一日、二人はダイバーの案内で午前十時すぎから、崎山湾に入った。三人で アザミサンゴの周囲を十分ほど見て回った。この時は、サンゴの表面に傷のような ものを認めたものの、落書きは見つからなかった。このため、ダイバーは近くにある 小さいサンゴに彫りつけられた「Y」の落書きのある場所に案内した。そこでの 取材は約十分から十五分で終わった。
その時点でダイバーは船に戻ったが、二人は帰りがけにアザミサンゴに再び 立ち寄った。本田は「同サンゴの側面に『K』と読めるような線を見つけた」 という。本田は同僚の村野を呼び撮影させた。二コマ撮って船に戻った。
船上で、本田が「あんまり写真になるような傷はなかった」と話すと、 ダイバーは「記憶違いで申し訳ない」という趣旨の話をした。
午後からは二人だけで海に潜った。本田は「海中では赤系の色が抜けて、 文字がはっきりしない恐れがある」と「Kとみえるもの」を手袋を付けた右手で 何回かこすった。手袋の先が擦り切れてしまうほど強くやった。また、「Yに見える ような薄い線」もこすった。本田は離れたところにいた村野を手招きし、サンゴの そばに指示して何回かシャッターを切った。しかし、なお自信が持てずに、今度は ストロボの柄を取り外して金属部分でサンゴの表面の傷口を削った。紙面に 掲載された写真はその翌日撮影したものだった。
問題の「KY」について、本田は「Kは確かにアルファベットのKと読めたが、 Yの方は今から考えると、自信はない」といい、村野も「Kは分かったが、 Yはよく見えなかった」といっている。
さらに「K」について本田は、他のサンゴにあった落書きのように、深く 傷つけられてはおらず、表面のポリプを触った感触では、ぬるぬるとして 柔らかく、生きているポプリだった。手袋でこすった時も生きているポプリを 傷つけている感じだったという。
十二日も午前中、二人だけでこのサンゴ周辺の海に入り、撮影を続けた。
村野は、本田がサンゴに手を加えている現場は目撃していないと述べている。 しかし、十一日の午前から午後、十二日午前までの間の傷の状況の変化は 感じており、十一日の午後、傷の形を見たとき、「本田が手を加えたかな」と 疑念が生じ、十二日午前に傷を見たときは「ギクッとした」と述べている。
サンゴに傷をつけるに至った動機について本田は、「『写’89』の環境 シリーズ企画の写真取材で、同僚らが苦労していたのを知っていたので、ここは 一つ、よい作品を出したいとの思いにかられていた」といい、「海中の圧迫された 状況の中で、判断力、認識力が鈍り、報道カメラマンとしてあるまじき行為に 走ってしまった」と話している。
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