一休宗純(幼名・千菊丸〜周建〜宗純〜一休)(A.D.1394-1481)
京都大徳寺第47世。1392年、義満は南北朝合一を達成する。その2年後のことであった。
一休さんは、1394年(応永元年)元旦に誕生したとされる。父は第100代 後小松天皇、母は伊予の局(アニメでは)となっている。が、いろんな本を読んでいると、母は「藤氏(とうし)」という藤原氏の流れの人らしい。この二人が同一人物なのかは定かでない。母が南朝方だったため周りの嫉妬のいい攻撃材料になり、朝廷を追われ、一休さんは、京都嵯峨の天竜寺のちかくで生まれたそうだ。幼名、千菊丸(せんぎくまる)は6歳になるまで、母とくらした。
さて、ここまでは大体アニメは通説と異ならないのだ。ここからである。
アニメでは、6歳になった千菊丸は、「かそう禅師」(一休生涯最大の師で、京都堅田の祥瑞寺の住職。)のところに母に連れられ、「一休」と名付けられる。その足で外観和尚の安国寺で剃髪をされ、仏に仕える身になる。(第1話)
これが、全編にわたって禍根を残す、誤りの元であった。なぜなら、安国寺で一休さんはまだ「周建(しゅうけん)」という名だったからだ。「一休」と名乗るのは、「宗純」をへて、24歳(数えで25)になったときだ。「洞山三頓の棒」という「無門漢」という禅書の難しい公案(問題)をとき、かそう禅師から、一休さんが作った歌から名を取り、「一休」という法名を授かったという。
うろじより むろじへ帰る 一休み
雨ふらば降れ 風ふかば吹け
さて、はたして、アニメ「周建さん」で、人気が出ただろうか?それは、矢吹プロデューサーも考えただろうが、疑問がのこる。そもそも坊主が主人公のアニメなんてのが前代未聞である。折角のネームヴァリューがむだになるし、マイナーなイメージがのこる。「周建」?だれ?それ?ってな具合である。そこで、史実とは異なっても「一休さん」としたのだろう。
なにしろ「さん付け」で呼ばれるのは「一休さん」と「良寛さん(良寛大愚)」くらいなものだから。