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第504話:間隙の契約

作:◆eUaeu3dols

名が呼ばれている。
友の名。知らない名。幾つもの名が呼ばれている。
それらは全て、死者の名だ。
『031袁鳳月、032李麗芳、035趙緑麗……』
メフィストと志摩子の仲間である2人と、更にそのまた仲間の1人は殺された。
だが、間に挟まった仲間のまた仲間の名を除けば覚悟していた名だ。
メフィストは残念に思いながらも、志摩子は悲しく想いながらも、その三名を受け止めた。
『082いーちゃん……』
ピクリとダナティアの眉が動き、しかし手は正確にその名に横棒を引いた。
「知り合いかね?」
メフィストの問いにダナティアは短く応える。
「ええ、そうよ。この島に来てから少しだけの」
『095坂井悠二……』
これも皆が覚悟していた名だ。
だが、皆が知っていた名だ。
一度も出会っていないダナティアにとってさえ、その名は重い意味を持っていた。
(彼の死はシャナを追いつめてしまう)
シャナは悠二と合流し助けるのは脱出のついでだと言い切っていた。
「私の目的はこの島からの脱出。悠二は、……そのついで」――と。
しかしその姿が本来の姿ならば、その前にどうしてああも心乱れていたのだろう。
あの冷淡な言葉こそが、普段はそこまで冷静な人間を焦らせたという証明なのだ。
「………………」
コキュートスは黙して何も語らず、ただその内の光が焦るように明滅している。

死者の名は続く。そして……死亡者の末尾に一つの名を加えた。
「116サラ・バーリン」
ハッと、皆の視線が1人に集中する。
それは夢から醒めたダナティアが、何故かその部分だけ筆談で話した参加者の――
彼女と同じ世界から来た最も信頼のおける仲間であり親友であるという名前だった。
ダナティアは声を上げない。表情も変えない。
涙を見せず、怒気を発しもせず。
ただ、静かに放送を聞いていた。


その名を聞き、線を引いた。
危惧したほどに震えず、真っ直ぐな線を引いた。
ダナティアにとってその名の意味は大きい。
(誤算だったわ)
ダナティアはこれまでハデに動いてきた。
盗聴されている事に薄々気づきながらゲームの妥当宣言をした。
仲間を集め集団を作ろうともした。
それは僅かなりとも管理者達に彼女を意識させる事に繋がるはずだ。
そうすればその影で“サラか他の誰かが刻印を外す”という希望が有った。
(どれだけ集団を作っても刻印が外れなければ意味が無い。
 刻印が外れても1人しか残ってなければ意味が無い)
サラが脱出に向かい行動し、同じ結論に辿り着き、刻印を外す為に動くのは不確かな事だ。
ダナティアはその不確かを信じて行動していた。
そしてサラもその不確かを信じて行動していた。
「互いが互いを信じ生き続けていた事はあの夜会において証明した」
『だが生き続ける事は証明できなかった』
呟きに応えが返った。
聞き慣れた、しかし聞いた事がない、安心出来るはずの、しかし歪な声が。
いつの間にかそれまでと比較してもなお異様な濃霧が周囲を覆っていた。
全てがただ白に塗りつぶされている。
すぐ近くに居るはずのメフィスト達の姿さえ見えない。
耳鳴りがする程に静謐な、ただ白い、真っ白い世界。
自分一人だけの世界。
地面に接した足下さえ定かでないのに、足下の水たまりだけがくっきりと見えていた。
水たまりに写るのはダナティアとそして……
「じっと鏡を見ていると、そこにはきっと厭なものが映る」
ダナティアは『物語』の一節を口にした。
鏡像が、応えた。
『鏡は水の中とつながっていて、そこには死者の国が在る』
水たまりの向こう側には見慣れた姿が立っていた。

