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第511話:ロスト・ライブス(悼む傷痕)

作:◆eUaeu3dols

「ここ……です……」
震える指が、男子トイレの奥を指差した。
もっとも、指差す必要は無かった。
そこまで案内された時点で、転々と続く滓かな血痕はそこへと続き、
周囲にはまだ乾ききらない濃厚な血の匂いが漂っていたからだ。
「男性用の厠ですか。では私が……」
「こんな時にそんな事を意識してどーすんのよ。固まって動くわよ」
一人で踏み込もうとした保胤をリナが制止する。
「それに、男性というなら私でも良いだろう。
 検視もしなければならない、先に入るとしよう」
そう言ってメフィストがすたすたと踏み込んだ。
「あ、待ちなさいよ!」
続いてリナが。慶滋保胤、藤堂志摩子、海野千絵がその男子トイレに踏み込んだ。
その5人が、この地下の死体を検分に来た総勢だった。
集団の残り4名はこのマンションの屋上で別の死体を検分している。
「ふむ、これが佐藤聖が殺害したという青年か」
メフィストは男子トイレの床に屈み込み、その青年の死体を検分していた。
メフィストの言葉に志摩子はキュッと歯を噛み締める。
義姉のした罪から目を逸らすまいとするかのように。
「右腕はどこだね?」
「その……その人は、ここに現れた時、既に右腕を無くしていて……
 聖の付けた傷は、首筋の切り傷だけだと……」
千絵は途切れ途切れにその時の事を語った。
恐怖とトラウマは根強く残っていたが、それでも何とかパニックを起こさずにいた。
メフィストの姿を見ているおかげで。
魔界医師メフィストの絶世の美貌はそれそのものが最高級の秘薬なのだ。
魔界都市においては末期癌の患者さえ彼を一目見ただけで自然快復を達成する。
「…………なるほど」
僅か数秒の検分を終え、メフィストは天上の音色もかくやという呟きを発した。
その呟きも彼女を抑える一欠片だ。
だからメフィストは海野千絵と共に行動していた。
「死因は出血死。だが、首筋のそれが決定的とは言えないだろう」
「それはどういう事ですか?」
志摩子が尋ねる。
「ここまで生きていただけで奇跡的という事だ。
 右腕切断、胸部は銃弾により重要器官が複数損傷、両足骨折、背部に裂傷、その詳細は……」
メフィストが羅列する傷の数々に皆が息を呑んだ。
その傷は人を3回は殺してお釣りが来るだろう。
「これに首筋の切り傷が加わらずとも数分と保たずに絶命していただろう。
 死ぬ前に私に出会っていれば話は別だっただろうが、私はこの地に居なかった」
どう足掻いても生き残る見込みのない致命傷の数々。
聖の行為は安楽死を与えたと見る事も出来る。
「ですが、それでも……」
「そう、死の最終的原因が佐藤聖で有った事は変わらない」
聖が自らの意志で人を殺めた事実は変わらない。
聖がその時にどんな事を考えたのかは判らない。
しかし吸血鬼として暴れ回った事実から見るに、それが如何なる優しさから来たものでもない事は明白だった。
「聖お姉様……」
聖の殺害を決意しても、それでもなお、いや、それ故に聖への想いは変わらない。
その大切な人が犯した殺人の痕跡は志摩子の胸を締め付ける。
「それで、その後はどうしたの?」
「その後……?」
「この男を殺した後よ」
リナの問いに海野千絵は少し記憶を掘り返し…………

フラッシュバック。
「佐藤さん飲まないの? おいしいのに」
四つんばいになってぴちゃぴちゃと青年の血を啜る千絵は、
壁や路面にこぼれた血も丁寧に舐め取っていった。
舌に広がる極上の美味。鼻腔に充満する芳醇な芳香。
壁や路面なんて汚いのにそれさえも浅ましく舐め取った。
勿体ないからペットボトルの中に血を詰めて持ち運んだ。
聖にそれを勧めまでした身も心も染まりきった吸血鬼の思考。
忌まわしい美味。怖ろしい芳香。
おぞましくておぞましくておぞましくておぞましくておぞましくておぞましくて

