作:◆E1UswHhuQc
閑静な住宅地にビルが一つ、建っていた。そのビルの屋上に二つの人影がある。
長槍を携えた少年と、スポーツバッグを持つ少女。
佐山と藤花だ。
佐山の視線の先、一つのものがある。
下腹、脇腹、肩、太股、そして頭の五箇所に弾痕を残す、少女の死体だ。
佐山はその亡骸をしばし観察し、
「私の知らぬ者……か」
手指を伸ばし、恐怖に見開かれた目を閉じさせた。自身も目を閉じ、名も知らぬ少女の冥福を祈る。
佐山の背後から覗き込むようにして藤花が少女の亡骸を見て、安堵の息を吐いた。彼女の知り合いではなかったのだろう。直後、彼女も両手を合わせて死者に祈る。
亡骸を前に、佐山は思考する。
この亡骸は風見のものではなかったが、しかしそれは彼女の生存の証明にはならない。
……考えるだけ無駄か。
いつ、どこで、だれが死ぬかも判らない。
ここはそういう場だ。
新庄・運切も、既に失われている。自分の知らぬ間に。
……新庄君。
想う言葉が軋みを生んだ。
く、と声を漏らし、左胸に手指を突きたて、しかし他の動きとしては出さずに、身を貫く軋みに耐える。
決して快いものではない狭心症の発作だが、
……新庄君が味わった痛みは、この程度のものではあるまい……!
痛みは無視できる。それ以上の覚悟によって。
その覚悟は既に決めている。佐山の姓は悪役を任ずる、と。
ふ、と笑みが漏れた。
佐山は後ろを振り返った。次の行動を取る為に、藤花に声をかける。
「――行こうか、藤花君、……?」
疑問が生まれた。
空が色を変えていた。業火に包まれたかのような朱空に。
携えていたG-Sp2の重みが感じられない。見れば、槍は消えていた。
そして背後、手を合わせて祈っていたはずの宮下・藤花の姿も消えていた。
その代わりに、一人の少女が立っている。
歳は、自分と同じくらいか。尊秋多学院の制服を着込み、髪は柔らかみをもった黒のロングヘア。右手の中指には、男物の指輪がある。
再度、軋みが来た。
だが佐山は痛みに構わず、眼前の少女と視線を合わせる。
すると、少女は表情を変えた。目を弓にした快い笑みに。
……新庄君。
胸中の呟きに応えるように、少女は一つの動作を行った。
抱擁をねだるように、両腕を開いたのだ。
「――――」
佐山は目を細め、胸に手指を突き立て、彼女に歩み寄り、
「――不愉快な物真似はやめたまえ」
腹に蹴りを入れた。
かは、と息をついて身を崩した“それ”を、佐山は再度蹴りつける。蹴り足に込める力は容赦のないものだ。
声と瞳に冷徹さを乗せ、佐山は言う。
「私以外の者が新庄君の姿形を真似て良いと思っているのかね? ――肖像権の侵害だよそれは」
「……新庄・運切は奪われた」
“それ”の姿が歪んだ。歪み、たわみ、広がり、縮み、既知であり、そして未知である姿を取る。
“それ”が言葉を放つ。指向性なく放たれる音は、どこから響いているのか判別不能だ。
「奪われたのなら……わたしが使っても問題はあるまい?」
胸の軋みを無理矢理に押さえ込み。
「――それで、私に何の用かね」
佐山は問いを発した。声音に込める意思は敵意に他ならない。
“それ”は答えない。
「わたしは御遣いだ。未来精霊アマワ。……これは御遣いの言葉だ、佐山・御言」
「問いかけに答えたまえ、未来精霊とやら」
隠せぬ苛立ちを怒気へと変え、佐山は声を放った。
「わたしが答えるのは、ひとつだけだ」
アマワは言った。傲然と断固を含む言葉を。
「出会った者に、たったひとつだけ質問を許す。それがわたしの決めた……わたしのルール。注意深く選べ。その問いかけで、わたしを理解せよ。別に先の問いを繰り返しても構わないが」
精霊の言葉が響く。朱の空を背景に、未知の存在が蹂躙を始める。
佐山は考える。これは何なのか、と。
突然に切り替わったとしか思えない世界。宮下藤花の消失。新庄・運切の偽者。
だが、と佐山は己に言い聞かせる。これは機会だ。
未来精霊アマワは、確実にこのゲームの何かを知っている。聞き出せれば、その情報は状況を打開する武器となる。
これは交渉だ。こちらは相手の事を全く知らない。だが、相手は質問をひとつだけ許可してきた。さしあたっては、そのひとつの質問だけがこちらのアドバンテージだ。
「――――」
佐山は思考する。この相手にとって、もっとも致命的な質問とはなにか。
「質問がなければ、この場はこれで終わりだ。――佐山・御言」
「これは質問ではなくただの雑談なのだが」
考えている間に、アマワの姿は変化していた。