何度も見た姿だった。
共に学び、共に歩み、共に戦い、距離を置き、近づかれ、信じず、信じた姿だった。
だが彼女に投げかける名は最早その姿を示す名ではなかった。
それはあまりにも歪んだ存在だった。
姿は変わらない筈なのに存在そのものが、存在という定義自体が間違った存在だった。
「思ったより早く会えたわね。未知の精霊アマワ」
水たまりの向こう、逆しまの大地に立つそれは応えた。
『君には私がサラ・バーリンではない事を証明できない』
その声は何処までも無数の思い出の中のそれと同じだった。
にも関わらず、無数の思い出の中のそれとは何処までも違っていた。
「あたくしは現実から逃避する気はなくてよ
『それが現実だとどうして証明できる?』
ダナティアは言葉を返す。
「あたくしは放送でサラの死を知った」
『その言葉をどうして信じられる』
「あたくしはこの世界の死者が黄泉返りを禁じられている事を知った」
『その言葉をどうして信じられる』
「あたくしは物語の闇の奥底に主催者が居る事を知った」
『その言葉をどうして信じられる』
逆しまの大地からそれは嘲るように言葉を返す。
ダナティアはその全てに答えた。
「あたくしが決めたわ」
声が、止んだ。
水たまりに幾つもの波紋が浮かび、映る像が歪み乱れる。
冷たい霧は全てを覆っていた。
ダナティアの心は硝子のように硬く鋭利に凍り揺らがなかった。
まるでサラの魔法で全て凍り付いてしまったように。
しかしそこには、確かに心が有った。
胸の奥から重く響く冷たい痛み、それこそが彼女の心。
この静謐さこそが、彼女の本当の怒りと悲しみ。
『おまえは契約を相続した』
再び唐突に、言葉が聞こえた。
幾つもの波紋に水たまりの像が千切れ、歪んだ言葉を紡ぎ出す。
「おまえが決めないでちょうだい。契約というのはなんなの」
『サラ・バーリンが行うはずだった契約だ』
「サラが……?」
『サラ・バーリンは愚かで、そして賢かった』
水たまりを波紋が埋め尽くし、次々と言葉が紡がれる。
『彼女はわたしを理解しなかった』
『理解しない事でわたしを理解した』

――わたし達4人が集まったのは稀有な事だろう。
  しかし残っている参加者の誰かがこの場所に辿り着く可能性は“必然”だったはずだ。
  …………だが、もしも――
 ――だが、もしもこれが間違いならば。
全てが確かな必然だったというのが間違いならば。
 全ての元凶はその間違いの中に潜んでいる、そんな気がした――

『彼女は地図の全てを既知で埋め尽くそうとした』
『故にわたしは彼女の前に現れる筈だった』
『だが彼女は死んでしまった』
『だから彼女は契約の資格を失った』
『わたしは彼女と共にわたしを探索した少年に問い掛けた』
『だが少年もまた死んでしまった』
『だから彼は契約の資格を失った』
『だがおまえはまだ生きている』
『だからおまえは契約を相続した』
そして、御使いの言葉が始まった。
『わたしは御遣いだ。これは御遣いの言葉だ、ダナティア・アリール・アンクルージュ。
 この異界の覗き窓を通して、おまえはわたしと契約した』
「歪んだ鏡は現実を映さない、そこには違う世界が広がっている……」
ダナティアはまた物語の一節を諳んじた。
ギーアの炎はまだ意味を残し、未知の精霊を異界に封じ続けている。
『質問を一つだけ許す。その問いでわたしを理解しろ』
一つだけ許された、神野が真似た質問。
ダナティアは即答した。この問答を支配する為に。
「おまえを終わらせる答えは存在するかしら?」
『今は、無い』
アマワの返答は無情だった。
その答えは過去かあるいは今この瞬間に失われ、そしてまだ生まれていない。
「だけど、存在した。あるいは生み出す事が出来るなら」
ダナティアはアマワに言葉を突きつけた。
「必ず、その答えをおまえの鼻先に叩きつけてやるわ」
アマワはもう答えなかった。
『さらばだ。契約者よ、心の実在の証明について思索を続けよ』
存在すらも幻だったかのようにアマワは姿を消し