「ちょっと、どうしたのよ? その後、どうしたの?」
「ぁ……」
声が漏れ。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」
それに繋がって絶叫が迸った。
「な……」
「千絵さん!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」
まるで地の底から吹き出すかのように溢れる絶叫。
その中を繊手が伸び、千絵の目の前でピタリと止まった。
「落ち着きたまえ」
「アッ」
それだけで千絵の悲鳴は始まった時と同じく唐突に止まった。
だがそれでも、響いた悲鳴の残滓は衝撃を残す。
「ふむ、やはり吸血鬼であった時の記憶は大きなトラウマとなっているようだ」
千絵は粗い息を吐き、その瞳は恐怖と罪に濁っていた。
痛ましくてとても見ていられず、保胤は提案する。
「メフィストさん、吸血鬼の記憶を消せるならそうした方が良いのでは?
 このままでは彼女があまりに不憫です」
「常ならそれも一つの療法なのだがね」
だが、そうも行かない理由が有った、
「まず、美姫は彼女にこう言い残したという。
 『次に私に会った時、記憶を失っていれば殺す』と」
千絵がびくりと反応する。
それは誰の目にも明白な恐怖だったが、実はもう一つの言葉を隠している怯えでもあった。
『だが、おまえが私を見つけだして望んだならば、再び吸血鬼にしてやろう』
(そんな事、望まない)
当然だ、あんなおぞましい存在に立ち戻るなど考えただけで吐き気がする。
それでもその条件を他の者達に言えないのは単に疑われないためでしかない。
……そのはずだ。
「もちろん、我々で彼女を護る事は出来るだろう。
 だが積極的な敵を増やすという問題も有るせいか、彼女はそれを望んでいない」
千絵は記憶を捨てる事を望まなかった。
ならば医師としてそれを行うわけにはいかない。
「加えて我々としても彼女から得られる情報は貴重なのだ。
 それは判ってもらえるだろう?」
「それはそうですが……」
保胤には心に深い傷を負った少女の傷を抉って利用しているように思えてならない。
本人も許しているとはいえ、それが耐え難い苦痛である事は明白なのだ。
「…………良いんです」
保胤の迷いに気づいたかのように千絵が呟く。
「だって、私はあんなにおぞましい事をしていた。
 アメリアと誓ったはずなのに、そのアメリアの死すら……裏切って……
 こんな事くらいで赦されるはずもないけど……」
それは一見すると前向きな進歩に取れるが、その実は前方への逃避だ。
罪の意識や恐怖から逃げる方向が前であるにすぎない。
それでも怯え震えながらも言葉を紡ぐ千絵を見て、リナは彼女に問い掛けた。
「……アメリアについて、訊いても良い?」
「リナさん!!」
「吸血鬼になる前の話だけで良いわ」
保胤の制止にリナは注釈を付け足す。
リナにしても彼女が不安定で危険な状態という事は見て取れる。
だから慎重に行った問い掛けに、千絵はゆっくりと頷いた。
「アメリアは、私がこのゲームで最初に出会った……参加者よ。
 ……開口一番で正義の為に戦いましょうなんて言い出した時は驚いたわ。
 だけど……すぐに、友達になれた……」
「こんなゲームの中なのに?」
アメリアは判る。そういう娘だ。
だが目の前の、錯乱状態でなければ理知的な少女がすぐにその友達になった事に少し疑問を抱く。
返ってきた答えは簡潔なものだ。
「正義の為に悪と戦うのは当然の事だと思うわ」
剰りに簡潔なその返答に考えを改める。
彼女は一見理知的で知性派でも有るようだが、その根っ子はアメリアに極めて近しい。
「あなたの事も、アメリアに聞いていて……」
ぽつりぽつりと彼女と居た僅かな時間を語る。
その時間は過酷なゲームの中でも希望を見出した物だっただろう。
「でも……」
その続きに何が来るかに気づき、端で聞いていた志摩子は身を強張らせた。
「そこで、聖が来た」

