作:◆5KqBC89beU
島津由乃は最期に何を伝えようとしていたのか――答えの出ない自問を繰り返し、
怒りに拳を震わせながら、平和島静雄は放送を聞き終えた。
(あんなに頼りにされてたのに、俺は、由乃に何もしてやれなかった……!)
聞き覚えのある名前は告げられなかったが、24人もの参加者が死んでいた。
ほとんど話さぬまま別れ、浜辺で死人になっていた少女の名前を、静雄は知らない。
名前を知らない他の面々は、生きているのか死んだのか確かめることすらできない。
額に血管を浮かべながらも、頭の片隅で静雄は思う。
(セルティも、由乃の友達も生きてる)
それは、とても嬉しいことだ。
(臨也も生きてやがる。自分勝手に由乃を消した平安野郎も、たぶん生きてやがる)
それは、喜ぶべきことだ。
(あの赤毛ナイフ男も、クソッタレの臨也も、会ったら死なす。問答無用で殺す)
怒りをぶつけるべき相手がいるのは、幸いなことだ。
(だが、まずは平安野郎をぶん殴る……殴って殴って殴って殴る!)
死者に死を追体験させた男の行為を、偽善以外の何でもないと静雄は断定する。
顔も知らぬ平安時代風の男に対して、最悪な印象を静雄は感じた。
行動を共にしていた間に、由乃は静雄へ情報を伝えていた。自分を幽霊にしてくれた
男のそばには、黒いライダースーツ姿で首のない何者かが付き従っていた、と。
由乃が見たのは間違いなくセルティだ、と静雄は確信している。
(平安野郎は、本当に、セルティのことを対等な仲間だと思ってんのか?)
善人気取りの平安野郎が言葉巧みにセルティを騙し、自分や仲間の護衛をさせる――
そんな光景を静雄は思い描いた。
バケモノを利用して何が悪い、と言いたげな顔で平安野郎がこっそりと舌を出す――
そんな想像が静雄を苛立たせた。
傷だらけになって倒れ伏したセルティの後ろで、平安野郎が元気そうにしている――
そんな妄想が静雄の血圧を上げていく。
霧の中に、奥歯の軋む音が小さく響いた。
煮えくりかえった腸の熱を吐き出すように、つぶやきが漏れる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
いつもと同じ単語の羅列だが、込められた意味はいつもと違っていた。
殺さないように、できるだけ殺意を放散して薄めるための文句ではなかった。
殺したい相手と会う前に怒りすぎて発狂してしまわないように、それだけのために
連なっていく言葉だった。
(……早く、セルティを見つけねえとな)
ゆっくりと、神鉄如意を杖代わりにして、静雄は歩きだした。
血まみれで「殺す」とつぶやきながら進む姿は、どう見ても不審人物だ。
やがて、霧が晴れ始めた。けれど、雲が空を覆っていて相変わらず視界は悪い。
ろくに灯りのない場所で夜中にサングラスをかけたままでは、少々危ない。
静雄はサングラスを外してポケットに入れ、デイパックから懐中電灯を取り出して、
ついでに水を飲んでから、周囲の探索を再開した。
探索の途中で立ち寄ったF-6の砂浜からは、倒れていた人影が二つとも消えていた。
誰かが死体を持っていかない限り、こんな状況にはならないはずだった。
少女の亡骸があった場所には、ロザリオだけが残されている。
浜辺を去る前に由乃から少女へ贈られ、静雄が少女の手に握らせた物だった。
大切な宝物を置いていっていいのか、という問いに、由乃は「この子も友達だから」
と答え、寂しげにうつむいていた。
そんな弔いの品を、今、静雄の手が拾い上げる。
由乃の想いを踏みにじるような結末だった。
(どうやら、この島には、癪に障るクズどもが山ほどいるらしいな……!)
