作:◆l8jfhXC/BA
爽やかな青い空はいつしか暗鬱とした鈍色に染まり、自分を照らしていた暖かな陽光は容赦なく遮られた。
そのことに少し苛立ちを覚えながらも、平和島静雄は足を止めずに歩き続けていた。
(にしてもまだ痛むな。くそ、いいからさっさと治りやがれ。……やっぱりあいつは会ったら殺す。絶対殺す)
歩くたびに腹部に響く痛みをあの男への怒りで抑えつけ、さらにその怒りを痛みで打ち消す。余剰分は無理矢理“我慢”する。
怒りに囚われても、また怪我と痛みでいざというときに力が使えなくなっても、セルティを守ることは出来ない。
あの妖刀事件以降、力とそれに伴った感情をある程度制御出来るようになっていたのが幸運だった。
“暴力”ではなく“力”でなければ、彼女を守ることは出来ない。
(……っと。禁止エリアか。面倒くせぇ)
足を止めることなく地図を確認すると、ここからすぐ東が立ち入り禁止になっていることに気づいた。
動きがとりづらい森には入りたくなかったので、そのまま進路を南東へと変更する。
周囲の平原は見晴らしがよく障害物がないため、誰かが──それこそセルティがいてもすぐにわかる。
もちろんゲームに乗っている者に見つかりやすくなるというデメリットもあるが、そんなことは気にしなかった。
「……あれは」
そのまましばらく行くと、広い砂浜と海が目に入った。空の色を映した黒い波が打ち寄せている。
場違いな程穏やかな波音が耳に響き、これまた場違いな程優しい潮風が腹部の傷口を撫でた。
これだけなら足を止めることもなく通り過ぎたのだが──見覚えのある人間が、砂浜に横たわっているのが見えていた。
(朝に城で別れた子だったか? ……名前も聞いてなかったな)
白砂に足を踏み入れ近づくと、目を見開いたまま倒れている黒髪の少女の顔がはっきりと見て取れた。──死んでいる。
臨也と遭遇した後出会った一行にいた少女だった。別れる時に少し言葉を交しただけで、名前すら知らない。
それでも少し前まで隣にいた人間がこうもあっさり死体に変わると、あまりいい気分にはなれない。
膝をついて手を伸ばし、見開かれた瞼をそっと閉じさせる。指に涙で濡れた頬の感触が残った。
(こっちは……さすがに二連続で顔見知りじゃないか)
少女の隣には、赤毛──だが先程の男とはまったくの別人が倒れていた。
髪とその影に隠れて表情は見えないが、生気はまったく感じられない。
「……ん?」
ふと視線を感じて辺りを見回すと、砂浜に座り込んでいる人影が目に映った。
セーラー服に身を包んだ、高校生くらいのお下げの少女。怯えと絶望の色を滲ませた瞳でこちらを見つめている。
その目に多少の苛立ちを感じながらも、無視して通り過ぎるわけにもいかず、立ち上がって近づいていく。
「おい──あ」
声を掛け、座り込んだままの少女に向けて手をさしのべようとして──左肩に奇妙な感覚が走った。
そちらに目をやると、手を下げるために右肩だけ傾けたせいか、先程の戦闘でデイパックに開けられていた穴から小物類がこぼれ落ちていくのが見えた。
方位磁石や時計などが砂浜へと沈むのが見え、さらにあの赤毛の笑みが思い出され、舌打ちする。
しかし落ちたものを回収するよりも少女への対応が先だと判断し、視線を彼女の方へと戻した。
「……?」
そしてふたたび手を伸ばそうとして──しかし一変した少女の様子を見て動きを止める。
少女はこちらを見向きもせずに、ただ目を見開いて砂浜を見つめていた。
──正確には、その砂浜に落ちた自分の支給品であるロザリオを。
気がつけば、人が大勢集められた場所にいた。
気がつけば、そこで人が二人死んでいた。
気がつけば、砂浜にいた。
そこに常に支えてくれていた従姉の姿はなく。
そこに常に助けてくれていた幼馴染の温もりはなく。
そこに常にそばにいてくれた“姉”の笑顔はなく。
そしてそこに常にあった、彼女からもらい、一度突き返し、そしてまた戻ってきたものはない。
──ゆえに、絶望した。
そしてあっけなく、死んだ。
「れい、ちゃ……」
白い砂浜に映える深緑の石。
それを繋げた鎖の先にあるのは、十字架とそれに張り付けられている男を象った細工。
目に焼き付いていたそのロザリオに、由乃はおそるおそる手を伸ばした。
「……っ」
しかしその指は十字架に触れることなく、地面の砂を掻く。
