作:◆CDh8kojB1Q
ひとけの無い路地を一人の男が疾走していた。
その走法は一般人のものとは若干異なっていて、見る者次第では男が武術の
達人だと看破することができるだろう。
男が一歩踏み出すたびに、ドレッドヘアがばらばらと音を立てた。
その特徴的なヘアの動きとは無関係に、男のジャケットも揺れている。
端的に表すと、異様の一言に尽きるだろうか。
ジャケットは丈が長いダークグレーで、なぜか花柄模様で飾られていた。
男が花壇を背負うかのように見せているそれらは、単なる刺繍ではない。
色とりどりの花々、その一枚一枚が高性能の爆薬なのだ。
この花柄の上着とヘア、そして左目を刀の鍔で覆い隠した精悍な顔立ちは、
魔界都市<新宿>の犯罪者達に対する赤信号だった。
男の名は屍刑四郎。
人呼んで――主に男と敵対する連中が用いる呼称なのだが、
『凍らせ屋』という。
<新宿>きっての敏腕刑事である屍が急いているのはなぜか。
単純である。人命がかかっているのだ。
ゲームと称された殺し合いで多くの命が散ってしまっている現状、
もはや手の届く場所での殺人を見逃すことはできなかった。
しかし屍が向かう先、一直線の路地には彼の目指す人物はいない。
どうやら短時間で相当距離をつめなければならないようだ。
屍は、ボルカンと名乗った少年を見失って後悔していた。
保護を怠ったのは完全に屍自身の失策だ。
ボルカンから聞いた話では、怪物は凶悪かつ乱暴者らしい。
一度手放した獲物であるボルカンを見て、怪物が無事に済ますとは思えなかった。
すでに悲鳴が上がっていることからして、二人は接触してしまったのだろう。
もはや一刻の猶予も無い。
屍は肩からずり落ちそうになったデイパックを担ぎなおして
進足のスピードを上げた。
その時、屍の右手の方角から二度目の悲鳴が聞こえた。
「あぁぁぁぁ! お許しくださいっ!
もう逃げません抵抗しません欲しがりません勝つまではっ!?」
「をーっほほほほほほほほほほ! 殊勝な態度を示したところで
あたくしの決定は覆らなくってよ。男らしく潔くおし!」
こわもての刑事から距離を取ったのもつかの間の安全だった。
ボルカンは曲がり角でばったり小早川奈津子と遭遇し、
あっさりと捕らえられてしまっていた。
身も心も巨大な小早川奈津子といえども、自分を置き去りにした上に
武器まで奪って逃げ出した下僕、すなわちボルカンを見逃すことはできない。
出会いがしらにむんずと捕らえて長剣を取り返し、ついでに脚をつかんで
逆さ吊りにしてしまった。
ボルカンは手足を振り回して必死に抵抗していたが、
相手は規格外の大女。さすがにどうしようもない。
芋虫のような太い指につかまれて揺れるその姿は、
まるで釣り上げられてもがくサンマかニシンのようであった。
憎き竜堂終に逃げられて、美男の医者に投げ飛ばされて、
おまけに武器まで奪われて不機嫌の絶頂だった小早川奈津子も、
今はボルカンを捉えた達成感で満たされていた。
そして、さあお仕置きの時間に入ろうか、と鼻息あらく腕を振り上げる。
凶器といえる太い腕を見たボルカンは引きつった悲鳴をあげた。
正義の天使は小悪党が狼狽するその様子を満足げに眺めると、
「をっほほほ。あたくしの機嫌を損ねた罪は重いぞよ。
今からたっぷりとオシオキしてあげるから覚悟おしっ!」
一般人にとっては死刑宣告に等しい叫びをあげた。
哀れボルカン。恐怖の具現、マスマテュリアの闘犬といえども
小早川奈津子にぶっ叩かれ、人間バットにされ、
この上さらにぶっ叩かれたりすれば気絶は免れない。
いや、気絶で済むその強靭さを称えるべきだろうが、
人生には耐えられるが故の苦痛というものも存在するのだ。
このような虐待が続けば、ボルカンは今に増してオーフェンを恨むことだろう。
どれもこれも全てオーフェンが悪い、と。
うめき声をあげる地人の心情を小早川奈津子が察してくれるわけが無い。
いざ、百叩きの刑に処してくれようず、と意気込んだところで、
「やめときな」
どこからともなく声がした。
小早川奈津子が声の主を探すと、ボルカンを捕まえた角のすぐ先に、