「聖はいきなり襲ってきて……最初は私が狙われたけど、アメリアが助けてくれて……」
「アメリアは、それでやられたの?」
「いいえ」
千絵は頭を振った。
「アメリアはすぐに対応して……聖は、すぐに倒された」
「え……どういう事?」
アメリアは聖に襲われ殺されたのではなかったのか?
千絵は話を続ける。
「アメリアは聖に勝ったけど、聖が吸血鬼になっていた事に気づいて……
 その……『今なら私でも治せるかもしれない』って言って…………」
リナはようやく何が起きたかを理解した。
「でもその途中で聖が目を覚まして……アメリアを、剃刀で……!!」
そしてその後、千絵も聖に噛まれて……
「彼女はそれで死んだのかね?」
「判らない……判らない……!!」
メフィストの問いに返る答えはうわごとのようだ。
それはおぞましい時間に入る僅か一歩前の惨劇の記憶なのだから。
「あのままだったら……それで死んだとしてもおかしくないと思う……」
そう、とリナと志摩子は頷いた。
それは確定ではなかったが、殆ど確定に近い事実だった。
アメリアは佐藤聖によって殺された。
「………………あの子らしいわ」
憎しみよりも悲しみや切なさが沸き上がり、まるで呆れたような言葉を紡ぐ。
アメリア・ウィル・テスラ・セイルーンは本当に『彼女らしい』正義感のままに動き、
それにより仲間を作り、敵を撃退しても殺せず、人を救おうとして散った。
アメリアはこんな残酷なゲームの中でも変わらなかった。
だからリナは誰にも届かない声で小さく、本当に小さく呟いた。
それは彼女への手向けの言葉。
「あなたは間違ってなかったわ、アメリア」
――その言葉が届く先は、もう無い。


「そろそろ戻るとしよう」
メフィストは名も知らぬ青年の死体をシーツで包むと言った。
「上の組も今頃は死体を回収しているだろう。
 墓は作ってやらねばなるまい」
その為に彼らは死体を回収した。
目を覚まし、何とか正気を維持する千絵の言葉によって判明した地下の死体と、
合流の間際にシャナを捜したダナティアの透視に掛かった屋上の死体。
この二つを回収し、検分し、坂井悠二の死体に加えて埋葬するのが彼らの目的だった。
メフィストが先頭に立ち、リナが殿。
保胤、志摩子、千絵を中心に帰りの途に着く。

