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第221話:聖者の信仰

作:◆lmrmar5YFk

おかしい。
ゲルハルト・フォン・バルシュタインは、眼下の少女を見下げながら思った。
祐巳君と潤君がここを出てからもう二時間は経つというのに、一体どうして戻ってこないのだろう?
少し話しただけだが、彼女たちの内、潤君のほうは中々に手だれのようだったから、それほど心配する必要はないかもしれない。
とはいえ、自分のような吸血鬼を始め常識では信じられない存在がうようよしているこの島を、娘二人だけでいるのは大変に気に掛かる。
先ほどまでの一時の油断をも許さぬ状況と違い、幸いこちらの彼女のほうは朝と比べて多少容態が安定してきたようだ。
この近辺を軽く一周してくるくらいなら、おそらく問題はないだろう。
そう考えた子爵は、アメリアの傍を離れて辺りを見渡しに行った。尤も、彼女をあまり長い間一人にすることは出来ないから、周囲を少し見て回るだけだ。
ふよふよと宙に浮く血液の固まりは、傍から見れば随分とアンビリーバブルな光景だったが、幸運にも彼の姿を目にした者は居なかった。
このときもしどこにも行かずその場に留まっていたら、彼は異形化した祐巳を発見していたことだろう。
しかし彼は、そこから離れてしまった。―この偶然の悪戯が、彼と彼の保護した少女との運命を決定付けた。

―ふむ、見当たらないか。と、なるとやはり彼女らの身に何かが起こったのだろうか?

もっと遠くまで捜索に行きたかったが、置いてきた少女のほうも心配だ。
そう思った子爵は再びふよふよと浮遊しながら元の場所まで戻る。
その道中には、いつの間にか誰かが通ったような跡が残されており、子爵は祐巳と潤が帰ってきたのかと思った。
しかし、彼のごく楽観的な判断は180度間違っていると言わざるを得なかった。
―彼が戻った先に居た者、それは血の海の中で横たわる少女だった。―

子爵が去ってから数分後、倉庫から海へと向かって真っ直ぐに走っていた祐巳は途中の草原で一人の少女を見つけた。
尤も、このときの祐巳を『祐巳』と言うのは彼女が可哀想かもしれない。
人間としての理性も記憶も失われた彼女にとって、この瞬間あったのは獣としての本能のみであったのだから。

獣は自分の進行方向に倒れている丁度良い少女を見つけた。
獣はこの時腹が減っていた。
獣は―。


アメリアは自分に何が起こったかわからなかった。
何か恐ろしい生き物が自分の目前にいたことまでは辛うじて覚えていたが、それが何だったのか判然としない。
(ああ、そうだ…私、吸血鬼に襲われて…それから…?)
身体を起こそうとするが、全身を襲う激痛は、彼女に一切の行動を許さない。
己の意思では、指一本動かすことすらできそうにはなかった。
身体のあちこちからだくだくと流れ出る血液は、さながら彼女の魂までも押し出してしまいそうだった。
もはや目はかすみ、痛いという感覚さえろくにない。
それでも彼女は、喉から絞り出すようにして声を出した。―友に届けと。
「…リ…ナさ…」
『いかん、喋ってはいけない!』
子爵が綴る言葉を目の端に捕らえ、アメリアは少し自嘲的に思う。
(ふふ、私、とうとう幻覚まで見えるようになっちゃたみたい…でも、どうせ幻覚を見るのなら、リナさん達の姿の方が良かったけれど…)
そう思う彼女に、神は最後の慈悲を与えたのだろうか。薄く目を閉じた彼女の目蓋の奥に浮かんだのは、何よりも大切な三人の仲間の顔だった。
(リナさんにゼルガディスさん…それにガウリィさんも…)
戦いの中に身を置いていたとはいえ、楽しかった日々の映像が脳裏に浮かんでは消えていく。
馬鹿話をして笑いあった。皆で食事をした。そんな何でもないことが、宝物のような記憶となって蘇る。
瞑った目から一筋の涙がつぅっと流れ落ち、ぽたぽたと草の葉を濡らした。
苦しみと悲しみ、そして死の淵からの手招きによって混濁する意識の中、アメリアは誰に聞かせるでもなく、無意識に呟いていた。
「…リナっ、さん…ゼル、ガディ、ス…さ…ごめ、な、さ…」
それだけ言うと、彼女は残る力を振り絞って両手を胸の上へと掲げ、指を組んだ。ずきずきと痛む傷も、崇高な祈りの前には気にならなかった。
何もない空をもがく彼女の両手の指に、精一杯の力が込められ、固く固く閉じあわされる。
「…せ、めて…あなた、たちは、いきのび、て…」


彼女が最期に願ったのは、友の無事だった。ゲームが開始すらする前に、目の前で最も信頼する友人の一人を失い、今まさに自身の命も消えようとしている。
けれど、けれど自分以上の強さを持つあの二人なら、きっと大丈夫。
この下らないゲームの中でも、きっと生き残れるはず。

だから神様、お願いです。二人が生きて元の世界に戻れますように。

少女はそのまま、ゆっくりと息を引き取った。
彼女の死を看取った赤い形状不定物は、己の無力を噛み締めながら一言、少女のための言葉を手向けた。
それがひどく陳腐だと分かっていても、彼はその言葉を残したかった。

『少女よ、安らかに眠り給え』と。


【残り93人】
【死亡 アメリア・ウィル・テスラ・セイルーン(027)】
 【D−4/草原/一日目、09:00】

【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン子爵】
 [状態]:体力が回復し健康状態に 
 [装備]:なし
 [道具]:デイパック一式、 「教育シリーズ 日本の歴史DVD 全12巻セット」
 [思考]:祐巳と潤の不在を気にかける。食鬼人の秘密を教えたのは祐巳だけであり、他者には絶対に教えない アメリアの死を悼む
[補足]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません

【福沢祐巳】
 [状態]:看護婦 魔人化 記憶混濁
 [装備]:保健室のロッカーに入っていた妙にえっちなナース服 ヴォッドのレザーコート
 [道具]:ロザリオ、デイパック(支給品入り)
 [思考]:お姉さまに逢いたい。潤さんかっこいいなあ みんなを守ってみせる 聖様を救う 食鬼人のことは秘密
 [補足]:この後、海へと向かい正気を取り戻す。 自身がアメリアを殺したことに気づいていません。

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