一人の男が立っていることに気づいた。
男は続ける。
「現行犯は問答無用で叩きのめすぞ」
声の主は屍刑四郎。雨がしたたるその顔が、うすく笑みを浮かべていた。
その容貌から発される警告は、並みの人間には恐喝に等しい。
スパイン・チラーの異名どおりに、相手の背筋を凍らすほどの凄みがある。
しかし、相手はドラゴンにすら立ち向かう希代の女傑・小早川奈津子だ。
『凍らせ屋』と真正面に向き合っても全く物怖じしていない。
「このあたくしに意見するとは、いったい何者だえ?」
せっかくのお仕置きタイムに水をさされた正義の天使は、
まるでごみくずを投げるかのように地人を放り捨てた。
「ぬおっ!」
発した声は、突如として怪物から開放されたことに対する驚嘆か、
それとも更なる不運を予期しての抗いの叫びか。知る者はいない。
もしも彼がこの場から無事に逃走できたのならば、
次の悲劇に巻き込まれること無く自由の時を謳歌できたのかもしれない。
だが現実は非情。
虹の如き放物線を描いて飛んでいくボルカンは、まるで狙い済ましたかのように
路地の塀に後頭部を強打し、ぐっという呻きとともに昏倒した。
図らずとも、小早川奈津子の理想どおりの展開になってしまった。
路地を包む沈黙の中を鈍い衝突音が波紋を描いて広まっていく。
そして塀にもたれかかったまま、ずるずるとへたり込むボルカン。
少しでも意識が残っていたならば激しい抗議の声をあげただろうが、
今はそれすらも叶わない。
そんな下僕には一切の関心を払わない小早川奈津子は、
すっかり興が冷めたといった表情で屍に一歩踏み出した。
だが、次の瞬間に彼女の表情は一転、好奇を示す。
まるで仮面を取り替えたかのような豹変ぶりだった。
無骨者ともとれる屍の面構えが、どうやら眼鏡にかなったらしい。
「近づいてみたら、これはなかなかいい男。あたくしの下僕にしてあげましょう」
万人がおののく威圧感、いや巨体ゆえの圧迫感、
悪く表現すれば目障りなまでの存在感を振りまいて、女傑は屍に歩み寄った。
だが魔界刑事は動じない。
これまでやくざの威圧・恐喝は何度も打ち破ってきたし、
区民を脅かす妖物達と相対したこともある。
巨人が詰め寄る程度では動揺すらしない精神の持ち主なのだ。
何より、彼は犯罪者になびく気などさらさら無い。
「お断りだ」
と鉄の響きで一刀両断、あっさりと切り捨てた。
予想外の返答――あくまで小早川奈津子個人の予想であり、
十中八九の人間には当然といえる返答に対して、
巨大かつ繊細な乙女心は大きな衝撃を受けたようだ。
女傑の思考は単純であるがゆえに、直球の拒絶反応は受け入れやすい。
心のダメージが身体にフィードバックして、小早川奈津子はよろめいた。
「あたくしの誘いを断るとはなんたる愚行……たっぷりと反省おしっ!」
良き男 征服するのも また一興 心躍りし 秋の夕暮れ
そんな歌を脳裏に浮かべ、相手に向かって走り出す。
小早川奈津子は今の季節がよく分からなかったはずだが、
性欲の秋とも評されるので秋にしたのだろう。
つまり、無理やり押し倒して事を成そうと考えたのだ。
体当たりをくらった相手が多少の怪我を負おうが、構わない。
乙女心が受けた傷に比べれば浅いのだから。
そんな御前イズムを全開にして、小早川奈津子は屍目指して突撃した。
一方、屍は小早川奈津子の内心などつゆも知らない。
ただ単純に相手が襲ってきたものと了解する。
ボルカンからは「怪物」と報告されているので、もはやためらいは無い。
巨体の突撃に対して寸前まで相手を引き付け、
丸太のような両腕が左右から押さえ込もうとする
その動きを読んで横へ飛び退く。
「をーっほほほほ、観念したようね――なんとっ!?」
直前まで動じなかった屍をそのまま押し倒せると思っていたのだろう。
怪物の声には感嘆の響きがあった。
次の瞬間、目標を失った巨体が路地の塀へと突っ込んでいった。
屍は相手がそのまま塀にぶつかって昏倒するだろうと予想し、
ボルカンの方へと踵を返す。
しかし、その耳に届いたのは壮大な破砕音だった。
小早川奈津子の体当たりを止めるどころか、逆に塀が崩壊してしまったのだ。
