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自分歴 〜コンピュータ編〜
ゲーム機との出会いはやはり大きく?


幼少の頃 〜何でもおもちゃ、何でも勉強〜
 と言ってもあまりそれらしいのはありません。ただ、電卓を不思議そうに遊んでいたような記憶はあります。こんな物までで遊ぶか、と、思い出してみるとすごいかも。
 と、ウチにゲームウォッチの第一号がやって来ます。う〜む、これはいったいどうなっているんだ?? ってなカンジ。もちろん普通にも遊んでいましたが。

小学生の頃 〜ゲームを遊ぶだけでは済まさない、つもり〜
 テレビゲームが普及し始めた時代です。友達の家で(多分)スーパーカセットビジョンや、MSX、そしてファミコンで遊ぶようになり、兄がおねだりしたらしく、やがてウチにもファミコンが導入されます。だんだんゲームで遊ぶようになっていきますが、初めてギャラクシアンを見た時の第一印象が「縦にも動ければいいのに」でした。不満というか、欲のようなものが現れます。と同時に、ファミコンに付いてきたファミリーベーシックのパンフを見る。もちろん意味が分かりません。親に尋ねると、ゲームが作れる物だと言います。しかし、BASICも英語みたいに見え、英語だから分からないようなことも言われまして、以後思いっきり忘れていきます。
 小3、友達の家に行ってMSXで遊びました。なんと、その友達が作ったというゲームです。既にファミコンの市販のゲームが性能的にもすばらしかったので、遊ぶ方の感動はなかったのですが、ずらずらと並ぶBASIC言語を始めて見て、ゲーム作りの大変さをなんとなく知ります。その友達は「あまり見ないでね」と言いますが、英語っぽいそれを見てワタシに分かることは何もありません。プログラミングの興味は湧きませんでした。そして、普通の子供のように遊んでいきます。
 とは言え、裏技とか、バグとか、増えたゲームウォッチでの電池抜きとか、コンピュータのへんてこな動きには、どこか興味のようなものがあったようです。

中学生の頃 〜ゲームを遊ぶだけでは済まさない、決意?〜
 情報化社会が始まっていたような時代、技術家庭の資料集にはファミコンが載り(Sマリオ3開発中画面、貴重?)、パソコンが学校に入り始めます。
 なんと授業でBASICに触れます。この時興味はあまりありませんでしたが、一応習うことなので覚えておこうとはします。班毎にPLAY文で何か鳴らすというのをやりました。習ったことを全て覚えていても、他の班でもっとすごい作品が鳴ります。こりゃぁ知ってる人にはかなわん・・・。更に何やらシューティングゲームのプログラムリストを見ます。しかし遊ぶばかりとなってしまいました・・・。先生独自の教材ソフトも見ましたが、どうも興味を持つには至りませんでした。
 高校で兄が本格的に音楽をやるようになっていました。で、いきなりコンピュータで音楽ができるPLAY文を教えろと迫りますが、既に忘れていました。
 1年の時だけパソコン部に所属していましたが、知っている人がやる部活だったらしく、何も分かりませんでした。一度BASICを打たされましたが、何も分かりませんでした。

