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第431話:雨葬

作:◆l8jfhXC/BA

 目の前で少女が泣いていた。
 嗚咽混じりに何かを言いながら、涙を流し続けている。
 言葉は途切れ途切れで聞き取れず、何を伝えたいのかはわからない。
「──」
 話し掛けようとしたが、喉が詰まったかのように声が出ない。
 手を伸ばして触れようとすると、指が少女の身体をすり抜けてしまった。
「──」
 目の前にいるのに、何も言えないことが歯がゆかった。
 目の前にいるのに、触れてやることもできないのが悔しかった。
 目の前で泣いているのに、何も出来ないことがつらかった。
 目の前で    されてしまったのに、    せないことが、
「──」
 何もしてやれないまま、やがて少女の身体はだんだんと薄れ、消えていく。
 視界もそれに合わせるかのようにぼやけていった。
「──」
 姿がゆっくりと空気に溶けていくなか、泣いていた少女が涙を拭い、俯いていた顔をあげた。
 泣き腫らした顔で、じっとこちらを見つめている。
 またすぐに泣きはじめそうで、でも泣かないように唇を噛んだ、あのいつもの、
「     」
 やっと聞き取れた少女の声が、耳から脳へと緩慢に伝わる。
 最後に紡がれたその言葉の意味を理解したときには、少女はもう消えていた。
 ──死なないで。

 ざあぁぁぁぁ──────────────────────────

 雨の音にも似た奇妙な音が耳をくすぐる。
 ダムに溜まっている大量の水を一気に流し込んだような音が、途切れ途切れに聞こえてくる。
 ……ひどく意識が朦朧としている。
 思考に脳が追いついていない感覚がある。久々に長時間意識を失っていたからだろうか。
 眠気を誘う音を何とか意識の外に追いやって、ハーヴェイは重い瞼を開けた。
「……」
 まず目に入ったのは、空の濃い灰色。今にも雨を降らせそうな重たい雲に覆われている。
 虚空ばかり見ていても仕方がないので、首を動かし辺りを見回す。
 乾いた砂の大地と、その砂を押し流す白い波。少し離れたところに銃が落ちている。周りには誰もいない。
 左腕はそれなりに治っていた。右手側には黒い髪の、
「…………っ!」
 自分の横に倒れている少女──キーリを認識すると、意識が飛ぶ前に起こった出来事が一気に頭の中を駆けめぐった。
 ──砂浜に少女が二人。なぜか成長しているキーリと見知らぬ幽霊。
 銀の糸。黒衣の男──ウルペン。無力な幽霊。
 向けられた銃。巻かれた糸。紡がれた言葉。
 そして、彼女は倒れた。
「…………キーリ」
 青白いその頬に、おそるおそる左手を伸ばす。
 冷たい。
 温かなぬくもりも、ひんやりとした心地よさもそこにはない。
 生気がまったく感じられないその感覚に、思わず手を引っ込める。
「……」
 しばし茫然と、触れた指先を眺める。冷たい感触が指に絡みつくように残っていた。
 何かに縋るように、もう一度その手を彼女へと伸ばす。
 やはり、冷たい。
 生きているものではありえない、“もの”でしかない状態。
 キーリはもう、死んでいる。

「…………」
 突きつけられた現実を受け入れられないまま、身体を起こそうとして、ふらつく。
 だがふたたび地面に倒れる前に、金属骨格の右腕が意志と無関係に動いて身体を支えた。
「……サンキュ」
 その言葉に応えるように、きゅっと肘の辺りのモーターが唸った。
 あの時ウルペンに一矢報いたのもこの右腕だった。──自分自身は何も出来なかった。
 その事実に歯噛みしながら、ゆっくりとキーリを抱きかかえる。
 十代の小柄な少女の身体は見た目よりもずっと軽かった。その軽さが逆に、心にずっしりと重くのしかかる。
 重力に従ってすべり落ちた黒い髪が、生身の腕を優しく撫でた。
「キーリ、」
 呼びかける言葉が続かず、息が漏れる。
 呼びかけに対する言葉は返ってこない。自分の息がかかった前髪が動くだけで、その口は開かない。
 水と砂がこすれあう音だけが耳に響き続けている。
「────あ」
 そのままぼんやりと彼女の顔を見つめていると、突然その頬にぽつりと水滴が落ちた。
 一つだけでは終わらずぽつぽつとそれは落ち続け、キーリの肌を濡らす。
(雨……?)
 いつ降ってきてもおかしくない空模様だったため、別に不思議はない。
 ただその雨が、どうしてキーリの頬にしか降っていないのかがわからなかった。