静雄は由乃のロザリオを、すぐにデイパックの中へ入れる。
そのまま手に持っていたら、うっかり握り潰してしまいそうな気がしたからだった。
しばらく静雄は歩き続けたが、結局、誰にも会えなかった。
(かなり人数が減ったせいか? っと)
地面から突き出た石につまづきかけ、静雄は足を止める。
静雄の消耗は激しい。サングラスを今さら外したのは、目が霞み始めたせいだった。
気休め程度の止血だけしかやらずに動き回っていた以上、当然の結果だろう。
このままの状態では、これから誰とも戦わなくても、あまり長くは生きられまい。
大怪我をしているというのに、ここまで動けたこと自体が奇跡だった。
しかし、ただの奇跡では足りない。その程度では希望に手が届かない。
この島から生きて出るには、幾つもの奇跡を重ね合わせねばならない。
時計の針が19:25を指した頃、港町の方から少女の絶叫が聞こえてきた。
静雄の現在地からそう遠くない場所で、何かがあったようだった。
声の主は絶対にセルティではないが、セルティを見た誰かが叫んだのかもしれない。
セルティとは無関係でも、由乃の友達が死にかけていたりするのかもしれない。
面倒くさそうに舌打ちして神鉄如意を肩に担ぎ、静雄は走りだした。
(痛くねえ、痛くねえったら痛くねえんだよ……!)
人間離れした耐久力を発揮し、静雄は痛みを無視してのけた。
美しく輝いていた髪と眼からは、炎の色が消えていた。
力なくうずくまり、小刻みに震えながらシャナは涙を堪えている。
“でもあなたは吸血鬼だよ。もう人には戻れない”
魔女の宣告に、フレイムヘイズとしての決意は粉々に打ち砕かれてしまった。
「いや……」
頭の中で残響する言葉に、弱々しくシャナは抗う。
けれど心の奥底では、既に理解してしまっている。
今のシャナは、もはや世界を守る者ではなかった。
“それはきっと、あなたが望んでしまったからだよ”
「いや、いや……」
人喰いの怪物と同じものに、なりはててしまった。
“だからあなたは『誇り高き炎』じゃなくなったんだよ”
「いや、いや、いや……」
空回りする思いだけが、辛うじて拒絶の言葉を紡いでいる。
“あなたに残る傷はもう無いけれど、熱い痛みが消える事は無い”
どんなに悔やんでも真実は変わらない。
“あなたの魂のカタチは『痛み』で埋め尽くされた”
どんなに願っても時間は巻き戻せない。
“それはとても悲しい事だけど、でもそれが、あなたの新しい魂のカタチ”
何もかもが手遅れだ。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
頭を抱えて、シャナは体を縮める。徒労でしかない、無駄な努力だった。
精神的に衰弱しきったまま、シャナは涙を堪え続けた。
使命も矜持も仲間も失って残ったのは、浅ましい衝動と、穢れた力だけだった。
誰かの足音を、鋭敏化した聴覚が捕らえる。
血の匂いが近づいてくる、と嗅覚が告げる。
意思とは関係なく、唾液が分泌され始める。
血を啜れ、と吸血鬼の本能がささやく。
一線を越えたら、もう後戻りはできない。
体だけでなく心まで、正真正銘の吸血鬼になってしまう。
ありったけの理性を振り絞って、シャナは胸の疼きを抑えた。その場から離れようと
して、体に力を漲らせた。炎髪灼眼の鮮やかな赤が、闇の中に煌めく。
そして、シャナは気づいてしまう。血の匂いの主が宝具を持っている、と。
(……回収、しなきゃ)
宝具には、多かれ少なかれ超常の力が秘められている。
悪用されれば数多くの悲劇を生む、恐るべき道具だ。
フレイムヘイズとして戦う資格がなかったとしても、見過ごせる物ではない。
逃げずに待ち、場合によっては戦うことを、シャナは選んだ。
(でも……戦って、相手を斬って血を見ても、私は正気でいられるの……?)
