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第514話:弱さの矛先

作:◆l8jfhXC/BA

  第五百十四話
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               『弱さの矛先』
                ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


            前方穿ち招くは加速
            後方抉り掴むは安定
           下に向けても何も得られず
       ────────────────

(何っかなぁー……死にすぎじゃねえ?)
 死者の名の羅列が終わった際、匂宮出夢が抱いた感想はそんなものだった。
 既に知っていた戯言遣いの他にも、四人の知り合いの名前があっさりと告げられていた。
 戯言遣いや霧間凪はともかく、萩原子荻や哀川潤などはどうやって殺されたのか見当も付かない。
 知らない人間も名前を呼ばれ過ぎていた。これで全体の半分以上の死体が、島内に転がったことになる。
 しかし何よりも苛立たしいのは──
(……ったく、人がせっかく探してやってんのに勝手に死ぬんじゃねーよ)
 別れてからずっと行方を追っていた少年の名前も、最後の最後で呼ばれてしまっていた。
 こんな場所で半日も生き残ったのはむしろ健闘した方かもしれないが、それでも苛立ちが募った。
(まぁ、今更何考えてもしょうがねえ。それよりも問題は……)
 倉庫の中自分の隣で眠っていた、彼を捜していたもう一人──長門有希の姿を見る。
 いつの間にか身を起こし、ただ正面の壁を見つめる無表情は、平常とまったく変わっていない。
 その双眸が、ほんのわずかに見開かれていること以外は。
(あーくそ、何てフォローすりゃいいんだ? 思いつかねえ)
 硬い表情に小さな亀裂を生じさせている彼女に対して、何と声を掛ければいいのかわからない。彼女の抱く感情が想像できなかった。
 何か大切なものを失った経験は自分にもあったが、状況が特異すぎるし、自分と彼女とではだいぶ感覚が違う。
 自分は身近な人間の死に徒労と空虚さを覚えることはあっても、彼女のように泣くようなことはない。現に今も、苛立ちしか感じていない。
(さっさと復活させて早く出発しねえと、最後の一人も死んじまうし──)
 と。
 思案を巡らしていると、突然その長門が立ち上がった。
 無駄のない動きで隅まで移動し、そこに置いてあったデイパックを手に取る。
 その表情は放送前とまったく同じの、表情筋が硬直しきった感情の読めないものに戻っていた。
 どんな葛藤があったかは知らないが、何とかショックから復帰したらしい。
「もう行くのか? 雨は止んだが、さっき確認したら今度は霧がたちこめてたぞ」
 その動きに同じく倉庫に滞在していた、紛らわしい名前の青年──出雲が疑問を投げる。
「霧なんて僕たちには関係ねえな。休憩も十分過ぎるほどとったし、これ以上ここに居座る理由はねえ」
 殺し合いは加速している。もう一人の探し人である古泉一樹も、長門によれば戦闘能力はないらしい。急ぐ必要があった。
 出発の準備を整えるために、こちらも立ち上がると、
「あなたとは、別」
「は?」
 直後、訳のわからないことを言われた。
「別々に捜すってことか? だがこんな状況じゃあ、一旦別れちまったら合流場所を決めてもなかなか──」
「違う」
 否定の言葉で遮った後、彼女は足を止めて振り向き、続ける。
「後はわたし一人で古泉一樹を捜索する。あなたとは、ここで別れる」
「何でいきなりそうなるんだよ? ……ああ、あのノイズがどうたらって奴か? 僕は大丈夫だってさっき言ったばかりだろ?」
「そのノイズの侵蝕が先程から急速に進行している。おそらく、坂井悠二の死が原因。
いつ思考が支配され、暴走状態に陥ってもおかしくない状態。抗うのは困難。わたしの意志とは関係なく、あなたを害してしまうおそれがある。