その短い帰途の途中で、千絵は何気なしに呟いた。
「聖は、あなたの姉だったの?」
「はい。義理の姉です」
志摩子は応える。
彼女もまた、本当なら深い傷を抱えた少女だ。
だけども、彼女はそんな中でも相手を気遣う。
「……辛いならお姉様の事も思い出さないでください。まだ、苦しいのでしょう?」
その通り、千絵は思い出したくなかった。
吸血鬼であった時のおぞましい記憶に蓋をして忘れてしまう事が出来ればどんなにいいか。
しかし、それは出来ないのだ。
美姫の言葉に怖れ揺らぐが故。
罪の意識から何かをしなければいけないと思うが故。
彼女が吸血鬼であった時の情報には重要な物も含まれていただろう。
まだ20時間も経っていないこのゲームの中で、半日以上も過ごした時間なのだから。
そう思うと、せめて全てをぶちまけるまでは忘れる事もできない。
その意識が何度も何度も彼女の記憶を掘り返す。だから。
「色々、どうしても思い出してしまうから……黙っているのも辛いの。
 ……話せる事は、聞いて欲しいわ」
その方が気が紛れると言われれば志摩子も聞かざるをえない。
そもそも志摩子も聞きたいし、聞かなければならないとも思っている。
最愛の義姉と戦う事を決意したのだから。
「……判りました。私で良ければ、聞かせてください」
「それじゃ……」
千絵はぽつりぽつりと話し出した。
聖と遭遇した時の事。聖の語った言葉。
聖にとって忘れられない少女、栞の名を呼び求めた事。
自らに関わる事は出来るだけ意識の外に出して触れないようにしながら、
佐藤聖の事だけを出来る限り多く語った。
聖を(邪悪にも)煩わしいと考え出すその前まで。
それ以上は彼女にとって最大の罪に差し掛かる。
自らの仲間である聖さえも『煩わしいから切り捨てよう』と考えた挙げ句に、
アメリアの仲間のリナを、アメリアの情報を餌に餌食にしようと罠を張り、
結果としてその仲間のシャナが聖の毒牙に掛かったあの出来事。
名も知らぬ青年の血を浅ましいまでに啜った事と並ぶ、彼女の最大のトラウマだった。
思い浮かべるだけで怖れて、怯えて、叫いてしまう。
「…………これで、話は終わり」
それが判っていたから、半ば無意識に触れないようにその前に話を打ち切った。
話はそれほど長いわけではなかったが、それでも帰り着くには十分だ。
『上の組』がまだ帰らない一室で死体を置いて帰りを待ち、言葉を交わす。
「そうですか。…………ありがとうございました」
志摩子は礼を言い、千絵の話を反芻する。
聖がどのように生き、苦しみ、楽しみ、堕ち、栄えていたか。
聖は確かに吸血鬼だろう。
最早、人の倫理は忘れ去り、自らの喜びの為に奔放に任せて生き遊ぶ。
血に飢えてアメリアを殺め、更に千絵を毒牙に掛けた。
理由は判らずも死にかけた青年にとどめを刺した。
闇に生き、ダナティアの仲間だという少女シャナにも牙を突き立てた。
その生き様は最早佐藤聖で在るべきものではない。
なのにどうして……
(なのにどうして、お姉様なの……)
血に飢えて倫理を忘れた『吸血鬼になった』事。
聖の変化はその一言で片づいた。
他は何一つ変わっていない。
勿論その一言が人の善性を尽く否定しつくし塗り替える悪しき一言なのは間違いない。
しかし言葉にすると、あまりに短くて呆気ない一言になってしまう。
「聖お姉様……」
戦わなくてはいけない。
戦うつもりだ、人間だった聖と共に生きた人間である志摩子として。
だけど……
(……私は、本当に戦えるの?
 聖お姉様を………………………………殺せる、の?)
物理的な圧倒的戦力差は問題ではない。
志摩子の心には迷いが芽生えつつあった。

もう一人、彼女達の話を耳に挟み、思い悩む者が居た。
彼は藤堂志摩子に問い掛ける。
「藤堂さん。…………島津由乃さんには会いませんでしたか?」
「……いいえ。由乃さんはそもそも、最初の放送で名前を呼ばれて……
 まさか、その前に由乃さんに会ったのですか?」
「そういうわけでは無いのですが……」
保胤は静かに語り始めた。
「私が彼女に遭ったのは、既に殺されてしまった後です。
 彼女の魄は強い未練に引かれて地に縛られていました。
 あ、魄とは……」
「白骨に宿り地へと還る人の意志ですね。どうぞ続きを」
単語への説明が必要かと思い付け加えようとするが、志摩子はそれを制して続きを促す。
伝統的なミッション系の女子校に通っていながら、実は志摩子の実家は寺である。
流石に陰陽道には詳しくないが、保胤の居た平安京の死生観は知っていた。
保胤は頷くと話を続ける。
「無理矢理にでも成仏させるべきだったのかもしれません。
 ですが、出来れば納得して自ら成仏を選んで欲しいと思い……」
言葉に詰まる。
「……いえ、言い訳は止しましょう。
 私は術を知る者として彼女を弔い、確実に成仏させる義務を負いながら、
 自らの甘さ故に彼女に仮の人型を与えてしまいました」
「仮の人型……?」
「実体の無い霊体と思ってもらえばよろしいでしょう。
 歩き回り、人と言葉を交わす事も出来ます」
「っ!?」
息を呑む。
「それでは由乃さんは、今も何処かで……」
「いいえ」
保胤はそれを否定する。
「霊体のままで在る事は感情の抑制が効かなくなる極めて危険な事です。
 だから私は、彼女に10時間の制限時間を与えました。
 ……それだけ有れば、誰か知人を見つけて遺言を残す事が出来ると考えたからです」
「………………」
志摩子は出会わなかった。
佐藤聖も出会っていない。
小笠原祥子は死に、福沢祐巳は灰色の魔女に意識を奪われているという。
彼女達と同じ世界から来た者は、他には居ない。
「すみません。私はきっと、彼女を余計に傷つけてしまいました」
「そんな…………保胤さんは由乃さんの為を思ってやったのでしょう?」
「ですが……」
保胤は気まずく口を閉ざす。
たとえ如何なる理由が有ったとしても、彼が自責の念を感じている事は明白だった。
ふと気づいて訊ねる。
「どうしてその話を?」
「せめて、知ってもらうためです」
保胤は言う。
「島津さんが何を言い残したかったのか、私は知りません。
 彼女本人が言い残せると思いこんでいました。
 ですがせめて、彼女が未練に思うほどに誰かに言い残したい事が有った。
 同じ地から来たあなたやあなたのご友人達に、何か言い残し、あるいは託したかった。
 その事だけでも知っておいて欲しい。そう思いました」
「言い残したかった事……」
二つ、想像は出来た。
一つは自らの死への恨み言。
どんな聖人君子でも、死という生者には判らない苦痛の中で誰かを恨んでも仕方がない。
自分を殺した誰かへの復讐を言い残したとしてもおかしくはない。
しかし意識的にその可能性を切り捨てて考える。
もう一つは、生者に進んでもらう為に託す言葉。
自らの死が大切な人達を傷つけ、その心を壊してしまうのが怖く、悲しく、苦しくて。
だから生者に遺した言葉。
(もしそうだとすれば、由乃さんは誰に何を言い残そうとしたの?)
何かを遺そうとした事を知った今ならば、それを考える事が出来る。
それが本物の遺志かは判らなくても、想いを受け継いで繋げられる。
「保胤さん、ありがとうございます」
それはきっと大切な事だから。