高校生の頃 〜ゲームを遊ぶだけでは済まさない、実行〜
 ワタシは電子科、最初はコンピュータをいじるとは思っていませんでした。後にその重要性を知りますが・・・。コンピュータが専門ではない科のコンピュータの実習は、どこも散々なもののようです。皆に嘘800と言われたif800とかいうマシンで、BASICとFORTRANの実習がありました。まずはBASIC。興味が無い状態で授業に望みます。んまぁ、一応習うことだし、レポートにもしなきゃいけないからなんとか覚えて覚えて・・・・・・、おもしれえぇ! 画面の中でだけとはいえ、自動的に動かすということがこんなにも簡単にできてしまうのか!! ・・・これならゲーム作りが夢ではない・・・!!! ということでコンピュータの本当の面白さにいきなり気付くのです。副教材の本の命令一覧を見まくって実習の残りの時間にはLine文やCircle文、課題のプログラムに機能を追加したりして遊んでしまいます。しかし、この時のBASICがMS-DOS上で動いていること、O-BASIC?だったこと、BASICを動かすのに必要な環境などは習わず、後で困ってしまいます。FORTRANは、FORTRANならではのところまで習った気はしなかったので、実習では簡単に終わってしまいました。いやぁ、本当にその後出会わないものでした。
 CADの授業もありました。・・・と、早く終わった詳しい輩が、CADのソフトを終了し、BASICで遊んでモールス信号を鳴らしていました。先生も驚いていたみたいですが、パソコンに詳しい人間の恐ろしさみたいなものを感じていきます。ちょっとおおげさかな?
 Z80ワンボードマイコンの実習もありました。自分でアセンブルしてマシン語を打ち込むやつです。んむぅ・・・BASICは分かってもこちらはまた大変・・・。せっかくプログラムに興味を持ったところでしたがこちらはまた興味が持てませんでした。しかし後に・・・??
 なんだかんだありました?が、BASICでゲームを作ってみたいという思いは強くなっていきます。その思いからか、この頃からゲームをやりながらプログラムを考えるという目茶苦茶な頭の使い方をしていきます。そしてついに3年生の3学期、情報技術科の友達から「いらないから」とポケコンPC-G815を貰います、説明書付きで。いよいよBASICで遊びまくります。そう、勉強ってカンジはありません。初日は基本的な使い方を、次の日からはBASICの使い方を・・・どんどん覚えていきます。小ネタゲームを二つ作ると、次にはいきなり「スライムレースを真似てみよう」ととんでもない挑戦が始まります。真似るといっても単純化していますが、それなりにアニメーションさせ、4匹のうち誰が勝つかをそれぞれの健康状態から推測してお金を賭けていくゲームにしました。そして一定回数のうちにどれだけ増やせたかでエンディング的なアニメーションがまたそれぞれあるというプログラムで、気が付いてみたらポケコンには入りきらない量になってしまいました。そんなにすぐ容量不足になるとは思っていなかったので遠慮なくメモリの無駄遣いをしていまして、改善してなんとか収まりました。結局600行ほどのプログラムで、いじり始めて2ヶ月ほどでできたものにしてはそれなりだったと思います。カセットテープでの保存、読み込みのための回路(と言っても本にあった)も作り、ポケコンではかなり遊ぶようになります。親も巻き込んで。