まさに人外魔境の破壊力。
あんな体当たりをまともに受ければ『凍らせ屋』とて無事では済むまい。
最悪、打ち所が悪ければ命にかかわる。
「暴行罪・刑事に対する殺人未遂――もう十分だな」
この瞬間、小早川奈津子は屍刑四郎に犯罪者と認定された。
屍にとっては凶悪犯であるほど、命の価値が反比例に下がっていく。
この犯罪者に対する苛烈さも魔界都市<新宿>ならではであった。
ふっ、という独特の呼吸音と共に屍は小掌を放った。
屍が扱うジルガと呼ばれる武術の型にのっとったもので、
本来ならば手榴弾並の衝撃を相手に叩き込む技だ。
制限によって劣化していても、並の人間は一撃で再起不能になる威力。
だが、あくまで相手が並の人間だったのならば、という場合である。
屍が並みの刑事でないのなら、小早川奈津子も並みの大女ではなかった。
塀を打ち崩したばかりの巨大な肉体に小掌が命中する。
完璧なタイミングと完璧な威力。
さすがの女傑も塀の向こうに吹き飛ばされる。
だが、一旦の間を置いてから即座に立ち上り、けろっとした様子で復帰してくる。
屍は眉をひそめた。
確かな手ごたえはあった。しかし肉を打っただけで体の芯までダメージが
入っていなかったのだろうか。
「をっほほほほ! ちょこざいな」
小早川奈津子は腰の辺りのほこりを手ではらった。
その隙を見て、屍は間髪入れずに蹴りを放つ。
それは正確に小早川奈津子のみぞおちを捉える。
再び吹き飛ばされる巨体。
しかし、
「をーっほほほほほ!」
あいも変わらぬ様子で女傑はカムバックしてくる。
屍は悟った。
これは自分が蹴りを打ち損したのではなく、相手が頑健すぎるのだと。
相手が塀を破壊した時点で、その妖物並みのタフネスに気づくべきだった。
愛銃であるドラムが手元に無い今、ジルガを用いて相手を打倒しなければならない。
幸いにもジルガには装甲を無視し、内部にダメージを与える技がある。
急所を的確に狙えば2、3発で決着するだろう――。
そこまで思考した時、屍は背後に殺気が迫るのを感じた。
直後、魔界刑事の本能が告げた。
この場は危険だ、すぐに立ち退けと。
それは純然たる死の警告。屍の対応は迅速だった。
肩のデイパックを即座に握り締め、塀に向かって全力で飛びのく。
だが、塀の横まで飛んだ瞬間、屍は再び直感した。
ここも、やばい。
それはギロチンの刃の下にいるような感覚に似ていた。
しかも既に刃が落下しているギロチンだ。
もはや考える暇すらなかった。屍は純粋な反射行動によって塀を蹴りつける。
その蹴りによって、移動中だった屍の進行ベクトルが大きく変わった。
そこにきて思考が追いついた。ギロチンのイメージ元は鋭く研ぎ澄まされた殺気。
攻撃は二発来ていたのだ。
屍の体が塀から離れた直後、さっきまで身体が存在した空間を幾本もの刃が通過した。
その正体は鈍く光る鮫の歯だった。
地獄の虚に似た大口が閉じられる姿は、まさに断頭台を超える必殺の光景。
一撃を回避させておいて、身動きのとり辛い緊急回避中に二発目を放つ。
それは相手の生存を許さぬ非情なコンビネーション攻撃だった。
<新宿>の刑事でもなければとっさに回避できなかったかもしれない。
しかも大半の参加者は最初の一撃で葬られていただろう。
なぜなら、攻撃の主は悪魔そのもの。
出現するまで姿も気配も無いのだから。
三発目が来ないのを確認して、屍はゆっくりと立ち上がる。
隻眼は真剣の如き鋭さを持って乱入者を貫いた。
その視線の先には、先ほど屍が置いてきた少年が悠然と立っていた。
彼の放つ殺気が無ければ、屍は鮫に呑まれていただろう。
甲斐氷太――この男もまた、ゲームに乗った殺戮者だ。
屍は内心、不快を感じていた。
追ってきているのは知っていたが、まさかここまで詰められていたとは――。
だが、この男をここまで近づけたのは屍のミスではなく、
制限による各種感覚の能力低下が原因だった。
「掃除すべき屑がまた一つ。ジャンキー風情が手間を掛けさせやがる……」
「あぁ!? 俺の方が先客だろうが。それを無視して走ってったのはお前だぜ?
