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第509話:暗き天蓋、悠久の海原

作:◆CDh8kojB1Q

火乃香がヘイズを尋問しようとした寸前、それは姿を現した。
「あれ?」
「ん、どーした火乃香? 棚から落ちたボタ餅をよく見たら、蟻がついていたという悲劇に気付いて
泣いているガキを指差して笑っている女の髪にも蟻がついているという事実を発見した
とある通行人A、みたいな顔してるぞ――がっ」
 突然、首を捻られたコミクロンの目に、遠くから接近してくる巨大な何かが映った。
 下部が炭化して折れたマスト、見る者を圧倒して畏怖を与える雄大な船首、
 俯瞰すれば、それはあまりにもゴツく、大雑把ながらも力強く海面を切り裂いて進んでくる。
 海面を照らす陽光は既に無く、海上を行く巨大なそれはまるで建築物の威容だった。
「……何だあれは。城が動いてるのか?」
「違う、コミクロン。あれは――乗り物じゃないかな」
 感嘆の声を上げながらコミクロンは身体を捻って、身体の向きを首に合わせた。
 やはり、科学者を自称していても、年相応の好奇心が頭を満たすのだろう。
 
「船……か」
 それは船だった。全長三百m程度の船がゆっくりと海岸沿いを移動していた。
 B-8の難破船が何らかの理由により動き出したものだろうか。船は明かりを灯して移動している。
「知ってるのか、ヴァーミリオン?」
「火乃香の推測は当たってるぜ。遠距離と残霧で分かりづらいが、ありゃあ木造船だな。
型からして十五世紀前後の骨董品ってとこじゃねえか?」
 もっとも、ヘイズは木造船など見たことは無い。
 彼の世界の海は常時、猛烈なブリザードが吹き荒れる極寒領域だ。
 航空艦の技術が発達した世界で、流氷だらけ海を進むバカは存在しなかった。
「あれが、船……実際に見るのは始めてだね」
「そういや、火乃香の故郷は砂漠だらけだったな。俺だって遠洋航海用の船なんぞは初めてだ」
 流美なフォルムだ――、とコミクロンは呟く。
 新たな玩具を与えられた少年のような瞳と、船へと向けられた仲間の視線。
 ヘイズはコミクロンが発明好きなのだと喋っていたのを思い出した。
 その記憶は、少しだけ、ヘイズの世話焼きな心を刺激した。
「乗って、みたいか?」
「何?」
「あの船に乗ってみたいかよ?」
 ヘイズの問いに二人の仲間はしばしの間、沈黙する。
 こりゃスカしたか――? などと思い、ヘイズが頭をかき始めた時、
 コミクロンが歓声をあげた。
 当然、返って来た答えは一つだった。

「じゃあやるぜ。俺が破砕の領域で攻撃場所を指示するから、お前が
魔術を何発かぶち当てて船の航路を修正しろ」
「構わんが、俺の魔術のレベルはたかが知れてるぞ? 船を止める威力は出せん。
この制限下だと先生だって三百m級の大質量を止めるのは不可能だ」
 自信なさげなコミクロンの肩を火乃香が叩く。
 そのまま指を突き出して、海に突き出す岸壁と海面に突き出た岩礁を示した。
「あんたらしくないね、しゃきっとしなって。あそこの岩に向かって航路を変えれば
船は止まるってコトだよ。そうでしょ、ヘイズ?」
「ビンゴ。船ってのは座礁に弱いもんなんだよ。岩に挟まるか浅瀬に乗れば、
オレ達だって余裕で乗り移れるだろ」
 そう言いながら、足で地面を打ち鳴らしてヘイズはタイミングを計り始めた。
 座礁させるための最適な位置と攻撃箇所はすでに予測したのだろう。
 あとはコミクロンがタイミング良く魔術を放てるように、
 ヘイズが都合に合わせて指を鳴らすだけだ。

 船との距離がだいぶ詰まってきた時、ヘイズが指を鳴らした。
 軽やかに響いた音は、まだ少し霧の残る海面を渡り、船の壁面付近の空気分子を揺るがす。
 たったそれだけの微弱な力。それがヘイズの切り札だ。
 極小な空気分子達は、まるで誘導されたかのように進路を変更し、
 任意の地点へ移動する。
 その運動が連鎖して一つの幾何学模様を形成した時、ヘイズの思いは
 論理回路の形となって具現することとなる。
 望んだ力は、情報面からの無慈悲な解体。
 瞬間、つやのある船壁はその効力に一秒たりとも耐えられず、無残な虚となっていた。
「コンビネーション4−4−1!」
 しばらくの間を持って、破砕の領域が展開した空間にコミクロンの魔術が炸裂する。
 ヘイズのI-ブレインが起動すると、コミクロンの魔術構成が不安定になることを
 両者は共に熟知していた。
 だからヘイズは余裕を持って破砕の領域を展開し、コミクロンの魔術がベストタイミングで
 命中するように、足を踏み鳴らして最適な瞬間を計ったのだろう。
 今更になって、火乃香はそれを理解した。
 論理的で器用なコミクロンと、
 未来予測で正確なアシストができるヘイズ。
 何だかんだ言って、この二人はウマが合っているようだ。ツボにはまると、強い。
 反面、直感的な思考と、意外性の高さを持ち合わせた相手には脆弱だ。
 そこらは自分が補うことになるのだろうか、と火乃香は一人、考えた。
 図に乗ると厄介なので、手綱はちゃんと握っておこう、とも。


