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・足利義満(あしかがよしみつ)について
将軍さま

 足利義満(A.D.1358〜1408)
 義満は、アニメでは室町幕府第3代将軍として、わがまま放題である。が、義満は、1392年、南北朝合一を果たし、山名・大内氏など有力守護大名を制圧し、幕府権力を確立したのち、1394年(応永元年)12月には将軍職を、息子の義持に譲っているのだ。(これは、義満自身が、天皇をしのぐ法皇として君臨するための布石であったという)
 一休さんの誕生日は、1394年1月1日なので、アニメで、義満が登場するのはよしとしても、将軍であるのはいかにも変だ。登場するなら、日本史の資料のごとく、出家して(天山道有(てんざんどうゆう)天山(てんざん)道義(どうぎ)剃髪(ていはつ)した姿でなくてはおかしいことになる。
 が、隠居した将軍なんていう設定は、子供様たちには理解が難しいし、当時の実際の権力者は、義満だったであろう事を考慮すると(義満は出家後も、4代将軍
(よし)(もち)をさしおいて権力を掌握していた)、いたしかたない気もする。
 私の読んだ本のなかには、一休さんは、8才のときに金閣の義満と実際にあっているように書いてあるものがある。しかし、事実会っていたとしても、修行中の一休さんがそう頻繁に金閣に訪れたかは、定かでない。(一休さんが公家(それも天皇の御子!)であることを考えると、会見してないことのほうがむしろ考えにくいとおもう…。)
 この、足利義満は当代随一の権力者で、正二位左大臣のくらいにして征夷大将軍さらに(じゅん)三后(さんごう)(1394年に太政(だじょう)大臣(だいじん))。その権勢たるや、他の公家をもしのぐ。摂政の二条良基(にじょうよしもと)でさえも迂闊に動けないのだ。祈雨の祈祷を行ったり、他人を出家させるのも訳はない。なお、義満は、聖徳天皇の流れをくむ母(紀良子)を通して、当時の治天(ちてん)(きみ)である後円融(ごえんゆう)上皇(じょうこう)(後小松天皇は幼少)といとこ関係にある。

 つまり、義満と一休さんとは、姻族5親等にあたることになるのである。
将軍さま


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