ったく舐めた真似しやがって」
「あたくしを――」
火花を散らす男二人に対して、蚊帳の外に弾き出された小早川奈津子が
憤慨する。
しかし、
「参加者の保護が優先だ。おまえ如きに構ってられるか」
「……じゃあ、次はそこに寝てるガキを悪魔で食い千切ってやるよ」
「あたくしの――」
正義の天使は全く相手にされていない。
それどころかまるで眼中に無いかのような扱いだ。
甲斐氷太はボルカンの方へと目を向け、屍は相手の出方を伺っている。
「つけ上がるなよ、小僧。俺はそれほど気の長いタチじゃない」
「はっ、三流の脅し文句だぜそりゃあ。
さっきみてえに睨んでるだけの方がよっぽどスゴ味が利いてたぜ」
さすがの甲斐も『凍らせ屋』と真っ正面からガンを付け合えば、
背筋が凍って行動不能にならないまでも、相手に一歩譲らざるを得ないようだ。
屍が放つ気は並の強者のものではない。
魔界都市において実力でスジを通してきた者のみが放てる覇気なのだ。
その気に押されて、大抵の人物は屍の格を知る。
だがその場にはただ一人、徹頭徹尾に空気を読まない人物がいた。
その名は小早川奈津子。
人呼んで北京の女帝etc……。
彼女は今、度重なる凡夫の無礼によって心底怒りを蓄えていた。
二人の背後で怒鳴ったり手を振り上げたりしていたが、一向に反応が無い。
ゆえに懐広く、慈悲深い正義の天使と言えども、もう我慢の限界だった。
裁きの鉄槌を放たずにはいられない。
彼女は、静かに腰を落として路地のマンホールに手を掛けた。
怒りで手が震えるが、芋虫と形容されるその指はなんら抵抗無く鉄塊を
地面より掴み上げる。
負傷した右腕が少し痛むが、怒りはそれを押し流した。
そして相変わらず無視を続ける男二人の方へと向き直り、
「あたくしの話をお聞きっ!!」
巨体に似合わないステップで勢いをつけてから、
まるで円盤を投げるかのような軽やかさでマンホールの蓋を投擲した。
甲斐は視界正面にその鉄塊を捕らえ、屍は持ち前の直感力で危機を察した。
二人がかろうじて屈めた頭上を洒落にならない速度でマンホールの蓋が飛び去って行った。
直撃して頭が吹き飛ばない人類は存在しないであろう威力を誇るその円盤は、
男二人の数メートル後ろの塀に衝突。
ビル破砕機のようにその壁面を打ち抜いて、奥の住宅に悲鳴を挙げさせた。
頭を上げた甲斐が、直ちに現状を理解して罵倒の叫びをぶつけた。
「おいっ! いいかげん空気読めよ肉ダルマ!!」
「に、に、肉……!」
もはや小早川奈津子は言語を用いて返すことができない。
女傑の怒りは頂点に達したのだ。
彼女の脳内で壮大な富士山噴火のエフェクトが立ち上がり、
それは徹底的な破壊衝動を呼び起こした。
もはや止められる者は存在しない。
「――っ、覚悟おしっ!!」
長き険しき努力の末にようやく一言捻り出すと、
小早川奈津子は傍らの長剣を手に取り、一人の修羅となって突撃した。
【A-3/市街地/一日目/18:45】
【屍刑四郎】
[状態]健康、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1800ml)
[思考]できる限りボルカンを保護し、怪物と甲斐を打ちのめす
[備考]服は石油製品ではないので、影響なし
【ボルカノ・ボルカン】
[状態]たんこぶ、左腕骨折、生物兵器感染、現在昏倒中
[装備]かなめのハリセン(フルメタル・パニック!)、
[道具] デイパック(支給品一式、パン四食分、水1600ml)
[思考]とにかく逃げたい
[備考] 服は石油製品ではないので、影響なし
【甲斐氷太】
[状態]肩の出血は止まった、あちこちに打撲、最高にハイ
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、煙草(湿気たが気づいていない)
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]屍や怪物と戦う、怪物うぜぇ
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで二日)、たんこぶ、生物兵器感染、大激怒
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]甲斐は殺す、屍は下僕にしたいが場合によっては殺す
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
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