     * * *

「…………畜生」
夜空は薄雲に覆われ、静かな月の光も、優しい星の光も届かない。
「ちくしょう。ちくしょう、ちくしょう! ちくしょうっ!!」
闇夜には天の光さえ差し込まず、懐中電灯の無機質な明かりが闇を切り裂いている。
その闇夜から切り取られた一角に、赤い血溜まりと一つの死体が転がっていた。
無数の銃創が全身を穿ち、苦痛と絶望で固められた死に顔はただ闇夜を見つめていた。
「茉理ちゃん……痛かっただろうな……」
鳥羽茉理の死は随分と前から判っていた。
放送で呼ばれた事でその死は間違いのない事になっていたし、
あの島中に響きわたった悲鳴で、その死に様が恐怖と苦痛を伴う物だった事も判っていた。
だけどだからって、こうして目にしてみるとそれはどんな想像よりも悲痛な光景だった。
どうしてこんな事になったのか。
理由は幾つも有るけれど、その殆どが理不尽だ。
ただ、こうして放っておくわけにいかないのは間違いなかった。
「ダナティア、茉理ちゃんを……」
「ええ。……セルティだったかしら。お願いするわ」
ダナティアの要求に応えてシーツを持ったセルティが茉理の前に屈み込む。
あの奇妙なバクテリアは未だに終やダナティアに付着したままだ。
メフィスト医師は駆除出来ると言うが、制限のせいで少し時間が掛かるらしく後回しになっている。
だから今の終やダナティアが茉理の体に触れれば、その身を冷たい夜風に晒してしまう。
それに茉理という少女とて、友人である異性に無惨な体を曝されるのは嫌だろう。
終、ダナティア、セルティ、ベルガーという狙撃に強いこの人選の中ではセルティが一番適任だ。
(首の無い女に触られるのも嫌かもしれないがな。……それにしても、無惨な物だ)
肩口、脇腹、腹部、太股、そして額に穿たれた銃創……。
セルティは哀れみと共に茉理の遺体をシーツで包み、その傷を覆い隠していく。
額にはシーツの端を破った包帯を巻いた。
最後に茉理の顔に触れて、その瞳を優しく閉じてやった。
絶望を映して闇夜を見続ける瞳が、静かな眠りに就けるように。
終はその作業が終わるのを待って、一言だけの言葉を掛けた。
「…………おやすみ、茉理ちゃん」
夜は更けていく。
………………。
「……あの昼前の放送を行ったのが彼女なら、これがその道具かしらね」
ダナティアは屋上の床からメガホンを拾い上げた。
落ちた時にスイッチがオフになったようだが、オンにしてみるとブツという音が遠く響いた。
すぐにオフにする。
雨に濡れもしただろうに、どうやら問題なく使えるらしい。
「ああ、そのようだな」
そういうベルガーの手には奇妙な物体が握られていた。
金の装飾をあしらった刃の無い黒い柄だ。
「それは何?」
「俺の得物さ。……こんな所で出会うとは思わなかったがね」
強臓式武剣”運命”と精燃槽一式。
死の運命さえをも断ち切る強大な力。
「力は集まってきたわね。武器を生き残りが持っていくのだから当然だけれど」
「その一方で今も参加者達は殺されている。何より強い本当の力が失われていく」
「……結局、追いつめられているわけね」
「そうだな。…………ああ、そうだ」
ダウゲ・ベルガーはダナティアを見つめ、問い掛けた。
「ダナティア皇女、二つ訊いておきたい事がある。
 彼女は、テレサ・テスタロッサは何故死んだ?」
「……誤殺よ。あたくしの領分のミスだわ」
ダナティアは返答する。
テッサの事など、別れていた間の事は、互いにまだ詳しくは話していない。
先に埋葬などの別の作業を済ませた後で、改めて詳しい情報交換を行う予定なのだ。
「そうね、あなたには先に話しておくわ。
 あなたはあたくし達と会う前から彼女と居たのだから。
 彼女は相良宗介を庇って死んだ。そして相良宗介は生き残った。
 あたくしの放った力がテッサを殺し、助けられず、死んだ。
 挙げ句に後で必要になって、その死体からも物を奪う事になったわ」
その言葉から感情は測れない。ダナティアの心は冷たく硬く凍り付いている。
「君は、これからどうするつもりだ?」
「前に進むわ。……それしかしてやれないもの」
