泉獺の文学の特徴
私の文学の特徴は、次の4つである。
(1)性的色彩が濃い
「女人村」などがその最たる例であろう。又、他の諸作品にも、いわゆる下ネタが数多く盛り込まれている。
これはカードワースシナリオやRPGツクール作品、及びテックウィンのネタ投稿でも同様である。
なぜこうなったのかというと、私がムッツリスケベ且つ童貞であるからではないか。そのルサンチマン(鬱屈した不満)が数多くの下ネタとなって結実しているのかもしれない。
ちなみに、性的色彩が濃いことによるデメリットについても述べておこう。それは女性層からは嫌われるということだ。これについては詳細は述べず、ただ女性の支持は得られないことのみを記しておくにとどめよう。
(2)政治・社会を風刺する
「桃の子桃太郎」をご一読いただければわかるかと思うが、あの作品には社会現象・政治家・国家に対する痛烈な皮肉・風刺がこめられている。
文学を高尚なもの、あるいは高尚であるべきものと見なしている人たちにとっては、私のこうした態度は我慢がならないもの、卑しい俗物的なものとして映るかもしれない。
彼らと私とが関心を寄せる点が異なるということを指摘しておきたい。
(3)短い
どの作品も、短い。長編は一つとして、ない。せいぜい長いものでも、2ちゃんねる書の「8頭身」や、前掲の「桃の子桃太郎」だろうが、これらとて、世間一般の尺度から見れば短編の部類に入る。
なぜ、短いのか? なぜ、私はいわゆる長編というものを書かないのか?
書けないのである。長大なものを書こうとしても、必ず途中で息切れしてしまうのだ。例えば高校時代に書いた「Xファイル」のパロディー作品(※未発表。公表できない)の終盤などは、ものの見事にグダグダとなっていて、とてもじゃないが人に見せられるものではない。
(4)パロディー
私の作品にはパロディーが多い。いや、殆どパロディーと言っても差し支えない。
「桃太郎」を始めとする各種の昔話・童話・聖書・2ちゃんねる、等々。
これは、全くのオリジナルを作るよりも、遥かに少ない労力で作れるからであり、尚且つ、オリジナルの持っている力をある程度継承できるからである。
オリジナルを尊ぶ人たちにとっては、私のこうした態度は卑しいものと映るだろう。
だが、あえて反論しておこう。文学のために。
それなら、「竹取物語」や「ハムレット」はオリジナルですか?と。
いずれの作品も、既に存在する伝説を題材にしたものである。オリジナルを尊ぶなら、これらの作品よりも、元になった伝説を尊重すべきだろう。
さて、ここまで一気に書き上げてきたが、ここに書いたことは私の頭の中でかねてより練られてきたものであり、それがこの機会に表面化してきたのである。(私は内向的な性格だから、このような作業は得意なのである。)
ともかくも泉獺は自分の作風を自分で分析してみた。これによって作者と読者の両方にメリットがあると考える。
作者にとっては「汝自身を知れ」ということになるし、読者にとっては解説となるからである。
著・泉獺 (H17.11/9)
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