4−1 さらば静岡
さて、自転車で三重まで帰ろう、
と言いたいところですけど、電車で帰ることが確定しました。
これ以上膝を酷使する事は、これからも自転車を満喫する上で
必ず障害になるだろうという予想からです。
膝は病院で真っ先に見てもらおうという状態です。
また、今の状態で自転車に乗っても、ものすごく時間がかかってしまうでしょう。
25日までに帰るということが不可能に近い。
そう判断しました。
自転車はまた近いうちに車で回収しに来ます。
自分が乗れる状態にならなければ何の意味もないからです。
自分の愛用していた自転車が手元を離れるのはちょっと悲しいですけど。
今日は8月22日金曜日。
曜日感覚を取り戻そうとしたのは、旅の四日目にして今日が初めて。
なんというか終わってしまったんだなあ、と。
しかし、家に帰るまでが遠足、家に帰るまでが旅です。
というわけで、自転車に代わって、
電車の旅、世界の車窓から―東海編―をお送りします。
まずは清水駅まで戻る事に。
戻って何もする事はないわけですけども、とりあえず。
親父が滋賀でのゴルフの帰りがてらに五時ごろ名古屋駅に車で迎えに来るというので、
それに間に合うくらいまで時間を潰すにしました。
友人は四時間くらいかかると言うので、十二時半に電車に乗ることにしました。
あまりやることもないため、周囲をうろつく事にしました。
杖をついて清水駅周辺を練り歩く姿は地元民の目にはすぐに登山者と分かるようです。
気付いてくれるのが妙に嬉しかったりします。
名古屋まで行くと、変な目で見られて、誰も分かってない様子。
せっかく杖を持っているのだからと、コッコッと音を立てて突いて行きます。
よく考えると、今が一番旅らしい気もしてきました。
周りを見ながらゆったり歩いていくというのが旅らしい。
歩きの旅もしてみたいですが、時間がそれを許さないでしょう。
清水駅から出て左手には商店街がそびえています。
僕の地元の商店街とはまた違って、明るい感じがします。
隣の家の芝は青く見えるもので、こんなのが家の近所にあったらいいなあと思います。
友人がある程度なじみのある地なので、彼の話に耳を傾けながらうろうろと。
商店街にまつわる話を聞けて、楽しいです。
商店街との距離が縮まったような気にさえなります。
無性に暑い日だったので、喫茶店で一服しました。
頼んだジュースにすぐ手が行く事が暑さを物語っています。
友人が昔小さい頃によく親と一緒に来たお店だとか。
そういう話を聞くと、しみじみいいなあと、感じ入ってしまいます。
ここでは、小説談義に花が咲きました。
小説を書くのって大変だよなあ、というのが相手の言葉から読み取れます。
言葉の端々から苦労がにじみ出ていて、小説を書く労力というのは
凡人が考えるよりもはるかにエネルギーのいるものではないかと思わされました。
産みの苦しみ、という言葉を使っておられたような覚えがあります。
まさにその通りだよなあ。
4−2 世界の車窓から
本来使う予定であった旅費でお土産を買い、清水駅へ。
この時点でただの観光客に成り下がっています。
見てくれはパックツアーを終えた観光客が一人でたたずんでいるみたいな格好です。
別れの挨拶を交わし、友人との短い同行に感謝の意を伝えました。
それが功を奏し、電車に乗り遅れます。
電車内では主に寝ておりました。
他の人の視線が気になるというのも小さな理由です。
疲れていたから休んでおきたいというのもあります。
車内でこんなに眠くなったのはそうありません。
よって車窓からは何もお届けできません。
浜松駅から快速急行に乗り換え。
座りたいという野望は多くの乗客という無慈悲によってさえぎられました。
壁にもたれてずっと突っ立っておりました。
見る景色見る景色が、なんとなくで流れていきます。
行きで見たことあるような感の景色があったり。
新居町を通る時にその感が強かったです。
実際に新居駅の周辺を走ったというのもありますけど。
どこか田舎で時の流れがゆっくりそうなところをずっと通っていきます。
川があったり田んぼがあったり。
こんなところを電車で走っているのが一種の傲慢であるような気さえしてきます。
にしても、やはり電車は速い。
旅で二日かかったところを、一日で余るくらいの時間で行ってしまうのですから。
安城市までやってくると街、という雰囲気があります。
しかし、安城市に住む人に訊くと、それほど街というわけでもないらしいです。
ここから徐々に徐々に都会へと風景が変貌を見せるのです。
今見る景色がどう変わって都会名古屋になるのか。
僕には想像が難しい。
しかし、最後には必ず名古屋になるのです。
名古屋まで来ると、帰ってきた、という感慨が強かったです。
実際にはまだまだ距離はあります。
自分の頭の中では地元の一部に入っているのかもしれない。
早く名古屋駅に着きすぎました。
4時前。親父が迎えに来るのが5時。
何かをするということもなくぼーっとしておりました。
人の流れの速さを見て、都会って怖いなあと。
親父の車に乗せられた時、僕はてっきり怒られるのだと思っていました。
膝を壊すとは何事だ、と。
実際はそうでもなく、ただ心配だったそうです。
車の中では旅の話に終始し、無事家に生還しました。
4−3 編集後記
ここまで全て読んでいただいた皆さん、お疲れ様でした。
そしてありがとうございます。
書き上げるのに二十日ほどかかってしまいました。
読み手にとってはあまり意味のなさそうなことでも、
僕の考えた事や心の動きなどは書いておきました。
また途中から読み直したい人、途中から読んだ人は、
雑記のページからTabキーを使ってご覧ください。
旅はとても楽しく、自分にとって実りのある時間でした。
次があれば、もうちょっと人様に迷惑をかけないようにできたらと。
今回の結果は自分には納得が行きません。
今回のテーマは見た事考えた事、そして周りから吸収した事です。
きちんと表現できていればいいのですけど。
今回分かった事は、ママチャリで旅は不可能ではない、ということでしょうか。
ただ山レベルの坂は止めておいたほうがいいでしょう。
体力もそれなりのものを要求します。
さて、いくつか報告すべき事がありますね。
1.膝の診断結果
オーバーユース症候群ということをちらっとおっしゃられました。
レントゲンをとっても骨に異常は無し。入院や通院も必要無し。
ネットで詳しい事を調べようと思っても、あまり分からないようです。
お医者様の言う事では、膝に疲労が溜まっているので安静にしなさいと。
膝に塗る軟膏を処方されました。
2.膝の調子
だいぶ治ってきています。
しかし、まだ完全には治っていません。
治りがかなり遅く、自転車を軽く漕いでもわずかに痛みが残っています。
これまでと同じように自転車を乗り回すにはまだ時間がかかりそうです。
3.自転車の回収
8月31日に回収してきました。
事情により午前0時からの出撃でしたが、自転車置き場より回収に成功。
家にあるのとないのでは安心感が違います。
今回の件により、本格的に自転車に目覚めてしまったようです。
いったいどうなることやら。
(平成十四年九月十五日記す)
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