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現代社会の歪みすなわち「ヨドミ」が陽留見七神の伝承と結合し産声を上げた、本作最大の恐怖シークエンス。
・・のハズが、でも意外と怖くなかったみたいで、自分の演出力の無さを思い知らされました。
一応「クルミ似の少女」には、以下の設定が存在します。
精神医学の用語に関しては超詳しく調べたわけではないので、間違っている点があるやも知れません。
まあ、それはそれとして、背景を楽しんで頂ければと思い、添付させていただきました。
(ラスト、古井戸に落ちた云々の下りは、かのホラー大作「リング」にあえて挑戦してみました。
 ぶっちゃけた話、意識的パクリです。勝敗の行方はファンの皆様にお任せします)
(っていうか、発行部数とかメジャー度合いで、瞬殺されているっていうか・・)






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人面ガラスとその正体。
原初的な恐怖を呼び覚ます「邪眼の少女」。
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かつてハインロートは言った。
「狂気とは人格化された罪の権化である」
私はこの言葉を前近代的な戯言と考えていた。
更に言えば、精神病理に対する「狂気」と言う捉え方すら嫌悪を感じていた。
パーソナリティの狂いや破綻は、明らかなる病理であり、理性を持って相対すれば、
彼らを真っ当な社会生活の中に導くことができる。
それが我々精神医学に携わる者の責務であると、そんな理想を、ただ、無邪気に信じていた。
あの日、その患者と会うまでは。

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「先生・・、イズミ先生・・」

深夜。
隔離病棟の廊下に響く、老婆の声。
私は静かに懐中電灯のスイッチをオフにした。
そして、可能な限り足音を立てず、声のする扉の前まで歩いてゆく。
・・ここは理性の光の届かない深海である。
私はふいにそのような感覚にとらわれた。

「部屋があつくて
 眠れないのです
 部屋があつくて
 眠れないのです・・」

演技だ。
空調設備の低音が、正常に動作している事を示している。
しかしその機械音は、何故か私を更なる不安に駆り立てた。
深海。潜水。
純粋な学問として精神医学を専攻した私にとって、それは未知の領域であり、また、恐怖であった。
再び、老婆の声が響いた。

「お部屋で一緒にお話を
 してくれませんか、ねえ・・」

静寂の中、しわがれた声は、重いスチールの扉越しにしては、鮮明に聞こえる。
患者は全身をピッタリと扉つけて、訴えているに違いない。

「先生・・、イズミ先生・・」

発声は明瞭、訴えの内容も理解できる。
この隔離病棟の他の患者と比較してみても、明らかに理性的である。
しかし、この患者の問題はそこにはない。
鍵束を取り出し、部屋番を確認する。手には汗がにじんでいる。
やがて、看護士のK君がやはり音を立てずに私の背後に回った。
たくましい若者が心配の色をあらわに、「扉の向こう側」への侵入を試みる私を見守ってくれた。
だが、誰が私を物理的に支えてくれようとも、私の不安をぬぐい去ることなどできない。
ただ一人いるとするならば・・、カツラ先生、こんな未熟な私に、どうか力を。

「今、鍵を開ける、ドアから離れなさい」

私の声は若干震えを帯びていたかもしれない。
鍵が鍵穴を上手く通らない。

「ああ、イズミ先生、ありがとうございます」

私は重いスチールの扉を、文字どおり狂気の扉を、ゆっくりと開いた。
・・いない。
本能的な危険を察知した私は、即座に懐中電灯を照らした。
光に対して鋭敏な患者であること以上に、ただ、恐怖が私をそうさせた。
してはならないことを、した。
すと影が舞い降り、私の手の中の光を叩き落とした。
懐中電灯が床に転がると、私は動転した。

「・・や、やめなさい!」

無意味な警告だった。
暗闇の中、40kg程の荷重が私の胸にのしかかり、私は転倒した。
小さな手が胸のポケットをまさぐる。
看護士のK君は、私にのしかかっている華奢な肉体を強引に引き離そうとした。
白い院内服が闇の中におどった。

「危ない!」

暗闇にしたたる、血のぬめりと温度が、私に伝わってきた。
案の定だった。
K君の持っていたボールペンが凶器となり、彼の耳たぶを引き裂いたのだ。
K君はううう、と呻きながら、顔の側面を抑えている。
彼はカツラ先生の二の轍を踏んだのだ。
そして、少女のけたたましい笑い声が部屋の中を包んだ。
正気を吸い取るような、屈託のない笑い声が、部屋の中に満ち満ちた。
そう、この部屋の患者は、脆弱な老婆などではない。
夜行性動物のような行動力と、6つの人格、そして13歳の少女の肉体を持つ、
いわば、精神病理的「怪物」なのだ。
患者番号H−,720,938、少女ケースA。
緊急ベルが鳴り響くと、少女は笑いを止め、開いた扉のすき間から、廊下の奥の闇へと消えていった。
足音が遠ざかると、私は耐え難い眩暈を感じ、再び、床にくずおれた。

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少女ケースA
患者番号H−,720,938
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・精神分裂病
  多重人格性
  反社会性(強度)
  及び、パラノイヤ
  等、性格障害あり
・備考
  先天性痛覚障害あり
  知能極めて高し
  診察に際しては厳重注意が必要