足音が近づき、目視できる距離に人影が現れ、やや離れた位置で立ち止まった。
懐中電灯の光がシャナを照らす。刀が光を反射して、鈍く輝いた。
来訪者の青年には、濃密な血臭が染みついていた。腹を怪我しているようだ。
血を求める衝動に逆らわねばならないため、シャナの顔が不快そうに歪む。
シャナの視線が少しも友好的ではないと確認し、青年は眉をひそめた。
「あぁ? 何だ手前は? さっきの悲鳴は手前の仕業か?」
不機嫌さを隠そうともしない青年の態度に、シャナは警戒を強めた。
青年は、明らかに術師でも策士でもなさそうな気配を漂わせている。
だが、それでもシャナは油断しない。
「その武器を、渡してちょうだい」
口下手は承知の上なので、むしろシャナは開き直り、単刀直入に言う。
「はぁっ!? 手前、ふざけてんのか!?」
案の定、いきなり交渉は決裂寸前になった。
「そうすれば、代わりに情報を教えてあげる」
「あぁん? ……なるほど、そういうつもりか」
だが、交渉は決裂寸前のまま、奇妙な均衡を保って続いていく。
一触即発といった様子ではあるが、まだ、どうにか会話はできそうな雰囲気だ。
「こっちの害にならない情報なら、全部教えてもいい」
坂井悠二の遺品と贄殿遮那を除けば、交換できそうな品物をシャナは持っていない。
武器を手放すに値するほどの見返りを用意するためには、こうするしかない。
腹立たしげに頬を引きつらせながら、青年が口を開く。
「情報提供が先だ。役に立つ情報があればコレをくれてやる。あと、嘘ついたら殺す」
心の底から本気で言っているようにしか聞こえない声音と口調だった。
青年の胸中では、武器よりも情報の方が優先順位は上だったらしい。
例えば、この島にいる誰かを捜索中だとか、そういった事情があるのだろう。
演技ではない、と判断して、シャナは頷く。争いを避けられるなら、その方がいい。
「手前の名前は?」
「……シャナ」
フレイムヘイズとしての名乗りは、今さら口に出せない。
「念のために訊いとくが、手前は島津由乃とは無関係だよな?」
青年の問いにシャナは片眉を上げ、少し考えてから、結局は正直に答える。
「会ったことはない。でも、保胤から話は聞いてる。術で幽霊にしたって言ってた」
その言葉が、きっかけになった。
「おい……その保胤って、もしかして平安時代っぽい格好した男か? 黒いライダー
スーツを着た、首のない女を連れてなかったか?」
尋常ではなく激烈な殺気が、青年から発せられた。
「手前、ひょっとして、そいつの仲間なのか? なぁ、どうなんだ? 答えろ」
青年は、鬼神のような憤怒の形相で、シャナを睨みつけていた。
(この男は、敵だ)
呆然とシャナは思う。
(保胤の、敵だ)
かつて保胤は、シャナの世話を焼き、救おうと苦心し、根気強く励まし続けた。
(この男は、保胤を殺そうとしてる)
保胤は、シャナを支えようと手をさしのべた人間だった。
(きっと、この男は保胤を……あの人たちを襲おうとする)
無意識のうちに、シャナの手は得物を構えていた。
(あの人たちとは一緒にいられないけど、でも、私は……私は――)
フレイムヘイズとしてではなく、ただのシャナとして、少女は戦おうとしていた。
【D-8/住宅地/1日目・19:40頃】
【平和島静雄】
[状態]:頭に血が上っている/肉体的に疲労/下腹部に二箇所刺傷(未貫通・止血済)
[装備]:懐中電灯/神鉄如意
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン6食分・水1500ml/デイパックに小さな穴が空いている)
/由乃のロザリオ
[思考]:何が何でもシャナから保胤の情報を聞き出したい/セルティを捜し守る
/保胤を見つけてぶん殴る(由乃からは平安時代風の男の人とだけ聞いている)
/保胤はセルティを騙して利用しているんじゃないのか、と疑っている
/由乃の伝言を伝える/赤毛ナイフ男(クレア)や臨也は見つけ次第殺す
[備考]:サングラスはポケットの中にあり、バーテン服は血まみれで袖がない(止血するために
破って腹に巻いて縛った)ので、服装を手掛かりにセルティの仲間だと判断するのは難しい。
【シャナ】
[状態]:吸血鬼(身体能力向上)/精神的に不安定
[装備]:贄殿遮那
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
/悠二の血に濡れたメロンパン4個&保存食3食分/濡れていない保存食2食分/眠気覚ましガム
/悠二のレポートその2(大雑把な日記形式)
[思考]:目の前の男(静雄)を倒して、宝具を回収する
[備考]:内出血は回復魔法などで止められるが、体内に散弾片が残っている。
手術で摘出するまで激しい運動や衝撃で内臓を傷つける危険有り。
吸血鬼の再生能力と相まって高速で再生する。
目の前の男がセルティの探していた相手だとは、今のところ気づいていない。
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