たとえば彼やわたしの仲間を殺害した人物が判明すれば、あなたを巻き込んででもその人物に危害を加えるかもしれない」
 まるで他人事のように、彼女は淡々と己の現状を語る。
「じゃあ古泉と再会した後はどうすんだよ? そいつは絶対に傷つけねえっていう自信でもあるのか?」
「あなた同様に、ない。だから事情を説明後、早朝構築途中だったシェルターを形成、そこに彼を保護する。
その後蓄積したデータを元にこの空間に対して情報結合の解除を申請、脱出口の作成を試みる」
「脱出口って……そんなもんがつくれるのか?」
「確率は低い。それ以前にノイズにより暴走する可能性の方が高い。でも代替手段は皆無」
 出雲の問いにも即答し、長門は荷物を取って今にも扉に向かおうとする。
 彼女の案はどう考えても無謀だ。しかも、こちらの意思をまったく考えていない。
「これじゃ坂井のときとまったく同じじゃねーか!」
「違う。……今度は殺される前に、終わらせる」
 響いた言葉は、ある意味頼もしげに聞こえた。悲壮な覚悟とでも呼べそうなものが、彼女から感じ取れていた。
 しかし、納得できるわけがない。
「少しはこっちの意思ってもんを──っ!?」
 罵りと同時に腕を取り引き留めようとして、しかし出夢はその動きを止めた。
 いや、止まってしまった。
「…………何しやがった?」
 息はできる。首も回せる。身を乗り出すことも多少は。
 だが腰から下の半身と四肢が、まるでコンクリートにでも埋まってしまったかのようにまったく動かせない。
 首を動かして出雲の方を見ると、彼も惑いの表情を浮かべ、座ったまま身体を不自然に硬直させていた。
 彼が羽織るコートの裾も、まるで時間が止まったかのように、重力に逆らった虚空に停止している。
「空気中の分子の結合情報を操作した」
 事態を引き起こした張本人は、やはり意味不明の説明しかしない。
「ここでは恒久的な変質はできない。しばらくすれば元に戻る。安心して」
「できるわけねえだろ!」
 強い抗議にも、長門は表情を変えない。
 停止してしまった面々を一通り見回し、その後もう一度視線をこちらへと戻す。
 静かに自分を見据えるその瞳を思い切り睨み付けてやっても、彼女の反応は変わらない。
 やがて、彼女は自分から視線を外した。わずかに目を伏せ、ゆっくりと二回瞬く。
 そして小さく口を開いて、呟く。
「さよなら」
「──おねーさんっ!」
 思わず叫んだ声にも、反応は返らなかった。
 彼女は伏せた目をあげることなく顔を背け、倉庫の出口へと振り向く。そして、
 その動きを止めた。
 わずかな驚きを無表情に付加し、今の自分のようにその動作を止めている。
 また知り合いが死んだわけではない。自身を停止させることなどもちろんないだろう。
 疑問だけが浮かぶ思考に応え、彼女の目線の先を追うと、
「……は?」
 思わず間抜けな声が漏れた。
 長門の視線の先にあったのは、何の変哲もない灰色のコンクリートの壁だった。それだけしかなかった。
 つまり、扉が消えていた。
 豪雨の中、開きっぱなしだった鉄扉をくぐったことはよく覚えている。
 こともあろうに服を乾かしている途中で、出雲が勢いよく扉を開けて入ってきたことももちろん忘れていない。
 だが、今やそれがあった痕跡はまったく残されていない。ここには窓がないため、完全な密室になったことになる。
「…………」
 動けないこちらを尻目に、長門は表情を無に戻して出口──のあったはずの場所へと足を運ぶ。
 そして鉄扉だったはずの壁面に何度か触れると、何かを物凄い早口で呟いた。
 だが、何も変わらない。
 しばらく壁を凝視し続けた後、彼女はゆっくりとこちらに振り向いた。
 何かを探るような目をまず出夢に、次に出雲へと向ける。最後にさらに奥へと視線を投げ、止まる。
 そして、ふたたび短く言葉を告げた。
「通して」
「お断りします」
 声を投げられた、今までずっと黙っていた、自分と同じく片割れを失ったらしい出雲の同行者。
 アリュセと名乗っていた幼い少女は、長門の要求を間髪入れずに拒絶した。



「あなたの行為は無意味」
 しばしの沈黙の後、靴音を室内に響かせながら、長門はふたたび口を開く。