それに納得できず砂に沈んだ指を上げ、ふたたび触れようとして、また砂に沈む。
まるで穴を掘るように、それを何度も繰り返す。
両手ですくい取ろうとして、石をつまみ上げようとして、鎖を手にかけようとして、何度も何度も砂を掻く。
「う……ぁっ……」
十字架の中央に第一関節まで潜り込ませたところで、やっと指が理解して止まる。
もう、自分は死んでいる。この身体は所詮仮初のものにすぎない。
もう二度と、彼女には会えない。
言葉を交すことも、姿を見ることも出来ない。
そのことを改めて痛感し──それでも、悲しみ以外の感情が浮かんでくることに気づいた。
「……令ちゃん」
涙を拭い、じっとロザリオを見つめる。
彼女と同じくもう二度と見ることが出来ないと思っていたそれが、確かに目の前にあった。
彼女のいない世界に放り込まれた自分が唯一の拠り所にしようとして──そしてどこにも見つからなかったものが、今こうしてここに戻ってきた。
……どうしようもない暗闇の中に、光がひとすじさしたような。
まるで彼女自身が助けに来てくれて、手をさしのべてくれたような──そんな感覚があった。
たとえ触れることが出来なくとも、その救いは確かに目の前にあった。
それだけで、十分だった。
「……」
ふたたび溢れた涙が地面に落ちる。
砂を濡らすことはなく、染みは出来ない。涙すらも世界に拒絶される。
もう何かに触れることは出来ない。誰かを助けることも出来ない。
(……でも、まだ令ちゃんに伝えたいことがある。
祐巳さん達に、言いたいことがある。それまで消えることなんて出来ない)
まだ、誰かに言葉を託せる口がある。
彼女に伝える言葉を届けることが出来る、友人達が生きている。
そして彼女達を捜すことが出来る、歩ける足がある。
──まだ、誰かに助けを求めることが出来る。
(しょぼくれてる私なんて、らしくないよね)
そしてまた涙を拭い、拳を握りしめた。
──先手必勝。受けより攻め。いつもイケイケ、青信号。
それでこそ、“令ちゃんの由乃”なのだから。
「……よし」
小さく呟いて顔を上げる。
目の前には、細身でかなり背の高い男がいた。おそらく彼の支給品として、このロザリオが与えられたのだろう。
彼はあっけにとられた表情で、こちらへとさしのべた手を所在なさげに下ろしている。
……彼がどんな人かはわからない。ゲームに乗っていない者とは限らない。
それでもキーリとハーヴェイが死んでしまった今、頼れるのはもう目の前にいる男しかいない。
大きく息を吸い、叫ぶように訴えた。
「お願いします! どうか助けてください!」
「じゃあ、この三人のうちの誰かを見つけて伝言を届ければいいのか?」
「はい。でも、出来ればやっぱり自分の口から伝えたいから……大丈夫です、邪魔にはなりません。触れられないから」
少し寂しそうに、少女──島津由乃が言った。
その言葉通り彼女の名簿を指す指の先が、少し紙を突き抜けているのが見える。
少女がロザリオを見て泣き出し──かと思えば何かを決意した表情になり、そしてこちらに助けを求めた後。
真摯な態度で事情を説明し始める彼女を無視することは出来ず、静雄は立ったまま彼女の話を聞いていた。
彼女の話の節々でやや怒りを覚えることはあったが、抑えられる程度だった。
──まだ生き残っている知り合いに、元の場所にいた親友宛の言葉を伝えてもらいたい。
要約するとこうだ。それと別の死者から伝えられた伝言も、当人達に会えたら伝えたいとのことだった。
(遺言か……)
自分には無縁の言葉だと思う。
本当に死の間際になった場合、もしかしたらセルティや家族には何か言っておきたいと思うかもしれないが──今はまったく想像できなかった。
そもそもこうやって誰かと関わり合う──しかも頼られるということ自体が自分にはほとんどない。
仕事や数少ない友人からの依頼を除けば、“お願い”されることなど何年ぶりになるか。
「ただ、ついていかせてもらえるだけでいいんです。
それでもし間に合わなかったら──十七時になって私が消えてしまったら、今言った人達に伝言を届けて欲しいんです。
……あ、私壁をすり抜けられるから、きっと役に立つと思います! 刻印もないから禁止エリアも大丈夫だと思うし、だから……」
切羽詰まった口調で、少女は必死に助けを求める。
