・哲梅(てつばい)について 哲梅・・・はて、そんな人いたかな?・・という人も世の中には多い。しかし、そんな世人の無関心をよそにひっそりとマイナー街道をまっしぐら。それが、キングオブマイナーレギュラー(略してKMR)哲梅さんなのだ。 しかし、そんなマイナーな哲梅さんも、一度は話の中心として日の目をみるのである。里帰りから帰ってきた哲梅のお母さんが借金した8貫文を、外観和尚の髭を桔梗屋に売って立て替えるはなし(第72話 「大事なひげと おしょうさん」)でそのしょんぼりぶりは、哲梅さんファンならずともウナルものだ。 哲梅の顔は、黙念とちょっと似ている感じだが、彼には、そばかすがあり、鼻も秀念についで大きい。さらに、黙念が頭がへこんでいるのに対して、我らが哲梅さんはへこんでない。一目瞭然である。あまり発言機会もないのだが、注意してみていると、アニメ「一休さん」の中盤、CMに行く前の黄色いときにやる、「一休!一休!いっきゅ〜う!」「はーい。あわてないあわてない。一休み一休み。」のときの「一休!」のなかに哲梅さんの声がはいっているときも、きちんと聞き分けられるのである。これができれば、一休さん検定3級も間近であるといえる。 ・哲斉(てっさい)について 新田家に縁のある者として、楠家の侍、千早六蔵とともに戦にもでたことのある、安国寺最強の小坊主、それが「哲斉」さんだ。 さて、第6話「さむらいと千菊丸」で、一休さんの父親が帝であることを知ったテッサイは、以後しばらく「一休様」とよび、千早六蔵(南朝方の侍。楠家に仕え、蜷川新右エ門と一騎打ちしかけたこともある。なかなかの腕前だが、挙兵の後、戦死)にそそのかされ、一休さんを南朝方の大将に戦をおこそうとする。そして、それを止めようと頑張る一休さんを、鉄拳制裁を加えて逃走。結局千早六蔵や、コヤタ(南朝の残党狩りのなか安国寺に逃げ込み、将軍様拝領の鯉をさよちゃんに食べさせてもらい一命をとりとめる。コヤタとの思い出のアイテムは、「鏡」)、ゴロウザさん(敗戦時、落ち伸びる途中に押し込み強盗のようにおとずれた家でご馳走になった豆腐を食べ、無事落ち延びることができた暁には、日本一の豆腐屋になることを決意。哲斉の修行する安国寺へ出来立ての豆腐を届け、あこがれの一休さまからお褒めの言葉を頂戴した。しかし、後に義満の怒りを買い死刑にされかかる)らとともに戦をおこして、敗戦。 このように我らが哲斉さんは、覇気をもった小坊主である。お家再興をねがい、戦う姿はまさに侍であり、安国寺一の美形小坊主との呼び声も高い。 そんなテッサイさんだが、どうやら、実在しないようだ。(裏付けはないが)ただ、安国寺には実際には、いろんな出身の小坊主がいたようなので、(公家、武家含む)テッサイのような境遇の者がいなかったとは言い切れない。(このころは、五山のサロン化が顕著なほど禅宗が大人気だったため、坊主は人気職業だったようだ。)・・・が、安国寺は、義満の配下、鹿苑院僧録司管理の十刹のひとつなので、南朝がたではやっていけなかったのではなかろうか、と思う。 くれぐれも、「哲斉」さんであり、哲斎・鉄斎や、徹斎などではないことにご注意を。一休さん検定に必須の情報です。 なお、掲示板に、以下の興味深く有用な書き込みがありましたので、K.山縣氏の許可を得た上で掲載します。 哲斎 投稿者:K.山縣 投稿日: 平成18年6月 4日(日)18時19分54秒 一休さんで検索してここに辿り着きました。 私にとっても、小学生時代に毎週見ていた懐かしのアニメです。 このアニメに出てくる「テッサイさん」について、少しばかりの情報を、と思い、書き込ませて頂きます。或いはもう既にどなたかがお書きかもしれませんが、そのときはご容赦下さい。 私が幼い頃に読んだ子供向け伝記の「一休ぜんじ」(偕成社、二反長半著、1974)に、「鉄斎」が出てきます。ここでは「哲」ではなく、「鉄」の字になっていました。設定はアニメ同様、南朝方の家の出身です。周建(一休)の身分を知った鉄斎は、周建に小僧を辞めるようにすすめるが、周建は拒否して、さらに北朝打倒を画策する鉄斎を諫める。しかし、鉄斎は聞く耳を持たない。そして、鉄斎の決意に心を打たれた周建は、鉄斎の協力者となり、『孫子』の内容を教えてやったり、剣術稽古の相手になってやったりする。やがて、それが安国寺の「養そう禅師」(アニメの「がいかん」に相当)にばれて、二人は寺を追放となる。周建は「西金寺」に行くことになり、鉄斎とは離ればなれになる。 その後、年月は流れ、高名な一休禅師となった周建は、伊勢の国で「大貝浜之丞」という大名の招きを受ける。その大名こそがかつての「鉄斎」であった。という内容です。 この伝記の記述だけで、「テツサイ」が実在の人物かどうかはわかりません。寧ろ「大貝浜之丞」などという名前は、架空の匂いがプンプンします。でもこの伝記が出されたのが昭和49年、しかも、重版ですから、初版はもっと前のことです。だからアニメ「一休さん」よりかなり前のことです。 ですから(実在性はべつにして)少なくともTVアニメ「一休さん」より前に、「テツサイ」という小坊主の名前は知られていたようです。 ・陳念(ちんねん)について 陳念さん。思うに彼は、一休さんや秀念さんほどではないだろうが、場合によっては、あの哲斉をもしのぐ知名度を誇るのではないだろうか。それは、人間の記憶をくすぐる特徴があるからだ。 彼の知名度の秘密は、ズバリ、その体型にある。粗食を旨(むね)とするアニメ「一休さん」での安国寺において、同じものを食べて生活しているはずなのに、なぜか彼だけが太っているのだ。そこで、ある種の疑問が当然生じてくる。
それは、一休さんのトンチがなかなかでないときに、へんな言動・行動によって一見邪魔をするのだが、それによって一休さんが閃く(ひらめく)きっかけになることが、結構多くみられるということだ。これは、サッカーで例えると、陳念アシストによる一休のシュートのようなものである。 彼は、その外見による良くある性格設定のご多分にもれず、実に「食」に執着心があり、最終回のときも旅立つ一休の今後の食事をきにかけている。そんな愛すべき陳念さんファンのオフ会も全国でおこなわれており、最もおおきな集団である「北九州市陳念さん友の会(略してKTT)」は、昨年(2000年)の10月で第21回目を数えたとのもっぱらのうわさである。 この陳念さんも誤字がされやすい人物の一人で、「陳年」「珍年」「珍念」「沈念」など、一休さん検定試験に狙われ安いですので覚えるようにして下さい。 ・黙念(もくねん)について |