「わたしの行動を阻害しても、あなたには何の益もない。あなたには関係ない」
「あたしに関係あるかないかはあたしが決めること。あなたに判断される筋合いはありませんわ」
 その進む先に座るアリュセは、やはり突き放すように即答した。
 反論を許さない毅然とした態度を崩さぬまま、前方の長門を見上げている。
(……見た目通りのガキじゃあ、こんなとこには呼ばれねえってことか)
 自由な上半身を二人に向け、出夢は何も言わずに事態を見守っていた。口が挟めそうな状況ではない。
 もちろん好機ができればすぐに長門を押さえるつもりだったが、その注意は主にアリュセに向けていた。
 彼女は白い外衣に包んだ小さな体躯をさらに折り、倉庫の奥に座り込んでいた。やはり長門によって拘束されているのか、まったく動かない。
 ただ首だけを上向かせ、幼さを強調させるような大きな薄藍の瞳を長門に向けている。
 しかしその雰囲気は、その声は、その視線は。
 放送前は確かにそこに存在していた無邪気さや無垢さは、今や微塵も残っていなかった。
 あるのは温度を感じさせない、大人びるのを通り越してひどく超然とした無機質さ。ある意味、長門に似ているともいえる。
 その長門の歩みが彼女の数歩手前で止まると、彼女はふたたび淡々とした声で言い放つ。
「自他を顧みない無謀な行動をする方を行かせてしまうのは──あなたの言い方で返すのなら、あたしの精神面において不利益ですの。
一時の感情に振り回されて無謀な行動に走ることは、ただ状況を悪化させるだけだとどうして気づかないんですの?」
「無謀ではない。わたしには力がある。
本来の出力よりも相当抑えられているが、自衛しつつ目的を遂行するには十分。あなたの遮蔽空間も、いずれ破ることができる」
「いずれ? 今すぐにではありませんのね」
 感情のこもらない、だが挑発めいたアリュセの言動に対しても、長門は自分のペースを崩さない。
「扉は消えていない。分子構造は鉄のまま。
倉庫全体に内向きに展開されたフィールドが、観測及び干渉を妨害している。解除しなければ壁面の破壊も不可能。
しかしそのフィールドの情報がデータベースには存在せず、また論理構造が皆無のため解析が困難」
「論理が皆無って失礼ですわね。人の魔術をデタラメみたいに」
「いや、端から見れば二人ともトンデモなんだが」
 かなり同意できる出雲の突っ込みは、しかし無視され長門が続ける。
「でも、ただそれだけ。時間をかければ完全解析は可能。そして構造情報さえ把握できれば解除できる。だから、無意味」
「そんなにのんびりと構えていて大丈夫なんですの? あなたの金縛りにも、時間制限があるのでしょう?」
「……それよりは早い」
 わずかな間をおいた長門の返答に、アリュセは呆れたように息をついた。
「先程あなたは、無謀ではない、と言いましたわね? 自分には力があるから、目的を達成できる、と」
「そう」
 短い返答に対し、アリュセは固い無表情の中に一瞬憤りに近い感情を見せ、
「あたしに足止めされて時間を無駄にする程度の力で──そもそも何もできないまま仲間を殺されてしまう程度の力で、一体何が成せますの?」
 容赦のない糾弾の言葉が、場の空気を完全に凍らせた。
 吐き捨てた本人だけが平静を保ったまま、言い放った先を見据えている。
「……おいおいおいおいおじょーちゃんよお、ちぃぃぃっとばかし言わせてもらってもいいか?」
「何ですの?」
 その態度にひどく不快感を覚え、出夢は口を挟んだ。
 それに対しても感情のこもらない声が、視線を向けられることなく返され、さらに苛立ちが増す。
「その言い分は理不尽すぎやしねえか? 身内に起こった不幸は全部自分のせいになるのかよ?」
「少なくとも、彼女はそう思っていたようですわね」
 アリュセの視線の先、目を見開き身体を硬直させ、動揺を露わにする長門を見やり、出夢は舌打ちする。
 もちろん彼女も、アリュセが言ったそのままの極端なことは考えていないだろう。
 しかし手の打ちようもなく理不尽に起こってしまった知り合いの死を、うまく割り切れていないのは確からしい。
「だがそもそも、何もできないまま仲間を……ってのはよ、誰にでも当てはまるんじゃねえか?
