作:◆J0mAROIq3E
存外に早い逃げ足で戯言遣いとドクロは離脱した。だが。
「逃げられると思うな……!」
突然の襲来者、ギギナは獣のように低い姿勢で追撃の意志を見せる。
引き絞られた弓のごとくその体躯が弾ける刹那。
「待てよ。あんたどこに行くつもりだ?」
よく通る声がその動きを止めた。
隙無くワニの杖を構え、凪がギギナの前に立ちはだかっていた。
「失せろ女。あの少年に興味が湧いたのでな。少々遊んでもらうだけだ」
「そんな物騒な剣持って遊びもないだろ。あいつらに手は出させねーぞ」
鋭い石突きを槍のように向ける姿は、その一般的な服装とどこまでも相容れない。
軽く眉をひそめたギギナも、対峙する相手が見た目通りの存在でないことを即座に感じ取った。
「愉快な闘争ができるならば貴様でも構わぬが……女の身で私と殺り合えるつもりか?」
押しつぶされそうな威圧感が発汗を促す。
人外の生き物でも相手にしてきた凪にとってさえ、その剣舞士の迫力は異常に過ぎる。
それでも皮肉な笑み一つで緊張を殺し、言い放つ。
「はっ、あの面子の中じゃオレが一番強いさ。嘗めてると足元掬われるぜ」
「……確かに戦士の目だな。非礼は詫びよう」
ギギナは喜悦を隠そうともせず、標的を改めた。
「待っていろヒルルカ。軽い運動程度だが……見守っていてくれ」
愛しげにそう呟くと、木の横に椅子をそっと立てかけた。
(……? なんだ、椅子に……?)
凪の訝しげな眼差しなど意にも介さず。
(零崎のときと一緒だ。捕らえて、説得する。やれるか?)
目の前の男はどうやら強敵と戦うのが目的らしい。
それならば、どうにか言いくるめて殺人者や管理者達に矛先を向けさせることは可能だろう。
(交渉はオレの領分じゃないんだけどな。ったく、肝心なときにあの戯言遣いは)
自分が逃がしたことはとりあえず置いておき、杖を強く握りしめて震えを消した。
「さて準備はいいか女」
「凪だ」
「では凪、始めようか。我らだけの闘争を」
不敵な笑みと斬撃は一呼吸の間に生じた。
(っ! 速……!)
弾かれるように後ろへ飛んだのが幸いした。
横薙ぎの一撃は相当な範囲の空間を切断していた。横に逃げたら腹を裂かれていただろう。
もはや出し惜しみする理由はない。凪は杖を軽く振った。
刻まれた魔術文字が即座に発動。二つの小さなワニのストラップが巨大化し、2mもの大口を開いた。
その強靱な顎が地面を食い破りながらギギナへと殺到する。
「むっ!?」
さすがに動揺を見せ、大木さえ噛み砕きそうなその一撃を大きく回避。
それを隙と見て二頭目が正確無比に逆から飛びかかる。
「くっ……おぉぉぉ!」
鼻先に左手を乗せ、勢いに乗るようにワニの背を転がった。
(ちっ……こいつも合成人間とかの類か!?)
悪態をつきながら、凪もスカートを翻してその狂騒の中に飛び込んでいった。
空中で猫のように身を丸めつつも、ギギナは刃を放さない。
その右手へ石突きを突き入れようとし、強い悪寒がそれを止める。
それを証明するように、剣舞士は鮮やかな着地と同時に斬撃を繰り出していた。
風圧だけで死に至りそうな斬撃は、切っ先が制服の襟元を切り裂くに留まった。
こちらが一歩踏み出していれば即死だ。
嫌な汗が噴き出すのを感じ、後ずさる。
「……あながち大言壮語というわけでもなさそうだな。やるものだ」
あまりに近くを通り過ぎた死に歯を食いしばる凪に対し、ギギナは笑みさえ浮かべていた。
人の姿で獣のごとき運動。
かつての恐怖喰らいの女医をどうしても思い出してしまう。
「……あんた、そんなに戦いたいんならイカれた管理人達を相手にしたらどうだ」
「それもいいな。同じ土俵に上がることがあれば迷わずそうするだろう。――だが、今私は貴様とのみ戦っている!」
言葉と破壊力が飛び込んでくる。
流れるように繰り出される刀身を、両手で構えた杖で受け止めた。
「ぐっ……うぅ……っ!!」
対魔術士用に作られた天人の遺産の強度は、その破壊力にさえ耐えきった。
しかしそれを受け止める身はそうもいかない。
骨をのこぎりで削がれるような痺れを伴いながら、全身で衝撃を下へ逃がす。
取り落としそうになりながらも脇に抱えるように保持した杖は、報うように効果を表す。
木へと突っ込んでいたワニが、再びギギナへと襲い掛かる。
後方から凄まじい勢いで食らいつこうとする二頭のワニ。
ギギナはそちらを振り向こうともしない。避けられないはずだった。
「初手はいささか面食らったが……二度はない」
跳んだ。
一見舞うように緩やかな跳躍だったが、足があった地面には陥没したような足跡が残る。
残像を喰らうワニの鼻を踏み付け、背に飛び乗る。
一度だけその頭頂に剣を叩き付けたが、破壊できないと見るともう一頭へ振り返る。
命令のままにギギナへと向かうそれの軌道は当然最初の一頭と交錯する。
轟音。
ワニがワニを喰らい、一瞬その動きを停める。
その時には既に剣舞士は凪の眼前に飛び込んでいた。
体重を乗せた踵落としが杖に絡まり、容赦なく地面へと叩き落とす。
その衝撃で、ワニが掻き消えるように元の小さなストラップに戻る。
凪はすかさず距離を取ったものの、当然無手。
デイパックから鋏を取り出したところでどうにかなる状況でもない。
だというのにギギナはゆっくりと歩み寄ってくる。
これまでの攻防で、体術だけでも楽しめるとでも判断したのか。
(殺すのが目的じゃなくても……死んでも全然構わないって感じだな)
何とか体術で凌ぎ、杖を回収し、隙をついて捕獲か離脱。
それは嫌というほど見せられたギギナの実力相手には無理難題に等しかったが。
(――覚悟を決めるしかない)
呼吸を止め、離した距離を一息に詰めた。
(あのサイズの得物なら密着すれば無効化できる!)