大学生の頃 〜古い物、それは教材になる〜
 いろんな友達に出会います。
 詳しくはないが、実習で同じポケコンを使い、BEEP命令を習ったと聞きました。説明書には無いし、スピーカが無いポケコンなのにそんなことあるのかとちょっと疑ってしまいましたが、本人ははっきり言います。もしかしてCSAVEするときの端子から音が出るのか?と試してみたら、出ます。これはその後の自作ゲームにも使えると、スピーカ搭載改造をし、ますますポケコンで遊べるようになります。また、ファミコン高速化を考えるのと平行して、ポケコンもクロックアップし、高校のときに作ったスライムレースもスムーズに動くようになりました。12MHzまでいけますね。(^^)
 さらにマニアックな友達に会うと、マシン語すらすらで、アセンブラもいらなそうなほどのとんでもない姿を見ます。この友達からは、ポケコンでMIDI信号を出すプログラムを作ってもらい、アセンブラのすごさを実感します。
 アセンブラは手が届かないものでしたが俺流ゲームで楽する方法を思い付いて実行するなど、ワタシはワタシなりにマニアックなことをしていきます。
 趣味「ジャンク」に関連して、MSXを拾います。・・・あぁ、あの時見た・・・これがMSXか・・・。これで何年も前に知って、できなかったPLAY文を試してみます。これまた上記のマニアックな友達に教わり、それなりの演奏ができるようになりました。しかし、「そこまで音楽に興味があるならMIDIをやってみたら」と言われ、その友人が持つMSX2と本格的なMIDI音源ですばらしい演奏を聴きます。自分は良いMIDI機器を持っていなかったので、ポケコンによるMIDIをやってもあまりすごさを感じていなかったのですが、これにはびっくり、やりたくなります。
 さて、授業の方で、実験データをパソコンで好きなように、と言ってもプログラムを組んでまとめろという困った課題が出ます。BASICは知っていてもパソコンの扱いが分かりません。知識の偏った状態が悪影響を及ぼします。結局学校ではできずに拾ったMSXで作り、友達のプリンタで印刷して提出しました。・・・助かったぁ・・・。Windows時代にデータ移動がテープという、なかなか異常な光景・・・。
 話はジャンクに戻りまして、パソコンも拾います。(MSXもパソコンだけど。)PC9801BXと98ノートのPC9801SX/Tを入手。しかしBASICしかやったことがなく、MS-DOSとか、そのためのフロッピーとか、何も分からずどうやるのか悩んでいました。ていうか、本体しか拾えなかったからってのもあるけど。これらは部屋の奥の方に眠っていきます・・・。あぁ、ほとんど読めないWindows95FDも拾ったんでしたっけ。起動ディスクは動きました。とはいえMS-DOSの知識無しでは・・・。
 やがてきちんとWindowsに出会います。最初は授業でのC言語、WindowsNT3.51?上で動いていたものです。ここで初めてWindowsの基本操作を教わりますが、既に知っているものとして?授業が進んでいきます。BASICが平気なワタシは、Cの簡単な部分でもあっさりいけるのですが、Windowsのことが分からずこれまたうまくいきません。
 そして4年生。各研究室に所属し、パソコンが自由に使える環境になります。ワタシ以外にもパソコンに詳しくない友達がいて、一緒に他の詳しい友達に教わりまくりました。今では多くの人がパソコンの面白さの一つを知り始めるインターネット、ワタシも始めました。とにかくBASICを知っていようとこの世界では超初心者、チャットでは名前の後ろに「@○○工業大学4年のPCオンチ」と書いて、初心者であることを伝えながらやっていました。中学生に笑われましたね。・・・ん〜・・・どうもこれといって特に面白いことにはなかなか出会わなかったのですがぁ・・・、いきなり友達がBM98を見つけ、あちこちのパソコンに普及(^^)していきます。ワタシは音楽と言えば単純に遊ぶだけでは済ましませんで、BM98に関しては、作る方の立場にもなっていきます。これもまた作る楽しさを改めて感じたものの一つです。パソコンでの音の扱いについてもいろいろ覚えられました。そして、間もなくインターネットのすごさを知ることになります。小学校の頃に買ったファイナルファンタジー2、どんなに頑張ってもお宝敵キャラ「テツキョジン」に出会えず、FF2のサイトに質問していました。当時、そのようなHPでもなかなか答を得られなかったのですが、しばらくして「○○○〜の場所で、電源を入れてから256回目の戦闘で必ず出会える」みたいな返事を貰います。(この情報はあいまいで、もっと詳しいHPで完全な情報が得られます。)そして、その通りにやってみたらテツキョジンに出会えたのです。それまでどんなに詳しい友達を探しても、どんなに自分でやり込んでも(いや、詳しい人から見ればたいしたことないから出会えなかったんだけど)できなかったこと、分からなかったことがインターネットで解決する。すばらしいことだと思うようになりました。そして、その後もインターネットをやりまくり、タイピングも早くなったし、いろんな知識を集めるようになりました。
 パソコンがすごいことを改めて感じたワタシは、拾ったパソコンのことを詳しい友達に聞いてみます。どうやら拾った物にしてはチョっとすごいようで、MS-DOSの時代からやっていた友達には驚かれました。そして、ワタシもMS-DOSの基本操作を覚えるようになります。とりあえず、ノートPCでMIDIが作れるようになってみました。・・・結局作らなかったけど。
 そしてついに、Windows95が動けるDOS/V機を拾ってしまいます。FMV4100D4。かなり有名なマシンです。拾ったのは1999年後半、最先端ではPentium3が出ようとしていた頃でしょうか。当時そんな事は知らないワタシはものすごい物を拾ったと思いました。まぁ、まだ現役で使っている人はいましたが、もう辛いスペックの物です。486_100MHzですから。しかしこのマシンのおかげでWindows95でのさまざまな設定とか、ハードウェアの追加とかを覚えていくことになります。周りの友達が詳しいだけに、これらはパソコンを使う人なら知ってて当たり前なのだと思っていきましたが、本当に一般の方にはそうではないんですね、ということは親にいじらせて感じるようになります。このマシンと、学校のマシンをいじったおかげで、性能というものが分かってきます。後に中古マシンを自分でも買うのにもとても役立ちました。
 拾ったマシンは親にあげ、親がパソコンを使うきっかけとなります。自分は卒業間際に中古FMV5233T7Mを購入。気に入ってしまったBM98がスイスイ動き、値段の割に良い買い物ができたと思いました。


