マイナスイオン神話の解体4「戦前、北の国での謎の研究。北海道大学」− (疑似科学の終焉)
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マイナスイオン神話の解体 4

ここは、疑似科学「マイナスイオン」が蔓延してしまった「謎」を解明していこうとするページです。 公開されている情報収集を元に、ゆっくりと作成・編集している途上です。
※知られていない情報をお知りの方はどうぞ お知らせくださいませ。

-- CONTENTS --
  1. ブームの始まり、あるある大事典
  2. 代替医療紳士、堀口昇ドクターのマスコミ宣伝作戦
  3. 空気イオン、空気のビタミン説の起源
  4. 戦前、北の国での謎の研究。北海道帝国大学
  5. 戦後、アメリカでのイオン商品の氾濫と衰退。米FDAのネガティブ判断
  6. 鉱石ブローカー、永井竜造氏のトルマリン鉱石錬金術作戦
  7. 大不況に喘ぐ日本家電が良心を捨てたとき
  8. 研究費と引き換え、疑似科学研究に手を染める研究者
  9. ブームの頂点、2002年の熱く長い夏
  10. エピローグ。意味の拡散、商品のキメラ化

戦前、北の国での謎の研究。北海道帝国大学

 20世紀初頭は、輝かしい科学革命の時代である。
プランクの量子仮説(1900)、アインシュタインの特殊相対性理論(1905)と光量子仮説(1905)、から始まり、ラザフォードの原子モデル(1911)、アインシュタインの一般相対性理論(1916)、シュレディンガーの波動力学(1926)、ハイゼンベルクの不確定性原理(1927)、ディラックの相対論的波動力学(1928)等々、科学の基盤がニュートン力学から量子力学へとパラダイム変換、近代科学が現代科学へと大きく脱皮する時代であった。

 また、この時代は、暗い世界戦争の時代でもある。
日露戦争(1904〜1905)、韓国併合(1910)、第1次世界大戦(1914〜1918)、世界恐慌(1929)、満州事変(1931)、中華事変(1937〜1945)、第2次世界大戦(1939〜1945)、太平洋戦争(1941〜1945)。
列強は軍拡競争に邁進。また、19世紀後半以降に増大した産業生産力を背景に、科学技術の軍用化が進んだ時代でもあった。機関銃、戦車、毒ガス等の開発、そして、その悲劇の頂点はマンハッタン計画広島長崎への原爆投下である。

 この時代の、北の大地にある北海道帝国大学にて、ある謎の研究がされていたという。
軍国主義化が進む大日本帝国の元、国内の科学研究は、輝かしい科学革命に背を向け、暗い軍用研究に重きが置かれた。北海道帝国大学でもそうであろう。
80〜70年前のことである。時の霞の向こうの事象を知るのは容易ではない。しかし、謎の研究の発端動機は、20世紀初頭に登場した軍用潜水艦の居住空間の清浄化ではないかとは推測される。

 北海道帝国大学の成立史は、クラーク博士札幌農学校(1876)が、東北帝国大学農科大学(1907)となった後、独立し、北海道帝国大学農科大学(1918)として始まった。帝国大学の要件として総合大学でなければならないので、医学部が併設(1919)された。すなわち、1920〜1930年の北海道帝国大学の医学部は非常に新しく若い学校であり、それゆえか、従来の常識にとらわれない斬新な研究(裏返すと、既存の科学・医学常識を逸脱した異端研究)が生まれる素地があったのであろう。この時期の北大には、荒俣宏の『帝都物語』にも登場する、人造人間「学天則」の作者こと西村真琴のような型破りの教授もいた。

 そのころ、北海道帝国大学医学部の研究者(臨床医ではなく衛生学講座に所属)の木村正一のグループは、居住空間の清浄化の手段として空気イオンを研究テーマに選んだ。何をテーマに選ぶかで研究者のセンスが問われ、研究者の運命がきまると言われる。そのときの木村正一らの不幸は、空気イオン説がすでにそのとき科学の作業仮説から逸脱し、疑似科学の領域に入っていたことに気づかなかったことだろう。