未だかつて向けられたことのなかった真剣な眼差しに、少し戸惑う。
(……確かに、“邪魔”にはならないな)
由乃の依頼を受けても、セルティ捜索の支障にはならない。
彼女のいる場所の心当たりはないため、明確な目的地はない。ついでの捜し人が数人増えたところで特に問題はない。
それに彼女は肉体を持っていないため、戦闘に巻き込まれたとしても守る必要はない。
……逆に、傷つけるおそれがないとも言える。
確かにある程度の力の制御は出来るが、何かの拍子に怒りに囚われてしまった場合は少し自信がない
そう言う意味でも、彼女はそばにいてもいい人物と言える。
「……伝言の方は、会えてもうまく伝えられるかどうか保証できねえが、ついてくるだけなら──」
「あ、ありがとうございます!」
言い終わる前に思い切り頭を下げられた。反応に困る。
とりあえず名簿をしまって地図を取り出し、明確に捜索場所を決めることにする。
本当は単純に道なりに行くつもりだったが、同行者が出来てしまったため適当に行動するのは気が引けた。
(北東に進むと港町。真北には市街地があるが……森を突っ切ることになるか)
樹木は槍で払えばいいが、森歩き自体に慣れていないため時間が浪費される。
どうせ行くならば、港町を訪れた後に西に進むルートの方がいいだろう。
(北西には商店街とビルか。建物が密集してる。人が集まりそうな場所だな)
それに、この周辺は平地が多い。
もしかしたら、地図に書かれていない何か他の建物があるかもしれない。
(で、西には学校と公民館と……遊園地? 趣味悪ぃな)
派手すぎて誰も近寄らない気がする。
だが他の二つ──特に最西端に位置する公民館などは、怪我人や戦えない者が隠れている可能性がある。
(まあ、これくらいか? ……いや、もう一つあったか)
──南の城。
部屋の数が多く、何より目立つ。遊園地と同じくやや派手すぎる感はあるが。
自分が立ち去ってから誰かが入った──あるいは入る可能性は十分にある。
(港町、商店街周辺、公民館周辺、城。とりあえずはこの四つか)
候補を絞り、鉛筆で適当に地図に丸をつける。
そしてこちらを不安そうに見つめていた由乃に地図を見せ、話を振った。
「とりあえずはこの四つのどれかに当たるつもりだが──どうする?」
「え? えっと……」
問われると、由乃は眉を寄せて考え込み始めた。
真剣な眼差しで地図を睨んでいる。本当にその友人達と、ここにはいない親友のことが大切なのだろう。
しばらく経った後、彼女はおずおずと口を開いた。
「それじゃあ、ここに────」
【F-6/砂浜/1日目・14:20】
【平和島静雄】
[状態]:下腹部に二箇所刺傷(未貫通・止血済)
[装備]:神鉄如意
[道具]:デイパック(切り裂かれて小さな穴が空いている、支給品一式・パン6食分・水2000ml)
[思考]:捜索場所を決める。由乃に付き合う。
セルティを捜し守る。クレアを見つけ次第殺害。
[備考]:由乃・クルツの伝言内容をすべて聞きました。
【島津由乃】
[状態]:すでに死亡、仮の人の姿(1日目・17:00に消滅予定)、刻印は消えている
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:捜索場所を決める。静雄についていく。
支倉令への言葉を誰か(祐巳・志摩子が理想)に伝え、生き残って令に届けてもらう。
宗介・テッサ・かなめにクルツからの伝言を伝える
[備考]:恨みの気持ちが強くなると、怨霊になる可能性あり
【ハーヴェイ】
[状態]:気絶。脱水状態。左腕大破(完治には数時間必要)
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:ウルペンの殺害
[備考]:服が自分の血で汚れてます。
※ハーヴェイはこの後「431:雨葬」に続きます。
※周囲にドゥリンダルテ、由乃のロザリオ、キーリのデイパック(支給品一式)
静雄の支給品(方位磁石、時計等の一部の小物)、Eマグが落ちています(Eマグは431話で回収されるため拾得不可)
2006/01/31 修正スレ214-221
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