『次に禁止エリアを発表する……』
第三回放送は続いていた。
対話は現実に置いて一瞬の間隙に滑り込んでいたのだ。
ダナティアは地図に禁止エリアを記し始めた。

     * * *

放送は終わった。
今回の放送で古くからの友の死を耳にしたのはダナティアだけだった。
だから終と志摩子は心配に思い、そっとダナティアの表情を覗き見た。
その表情は放送の最中と変わらない冷徹なまでの無表情だ。
二人はそれこそがダナティアにとって特別な表情であるのだと気がついた。
26名というあまりにも多い死者の名が作り出した重い空気。
ダナティアはそれを切り裂こうとでもいうようにキッと東の空を睨む。
まるでその先に何かが見えるように。
だが、現実には真っ白い濃厚な霧が視界を覆っているだけだ。
それでも宣言する。
「行くわよ。あたくしの仲間に合流するわ」
「そこに患者が居るのならば私は何処へでも行こう」
メフィストが同意し、また、終と志摩子も異論が有るはずが無い。
4人は東へ向けて、霧を裂いて歩き出した。

歩き出す中、ダナティアの胸元から一言の疑問が掛かる。
「先ほどの事を相談しないのか、皇女よ?」
その言葉でダナティアはコキュートスを身につけていた事を思いだした。
コキュートスだけは先刻のアマワとの対話も聞いていた。
「今は後回しよ。あなたもその方が良いでしょう?」
「……その通りだ」
異界でのつかみ所の無い不可思議はこのゲームに核心に迫る事柄だ。
だがそれ以前に、彼らの目前には多くの問題が山積みされていた。
それも一刻の猶予を争う事柄だ。
だから相談の前に歩き続ける。
もっとも、一般人である志摩子の足に合わせたその歩みはそう早いものではなかった。
それでも四人は着実に足を進め、長い石段を降り……目的地に着く少し前で止まった。
「こんな所で会えるとは、運が良いのかしらね。相良宗介」
「おまえは……テッサを死なせた……!」
「え……?」
そこに居たのは相良宗介と千鳥かなめ。
「アシュラムさん……」
「おまえは…………っ」
そして、黒衣の騎士の姿だった。