*現在、クワイエット(特別隔離病棟)にて72時間の麻酔静養中。
 ただし、効果の程は現状において定かではない。

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昨夜、カツラマサタケ先生に脳死判定が下された。
カツラ先生の視床下部をえぐった万年筆は、私が贈った物である。

「いいペンを使うと字が上手くなる
 俺のカルテもこれでちっとは見やすくなったか?
 ・・そうでもないか?」

カツラ先生はそう言って笑っておられた。
尊敬するこの先輩の理念は、精神病理を表面的現象のみに捉われず、「人間理解」と言う観点から、
患者と医者の相互の変容を促していく。そういったものであった。
院内上部の理解を得られず激論を交わす先生の姿を何度か目にしたことがある。
その、カツラ先生が死んだ。
そして事実上、私が少女の担当医になったのである。
あの「怪物」の。

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殺人ピエロは、狂ったピエロ。
ライオンの爪と牙が怖くて、
空中ブランコが怖くて、
団長さんが怖くて、
怖くて、怖くて、怖くて
怖くて気が狂った。

殺人ピエロは、狂ったピエロ。
まさかりみたいな月夜の晩に、
サーカス団のテントを逃げた。

おしろい顔に血で描いた、
真っ赤っかのバッテン印。
ふとっちょ団長さんの、
真っ赤っかのバッテン印。

見たら逃げろ
見たら逃げろ
すぐ逃げないと殺される。

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少女の母親が失踪した。
同じ日、耳にケガをした看護士のK君が辞職した。
こうして私は弁護者も協力者も保護者も失った。
それでも私が孤軍奮闘するのは、ここで諦めてはカツラ先生に申し訳が立たないという、
それだけの理由に過ぎない。
少女のトラウマティックな性格障害は理解可能の範疇である。
あの両親とあの生活環境、そして暴力的性的なありとあらゆる虐待。
幼児期から思春期にかけて、人間性という物を破壊するに値する行為を、充分すぎるほどに、
あの少女は受け続けてきた。
今さら「救ってやる」などという言葉が、あの子にどれほどの重みを持つというのだ。
ああ、私はあまりに無力だ。
しかし、それ以上に解らない点も多い。
まずその知能の高さだ。知能指数の数の示すところではない、他人に恐怖をもたらすためとしか言い様のない、
学術的には解明不能の、高い知性をあの子は備えている。
先天的な痛覚障害が他人に痛みを与えるイメージの欠落と言う形を取ることは容易に理解できる。
しかしそんなマニュアルではないところの、なんというか、これは言葉に出しにくいことだが、
「邪悪な知性」をあの子は持っているような気がする。
・・・そう、邪悪。それなのだ。
それも人間によって作られた物ではない、超越的な「邪悪」。
精神科医らしからぬこの言葉こそが私の本音なのだ。

長い夜、狂った旋律が聞こえる。
壊れたピエロのオルゴールを手にした、狂った少女の、狂った旋律が。
旋律が止むと、老婆の声が、隔離病棟の深くから、再び響きわたってきた。

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カツラ先生、私にはもうこれ以上無理です。
私の選択をお許しください。私の未熟をどうか受けとめてください。

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精神病院の特殊隔離地下房。
かつての病棟は工事が進むにつれ瓦礫の山と化しているが、この地下房だけは別である。
当時の面影、狂気の面影をその静寂の中に色濃く残している。

閉じこめられたのは、強強度分裂病患者の13歳の少女。

閑散とした地下の空間に運び込まれたのは、わずかながらの彼女の持ち物(遊び道具?)と寝台がだけだった。
治療とは言え、完全に密閉された監獄に少女を閉じこめることは、人道的にも法的にも禁じられている。
だから地下室には申し訳程度の小窓が、高い天井に密着するように取り付けられていた。

観察員が錠を下ろす音が部屋にこだまし、階段を上る足音が徐々に小さくなった。
・・誰もいなくなった。
それが分かると、少女は悪戯っぽい笑顔を浮かべ、何か楽しいことはないか、探し始める。
寝台の上で手をのばすと、小窓の鉄格子に手をかけた。
しかし病棟の陰になった小窓の外に見えるのは、威圧的な精神病棟の赤煉瓦だけ。
その拷問的に空虚な空間は、直射日光すらほとんどはさすことがない。
やがて少女は、その窓に興味を失った。
そしてゼンマイの切れた人形のように、壊れた少女は、ベッドに沈み込む。
うつろな眼差しは天井にぶつかり、そして消えた。
残されたのは、薄暗がりと、絶望的な時の長さ。
だが、日に一度だけ、変化は訪れた。突然に。
夕刻が訪れたとき、小窓から斜めに注ぐ光線が、室内をオレンジ色で満たしたのである。
少女は、その一瞬、生命の炎が逆流したかのような勢いで、小窓に飛びつき、あらゆる手段を使って、
ほとんど動物的に、鉄格子の一本を老朽化したコンクリート共々たたき落とした。
するりと、小さな体を踊らせ、少女は、赤煉瓦の病棟の裏手におどり出る。
そして運悪く、彼女の姿は誰一人の目にもとまることがなかった。
小さな笑い声をあげ、裸足のまま、少女は走り出す。森を、奥へ、奥へ。

三日の後、警察の本格的な捜索が始まろうと言う一歩手前の日、少女は発見された。
古井戸の底、擦り傷だらけの幼い体はくしゃりとつぶれ、虚ろな瞳だけが、空を見上げていた。
夕闇の中、ただカラスが鳴いていた。

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