影が不規則に伸びている。朱空の光源を無視して、ばらばらの方向にそれの影は伸びていた。
光が狂っている。佐山は目を閉じた。
「その質問を許された代償は、何なのだろうね」
「新庄・運切だ」
即答が返って来た。
「ならば――新庄君を奪ったのは、君なのだろうか」
「奪われたのは君だ、佐山・御言」
目を開けた。
視覚を嘲り、知覚すら許さない姿を取るアマワに視線を投げ、
「――彼女の似姿で、私に何をさせるつもりだ」
「それが……質問か?」
逡巡は刹那。
「そうだとも」
「ならば答えよう」
アマワは音を響かせ、また姿を変えた。新庄・運切の姿に。
新庄の顔で笑みを作り、新庄の身体で手を差し出して、新庄の口で声を出し、
「心の実在の証明を」
「――それをする代価は」
軋みが体を襲っていた。左の胸に手指を立て、しかし身は折らず、視線で新庄の姿を真似たアマワを射抜く。
アマワは答えた。あっさりと。
「新庄・運切を返そう」
佐山は無表情で、
「彼女は死んだよ。私の知らぬ間に、私の知らぬ所で、私の知らぬ者の手によって」
「ならば君は彼女の死を証明できない。それゆえに彼女は死んでいない。そうではないかな?」
「言葉遊びだ。ならば言おう。――この場には君と私しかいない」
言い放ち、佐山は目を閉じ両手で耳をふさいだ。魔女の言葉を思い出しながら、言う。
「“見えない”し“聞こえない”」
「なんの余興だ、それは」
耳をふさいでも聞こえる精霊の言葉に、佐山は目を閉じ耳をふさいだまま、ふむ、と頷き、
「――やはり詠子君のように上手くはいかないか。……いいかね? 今の私は何も見えないし何も聞こえない。ゆえに私は君を認識できず、君と私しかいない此処で君は存在しない」
「それは君の観測でしかない。わたしの観測を無視している」
「それこそ言葉遊びというものだよ」
佐山は目を開け、手を下に降ろした。
戻った視界の中央には、アマワがいる。新庄の姿で。
「――代価の話に戻ろうか。君は新庄君を返すと言った」
「欲しているのだろう、“これ”を。――佐山・御言」
精霊の発言に、佐山は一つの表情で返した。
苦笑だ。
「その不恰好な似姿を、かね? ――私には不要だよ。それは新庄君ではない」
佐山は言葉を続ける。アマワが何かを言う前に、畳み掛けるように。
「確かに君の言うように、新庄君が生きている、という可能性はある。だがね、私は聞いたのだよ。――彼女の死と、彼女の言葉を」
首を一つ振り、僅かに目を伏せ、
「今ならば判る。“吊られ男”君には感謝をせねばならないね」
「そんな不確かなものを信じるのか?」
「私にとっては君の方が不確かだ未来精霊アマワよ。――宜しい。交渉下手な君に交渉というものを教授してやろう。ひとつだけ許された質問の、代価として」
佐山は一歩を踏み出し、言った。
「然るべき行動には然るべき代価を」
一息。
「それが交渉だ」
二歩を踏み、腕を伸ばした。人差し指を新庄の姿をしたアマワの鼻先に突きつけ、
「去るがいい、私の知らぬ者よ。――私は君を必要しない。私は君を信用していない。私は君を交渉相手とはできない」
「既に契約は為されている……わたしを呼んだのも君自身だ、佐山・御言」
「知らぬ間に為された契約など無効だよ。――二度言うぞ、去るがいい」
佐山は腕を戻し、重心を変え、構えを作る。
その時だ。
ひとつの旋律が聞こえた。
佐山はそれを聞いた事がある。ニュルンベルグのマイスタージンガー。
聞こえてきた方向に視線をめぐらせると、給水塔の上に影があった。棒が立っているような、黒のシルエット。
佐山はそれを知っている。ゆえに飛び降りてきた彼に対し、
「――久方ぶり、というには早過ぎるかね?」
笑みで返した。
「そうだろうね」
佐山の笑みに対し、ブギーポップは左右非対称の笑みで応える。
表情を引き締めて視線を戻すと、アマワはまだ新庄の姿のまま、何をするでもなく立っていた。
ブギーポップの方を向けば、彼もまたアマワを見ている。
「君が出てきたという事は……あれは、――世界の敵か」
「そのようだ。何しろ僕は自動的なのでね」
左右非対称の笑みでブギーポップは答え、アマワを見た。静かに声を放つ。
「君という存在は、ただ吼えているだけだ。未来精霊アマワ。不確かなものを確かにしたいという欲求から生まれたんだろう、君は」
「わたしは御遣いだ。御遣いでしかない。望んでいるものがいるから、わたしは存在する」
「すべてのものが同じことを望んでいるわけじゃない。多くの欲求と共鳴して本来の望みから大きく歪んだ君は、もはや御遣いではない」
