作:◆xSp2cIn2/A
(な、なんなんだ!? 『あれ』は!)
恐怖を感じることなく人を殺し、最後の一人になるまで戦おうと決意したキノ。
彼女は今、師匠を殺して以来初めて、恐怖した。
黒帽子に殺されかけたときも、宗介と殺しあったときも、テッサ、ダナティアと対峙したときも、動揺こそしたが、恐怖はしなかった。
なのに、それなのに今。たった一人の少年を目の前にするだけで――
(ボクは……恐怖している!?)
黒帽子のときのように包丁を突きつけられているわけでもなく、
宗介の時のように向かい合っているわけでもなく、
ダナティアのときのように言葉をかけられたわけでもない。
ただ、少年を見ているだけなのに、怖い。酷く、恐しい。
少年が何ということなく宗介の腕を断ち切ったから?
少年の持っている鋏(本当に鋏なのか?)が禍々しい雰囲気を放っているからか?
――ちがう。そんなことではない。そんなことではない。
あの少年の存在自体に、あのどうしようの無いものに――
(恐怖、している)
ふと、少年がこちらを見た。
顔全体を覆う刺青。耳にはピアスのように携帯電話のストラップをぶら下げている。
はっきりいって異様だ。
どうしようもなく、現実味がない。
しかし、それよりも異様なもの。
深い、深い、不快感を感じるほどに深い、瞳。
まるで闇を切り取ってそこにはめ込んだかのように暗い、昏い、真っ暗な瞳。
もう、終わってしまうかもしれない。
旅を続けているとき、何度と無く思った言葉。
しかし、師匠を殺してから絶対に思わないと決めた言葉。
それを今、彼女は思っていた。
「おい、そこの坊主。F-4ってのはどっちか、教えてくれねーか?」
少年は口を開く。
キノはその問いに答えない。
否、答えることができない。
冷や汗が、体中から吹き出る。
シャワーを浴びたい。とびきり熱いやつ。
「あ? あー……そうか、お前も『質問するならまず自分から名乗れ』って口か? そりゃぁ悪かった。俺は――」
キノは、その決定的な一言を聞いた。
それは、彼女に意味の無い恐怖を――
「人間失格・零崎人識。殺人鬼だ」
「ぜろざ……き?」
キノは無意識のうちに呟いた。
「そ、零崎。かはは、傑作な名前だろ」
で、お前は?
零崎が問う。
「ぼ、ボクは――
――ボクは、キノ。で、こっちが…………あっ」
キノは自分の横を指差して動きが止まった。
「こっち?」
零崎が怪訝そうな顔で首をかしげる。
そうだった。
キノは思い出す。
今ここに、エルメスはいないのだった。
すっかりわすれていた。いつもいるのが当たり前だったから。
(今ボクの隣に、エルメスはいない)
あのいつもうるさい相棒。
空気の読めないポンコツモトラド。
(僕がここに連れてこられてしまって、エルメスは何をしているのかな? 早く戻らないと、今ボクたちがいたところは――
――あれ?どこだっけ? シズさんと別れてからの記憶がない?)
確かにあそこまでは覚えている。でも、それからは?
思い出せない。まったく思い出せない。なぜ?