ダナティアと終は相良宗介と千鳥かなめを見つめた。
宗介はかなめの前に出てダナティア・アリール・アンクルージュと終を睨み、
かなめは宗介の後ろから、しっかりとそれらを見つめた。
全てから目を逸らすまいとするように。
やがて、最初に口を開いたのはダナティアだった。
「状況からして後ろの娘が千鳥かなめかしら。二人とも生きていたのね、祝福するわ」
(祝福だと……)
つくづく彼女は得体が知れなかった。
そもそもどうして敵である自分を助けたのか。
「そういえばまだ自己紹介をしていなかったわね。
 あたくしはダナティア・アリール・アンクルージュ」
「俺は竜堂終だ」
若干の警戒を続けながら、終も同じように名を名乗る。
「この前は言いそびれたけど、あたくしはこのゲームを壊すために人を集めているわ。
 あなた達、乗る気は無くて?」
「なに……?」
困惑し、しかしすぐに結論を出す。
この女の行動原理は信用できない。
テッサと共に戦いをやめろと言う一方で、戦いの最中は容赦の無い力を振るった。
そして結果的にであれテッサの死の原因となった。
その一方で彼を助け、自らを憎めと言った。
そこまでなら本当に戦いを止めさせようとしているお人好しかも知れない。だが。
「……それなら何故、大佐の服を着ている」
宗介は指摘する。
「大佐は死んだ。それならおまえは死者から服を剥いだ事になる」
「ええ、その通りよ」
ダナティアは事も無げに答えた。
「あたくしは彼女の遺体から服を剥いで身に纏ったわ。
 彼女の遺体は今、シーツにくるんで埋葬してある」
(ぬけぬけと言う……)
彼女が本当に危険人物だという証拠は全く無い。むしろ白に近い。
だが、彼女に比べれば美姫はまだ判りやすい相手だ。
美姫は危険人物だが、欲望のままに行動するという点で筋が通っている。
(不確定要素は極力避けなければならない。
 俺だけでなくかなめにまで危険が及ぶとなれば尚更だ)
更にもう一つ信用出来ない点がある。
宗介は竜堂終を指差した。
「それに……その男は俺の仲間を殺した男だ。信じられるわけがないだろう」
「違う! あれは俺じゃねえんだ!」
全力で否定する終。
(さっきの零崎という男と同じ勘違いか? いや……)
今度は絶対に間違いない。真っ昼間、確かに奴に襲われた!
「おまえがいなければオドーは死ななかった!」
「口出させてもらうわ。それは正しいけど間違っていてよ」
それを止めたのはダナティアだった。
「彼は操られていたのよ。人を乗っ取るサークレット、灰色の魔女カーラに。
 だからその間に犯した罪を彼に問うのはお門違いというものよ」
「サークレットに操られていただと……?」
確かにあの時、彼の額には奇妙なサークレットが輝いていた。
このゲームの不可思議さは既に身に浸みている。
だが、そんな荒唐無稽な言葉を信用しろというのか。
そう言い返そうとした宗介の前に手が出され、制される。
「待って。この人、何かを人のせいにする嘘は言わないわ」
「チドリ……?」
困惑する。何故彼女がそんなことを言えるのか。
「続きを聞かせて。ダナティア」
「……? ええ、良いわ」
かなめの様子にほんの少しだけ困惑し、しかし気を取り直して説明をする。
灰色の魔女カーラという名の魔女の意志が宿るサークレットが有る事。
それは知り合いのとある参加者の支給品から出て、終の手に渡った事。
そしてダナティアは終の次の所有者と思しき人物に出会ったという。
「保証するわ。カーラはまだどこかに存在している」

宗介は迷っていた。
(ダナティアは本当に信用できるのか?)
もし信用できるなら彼女に与するという選択肢も無いではない。だが。
「宗介。無理しないで」
「チドリ……俺は無理など……」
「ううん、無理してる。理由は判らないけどそう思う」
「………………」
確かに宗介にはダナティアと手を結びづらい理由が有った。
ダナティアを善人だと、信用できる仲間だと認めづらい理由があった。
『あたくしを憎みなさい、相良宗介』
(そうだ、俺はおまえを憎みたい)
宗介にはダナティアを憎めるだけの理由がある。
テレサ・テスタロッサを殺したのは風の槍だったのだから。
そして、敵であったダナティアを憎む事に抵抗は無い。
だが、もしも生き残る可能性が高いならやはり彼女に付くべき……
「あたしはあなたと同じ道を歩まない」
その迷いをかなめが止めた。
「あなたと一緒に行けばソースケは傷付くわ」
「待てチドリ。俺の事はどうでもいい」
「誤解しないで、ソースケ。あたしが嫌なの!
 ソースケが傷付く人と一緒に行く事も!
 テッサの死の原因となった人と一緒に行く事も!」
宗介は息を呑む。
「待てよ、それは……!」
「悪いけど黙っていてちょうだい、竜堂終。これはあたくしと彼らの問題だわ」
いきり立つ終をダナティアが止め、先を促す。
「それにあなたもあたし達に割く時間は無いはずでしょ。
 集団のメンバーを取り合うような時間はね」
かなめは続ける。
「あの人……美姫さんは少し前、吸血鬼を1人、人間に戻したわ」
「なんですって?」
「小物さが見苦しいって言って。あと、吸血鬼だった時に1人殺してる人だって。
 学生服の、でもあたしと同じくらいの身長だったと思う」
ダナティアは少し考え、結論する。
(学生服は同じでも身長が明らかに違いすぎる。シャナじゃない、だけど無関係とも思えない)
「その人はこの道の向こうから来た。
 あと美姫さんはついさっき、気になる奴が居るって言ってそっちに行った」
千鳥かなめが指差す道は北、合流地点の方角に伸びている。
「そっちに行くんでしょう、ダナティア。
 急いで行かなくて良いの?」
「急いで行かなければいけないわね」
出会いは唐突、そして別れも唐突。
「最後に一つ教えてもらうわ、千鳥かなめ。
 このゲームで、美姫によって出た死者は居るかしら?」
「……直接手を掛けた人は、まだ居ないと思う」
「そう、ありがと」
この質問を最後に、彼女達は別れた。