迎撃される覚悟はしていたが、敢えて受けて立とうというのかギギナは悠然と構えている。
嘗められることに怒りはない。
最大限に利用するまでだった。
がら空きの鳩尾に全力で掌底を叩き込む。
全身を使い、自重を十分に乗せた一撃。
「っ。筋もいいし鍛えてはいる。ガユス程度なら悶絶するのだろうが……足りんな」
理想的な一撃も、軽く息を詰めさせることしかできなかった。
厚い筋肉の壁が、常識的な打撃など吸収してしまう。
(だけどそれは予測できてる……!)
返礼とばかりに剣を持ったままの右肘が打ち下ろされる。
体格差から、肩を砕きかねない肘打ちを前に凪は不敵に笑って見せた。
受け止め、掌を砕こうとするその威力を利用した。
「ぐっ……!?」
合気を応用した、極めて技巧的な投げ。
単車並と言われるギギナの体が、夢幻のように孤を描いて飛んだ。
投げられたという事実の認識が遅れ、受け身を取り損ねた。
轟音と共に地面へ落下。己の剣で腹を刺すような無様はさすがにしない。
軽い脳震盪に視界が揺らぐ。
その痛みさえ心地よいというのか、口の端に怒りと喜びの混ざった笑みが浮かぶ。
(まったく楽しい島だ。ことごとく予想を裏切ってくれる)
満足げに頷くと、木と木材を掴んで立ち上が
(……木材?)
違和感に手元を見下ろす。
木材。落下したときへし折れたのだろう、完全に砕けている。
問題はそれに見覚えがあることだ。この手触りは。この色合いは。この匂いは。
「な……な……」
変わり果てた愛娘の姿だと気付くのに時間を要した。
「ヒ、ヒルルカーーーーーーーーーーッ!!」
即死だった。
「……?」
先ほど置いていた椅子の残骸に向かい、ギギナが絶叫している。
異常なほどの取り乱し方だった。
ともあれ、隙は今しかない。今なら捕獲も可能かもしれない。
落ちているワニの杖まであと五歩。
あと四歩。
三歩。
二歩。視界が前方へと一瞬で流れていった。
「え?」
風景が前に飛ぶということは、自分が後ろへ吹き飛んだということ。
地面に強く頭を打ち付けて霞む視界には、ぞっとするほどの憎悪の視線で睨むギギナ。
前に突き出されたその右手に剣はない。
何故。確かに剣ごと吹っ飛んだはずなのに。
その答えを、凪は見下ろした。
己の腹部に。
「あ……ああ……?」
腹から、あの大剣の柄が生えている。
投げた? ナイフじゃあるまいしあの剣を? 投げて、それが何でここに?
混濁する意識をたしなめるように、一つの感覚が凪の体を包んだ。
激痛。
「うあ……ああああああぁぁ!!」
ギギナの、その筋肉が軋むほどの全力で投げ放たれた魂砕きは、墓標のように凪を地面へと縫い止めた。
幅広の刃は慈悲無く重要器官を貫通。温かな体液が流れ出ている。
もはやギギナは凪を見ず椅子の残骸を抱えて慟哭する。
もはや凪はギギナを見ず壊れ行く体を抱えて絶叫する。
記憶にある感覚。
一人の後輩がかつてもたらした感覚。
臨死の感覚。
そしてこの島に、エコーズはいない。
世界は最後だけ凪に優しかった。
意識が朦朧とするにつれ、痛みも溶けるように流れ落ちていく。
それを心地よいと、凪は感じてしまった。
――何だかな。オレは結局正義の味方になれなかったんだろうな、黒田さん。
思う。関わってしまった色んな顔が浮かぶ。
…親父も、こんな半端な気持ちで逝ったのかな。
……戯言遣い、男ならちゃんとドクロを守れよ。
………零崎、殺さないって約束守るんだろうな。
…………正樹、綺。……お前らは幸せになれよ。
……………健太郎。厄介ごとに首突っ込むなよ。
………………和子。敬に先生……結構浮かぶな。
…………………それと九連内に……アイツ、か。
……………………お前らは何とかなるだろうさ。
………………………ああ、眠く、なってきたな。
…………………………まさかあんたがお迎えか。
……………………………久しぶりだな……直子。
【048 霧間凪 死亡】
【残り77人】
【F−4/森の中/1日目・13:10】
【ギギナ】
[状態]:疲労。軽い脳震盪。精神的ショック。
[装備]:魂砕き
[道具]:デイバッグ一式、ワニの杖、ヒルルカの残骸
[思考]:1.休息と食料確保。 2.ショックで自暴自棄。
※ワニの杖の使用により周囲に音と衝撃が伝わっています。
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