僕もまぁそうだし……あんた自身にも、な」
「そうですわね」
「……ああ?」
 即答して、アリュセは自らに返ってくる論理を容易に受け入れた。
「あなたの言うとおり、あたしにも、誰にでも当てはまることですわ。
だからこそ、たった一人で行動するのは──今このとき隣にいる方のことを顧みずに行動するのは無謀だと言っているんですの。
その方の思いを無駄にしてしまい、それゆえにその方に危険な行動を取らせてしまうかもしれないのに。
無謀な行為に時間を費やしている間に、また手掛かりを得られないまま仲間が殺されてしまうかもしれないのに」
 ふたたび感情──今度はわずかな悲哀が彼女の表情に浮かぶ。
 しかし先程と同じくすぐに消え、彼女は口を閉ざす。出夢も結局反論が浮かばず黙り込み、ふたたび沈黙が場に満ちた。
「……わたしは」
 しばらく経った後に室内に響いた声は、ひどく弱々しく聞こえた。
 長門はアリュセではなく出夢の方に向いて、ゆっくりと言葉を綴る。
「わたしは、あなたに危害を加えたくない。あなたに、生きていて欲しいと感じて……思って、いる」
 一句一句言葉を選ぶように、あるいは躊躇するかように、彼女は続ける。
「でもわたしは、わたしの意思に反してあなたを傷つけてしまうかもしれない。
その可能性と危険度が、先程よりも高くなってしまった。わたしと一緒にいない方が、あなたは安全。……だから」
 言葉を切り、長門はふたたびアリュセに向き直る。
 弱々しさが消え去った、強い意志のみが宿る瞳で前方を見据え、続ける。
「だからわたしは、あなたに多少の危害を加えてでも脱出する。そして事態の打開を試みる。
たとえそれが無謀だとしても、わたし自身によって被害が拡大するよりはまし。
わたしはわたし自身に賭けることに決めた。それが、わたしの意志」
 そう言い切った姿は、痛々しくも凛としていた。
 心情を吐露しきり、彼女は完全に覚悟を決めてしまっている。
「……あなたは少し、自信過剰すぎますわ。決意だけが立派でも、何にもならないのに」
 だからこそ淡々と返されるアリュセの言葉に、今回ばかりは出夢も同感だった。
 結局のところ彼女が賭けている──信用しているのは、徹頭徹尾自身の“力”だけだ。
 どこまでも自分自身と、そして出夢を信頼していない。
「たとえば──」
 続く言葉と共に、アリュセの指先に光が灯った。
 それに対する長門の反応は早かった。滑らかなバックステップでアリュセから音もなく身を離し、こちらの隣へと着地する。
 その直後、光が人の頭ほどの大きさとなり、彼女が先程まで立っていた場所に強大な熱量として飛来した。
 金色の火球と言えるそれはコンクリートの床を灼き、熱気と焦げ跡だけを残して消えた。
「止められているのは身体の動きだけ。結界と同じように、自身の理解が及ばないものには対策が打てていない。
いっそのこと、喉の動きを止めて酸欠にさせればよかったのに。甘すぎますわ」
 攻撃を外したことは気にも留めず、アリュセは瑕疵の指摘を続ける。
 そして思い出したかのようにふと、
「ところでその金縛りも、そろそろ解けるんじゃありませんの?」
 初めて笑顔──悪戯めいた少女の笑みを彼女は見せた。
 さらにその視線を長門から反らし、こちらに思わせぶりに流してみせる。
(……今までのが全部、時間潰しだったってのか?)
 確かに長門の足止めは、時間が経てば無効になるものだと本人が言っていた。
 そして彼女を閉じこめるアリュセの術は、彼女の動揺を誘えば、その解除を遅らせることができるだろう。
 後者が解ける前に前者が解ければ、こちらが無抵抗のまま彼女を行かせる理由はなくなる──
「……なら説教なんていらねえから、最初からその火の球を飛ばせよ!」
 ぼやきと共に出夢は、自由な上半身ごと首を伸ばした。目標は、術の回避のため隣に移動していた長門の二の腕。
 その白い肌に、思い切り噛みついた。
 食いちぎらない程度に犬歯を食い込ませ、勢いを殺さぬまま彼女を捕捉する。小柄な体躯が宙に浮いた。
 直後、今度は首を逆方向に振り、その身体を倉庫の隅へと投げ飛ばした。
 放られた身体は無造作に積まれたダンボールの山に向かい、派手な音を立てて激突する。
 それと同時に、予想通り身体の硬直が解けた。自由になった足で、すぐに彼女の方向へと走り出す。
 崩れたダンボールに埋まった長門を見つけると、有無を言わせず腕を掴んで引きずり出した。
「《人喰い》を止めるには、ちぃっと中途半端だったな。距離さえどうにかなれば、身体が半分止まったくらい何の問題もねえ。
この程度で僕を引き離そうとするなんて甘すぎるんだよ、おねーさん」
 状況が飲み込めないままこちらを見つめる彼女を、怒気を収斂させて睨みつける。
「暴走? んなもんする前に全部終わらせればいいじゃねーか。わざわざ僕と別れる意味はねえだろ。
連れ戻したときから最後までついてってやるつもりだったし、もし坂井やらおねーさんの仲間を殺した奴らに報復したいってんなら付き合ってやるぜ?