     * * *

志摩子は黒衣の騎士アシュラムを見つめた。
黒衣の騎士は目の前の少女を見つめた。
このゲームに来てから最初に出会い、語らい、彼に安らぎを与えた少女。
だが、今のアシュラムは美姫の騎士だ。
もし彼女達が美姫の害となりうるならば……
『その忠誠は──その感情は、果たして本当に自分の意志なのかね!?』
思考が断絶する。
『何らかの理由で隙が出来た……たとえば、かばうべき誰かがいたのではないかね!?』
白衣の少年の言葉が脳裏にこだまする。
『もう一度問おう! キミのその感情は、本当に自分の意思なのかね!?』
(俺は……!!)
感情の猛りを押し殺し、短い言葉を発した。
「……去れ。おまえ達に用は無い」
だが、退かない。
志摩子も彼女を守るように立つメフィストも退こうとはしなかった。
「ごめんなさい、アシュラムさん。あなたとはもう一度だけ話をしたいんです」
「ならば早くしろ。あの方の用が終われば、俺は行かねばならん」
美姫は少し用があってこの場を外しているらしかった。
その方が良かった。彼女は美姫を苛立たせてしまうだろうから。

「私は最初、あなたがそのままでも良いのかもしれないと思っていました」
そのまま、という言葉が何を指すのかはわざわざ言わなかった。
「あの人はとても悲しい人です。
 だから誰かが一緒に居る事は、それが単なる所有でもあの人を慰めるかもしれない。
 そしてそれ以上に、あなたが何かに苦しんでいたのも本当だった。
 だから、アシュラムさんが苦しまないならそれでも良いのかもしれないって思ったんです」
志摩子は未だに美姫を悪と言う事が出来ない。
彼女を許せないと思う。絶対に許せないと思う。
それなのに憎みきる事が出来ないでいた。
「けれど、アシュラムさんは結局は苦しんでいる」
「俺は……これで良いのだ」
返る言葉に迷いが混じった。
「アシュラムさん……」
志摩子はその迷いを問いつめたりはしなかった。
ただ、少し話題を変える。
「アシュラムさん。この島に来た時に話した、私の友人や義姉達の事は覚えていますか」
「…………ああ」
「その内、4人はこのゲームに参加させられていました」
アシュラムは言葉に詰まる。
確かに聞いた名が有った。名簿、放送、そして――
「1度目の放送では由乃さんの名前が呼ばれました。
 私の古くからの大切な親友で、時々とても大胆な事をする人でした。
 2度目の放送では祥子さまの名前が呼ばれました。
 一つ上の先輩で、私の親友にとって一番大事な人で、気が弱く、でも優しい人でした」
志摩子の独白は続く。
「もう一人、私の親友の祐巳さんは人の身を捨てた末に体を乗っ取られました。
 サークレットに宿る灰色の魔女カーラという人が祐巳さんを操っているそうです。
 とても表情豊かで、見ていて穏やかな気持ちになれる人でした」
(灰色の魔女カーラだと……?)
アシュラムはその名を知っていた。
それはベルド陛下に仕えていた魔術師の名だ。
確かに覚えている、彼女の額には奇妙なサークレットが飾られていた……。
「そしてお姉様は、佐藤聖は――」
そう、その名も知っている名だった。
だがその名を聞いたのは放送ではなく……
「言うな、志摩子」
「――あの人、美姫の牙にかかり吸血鬼になってしまったんです」
制止は届かず、独白は最後の言葉を迎えた。
志摩子の瞳からはとめどなく涙が流れていた。
(俺の知る者が、俺の仕える者が、彼女を傷つけた)
その事実はアシュラムを一層迷わせる。
「志摩子。おまえは、俺を憎んでいるのか?」
「いいえ」
彼女は元凶である美姫すらも憎めずにいた。
ならば何故。
志摩子は答える。
「私は何人もの友を喪い、あるいは傷付いていきました。
 一人も再会する事すらできないで、知らない所で死んでいった。
 友達だけじゃありません。
 一緒に居た仲間も、出会った敵ではない人も、知らない所で死んでいった。
 こんな思いは誰にも感じてほしくありません」
「……もし仮に死ぬのが同じだとすれば、目の前で死なれるよりはマシだろう」
アシュラムは切り返した。
「俺はあの方に挑んだ者を、一人斬った」
「!」
志摩子は息を呑んだ。
「宮野という少年だった。
 奴は美姫と交渉を行い、俺は美姫に従い戦い、その男を切り捨てた。
 その男の……親友かそれ以上である少女と、仲間達は退いた。
 おそらくは心に傷を残しただろう」