まさか、記憶まで奴らに、あのふざけた優男達に――
「おーい、どうした? キノっつたか? 殺してもいいのか?」
そこでキノはハッとなる。いつの間にか零崎がキノの眼前で手を振っていた。
「あ、いや。何でもありません。殺すのは、やめてください」
「ん、わかった」
驚くほどに、零崎はあっさりと手を引いて後ろに下がった。
「すいません、ボクはキノ、キノっていいます」
「じゃぁ早速だけどよキノ、俺はF-4の方向を教えてほしいんだが」
零崎がニヤニヤしながら、フレンドリーに聞いてくる。
それでもキノの恐怖は消えない。
「地図とコンパスがあればもっといい」
「地図、ですね」
キノは恐怖を覚えながらも、零崎の言葉に素直に従う。
片手にぶら下げていたショットガンをベルトに挟み、デイパックから地図を取り出す。
零崎との遭遇ですっかり忘れていたが、今や叩きつけるように降り注ぐ雨に案の定、地図はびしょびしょだ。
キノはコンパスも出すと、それと照らし合わせるように地図を見て、
「あれ?」
「ん? この地図、俺のと違わないか?」
確かに、その地図に描かれている物は零崎の記憶にあるものと違った。
そして、キノの記憶にあるものとも。
「これは……地下の地図、ですかね」
「あ?『ですかね』ってことは今まで気付かなかったのか?」
「いえ、雨にぬれるまでこんなことにはなっていませんでした」
「ってこたぁ、こりゃ雨に濡れれば浮かび上がる仕組みってことか?」
「そう言うことですね」
恐怖を押し殺しながらもそう答えるキノ。
(この男には勝てない)
そう判断したキノは、零崎が未だ自分に殺意を抱いていないうちに、零崎から離れることを考えていた。
そのため会話に応じ、問いや要求にも素直に答えることにした。
「気になるが、まず先に凪のところまでもどらねぇとなっと。あー、こっちが北だからF-4は――」
そう言って、キノの地図とコンパスを交互に見出した零崎。
「と言うことは、F-4はこっちに進めばいけるのか、おっと、禁止エリアも考えなくちゃな。…………ん、じゃぁなキノ。縁が『会ったら』、また会おうぜ」
それを聞いて、キノはほっとする。これで、もう恐怖から開放されるのだ。
しかしそれは、彼女のぬか喜びに終わる。
「そうですね、それでは――」
そこまで言いかけたところで、キノの言葉は遮られた。
零崎の握った、あの禍々しい鋏がキノを襲う。
(っ! そんな! 殺気は感じなかったのに)
驚愕しながらも、首を狙って繰り出される鋏を身体をそらして避ける。
その切っ先は、キノの額をかすめ、縦に深い傷をつける。
「ん?すまねぇ、殺しちまったか?」
零崎が問いかけたときにはすでに、キノは倒れながら腰から折りたたみナイフを引き抜く。
手持ちの銃を使わなかったことに対し、その判断の正誤を問われれば、それは正と答えるしかない。
この距離で射撃を行うことは無駄だし、そもそも零崎に狙撃以外の銃撃は通用しない。
しかし零崎相手に立ち向かおうとすること、それは判断する余地も無く誤りだった。
かなわない相手からは逃げる。それは危険に身を置く者にとって当たり前のことだ。
それを解っていたのに、キノは零崎の恐怖に耐え切れなかったのだ。
キノは倒れかけていた身体を支えるために左足を下げ、大地を踏みしめ、
そのまま体重を前面に移し、突き出した手を引っ込めた零崎に向かって全体重をかけたナイフを繰り出す。
零崎はそのナイフを、引き戻した鋏で受け止めた。甲高い金属音が響く。
キノはそのままナイフを滑らし、下から突き上げるように零崎の眉間を狙った。
それに対し零崎は、キノが先程そうしたように身体をそらしてナイフを避ける。額を切られるようなへまはしない。
「かはは! やるじゃねぇか!」
零崎はそう言うと、鋏をホルスターに戻し、そのままバック転の要領で後ろへと跳ぶ。
すかさず宗介のソーコムピストルを構えたキノは、着地した零崎に向けて発砲。しかしそのときすでに、零崎はキノの視界の外に消えたあとだった。
「っ!? どこに!」
「こっちだぜ!」
キノが右を向いたころには、零崎はとび蹴りの要領でショットガンをキノの手から蹴り飛ばし、同時に伸ばした手でキノ首を叩き切らんとしていた。
