作:◆CDh8kojB1Q
「確かここの角を左に曲がって……」
「そこの通りは十分前に通った」
「そ、それなら右に――」
「市外に出るぞ」
「はっはっは、このボルカノ・ボルカン様を惑わすとは……
小癪すぎるぞこの霧めがぁぁぁ!」
屍は舌を鳴らした。
放送が始まってから二十分ほど経過していたが、未だに『怪物』を発見できない。
市街地の中心で戦闘が終結してから随分と時間が経ってしまった。
ボルカンの証言では壁にめり込んだそうだが、脱出していても可笑しくはないだろう。
そもそもボルカンに道案内を任せたのが失敗だった。
屍自らが検討をつけて市外をうろついた方がまだ効率的だったかもしれない。
「おまえ、実は怪物から逃げるために時間を稼いでいるんじゃないだろうな?」
「そそそそんな滅相もない! 俺はあの乱暴な連中から逃げるのに精一杯すぎて、
記憶が清く正しく食い違っているだけだと激しく主張したいっ!」
屍の一睨みを正面から受けて、ボルカンは激しく焦っていた。
先ほどまで、霧の所為だと叫んでいたのは何処の誰だったのだろうか。
いい加減、痺れを切らしかけてきた屍がボルカンを引っつかんで、
自ら怪物探しに乗り出そうとしたその時、
「よお、そこのお前ら。――ヒマしてるなら俺に付き合えよ」
即座に身構えた屍の視線の先、霧の中からゆっくりと男が出てくる。
同時にボルカンは脱兎の如く逃走を開始。
屍に言われた『いざとなったら俺を置いて逃げても構わん』という言葉を忠実に実行したのだ。
屍はボルカンの逃亡っぷりから、この男が『怪物』と戦闘したとされる
リュードーなる人物ではないかと推測した。
相手はまだシルエットしか表していないが、少年といった所だろう。
情報元がボルカン一人なので明確な断定はできないが、男の言動から察するに
友好的な人物では無さそうだ。
とりあえず、剣のような目立った武器は持っていないように思える。
屍の沈黙に対して、
「あぁ? 無視かよ。つれねえ野郎だな。まあ、どうでもいいさ」
言って、男はポケットに手を突っ込む。無駄のない動きだった。
とっさに屍は電柱の影に身を潜める。
相手の飛び道具を警戒しての行動だ。いくら屍でもこの距離では避けづらい。
「お前、乗っているな……何人殺した?」
「どうでもいいだろうが、そんな事は。たとえ何人死のうが、殺そうが、
今の俺は知ったこっちゃねえ!」
「正真正銘の屑だな――叩き潰すぞ」
相手の背筋どころか魂の底までも凍りつかせる屍の威圧感。
魔界都市<新宿>一の刑事。<凍らせ屋>の異名は伊達ではない。
正面から屍の気を受けて、しかし少年は屈することなく相対する。
そして、ゆっくりとポケットからカプセル大の物を取り出し、口に含む。
少年の顔が狂気に歪んだ。まるで、この状況を心の底から願って
いたとでも言うかのように。
そして、狂相を通り越して死相に近くなっていく。
死ぬほど嬉しいという想いが、文字どおり顔に出ている。
「……ジャンキーか」
「おうよ。俺はただのラリったジャンキーさ。この瞬間のみを
感じて生きる。後にも先にも何も無え。最高にハイってやつだ――!」
言うが早いか、屍の眼前に一匹の鮫が現出した。
その全長は10メートルを越え、全身に力を湛えている。
光を吸い取るかのような黒い表皮と、雄大に動く背ビレが印象的だった。
人間を一呑みにし、驕り高ぶる全ての獣の上に君臨する神獣の放つが如き圧迫感。
その鮫は少年――甲斐氷太が召喚した悪魔だった。
00人が見たらその九割が仰天するであろう鮫の悪魔。
それを眼前にしても屍の心は揺るがなかった。
魔界と呼ばれる新宿は、変人奇人を超越する魔人が跳梁跋扈している。
それらを取り締まるのが刑事・屍刑四郎であり、当然この程度の怪物には屈しない。
「遅い」
短く叫んで鮫の鼻先を蹴り上げる。
しかしながら鮫もさるもの、一瞬だけ堪えた後に地獄の釜のような
大口を開けて、魔界刑事を呑まんと突進してきた。
屍はそれを避けようと、電柱を蹴って斜め上方へ跳躍し、
「ちい」
まるで待ち伏せたかのように空中に浮かぶもう一匹の鮫を睨みつけた。