心は未だ迷いつつも、その言葉に負い目は無かった。
最後の一太刀は逆上し我を忘れた一太刀だった。
それでもなお、戦いの結果として敵を殺める事に迷いは無い。
「それに……俺に仲間は居ない」
そのまま志摩子を畳みかけようとする。
彼女が美姫の騎士と関わる意味などなにも無い。
「俺は一人でこのゲームに送り込まれた。
 敵なら居たがあの会場で死んでいる。仲間など居はしない」
そう、火竜山での戦いの直後にこの島に来た彼に仲間は居ない。
たとえこの島の誰が死のうとも自分には関係の無い事だ。
「一緒に居た方々は違うのですか?」
「あの二人は我が主と共に居る事で生き残ろうとしているに過ぎん。
 俺には関係のない事だ」
「誰が死のうと関係無いのかね? 例えば彼女、志摩子君が死んでも?」
メフィストが口を挟んだ。
アシュラムは志摩子を見る。目に納め、そして
「…………無い」
答えを返す。
――だが。
「それならあなたは、どうしてそんなにも苦しんでいるのですか?」
その内の迷いはもはや志摩子にも見えた。
握り締めた両手が、
引き締めた口元が、
瞳に映る揺らぎが、
彼の迷いを可視とする。
志摩子は彼の迷いに問い掛けた。
「あなたは騎士なのでしょう?」
「……そうだ」
アシュラムは美姫に従う騎士だ。
再び騎士として生きようとしている。
「私は騎士という道がどういう生き方か、詳しくは知りません。ですが」
それでも。
「自らの意志以外をもって主君に仕えるのは、騎士の生き方なのですか?」
「………………」
言い返すことは出来なかった。
志摩子の言葉は稚拙で、純粋で、それ故にこそ鋭い。
(そうだ。こんな事で騎士は名乗れん)
騎士は主君に仕え、忠誠を誓うものだ。誰に言われてでもなく、自らの意志で。
だからこそ命令に従い人を殺め、主君の身を護り、主君の為に尽くすのだ。
なのに彼の今の忠誠は逃避であり強制だ。
美姫の術に屈し、抗わずに受け入れて術中から抜けだそうとはしなかった。
彼女に従っていれば再び騎士としての生き方を歩める気がして。
(――そんな偽りの忠誠が何になる)
それではどこまで行っても偽りにしかなりえない。
全てを失ったのに生きているフリをしているだけだ。
この島に来る前となんら変わらない。
生きる屍だ。
「……そうだな。このままでは結局の所、俺は死んだままだ」
その事に気づいた途端、あれほど絶対に思えた美姫への忠誠が霧散していった。
あまりにも呆気なく、まるで全てが夢幻だったように。
「術は解けたようだね」
「ああ」
メフィストの言葉に答える。
今だ周囲は濃霧に包まれている。
しかしアシュラムには、頭の中に滞っていた濃霧が少し晴れた気がした。
「アシュラムさんはこれからどうするのですか?」
良ければ私達と――そう言おうとした志摩子を制して言う。
「俺は直に美姫と話をせねばならない。
 だが俺はおまえ達に多く、美姫にもまだ一つの恩がある。
 おまえ達と美姫は今は会わずに去ってもらう」
「昼の棺を護ってなお不足かね? 心を操られた仇も有るだろう?」
メフィストの問いを首を振って否定する。
「あれは仇などではなかった。あれは俺の弱さ、俺の逃避だ」
志摩子を護り身を晒した隙をつけこまれた。
だが、つけこまれたのは背後に居た志摩子という存在だけではない。
同時に自らの弱さにもつけこまれた故に破れたのだ。
その両方を宮野秀策の告発にして弾劾の言葉が抉っていた事に彼は気づいた。
「だから俺は、何れ美姫と相対せねばならん」
そして問い掛け、決めるのだ。
和解か、争いか、それとも離別かを。
「…………それに」
「それに……なんですか?
「……いや、なんでもない」
それに、あの恐るべき、忌まわしき、そして悲しき吸血美姫を見捨てる事は出来ない。
美姫への忠誠は最早無くとも、想う気持ちが何一つ無いわけではないのだ。
(美姫は強いが、悲しく、寂しい)
本人の前で露わにすれば怒りを買うだろうその内情は、同情や憐憫に近い物だった。
同時に自らがそのような感情を抱いている事に小さな驚きを覚えた。
美姫は術により忠誠を植え付けて彼を従えたというのに。
(志摩子の優しさが俺にまで移ったのかもしれんな)
アシュラムは微かに呟き、微かに……笑みを浮かべて、言った。
「さらばだ、志摩子と志摩子の仲間達よ。
 互いに生き残り続けたならば、また逢おう。
 次こそは友として」