いい加減、本人の意思を尊重しろよ」
「……だから、もしその前にわたしが制御できなくなってしまえば、あなたは、」
「僕は死なねえ」
 腕を掴む力を強め、断言する。
「万一おねーさんが襲いかかってくるような事態になっても僕は死なねーよ。
暴走しようが何しようが、おねーさんは僕より弱い。それはさっきここに来たときにも言ったし、今だってそうだったじゃねえか。だから何も問題ねえ」
「…………」
「どうしてもって言うんなら、僕をちゃんと倒してから行くんだな。今みたいに動き止めるだけじゃあ、またこうなるだけだぜ?
まぁ、明らかに戦力が後五十九億九千九百九十九万九千九百九十九人分足りてねえが────
それでもやるっつーんなら、取って置いた一時間をおねーさんのために使ってやるよ」
 本気で殺気を向けて、言った。
 気の利いた気遣い方などもはや考えなかった。多少強引でも何かしなければ、彼女の無駄に固い意志は崩せない。
 流血する二の腕はカーディガンを黒く染め、腕を握りしめている部分は青白くなるほどだったが、緩めるつもりはなかった。
 それでも長門は黙り込み、元の平坦な表情でこちらをじっと見つめ続けている。
 胸中で葛藤しているのか、あるいはこちらの隙を狙っているのかはわからないが、とにかく彼女の反応を待つ。
「……そう」
 やはり一度本気で実力行使した方がいいのかと思い始めた頃になって初めて、長門はいつもの短い返答を発した。
 そして、
「了解した、やめる」
 続いた言葉と共に、彼女は首を小さく縦に振った。


                           ○


「一つだけ」
 一連の騒動が終わり、やっと倉庫から出ようとしたとき、長門はふたたび口を開いた。
「あなたの、それを」
「? これのことか?」
 彼女が二人称で呼びかけたのは、出夢ではなく出雲の方だった。
 彼のそばに置いてあるアリュセの支給品──にはとても見えないバニースーツ一式を指さし、彼の方をじっと窺っている。
「渡してほしい」
「……おねーさん?」
 無表情のままの長門を、怪訝そうに出夢は覗き込む。
 冗談を言っているような顔ではないし、そもそも言う人間でもないだろう。
 だが彼女が真剣にこんな場違いなものを欲しがる理由がわからない。
「これはわたしの世界に存在していたもの。SOS団の備品。涼宮ハルヒがよく着用していた」
「涼宮……って、おねーさんの仲間だっけか? なるほど、形見ってことか」
「……そう、かもしれない」
 そこまでは考えていなかったのか、彼女はわずかに首をかしげる。
 涙をノイズなどと言う人間だ。おそらく、無意識に思い出の品を取り戻したかっただけなのだろう。
「いいんじゃないですの? 別にあたし達が持っていても、覚の暴走率があがるだけですもの」
「俺は暴走なんて物騒なことはしねえぞ? 妄想はいつでも自覚的に具体化させるもんだからな」
「それは余計タチが悪いですわ」
 不本意そうに言い返す出雲に対し、アリュセは呆れと諦念の混じった視線を返した。その動作に、先程までの異質な雰囲気は存在しない。
 彼女はあの後長門と、そしてこちらにも言い過ぎた件を謝っていた。
 不満はもちろんあったが、彼女がいなければ長門を引き留められなかったことは確かなので、我慢することにした。
「まぁ、俺も渡すのは別にかまわんぞ。ただ少し気になる点があるんだが」
「何だよ? 妄想ぶちまけたらまた殴るぞ?」
「いや、単なる事実から見て心配になったんだ」
「……事実?」
 疑問符を浮かべると出雲は長門を指さし、至極真面目な顔で、
「お前の場合、色々と足りてないんじゃないか? 特に胸がぐおっ!?」
 妄想よりもひどかったので、本気で殴った後投げを追加した。
「ほらよ」
 派手に吹っ飛んだそれを見やることなく、放置された床のバニースーツを拾い、長門の方へと戻る。
 彼女はこくりとうなずくとそれを受け取り、両手で抱え込んだ。
「…………」
 そしてそのまま、動きを止めた。視線をそれに固定したまま、彫像のように動かない。