拾ったFMV4100D4の現役時代です。
2001年後半まで働きましたが2005年春に手放しました。
ディスプレイは別拾得。


現在 〜変な知識、仕事になる知識〜
 ワードとか、エクセルとか・・・メジャーなソフトの使い方をあまり覚えず、相変わらず変な知識を増やしていってしまいました。しかしプログラミングが平気(と言っても真面目なプログラミングは苦手ですが)なことは強みのようです。また、パソコンも本体の中をいじって育ってきたというのも役立ちそうです。
 がっこーの先生になって2年目、かくかくしかじか電気部の顧問になり、前の顧問から「PIC」をやれと言われます。なんじゃそりゃと調べますと、制御向けのワンチップマイコンで便利そうだと分かります。アセンブラについてはZ80をかすかに習っていましたが、ほとんど記憶に無いのでほぼ0からのスタート。でもそのわずかな知識やBASICでゲームを作った経験は活きまして、電気部の相撲ロボットのプログラムをとりあえず作ってみるまでにはそんなに苦労がいりませんでした。これも普通の人と違う・・・。PICを使った小ネタ電子工作もやるようになりました。これからは相撲ロボットのメーカーデフォルトのプログラムより良いのを考えていきます。
 また、担当した実習でVisualBasicに出会います。これまたBASICを知っていたワタシには、ほんの少し新たに覚えるだけでWindows上で動くプログラムが作れるというすばらしいことになります。これが面白くて、なるべくフリーソフトだけでとやってきたワタシですが、VisualBasicは買ってしまいました。とりあえずVisualBasicちょいネタ集にあるようなプログラムなんか作ったりして遊んでいます。これもまだまだ遊び足りず、知識も足りませんが、昔からやってみたかったゲーム作りにはDirectXも欠かせないと知り、その開発環境も整え、勉強を始めていきます。
 大学卒業間際に買った中古PCもさすがに辛く、中学時代の友達と久〜しぶり会って、パーツを貰いまくり、ありがたくもK6-2_500MHz、更にはCeleron533AMHz、Celeron1.1GHz、Celeron1.3GHzとすることができました。(ケースはFMV5233T7Mのまま。電源が足りないみたい・・・。(汗))
 フリーソフトでWindows上でMIDIも作るようになりまして、ちょいMIDIにあるような作品を作ると共に、WinGrooveを購入します。買ったソフトは今のところVBとこの二つだけ。
 視聴覚係の仕事でビデオ編集をパソコンでやらせてもらえるのもスゴイです。うひょ〜、便利すぎる。
 そして、ご覧のHPを作るようになります。タグについては大4の時に「こんなもんだよ」と教わったっきり覚えてはいませんでしたが、ソースを見まくってコピーしまくって作っています。
 親もパソコンをしっかり遊ぶようになりつつあり、性能について実感してきて、親もPCを買っちゃいました。中古。お下がりパーツを入手しては親のマシンをチョット速くしたりしています。
 とまぁ、いろいろ?ありましたが、工業な人間でPCで音楽もやっちゃうあたりはちょっと不思議がられているような気がします。こっそり狙っている仕事の先で、使えるかなぁ〜?

自己感想
 さすがにこれに関しては幼い頃から〜とはちょっと違いそうなやっぱり関わっていそうな。長いことウチにパソコンが無かったことは辛いことにもなりましたが、今となってはそれなりに追いつき、楽しめています。ウチにファミコンが導入されたとき、やりすぎないようにと時間を決められていました。それがファミコンをしていないときにいろんなことを考えることにつながったようにも思います。ゲームとかのやりすぎは良くないですからね。これを防いだのは間違いなく親。いやぁ、親の影響って凄いですねぇ・・・。


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