 そうこうする間に、魔術士二人は船の十数箇所に衝撃を与えて
 進路修正に成功した。
 貨物船の巨体はゆっくりと、しかし確実に岩礁に向かって直進していく。
 舵をきらない限り、座礁は時間の問題だろう。
「今思うんだが、乗組員がいたらオレ達の行為は無意味だよな」
「愚問だぞヴァーミリオン。禁止エリアを抜けてきた船に生きた乗員がいると思うか?
まあ、主催者どもの禁止エリア宣言がハッタリなら、エリアにいても無事だろうがな。
何はともあれ、俺は無人船論を強く推奨するぞ。動いてるのは漂流だからだろ」
「その自信はどっから沸いてくるんだか……でも今回はあたしもコミク論に賛成しとく」
 なんだそれは! と絶叫する白衣を火乃香とヘイズは無視した。
 未成年の主張より、船の行方が遥かに気になったからだ。

 三人が見守る中、船は岩にぶつかって盛大な不協和音を奏でて進み、
 ヘイズの予想どおりに岸壁と岩礁に挟まって動きを止めた。
 所々から木の軋む音が聞こえてきたが、船体は完璧に座礁したようで、
 貨物船が進む事は不可能に見える。
 更に、何のアクションも起こらないことから、無人船であるというコミク論は肯定された。
「ビンゴ……だな」
「ふっ、この俺の大天才たる証が、また一つ歴史として刻まれたまでのことだ
――おぶえぁ! 何をする火乃香!」
「はいはい、バカは踊る前にそれを持っといて。あたしが最初に飛び移るから
あんたは後から船に荷物投げ込むまで、デイパックを運ぶ役」
「むう……」
 自画自賛モードに突入しかけたコミクロンに自分の荷物を投げつけて、
 火乃香は岸壁をよじ登った。
 腕の不自由なコミクロンは身体のバランスをとるのが難しい。
 先に自分が楽な跳躍ポイントを見つけておく必要がある、と考えての行動だった。
 投げたデイパックがコミクロンの顔面に当たったことはこの際、忘れておこう。
 
「いよっ、と」
 上手い跳躍ポイントを見つけて飛び移った先は、船の操舵付近だった。
 甲板からの高さの分だけ落差が少ないので、素人が降りても安全な場所だろう。
 火乃香はそのまま周囲の安全を確認し、船首甲板へと降り立った。
 長時間の雨で多少すべるようだったが、鍛えられた剣士の下半身には
 何の障害にもならない。
 それより、眼前に広がる海原と独特の潮風が心地良かった。
 霧間から降り注ぐ星光は海面で揺らめきながら煌いて、火乃香の網膜を刺激した。
 星と霧以外はどちらも、火乃香の生活圏には存在しない興味深い自然である。
「ボギーがいたら何て言うかな?」
 あの機械知生体はきっと、潮風で遮蔽モードに微妙な支障が出る、とか
 キャビンに臭いが着いて傷む、などとロマンもへったくれもない感想を述べるかもしれない。
 それでも、今は傍にいて欲しかった。

 しばらく感傷に浸っていた火乃香は、つと、手すりに触れてみた。
「呼吸。木片の、呼吸……」
 コミク論に賛同したのは正解だったようだ。
 この船は完璧に無人だった。違和感のある大規模な気の流れを感知できない。
 船の明かりが燈っているのは少々気に掛かったが、後で調べれば済む事だ。
 ファントムだらけの幽霊船でも無い限り、確たる危険も無いはずだろう。
「なかなかいい景色じゃねえか?」
 火乃香が上げた視線の先、左右色違いの瞳を持った男が覗き込んでいた。
 ヘイズにとっても、霧の晴れ行くこの光景は鮮烈なはずである。
 いつの間にか太陽は沈んでいたが、それでも海はたゆとう原野の如く存在し、
 昼の光景にも決して劣らない。
 しかも、明度ゆえか夜の闇と水平線が同化していて、世界が一つに繋がって
 いるかのように錯覚させた。
「――見慣れた砂丘よりは楽しいかな。コミクロンは?」
「デイパック持ってヨタヨタしてるぜ。荷物はオレが投げ込むから中身傷めないように
取ってくれっか?」
「ん、おっけ」
 じゃあいくぜ、とヘイズは岸壁から荷物を甲板に落とし始めた。