キノは紙一重でしゃがみ、それを避ける。
鋏が空を切り、零崎が離れたところに着地した隙にキノは走り出す。
恥も外聞もかなぐり捨てて必死で走る。後ろから殺気。少々減速して、転がるようにキノはそれを避ける。同時に頭上を鋏が通り過ぎた。
遠くに鋏が落ちる音。
キノは立ち上がり、再び走り出そうとしたところで――
「遅い!」
――背中に重い衝撃。
「う、ぐぅっ!!」
零崎の蹴りが決まり、キノは仰け反るようにして数メートル吹っ飛ぶ。
頭から着地した後にもさらに数メートル転がって、仰向けに、止まった。
つかつかと歩み寄ってきた零崎が、キノの胸の上に足を乗せ、タクティカルジャケットの中から包丁を取り出す。
包丁がキノに突きつけられ、ギラリ、と鈍い光を放つ。
「さぁて、捕まえたぜ。殺して解して並べて揃えて晒してやんよ」
零崎がにやり、とシニカルに笑った。
(殺される。)
(彼は、零崎は、何のためらいも無く、さも当たり前と言うように、まるで呼吸をするように、ボクを殺す)
キノは、なぜかそれを確信できた。
これはもう、どうしようも無いということが、はっきりと確信できた。
キノは息を吸う、吐く。また吸う、吐く。死を覚悟し、息を止める。
(死ぬのは、痛いかな)
そんなことを思う。
(ボクが殺してきた人たちは、どんな気持ちだったのかな)
旅の先々で出会った人々の顔が、走馬灯のように駆け巡る。
(恐い、恐いです師匠。死ぬのは、恐いです。ボクはまだ、死にたくない。)
師匠の顔が、師匠の穏やかな死に顔が、脳裏に浮かび、消えた。
(いや、ボクはまだ、死ねない。師匠が助けてくださったこの命を、無くすことは、できない!)
「ボクはまだっ! 死ねないっ!」
半ば叫びとなったその声と共に、キノは起き上がる。
「おっ?」
急に動き出したキノに、零崎は少々驚きながらも少しだけ浮いた身体を容赦なく再び押し付けた。
「く、はぁっ!」
そこは女であるキノが、人外の力に勝てるはずも無く、先程より強く地面に固定される。
肺の空気が外に搾り出され、キノの口から息とも声とも付かない音が漏れ出した。
「なんだぁ? お前、死にたくないのか。あぁ、そうか、そりゃぁそうだよな。誰も死にたくねぇもんな」
まぁそれならよ。零崎が続ける。
「見逃してやってもいいぜ。生憎殺しは凪に止められてるからな。だがよ、俺が殺そうとして未だ殺せてねぇのは、とある戯言使いと、とある人類最強だけなんだ。
だからよ、今度会ったら、殺すぜ」
そう言うと零崎はキノの胸から足をどける。
「それじゃぁな、縁が『会ったら』また会おうぜ。って、この台詞は二回目か。」
かはは、と笑いながら、鋏を拾った零崎は、すたすたと森の中に消えて行った。
ゆっくりと起き上がるキノ。額から流れる血で、顔は真っ赤だ。
「どこかに包帯は、無いかな。商店街に行けば救急セットくらいあるかな」
こうしてキノは、世の中にはどれだけ足掻いてもどうしようもない物があることを知った。
立ち向かうことも、逃げることも、ましてや殺すことも、同じステージに立つことすらもできない、そう言う存在。
それがもたらすものはただ、死。
【残り77人】
【D−4/森林/1日目・14:50】
【キノ】
[状態]:体中に擦り傷。
[装備]:ヘイルストーム(出典:オーフェン/残弾6)/折りたたみナイフ
カノン(残弾無し)/師匠の形見のパチンコ/ショットガン(残弾無し)
[道具]:支給品一式×4
[思考]:最後まで生き残る。/怪我の治療
[備考]:ソーコムピストル(残弾9)がキノの前に落ちています。
地下の地図に興味を持っています。
記憶と連れ去られた時期に疑問を持っています。
【零崎人識】
[状態]:平常
[装備]:出刃包丁/自殺志願
[道具]:デイバッグ(ペットボトル三本、コンパス)/砥石/小説「人間失格」(一度落として汚れた)
[思考]:惚れた弱み(笑)で、凪に協力する。/落とし物も拾った事だし、凪の所に戻ろうかな
[備考]:記憶と連れ去られた時期に疑問を持っています。
地下の地図が気になっています。
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