残るのは意志だ。
凍る心の一角で、その意志が蒼く静かに燃えている。
「テッサが生かした相良宗介は、片腕を失ったけれどある程度の安定を得たわ。
 千鳥かなめが同行している間、彼がゲームに乗る可能性は低くなったでしょうね。
 本当は同行させて護りたかったのだけれど、それは拒否された。
 テッサの為に他にしてやれる事はこのゲームの打倒を目指す事だけ。違うかしら?」
「さあね。けど、それが正解の一つである事は間違いないだろう」
ベルガーもその事は認めた。
この狂ったゲームの破壊は、ゲームを望まずに死んだ全ての者に対する弔いとなるだろう。
「……君も変わったな。まるで燃える氷だ」
「そうかしら?」
「ああ。最後に会った時は氷を隠して燃えているようだった」
思い返す。そういえば彼とは10時過ぎに別れて以来だ。
「……そう、あなたと会うのは随分と久しぶりだったわね」
「顔を会わせたのは8時間前だったな」
「ええ、随分と前よ」
その後に二度の放送が有り、そしてテレサ・テスタロッサが死んだ。
ダナティアの最大の友であるサラ・バーリンが死んだ。
「それじゃ、二つ目の質問だ。
 ……君はさっき、力は集まってきたと言った。それはそのメガホンも含んでの事だな?」
「ええ、そうよ」
「君はそれをどう使う?」
メガホンでの島中への呼びかけは極めて危険な行為だ。
もしそれで仲間を集めようと言い出すならば、彼女は冷静さを失っていると言わざるをえない。
ダナティアはベルガーを見つめ返す。氷のように、硝子のように揺らがぬ瞳で。
「そうね、あたくしならこれで島中に呼び掛けるわ。そして……」
その内から噴出したのは確かに炎だった。
「あたくしという存在を宣言するわ。
 ゲームに乗ったバカ達が大勢集まる事も前提にして」
「……正気か?」
「正気も正気、大真面目よ。安心して、この場でやる程バカでもないわ。
 あたくし、負ける準備をするつもりはなくてよ」
ダナティアはメガホンの危険性を正しく認識していた。
その上でそれを行うという選択肢を視野に入れていた。
「……焦ってやしないだろうな?」
「焦る? まさか」
――最も失いたくなかった存在を失った今、彼女が焦る理由など有りはしない。
「自棄になってもいないな?」
「当然よ」
――やるべき事、為したい事が有る以上、自棄になる理由も有りはしない。
「あたくしは勝ちに行くわ。求めるのは必生にして必勝」
失った者達の為に。サラ・バーリンの残したであろう想いを継ぐ為に。
そしてまだ失われていない者達の為に。
その意志を知ってベルガーは小さく息を吐く。
彼女はまだ、何一つ壊れてはいない。
ただ凄みを増した、それだけだ。
「それじゃ、やるべき事は山のようにあるな」
「ええ。埋葬に、体勢の立て直し。ゲームを打ち倒すための前進。
 灰色の魔女カーラの事に、吸血鬼達の事……そしてシャナの事」
「……ああ。皇女よ、頼む」
ダナティアの胸元でコキュートスが煌めく。
ベルガーは午前中に小耳に挟んだ話を思い出した。
「それがコキュートス、そしてアラストールの声か」
「そうだ、ダウゲ・ベルガー。あの子が世話になったそうだな。礼を言う」
「いや。……結局、俺はシャナの荷を降ろしてやる事は出来なかったよ」
焦りから全てを排斥してしまった孤独。
吸血鬼化の進行に伴う汚辱。
坂井悠二の死。
そして、血塗られた遺品を手に霧の彼方へと飛翔したシャナ。
ベルガーの言葉は届かず、ダナティアは間に合わなかった。
「……歯痒いわ」
「まったくだ」
「………………」
三者は口を閉ざした。
想いが重い、短い沈黙。
「…………皇女はかつて、あの子を生かすと言った。だが、まだあの子を……」
「当然よ、アラストール。少なくとも命と魂は救うわ。例えそれが残酷な事でも」
命と魂は救う。生かして吸血鬼の汚染から解放する。
ならばとベルガーは問う。
「心はどうするつもりだ?」
「生き残りさえすれば、改めて時間を掛けて癒す事も出来るわ。
 だいたい、一日二日で癒える傷なわけはないでしょう」
「………………そうだな。まったくもってその通りだよ」