 表情こそ硬いままだったが、その姿からは、何かを懐かしむような、あるいは悼むような感情がわずかに感じられた。
(……理澄には、絶対持てねぇ感情だろうな)
 最初こそ、彼女は妹と同じ空っぽの人形のように思えた。だからこそ興味を持ち、行動を共にすることに決めた。
 しかし彼女に理澄を重ねたくはなかったので、同年代であろうこの少女を、わざわざ“おねーさん”と呼んだ。
「そういえば平気そうにしてますけど、その怪我は大丈夫なんですの?」
「へいき。……修復するのを忘れていただけ」
 意味不明な言葉を口早に呟く姿や、自分がつけた噛み跡が血痕ごと一瞬にして消え去るという現象を見ると、それこそ機械のように思われたが。
 それでも彼女は、確固たる心を持っていた。妹とは違い、簡単に弄くれない中身がある。
 人形──代理品ではない、一個体の人間だ。
(感傷的すぎやしねえか? 物思いにふけるなんて、僕の柄じゃなかったはずだが)
 長門の件もむきになり過ぎの気がした。以前の自分ならば、二人が勝手に別れてしまった時点で見捨てていただろう。
 そう、以前は──理澄を失う以前は、そこまで世話焼きではなかったはずだ。妹に抱いていた分の愛情が回ってきたと言うべきか。
 だが、妹を思うことはむしろ多くなっている。それこそ長門の件や、早朝三塚井ドクロに付き合ったときに感じた追慕の念がそれだ。
 妹への拘泥と過剰な世話焼き。
 あるいは、妹が抱いていた分の弱さが自分に生まれたとも言えるかもしれない。
「……まぁ、どうでもいいか」
 どちらにしろ行動方針は変わらないし、その弱さに足を取られてやるつもりはない。考えるだけ無駄だ。
 そう結論づけ、未だバニースーツを眺める長門へと向き直る。
 声に出して呟いたためか、彼女はわずかに首をかしげてこちらを見ていた。
 その腕には、先程強く握った部分が鬱血した赤い跡が残っている。
「行くぞ、長門」
 そこから離れた部分を掴み、出夢は倉庫の外へと歩き出す。出口はいつの間にか復活していた。
 振り返ることなく彼女の腕を握ったまま、片手で重い鉄扉を開け放った。


                           ○


「ぐ……さすが元殺し屋、マジ切れした千里に比肩する突っ込みだ……思わず懐かしさを覚えたぞ」
「……雨降る前のエロ本の話から思ってましたけど、あなたどういう環境で生活してますの?」
「不条理度で言えばお前や長門んとこと同レベルだと思うぞ。詳しく話すと十八禁になるからやめておくが」
 天井から声の方へと視線を移すと、呆れ顔をしたアリュセがダンボールに埋まった自分を見下ろしていた。
 出雲は返事を投げつつ腰を上げ、箱の山を押しのけた。
「少なくとも倫理面の不条理度は、確実にあなたの世界の方が上だと思いますわ」
「あー、それは否定できねえな」
 ひとまずコンクリートの床に座ると、アリュセも隣に腰を下ろした。
 先程あの二人が出ていった扉の先は、未だ濃い霧に包まれていた。もう少し様子を見た方がいいだろう。
「にしても、いきなりドアが消えてたときには驚いたぞ。
実際にやる気はないが、あれを使えば最後の一人になるまで籠城できるのか?」
「力が制限されていなければ一年以上も余裕ですけど、今は二十分も持ちませんの。
実はさっきのも、あまり余裕はありませんでしたの」
「そんな風には見えなかったが」
「演技は割と得意ですのよ?」
 舌を出し、悪戯っぽくアリュセは笑う。
「天使のフリなんてやり飽きてるくらいですし、必要なら悪魔にだっていくらでもなってみせますわ。
方法は何であれ、人々の希望になるのがウルト・ヒケウの役割ですもの」
 続いた言葉は、確固たる信念を持った気高いものだった。
 そこに先程までの超然とした冷淡さは微塵もない。純粋な心強さだけが感じられた。
「さながら逆佐山ってとこか。……でもよ、あいつほどとは言わんがもう少し自己愛精神は持った方がいいと思うぞ?」
 しかしそれゆえに先程の出来事で感じた違和感が気になり、出雲は真面目な表情でアリュセを見据えた。