 小さな──悲しそうに響くモーター音が耳に入った時、やっとそれが自分の涙だということに気づいた。
 
 
                           ○
 
 ぬかるんだ大地を濡れ鼠になりながらも歩く。雨が刺すように身体を冷たく打ち続けていた。
 視界はすこぶる悪く、数メートル先も確かではない。聴覚も激しい雨音に覆われている。
 それでも足を止めず東に──崖のある辺りに向かって、キーリの遺体を抱きかかえて歩き続けた。
 しばらく何もする気が起きなかったところを、雨に冷やされた後。
 まず考えたのが、キーリを海に葬ることだった。
 ──死んだら海に流して欲しい。少し前に彼女自身がそう言っていたのを覚えていた。
 海岸に近い場所では波に押し流され、結局砂浜に戻ってきてしまうだろう。ならば、端まで移動するしかない。
 ……だが、彼女が言っていた“海”はここにある海ではなく〈砂の海〉のことだし、そもそも本気で言ったのかどうかもあやしい。
 それでも、キーリをあの場に放置しておくのは気が引けた。
 義手に頼んで土を掘ってもらい、埋葬することも考えたが──こんな状況だ、墓を暴いてまで情報を欲する者もいるだろう。
 土を掘り返され。せっかく葬った彼女の身をただの物体として調査されるのが嫌だった。
 ──結局は自己満足。それはわかっているのだが。
(誰にも遭わなきゃいいんだけど)
 邪魔なので荷物は破棄し(後で地図は必要だったことに気づいたがしょうがない)、持ち物は腰に差した銃だけにしてある。
 だが結局両手はキーリでふさがっているので、奇襲されればきついかもしれない──が、死ぬわけにはいかない。
 辺りを十分に警戒しながら、一歩一歩着実に前進していく。
(ずぶ濡れになるのは二回目か)
 ふとそんなことに気づく。
 もしあの時あの二人と共に行動する道を選んでいたならば、こんなことにはならなかっただろうか。

 ざあぁぁぁぁ──────────────────────────

 雨音が責めるように耳に響く。
 “もし”など考えても仕方ないことだとはわかっていたが、どうしても後悔だけが次から次へと積もっていく。
(兵長に何て言おう……)
 雨音がラジオのノイズを思い起こさせて、ますます自責の念にかられる。
 帰ったら説教どころではすまないだろうし、すませてもらうつもりもない。
 この場でキーリを助け、支えることができる──いや、すべきだったのは自分のはずなのに、目の前で彼女を奪われてしまった。
「……俺が、守ってやらなきゃいけなかったのに」
 呟きが雨音に溶けて消える。
 なんとなく前にもこんなことを思ったような気がする──そんな既視感を覚えたが、同じように雨音で遮られてすぐに消えた。
 濡れて肌に張り付いた服が、やけに鬱陶しかった。
 
 ざあぁぁぁぁ──────────────────────────

 雨音と波が絶壁を打ち付ける騒音が鼓膜を震わせる。
 数歩先の崖下では、空を映した真っ黒な水の塊がうねりを上げていた。
「……」
 同じ“海”でも穏やかな〈砂の海〉とはまったく違う、水がうごめく世界の底のような光景を見て、いまさら躊躇する。
 まるで生きているようにも見えるその海は、彼女を優しく包んでくれるようにも、深い闇で冒し苦しませるようにも見えた。
 ……だが、ここまできて他に取れる行動もない。
 腕を伸ばし、キーリを虚空へと運ぶ。
「…………ごめんな」
 そう呟いて、そっと手を離した。
 支えを無くした身体は、あっという間に深淵に吸い込まれ小さくなり──飛沫をつくり何の抵抗もなく黒い水に飲み込まれ、見えなくなった。
 そうして、自分に様々なものを与え、いつも手をさしのべてくれた少女の姿は、あっけなく消え去った。
 水を吸って腕に絡んでいた、一房の髪の感触が後を引くように残っていたが──それもすぐに雨にかき消された。
「…………」
 何もせずに、しばらくただ絶壁から海を見下ろす。雨の音がやけに耳障りだった。
 ──死なないで。
 夢の中で言われた言葉を思い出し、反芻する。
 未練はあっただろうに幽霊にはならず、キーリはそれだけを伝えて逝った。
 ……“不死”人と言っても核を破壊されれば死体に戻るし、首をはねられれば多分再生は不可能だろう。
 この状況下でなら、どちらの可能性も十分ありうる。──だが、まだ死ぬ気はない。
 今はまだ、生きる意志が残っている。キーリの遺志を叶えてやれる気力が残っている。幸いまだ生きていられる。
(幸い……)
 幸い、と思った自分がなんとなく奇妙だった。幸い生きてるなんて思考回路は以前は持ちあわせていなかったような気がするが。

 幸いまだあいつを殺せる力がある。

【G-8/絶壁前/1日目・16:00】

【ハーヴェイ】
[状態]:精神的にかなりのダメージ。濡れ鼠。
 左腕は動かせるまでには回復(完治には後2時間ほど)
[装備]:Eマグ
[道具]:なし
[思考]:ウルペンの殺害(その後は考えてない)
[備考]:ウルペンからアマワの名を聞いてます。服が自分の血で汚れてます。

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