第三回放送までに呼ばれた死者の数は60にも及ぶ。
藤堂志摩子の大切な友人であり、保胤により与えられた幽霊の時間の末に果てた島津由乃。
ベルガーの友であり、あまりに早い時期に死体で再会したへラード・シュバイツァー。
ダナティアと出会い、短い間だけ共に歩み、そして僅かな隙に死んだ朝比奈みくる。
竜堂終の兄、竜堂家を束ねる頼れる家長であったが早くに殺された竜堂始。

海野千絵の親友の幼なじみで、仲間だった物部景。
海野千絵と共に正義の心を燃やして燃え尽きた、リナの仲間アメリア。
藤堂志摩子の大切な友人の義姉で、出会う事なく何処かで死んだ小笠原祥子。
竜堂終が灰色の魔女カーラに操られて殺害してしまったオドーという男。
竜堂終の大切な友で、仲間で、参加者への結束を呼び掛けた為に殺された鳥羽茉理。

藤堂志摩子を護り、護られ、少しの間だけ共に歩み、そして再会叶わずに死んだ袁鳳月。
藤堂志摩子に祐巳を護った事、聖の事を伝え、その後にやはり再会叶わなかった趙緑麗。
ベルガーと出会いダナティアと歩み、宗介を庇って事故死したテレサ・テスタロッサ。
ダナティアと出会い、喋るモトラドを残してはぐれ、何処かで死んだいーちゃん。
シャナにとって最も大切だった、残酷なゲームに一人挑み続けて惨死した坂井悠二。
ダナティアの掛け替えのない親友で、夜闇の魔王に宣戦を布告するも散ったサラ・バーリン。