 キャラバンで荷物の運搬をこなしてきた火乃香には苦でも無い作業のあとに、
 ヘイズ自身が飛び降りて来る。
 便利屋を自称するだけあって、こちらもなかなか手際が良い。
 躊躇無く直接甲板に降り立っても、その姿勢は全く崩れていなかった。
「ふっふっふ、見るがいい! この大天才の華麗なる跳躍を――!」
 続けてコミクロンが、飛距離に余裕を持たせる為に助走をつけて空を舞う。
 火乃香が選んだ地点で誤差無く踏み切るのは感心ものだが、いかんせん
 加速をつけ過ぎだ。
「おいバカ、甲板は濡れて――」
 ヘイズのとっさの忠告は既に遅く、白衣とお下げをなびかせたコミクロンは
 滑らかな放物線を描いていた。
 そのまま火乃香が定めた着地地点を華麗に飛び越えて――、
「ごあっ! 頭蓋がっ……こんなところで未来の偉人の知性に危機が訪れるとは……!
そもそも俺だけ着地に失敗するなどと――何だこの不条理な世界は!」
 着地地点が濡れていたため、当然の如く摩擦の力は働かず、
 白衣の天才は、不条理の具現者たる甲板に華麗に頭を打ち付けた。
 その後、片腕が動かず、ろくな受身が取れない状態から瞬時に復活してくるのは
 なかなかのタフさと言えるだろう。
 しかし、
「どう考えてもあんたが悪い」
「下手に格好つけるからだろ」
 何でも屋達の評価は条理にかなった酷評だった。
 エレガントな科学者への道はどうやら遠く、険しいものらしい。
 ともあれ、三人は比較的無事に貨物船に乗り移ることに成功した。
 その後の会議で、無人船の明かりなどの原因が不明なので
 とりあえず調査してみることと、船室を漁って何か使えそうな物を発見する
 ことを目的として、船内の捜索を開始することが採択された。

「この俺が船倉を調査する! 重要物を底に隠すのはセオリーだからな。
ふっふっふ、待ってろよ。楔一本に至るまで徹底的に構造解析してやる!」
 言うが早いかコミクロンはハッチを潜って船内に侵入していった。
 木造船とはいえ科学技術の結晶だ。
 コミクロンは船から得られた情報を元に新型人造人間の開発計画を
 練るのだろうか、とヘイズは邪推した。

「じゃあ、あたしが船首から、あんたは船尾から探索するってことでいいよね?」
「妥当な案だな。けどよ、これだけデカい船だと船室だけで幾つあるんだか」
「あんた今、ものすごくやる気無さそうな表情してるんだけど」
「ほっとけ。こーゆー性分なんだ。そう言うお前こそ海見てふにゃけてただろうが」
「むー……不覚をとった」
 実際、火乃香が夜空と海に見とれていたのは確かだった。
 何とかしてヘイズを斬り返してやろう、と過去の記憶を掘り起こすうちに、
「あ、そうだ」
 会心の一撃を思い出した。以前、この船に気付いてうやむやにしてしまった
 一つの問いだ。
「ねぇ、ヘイズって歳い――」
「さてと、お宝探しに行くとするか」
 火乃香の言葉を遮り、ヘイズはドアを蹴飛ばして船内に突入していった。
 ついでに酒瓶とか落ちてねえかな、などとわざとらしく呟いて火乃香の声を
 聴いてないふりをしているところから、逃走したのだと簡単に推測できる。
「……ま、いっか」
 辺境では、他人の事情に首を突っ込むと痛い目に遭うというのは常識だ。
 ましてやヘイズは露骨に嫌がっているし、今の火乃香には別の目的があった。
「もう少しくらい眺めても、減るもんじゃないしね」
 誰にともなく呟いて、火乃香は再び手すりに寄りかかった。

 手を乗せた木目の向こうには、先程まで見ていた海が変わらぬ雄大さを
 保ったままで歌っていた。
 寄せては引いて、引いては返して、砂のざわめきとは異なる音調を奏でる波。
 ロクゴウ砂漠には無い光景。エンポリウムには無い香り。
 ゲームが始まった時は、シャーネと筆談していて感じそびれた感覚だ。
 船のことは二人に任せて、もう少しだけここに居ようと火乃香は決めた。



【G−1/難破船/1日目・19:00】

『戦慄舞闘団』
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康。
[装備]:
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
[思考]:船室を捜索。
[備考]:刻印の性能に気付いています。

【火乃香】
[状態]:健康。
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:甲板から海を眺める。

【コミクロン】
[状態]:右腕が動かない。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
     刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:ふははは! 歯車様はどこだ!?  船倉を捜索。
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。

[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。左回りに島上部を回って刻印の情報を集める。

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