「それは推測でしかない、ブギーポップ。わたしがそうであると証明できていない」
「する必要はない。どうせ君は誰の声も聞いてないんだろう。自分の吼え声で、他の呼びかけを打ち消している。僕の言葉すら聞き留めていない」
「わたしは君に答えている。それが君の言葉を聞いているという証明になる」
「だが聞き留めてはいないね。未来精霊アマワ。ただの泡なら君の吼え声で消え去るのだろうが、あいにく僕は“不気味な泡”だ。自動的であるがゆえに君に共鳴することはない」
ブギーポップは笑わない。笑みも見せず、無機質な表情で詞を続ける。
「誰もが理解できぬうちに、確実に、貪欲に、根こそぎに、全てを奪っていく――」
「心とは侵せぬものだ。わたしは心を奪えない。ならばすべてを刈り取った後に残るものこそ、心ではないのか」
「――断言しよう。未来精霊アマワ」
一息。
「君は世界の敵だ」
アマワは言葉ではなく、動作で答えた。
新庄の姿が歪んだ。光学迷彩にも似た歪みだが、決定的に違う部位がある。だがその違いを言葉にする事はできない。それはあらゆる存在に対する冒涜だった。
「まずは……問いかけた」
「逃がさない」
ブギーポップが疾走した。武器はないが、知恵と勇気さえあればどんな世界の敵であろうとなんとかなる。皆、忘れていることだが。必要なのは戦うという意志だ。
一歩目からトップスピードに入った死神が、新庄の似姿をとるアマワに接敵し、手刀に構えた腕を振るおうとする。
しかし、それは無意味となった。
アマワの姿が消えたのだ。
手品のように存在を消し、しかし声だけを響かせ、
「証明せよ。心の実在を。出来なければ……」
佐山は言い終わるのを待たず、声高に言う。
「三度目で判らないのなら武力行使と行こう。――去るがいい、未来精霊アマワ。私は貴様を必要としない!」
その言葉を契機としたように、視界が切り替わった。
佐山は空を見上げる。火の色ではない、大気の蒼さを持った大空がそこにある。
手にはG-Sp2の重みがあり、感触がある。
そして背後には、
「どうか……したんですか? きょろきょろして」
「いや、……何でもない。今後の方針を考えていただけだ」
既にブギーポップではない宮下・藤花にそう答え、佐山は左腕を掲げた。
左手の中指に、女物の指輪がある。
……不等に結ばれた契約で、奪われたというのなら……
呟く。藤花には聞こえない程度の声で。しかし決意を乗せて。
「私は奪うぞ未来精霊アマワ。この場にいる全ての者達を。貴様が奪うよりも早く」
既にブギーポップではない宮下・藤花にそう答え、佐山は左腕を掲げた。
左手の中指に、女物の指輪がある。
……不等に結ばれた契約で、奪われたというのなら……
呟く。藤花には聞こえない程度の声で。しかし決意を乗せて。
「私は奪うぞ未来精霊アマワ。この場にいる全ての者達を。貴様が奪うよりも早く」
強く握る拳は過去に砕いた拳。幻痛を無視して、握りこんだ。
悪役として、この場にいる全ての者達を糾合し、団結させ、脱出する。
それが彼女を奪ったアマワに対する返答であり、彼女を奪った未来精霊に払わせる代価だ。
……既に失われた新庄君の、――彼女の言葉を無とせぬために。
喪失のことごとくを乗り越え、残された者達を纏め上げ、帰還させる。
何があろうと、たとえ己が還れぬことになろうと、確実に。
それが偽善になっても、偽悪になっても、
……折れぬ意志と恐れぬ力で、確実に遂行するとも!
握れぬ拳に力を込め、まだどこかに居るであろうものに宣言する。
「聞いているかね? 未来精霊アマワ。新庄君の似姿だけはくれてやろう。……だが」
佐山は脳裏に新庄の姿を思い浮かべ、軋む胸に手指を突き立て、覚悟の言葉を吐き出した。
「――他は私のものだ」
【C-6/小市街/1日目・13:00】
『悪役と泡・ふたたび』
【佐山御言】
[状態]:正常
[装備]:G-Sp2、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式、食料が若干減)、地下水脈の地図
[思考]:参加者すべてを団結し、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる
【宮下藤花】
[状態]:健康
[装備]:ブギーポップの衣装
[道具]:支給品一式
[思考]:佐山についていく
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