     * * *

「ほう、瞳が変わっておる」
リナ・インバースとの邂逅を終えた失望の美姫は、アシュラム、そして宗介達と歩き出す。
すぐにアシュラムが何か変化を迎えた事に気がついた。
「私と入れ違いで誰ぞ数人居おったな。そやつらのせいか?」
濃霧の中ですぐ近くに、姿は確認できず、だが間違いなく誰かが居た。
相手から避けるならわざわざ会うまでもないと見逃したが、つまらぬ相手ではなかったらしい。
アシュラムは明らかに、そして相良宗介と千鳥かなめも何かを話したようだった。
「そうだ。俺は己を取り戻した」
アシュラムの返答に美姫は僅かに怪訝に聞き返す。
「ならば何故、まだ私と共に居る?」
「恩と、そしてけじめのためだ」
アシュラムは美姫を見つめた。
「ほう、恩とけじめとな。我が身を求めてとは言うてくれぬのか?」
美姫はアシュラムの視線を受けながら衣服をはだけて見せた。
艶めかしい白い肌、艶やかな紅い唇、艶やかな赤い瞳までもが直視した者を狂わせる。
その美貌は人の物ではなく、全ての人を惑わせる、抗えぬ魔性の誘惑。
だが、アシュラムは僅かに歯を噛み締めただけだった。
断固とした意志を言い放つ。
「俺はもう、何者の物にもならぬ。たとえ神にとて俺は渡さぬ」
美姫は黙り込んだ。
「……ふ……くく…………くふふふふふふふっ、はははははははははははは!!」
そして、高らかに声を上げて笑った。
偶々出会った闇を抱えた殺人鬼は言葉に従わず姿を隠した。
待ち受けた吸血鬼はあまりに小物だった。
目を付けていた者には失望させられた。
だが五つの首を命じた相良宗介は一つも狩れずともその意志と絆を示し、
なによりずっと身近に連れていた男はこんなにも……
美姫は笑い続ける。
讃歌し、歓喜し、笑い続ける。