「……どういう意味ですの?」
「悪役やるのはいいが、それと同時に自分を貶めるのはやめとけってことだ」
「…………、ええ、見苦しかったと思っていますわ」
 表情に影を落とし、アリュセは重い息を吐いた。
 先程彼女が長門を追いつめた言葉は、すべて彼女自身にも当てはまることだった。
 何の手掛かりも得られぬまま姉妹の死を殺害した本人から知らされ、その直後にもう一人の仲間の死を放送で聞かされている。
 その肉親の殺害者の姿を捉えたときは、こちらを置いてすぐさま走り出していた。
 追いついて止め、自分が間に入って彼と対峙したが、彼女は途中明確な殺意をもって彼に攻撃を加えていた。
 結局彼には逃げられ、その際自分が陥らされた脱水症状のために、ここでの雨宿りも含めた六時間の大半を、休息に費やさなければならなかった。
 そして今回の放送で、やはり何もできぬままに、何の力もない子供だと言っていた最後の一人の名も呼ばれてしまった。
「リリアやイルダーナフ様、それに王子まで死んでしまって。
そんなときにあんな言い合いが始まって……感情を押し殺そうとしたのが、逆に八つ当たりのようになってしまいましたわね。
それでもあの二人をあのまま別れさせるのは、どうしても嫌だったんですの。ここでの別離は、今生の別れになりかねませんもの」
 午前中に出会った集団も今は瓦解し、内二人は死体になっていたことを思い出す。
「それに、ウルト・ヒケウとして何かを成したかった──いえ、ウルト・ヒケウという役割に縋りたかった、と言った方が適切ですわね。
“ウルト・ヒケウとして”じゃないと、多分あたしは何もできなくなってしまう。……リリアのときの失神が、いい例ですわ」
 固い自嘲の笑みをアリュセは見せた。
 老成した大人がつくるようなその表情は、先程のものと別の意味でまったく似合っていない。ただ痛々しいだけだった。
「別にいいじゃねえか? 縋るくらい」
 だから出雲は声と共に、アリュセの小さな頭を思い切り撫でた。黒髪と表情が崩れ、彼女は身をよじる。
 顔を覗き込むように下げて視線を合わせ、言葉を続ける。
「寄りかかりたい何かってのは誰にでもあるもんだし、それを取っかかりにやる気出すのは当然だろ。
俺にとっては千里がそれだし、今もあいつと合流した後の、愛でる撫でる掴む揉むその他諸々の行為お預け喰らってた分上乗せバージョンを希望に頑張ってるから同じだ」
「い、今あたしの矜持の品位を最低ランクにまでぶち落としましたわね?」
「価値観の違いじゃね? まぁ、とにかく辛かったらそういうものに思いっきりもたれればいい。せっかくあるもん頼りにしなくてどうするよ。
寄りかかることでお前の負担が減って、誰かがその分辛くなくなるならそれでいいじゃねえか。
その誰かが辛くない分、さらにお前も辛くならない。大団円だ」
「…………」
 動きを止め、アリュセはただこちらを見上げる。
「お前もあの二人も、考えすぎだと俺は思うんだがな。
わざわざ自分で作らなくとも、重荷ってのは突然勝手に降ってくるもんだ。こんな状況ならなおさらな。
それなら、できるだけ身軽に構えておいた方が楽だろ?」
 戸惑い、何かを躊躇う視線を向けたままアリュセは言い淀む。
 沈黙がしばらく続き──やがておずおずと返ってきたのは、短い疑問の声だった。
「……覚は、辛くならないんですの?」
「お前が楽になってくれればな」
「そうじゃなくて、……覚は仲間が死んでしまっても、辛くないんですの?」
「辛くはねえ」
 彼らの死を聞いたときに抱いた感覚は、確かに辛さとは異なるものだった。
 しかしそれをうまく表せず、言葉が続かない。
 改めて回想されるのは、新庄の佐山に弄くられてころころと変わる表情や、オドーの正義を貫き孤高に戦う姿。
 どちらも代替できるものがない、有り難いものだった。
 それゆえに、浮かぶ感情は。
「辛くはねえが、寂しいもんだな」
「…………」
「だがよ、ずっと寂しがってたら何もできねえまま昇天するだけだぜ?