ツー・パターン。これが甲斐の選択した戦術だった。
白と黒の二匹の鮫を駆使して死角を減らし、同時に相手の反撃を
許さない。今回は完璧だった。
空中ならばもう方向転換は利かない。これであえなくジ・エンドかと思われたが、
「詰めが甘いな」
魔界刑事は器用に空中で体を捻って鮫に足を向けた。
鮫は躊躇無く突っ込んでいくが、餌である屍の顔には余裕がうかがえる。
そして、大きく開かれた鮫の口が閉じられようとした瞬間、
屍は足を思い切り縮めて一撃を避け、鋭い前歯の前面部に足先を当てて
猛烈な蹴りを打ち込んだ。
屍が狙っていたのは鮫の歯そのものだったのだ。
鮫の歯自体は頑丈で折れも砕けもしなかったが、
蹴りの反作用で屍の体は後方へと吹き飛んでゆく。超人の技量のみが成しえる脱出方法だった。
そのまま屍は流れた体を再び捻って、甲斐から離れた場所の電柱を蹴る。
まさしく空中移動だ。
「ほう、避けやがったか。おもしれえ」
甲斐がつぶやいた時には、すでに屍は地面へ着地していた。
そして先ほどの推測を撤回する。ボルカンの証言と異なり、
この男は奇妙な術を使う。リュードーなる人物では無さそうだ。
「をーっほほほほほ!」
空を切り裂かんばかりの哄笑が当たり一面に広がった。
声の発信源はちょうどボルカンが逃げていった方角に等しい。
哀れな地人は再び女傑と遭遇してしまったのだろう。
「なんだぁ?」
興がさめて大層不機嫌そうな甲斐とは対照に、
「あれが、怪物か」
眉をひそめた屍は身をひるがえして、哄笑の方角へと駆け出した。
屍にとっては目の前のジャンキーを潰すより、ゲームの被害者を救う方が
重要に思えたからだ。
しかし、その行為は甲斐のプライドを深く傷つけた。
「おいっ! 逃げんのかよっ!」
目の前のご馳走が掻き消えたかのような表情を浮かべて甲斐は叫んだ。
相手は自分より怪物を選んだ、その事実が火種となって爆発する。
「なめやがって……逃がしやしねえ!」
猛然と、二匹の鮫が屍を追い、甲斐自身も駆け出した。
激情の中で、甲斐はウィザードとの闘争を思い出す。
あの高揚感、あの緊張感、あの歓喜に満ちた時間をもう一度……。
余計なものを切り捨てて、この幻覚のような世界の中で唯一、
間違いなく手ごたえのあるもの。
甲斐の進む先にはそれがある。この手で掴みたかった。
絶対に。
【A-3/市街地/一日目/18:30】
【屍刑四郎】
[状態]健康、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1800ml)
[思考]ボルカンを救出し、怪物と甲斐を打ちのめす
[備考]服は石油製品ではないので、影響なし
【ボルカノ・ボルカン】
[状態]たんこぶ、左腕骨折、生物兵器感染
[装備]かなめのハリセン(フルメタル・パニック!)、ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具] デイパック(支給品一式、パン四食分、水1600ml)
[思考]とにかく逃げたい
[備考] 服は石油製品ではないので、影響なし
【甲斐氷太】
[状態]肩の出血は止まった、あちこちに打撲、最高にハイ、生物兵器感染
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、煙草(湿気たが気づいていない)
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]屍や怪物と戦う
[備考]生物兵器の効果が出るのはしばらく先、
かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで二日)、たんこぶ、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]自分の武器を持って逃げたボルカンを成敗する
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
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