今ここにいる彼らと関わりのある者達だけでも、こんなにたくさんの人々が死んでいる。
朝比奈みくるやテレサ・テスタロッサ、シャナの知人は更にもう少し居たはずだ。
その死者達が失われて出来た隙間は埋まらない。
どれだけ新たな絆を繋げても、どれだけ記憶の闇に封じても、その隙間は埋まらない。
例え時間が傷を癒しても、そこには消えない痕が残る。
いや、それ以前に……
「だけど、独りぽっちじゃ傷の痛みを忘れる事もできはしない」
「……そうね、まったくもってその通りだわ」
シャナは今、どこでどうしているのだろう。
それは判らない。
判らないが、きっと独りぽっちで居るのだろう。
コキュートスも仲間も無くして、ほんとうに初めて独りぽっちで居るのだろう。
坂井悠二の居なくなった隙間を誤魔化すことさえ出来ないで。
「……あの、馬鹿者。あの子の心を占めて死ぬなど……」
アラストールの声は夜に溶けた。
死者達の命と生者達の想いを包み込み、夜は静かに更けていく。

やがて彼らは死体と遺された物の回収を終えて、マンションの中庭に集まった。
三人分の穴を掘り、三人分の死体を埋めた。
そこに三つの墓標を立てた。
名も知らない青年と、鳥羽茉理、それと坂井悠二の三つの墓標。
そして彼らと多くの死者達に冥福を祈り、再びマンションへと入っていった。
情報を纏め、体勢を整え、反撃を始めるために。
この狂ったゲームを攻略し、粉砕するために。

【C-6/マンション/1日目・19:30】
【大集団】
【海野千絵】
[状態]:吸血鬼化回復(多少の影響は有り?)、重大なトラウマ
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:行動する事で吸血鬼の記憶を思い出さないようにしたい。
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。メフィストの美貌で理性維持。

【慶滋保胤】
[状態]:不死化(不完全ver)、疲労は大分回復
[装備]:ボロボロの着物を包帯のように巻きつけている
[道具]:デイパック(支給品一式(パン6食分・水2000ml))、「不死の酒(未完成)」(残りは約半分くらい)
[思考]:静雄の捜索及び味方になる者の捜索。 シャナの吸血鬼化の進行が気になる。

【セルティ・ストゥルルソン】
[状態]:平常
[装備]:黒いライダースーツ
[道具]:携帯電話
[思考]:静雄の捜索及び味方になる者の捜索。

【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:平常。
[装備]:強臓式武剣”運命”、精燃槽一式、鈍ら刀、携帯電話、黒い卵(天人の緊急避難装置)
[道具]:デイパック(支給品一式(パン6食分・水2000ml))
    PSG−1(残弾ゼロ)
    悠二のレポートその1(異界化について)
    悠二のレポートその3(黒幕関連の情報(未読))
[思考]:シャナを助けたいが……
 ・天人の緊急避難装置:所持者の身に危険が及ぶと、最も近い親類の所へと転移させる。

【ダナティア・アリール・アンクルージュ】
[状態]:健康/生物兵器感染
[装備]:コキュートス/UCAT戦闘服(胸元破損、メフィストの針金で修復)
[道具]:デイバッグ(支給品一式・パン4食分・水1000ml)/半ペットボトルのシャベル/メガホン
[思考]:救いが必要な者達を救う/集団を維持する/ゲーム破壊/メガホンは慎重に

【藤堂志摩子】
[状態]:健康
[装備]:なし/衣服は石油製品
[道具]:デイパック(支給品入り・一日分の食料・水2000ml)
[思考]:争いを止める/祐巳を助ける/由乃の遺そうとした言葉について考える

【Dr メフィスト】
[状態]:健康/生物兵器感染
[装備]:不明/針金
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1700ml)/弾薬
[思考]:生物兵器駆除/病める人々の治療(見込みなしは安楽死)/志摩子を守る

【リナ・インバース】
[状態]:精神的に動揺、美姫に苦手意識(姉の面影を重ねています)
[装備]:騎士剣“紅蓮”(ウィザーズ・ブレイン)
[道具]:支給品二式(パン12食分・水4000ml)、
[思考]:仲間集め及び複数人数での生存/管理者を殺害する

【竜堂終】
[状態]:打撲/上半身裸/生物兵器感染
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:なし
[思考]:カーラを倒し祐巳を助ける

※:マンションの中庭に坂井悠二、鳥羽茉理、シズの遺体が埋葬されました。

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