そしたらあいつらから絞殺圧殺コンボを延々と繰り返されるわけだ。死んでも死にまくるぞ?」
「……覚の仲間って、みんなやたらバイオレンスですのね」
「ああ、一般人としては時たまついて行けなくなるな」
 ただの本音を言うと、なぜかアリュセは吹き出すように笑い出した。何の裏もない、楽しみを覚えて頬を緩める自然な笑顔を浮かべている。
 彼女はひとしきり声を出して笑うと、ゆっくりと顔を上げて、
「そう、ですわね。確かに、終わったことを責めたり、失くしたものを寂しがったりするのは、全部終わった後に回すべきですわ。
いくら嘆いても今のあたしには、この馬鹿なのかいい人なのかよくわからない人しかいてくれませんもの」
「俺は全会一致で後者だと思うんだがなぁ」
「そう即答できるところがダメだと思いますの」
 笑みと共に発された言葉は、やや不本意なものではあったが。
「でも、ありがとうございますわ。今のあたしのそばにいてくれて」
「おう」
 その後に続いた感謝の言葉に、出雲はただ破顔の笑みを返した。
 彼女はそれに元の穏やかな微笑を見せると、ゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあ、あなたの仲間捜しに戻りましょう。
……これ以上誰かを辛くさせないためにも。早く元の世界に戻って、思う存分寂しがるためにも」
「ああ、霧もだいぶ晴れてきたしな」
 開けっ放しの鉄扉の外は、仄白い鈍色から夜の黒に変わりつつあった。
 視界は悪いことに変わりはないが、これくらいで妥協するしかないだろう。
 そう考え同じく立ち上がり、置いてあった荷物を手に取って中身を再確認しようとして──ふと、気づく。
「……すまんアリュセ、辛いことが一つできたんだが、何か縋れるものはないか?」
「? 何か、ありましたの?」
 荷物を持ってこちらを覗き込むアリュセに対し、深く溜め息をついて答える。
「千里の生バニーが見られなくなってしまったことに気づいてな……この情熱をどこにぶちまけるべきかと」
「捨てなさいそんな煩悩」
 アリュセはペットボトルの残りを出雲にぶちまけた。



【E-4/倉庫外/1日目・18:20】
『生き残りコンビ』
【匂宮出夢】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック(パン4食分:水1500mm)
[思考]:長門と共に古泉の捜索。多少強引にでもついていく。
    生き残る。あまり殺したくは無いが、長門が敵討ちするつもりなら協力してもいい

【長門有希】
[状態]:健康
    思考に激しいノイズ(何かのきっかけで暴走する可能性あり)。僅かに感情らしきモノが芽生える
[装備]:なし
[道具]:デイパック(パン5食分:水1000mm)、ライター、バニースーツ一式
[思考]:出夢と共に古泉の捜索及び情報収集。
    仲間を殺した者に対しての復讐?(積極的に捜そうとはしていない


【E-4/倉庫内/1日目・18:30】
『覚とアリュセ』
【出雲・覚】
[状態]:左腕に銃創(止血済)
[装備]:スペツナズナイフ
[道具]:デイパック(パン4食分:水500mm)、炭化銃、うまか棒50本セット
[思考]:千里、ついでに馬鹿佐山と合流。ウルペンを追う。アリュセの面倒を見る

【アリュセ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:デイパック(パン5食分:水1000mm)
[思考]:覚の人捜しに付き合う。ウルペンを追う。覚の面倒を見る。
    できる限り他の参加者を救いたい。

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