     * * *

「何を呆けているの、リナ?」
打ちのめされていたリナは、唐突な言葉にビクりと震えた。
「怯えているの? 震えているの? 馬鹿じゃない、情けなくってよ」
(――好き勝手言ってくれるじゃない!)
リナは一度俯き、歯を噛み締め、改めて声の主を睨み付ける。
空元気を充填し、無理矢理心を燃焼させる。
「誰が情けないって? この高飛車女王様!
 言っとくけど天才美少女魔道士リナ・インバース様はへこたれないわよ!」
その言葉に応じ、彼女は幾人かを引き連れ霧の向こうから歩み出た。
「そう、ならいいわ」
彼女の姿を見て、リナもまた気が付いた。
ダナティアの心にも大きく傷が付いている事に。
(当然じゃない。テッサは死に、最も大切だった仲間だろうサラも死んだ)
にも関わらず、ダナティアはそれを顔に出さずに決然と立っている。
剰りにも硬く、僅かに見せていた緩みすらも凍らして。
確かにリナも、ダナティアより多くの仲間を失った。
だが時間は経ったし、そもそも今のこの怯みはそれとは別の物だ。
負けるか。
リナは心に意地を継ぎ足して心を更に燃焼させた。
「後ろの連中は誰?」
「仲間よ。紹介は後でするわ」
更にリナを指しその仲間達に言う。
「仲間よ」
今の紹介はただそれだけ。
「シャナは何処?」
「向こうよ。もう止められてるはずだけど暴走してたわ」
「そう。急ぐわよ」
「ええ」
彼女達は再び霧の中を急ぐ。
それらは間隙に起きた事。

【D-6/公園/1日目/18:20】
【創楽園の魔界様が見てるDスレイヤーズ】
【藤堂志摩子】
[状態]:健康
[装備]:なし/衣服は石油製品
[道具]:デイパック(支給品入り・一日分の食料・水2000ml)
[思考]:争いを止める/祐巳を助ける

【ダナティア・アリール・アンクルージュ】
[状態]:健康/生物兵器感染
[装備]:コキュートス/UCAT戦闘服(胸元破損、メフィストの針金で修復)
[道具]:デイバッグ(支給品一式・パン4食分・水1000ml)/半ペットボトルのシャベル
[思考]:救いが必要な者達を救い出す/群を作りそれを護る

【Dr メフィスト】
[状態]:健康/生物兵器感染
[装備]:不明/針金
[道具]:デイパック(支給品一式・パン5食分・水1700ml)/弾薬
[思考]:病める人々の治療(見込みなしは安楽死)/志摩子を守る

【竜堂終】
[状態]:打撲/上半身裸/生物兵器感染
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:なし
[思考]:カーラを倒し祐巳を助ける

【リナ・インバース】
[状態]:精神的に動揺、美姫に苦手意識(姉の面影を重ねています)
[装備]:騎士剣“紅蓮”(ウィザーズ・ブレイン)
[道具]:支給品二式(パン12食分・水4000ml)、
[思考]:仲間集め及び複数人数での生存。管理者を殺害する。まずはシャナ対応組と合流する。

【海野千絵】
[状態]:吸血鬼化回復(多少の影響は有り?)、血まみれ、気絶、重大なトラウマ
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:………………。
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。

【D-6/公園/1日目/18:20】
『夜叉姫夜行』
【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品入り)
[思考]:島を遊び歩いてみる/アシュラムをどうするか

【アシュラム】
[状態]:健康/術から解放
[装備]:青龍堰月刀
[道具]:デイパック、冠
[思考]:美姫に同情や憐憫有り。死が安らぎと見ればそれも考慮する。

【相良宗介】
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する

【千鳥かなめ】
[状態]:通常?
[装備]:エスカリボルグ
[道具]:荷物一式、食料の材料。鉄パイプのようなもの。(バイトでウィザード「団員」の特殊装備)
[思考]:宗介と共にどこまでも/?

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