 10数年の研究の「成果」は、以下の書籍にまとめられ出版された。
 日華事変の発端となった盧溝橋事件(1937)の翌年のことである。
「医学領域 空気イオンの理論と実際」 著者 木村正一、谷口正弘 共著
出版社 南山堂書店、出版年 1938年、価格 3.5円、頁数 249頁
 また、終戦後、彼の指導教授が木村らの研究をまとめた書籍もある。
 (自身でまとめられなかったのは、木村グループたちが徴兵され戦死?したためか)
「医学領域 空気イオンの医学的研究」 著者  井上善十郎
出版社 北隆館、出版年 1946年、価格  10円、頁数  96頁

 しかし、その後、戦後の新制北海道大学医学部衛生学講座では、空気イオンの研究が続けられることはなかったようである。また、上記の2冊のその後、再刊行されることもなかった。彼らの研究が、北大医学部の通史にのることもなかった。
 井上らの師の井上善十郎は、戦後、昭和32年まで北大衛生学講座教授を勤めた後、北海道立労働科学研究所(現在は消滅)の所長に就任(1957)した。その間、北海道医師会の3代目会長(1953)をしたり、参議院に立候補したり(ただし落選)、と活躍したが、亡くなる1961年まで「空気イオンの研究」に対しては固く口を閉ざしていたようである。

 このように関係者からも封印された「空気イオンの研究」は、そのまま歴史の小さなエピソードの一つとして埋もれてゆくはずであったが、60年後、ある疑似科学者たちに「発掘」され、白日の下に晒されることとなった。
 疑似科学者の名は、堀口昇・山野井昇・菅原明子、およびその周辺グループである。

 関係者が封印したのは、「空気イオンの研究」が新しい科学の知識・医学の常識から逸脱したものだからであり、疑似科学者が発掘したのは、「空気イオンの研究」が魔法のような医療効果を示しているようにみえたからである。以降、疑似科学者たちは、この2冊の書を錬金術の秘密の宝典かの如く扱い、新しい疑似科学語「マイナスイオン」の普及を目指して引用言説し、また多数の書物を生産することとなる。

 さて、問題の書籍の内容はどのようなものであったのか?
すでに絶版後、半世紀を経過し、入手は困難である。いくつかの大学図書館の書庫の片隅に残存するのみである。 したがい、孫引用となるが、上記書籍の内容を紹介しているサイトから要約を引用することとする。

 引用元:医療文献に見るマイナスイオンの効果(@マイナスイオンの専門サイトIonTrading
 引用は簡潔化のため一部、省略をしている。また図は引用元からのリンクである。
高血圧
高血圧症の患者にマイナスイオンを与え、血圧が下がった場合と、下がらなかった場合の人数の割合を記録したもの。 概ね6割以上の患者に血圧の降下が認められ、更年期の患者に至っては、9割以上。
* Strasburger及びHappelによるフランクフルト医科大学でのデータ * 患者数数百名以上(実数は資料からは不明) * 一部二百名についてはイオン治療以外の治療は行わなかった

高血圧患者に、1日おきに5日間以上マイナスイオンを与えた時の血圧の変動を、患者の持つ最大血圧ごとに分けて記録したもの。 最大血圧120の群で半数に効果、 最大血圧120以上の患者は、ほぼ全員に効果。
* 北大・木村医学博士による実施データ * 最大血圧150-199の試験数25人のうち、1人についての結果は不明


低血圧
低血圧のてんかん患者にマイナスイオン療法を行ったところ血圧が正常値に近付き、発作もなくなったと報告。(松井)

脈拍
全て高血圧患者のデータで、 平均脈拍の高い患者ほどマイナスイオンによる脈拍の減少効果が高く現れる。グラフは、マイナスイオン浴前後の平均脈拍数の変化を表したもの。

動脈硬化
後部頭痛、耳鳴り、言語鈍重、指先の震えを訴えるある患者にマイナスイオン療法を7回行ったところ、頭痛、耳鳴りについては改善された(消えた)と報告。(森) 軽症のものについては、恐怖感などの発作がなくなり、血圧降下、脈拍数の現象などの効果。(Steffens)

リュウマチ
マイナスイオン療法のリューマチ性疾患に対する効果は、著明。 他の治療でも効果の無かった重症のリューマチ患者に、毎回6〜10分間マイナスイオンを与えたところ、4回目以降には疼痛が完全に消え、その後継続することにより、さらに効果が認められたと報告。また、坐骨神経痛や神経炎に対しても効果。(Steffens) 但し、主に治療開始時に、患者によっては全身に倦怠感を覚え、軽度の発熱、関節の疼痛を訴えることがあるが、これはごく短期間の内に消える場合が多い。

多発性硬化症
下肢の収縮がひどく歩行が不可能だった患者に、マイナスイオン療法を行ったところ、6回目より収縮が明らかに無くなり、30回後には容易に1時間の歩行が可能になったと報告。(Steffens)

睡眠障害
催眠剤を使用しても殆ど効果の無かった患者に、2〜3回低濃度のマイナスイオンを試したところ、5〜6時間眠れるようになり、1ヶ月継続したところ、殆ど正常に眠れるようになった。

偏頭痛
旅行先から戻ると、(旅行先の気候のためと思われる)偏頭痛発作を起こしていた人に、帰宅後すぐにマイナスイオンを試みたところ、発作が起こらないか、又は軽減。

てんかん
1日20回もの発作を起こしていたてんかん患者に、マイナスイオン療法を試みたところ、翌日には8回にまで発作が減少し、その後約10日間で4回に、約1ヶ月後には全く発作が無くなった。

気管支喘息
「プラスイオン群」に含まれる効果のあった例を除いても、「やや軽快」「軽快」「全治」の全体に占める割合は70%を越え、改善状況としては「呼吸が沈静化した」、「脈拍が減少した」など。
改善レベル 総患者数 照射イオン
マイナスイオン プラスイオン
全治 32 31例 1例
軽快 13 13例
やや軽快 19 13例 6例
変化無し 13 6例 7例
* レニングラード物理的治療所 Landmannによるデータ * 一部プラスイオンの照射については、症状が悪化したためにプラスイオンに切り替えたのが5例、初めからプラスイオン照射した13例のうち、悪化したためマイナスイオンに2例を切り替えた残りの9例

更年期障害
11例中、9例はほぼ全治しており、マイナスイオンは更年期障害に顕著な効果を示す、と報告。また、全治しなかった場合にも一部の症状(頭痛等)を除いて効果が見られた。 マイナスイオンを与える回数としては2〜6回で効果が現れ、殆どの場合、数回以内で現れることが多い。


 このように、もし本当ならば、それぞれの患者の「福音」となる魔法の治療法のようである。
 分野の違う疾病に、それぞれ劇的な効果をもたらすという医学常識を逸脱した治療手段である。作用機序も全く不明である。
「空気イオンの研究」は、木村らが実験した結果と、先行する20世紀初頭の海外の空気イオン研究家のデータとが混ざって提示されているようにみえる。
 先行する研究家はもちろん、木村らの実験も、イオン発生器・イオン測定器共に、自作のものであったから、同条件で彼らの実験を追試を行うことはきわめて難しい。事実、彼らの実験の検証実験を試みた例も見当たらないようである。
 また、あの時代の科学技術の水準からすると、生体反応に大きく影響を与える温度・湿度のコントロールがされていたのかという疑問もでるだろう、戦艦大和が連合艦隊で唯一空調があった艦として話題になるような時代である。また、放電式イオン発生器なら同時に発生するだろうオゾンの影響も無視できないだろう、オゾンの毒性等の知見もこの時代はまだ低い。さらに二重盲検化など臨床薬理試験の適切な制御がとられていたかも不明である。

 木村らは、あの時代でできることで実験結果を残し、結果を出版した。このこと自体は歴史的事実である。
 しかし、その書かれた内容が科学的事実であるかどうかは、検証実験によらなければならない。
 これらの書かれた内容をそのまま科学的事実であるかのように引用し、根拠として使うことは、慎むべきであろう。これは疑似科学者たちの、常套手法である。現代の大学におけるわずかなマイナスイオン研究家の一人の琉子氏(都立大)も、この誤りを犯している。

20世紀初頭の海外の空気イオン研究家が示す魔法のような空気イオン効果説に刺激されて、戦後の欧米では雨後の竹の子のごとく「イオン治療器」が登場した。万能の治療器を謳うそれらは、米国FDAの警告を受けるまでの短い間、泡沫の流行をしたようである。

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更新日 2003/09/20, 作成日 2003/09/14