作:◆PM/YvWa3/6
鬱蒼とした霧が徐々に晴れていった空は、夕闇に赤く染まり始めている。
そろそろ動き出すには最適な時間になるな、と頭の片隅で考えて、キノはゆっくりと立ち上がった。
「ボクは、殺人鬼になる……」
黒いパンツに付いた埃を払い、深呼吸をしながら、もう何度目になるか分からない言葉をもう一度呟く。
何度も何度も繰り返される台詞は、いつの間にか頭の中にこびりついて離れなくなっていた。
自分自身に暗示を掛けるように、じわじわと意識を侵食していく。
もう同じような失態を晒さないように。
今度は獲物を逃さないように。
師匠の死を無駄にはしないように。
掌に掻いた汗を、無造作に拭き取って、ようやく扉の取っ手に触れることが出来た。
此処から出て行けば、自分はもう殺人鬼だ。
どんな相手――例えあの零崎が相手だったとしても、確実に殺さなければならない。
だが、自分は普通の人間だ。零崎や他の参加者の何人かのように、特別な力など持っていない。
所詮はただの少女。例え少年に間違われたとしても、本当の男との体力差は一目瞭然。
所詮はただの人間。どんなに射撃の腕が優れていても、人外の力には敵わない。
真正面から向かっていけば、すぐに殺されてしまうのは目に見えている。
「恐怖を捨てろ。理性を捨てろ。……楽しむんだ、あの零崎みたいに」
何もない無力な自分が生き残るには、奇襲しかない。
遠くの方から相手を狙うか、近付いてから油断させる。あるいは唐突に襲い掛かる。
卑怯だと誰かは言うのかもしれない。それでも、自分にはそれだけしか方法が残されていない。
もう一度、キノは深く深く息を吸い込み、意識しながらゆっくりと吐き出した。
落ち着いている。心の何処かが、ふっと醒めていくような気がする。冷めていく。
「ボクはあなたの正しさを証明してみせます。だから、師匠……どうか……」
どうか。
その祈りが届いたのか、少女は知らない。
ただ、開け放たれた扉の向こうには息を飲むほどに美しい夕焼けが広がっていて。
キノは改めて、この世界は美しいと思った。
ゆえに、醜い側面が浮き彫りになる。だからこそ、同時に世界は美しくなどないのだろう。
生きなければ。生き残らなければ、意味がなくなる。師匠の死に、意味がなくなってしまう。
「ボクは、殺人鬼になる」
正しいことをするために。正しさを証明するために。
自分の命を守ろうとすることは、我儘なんかじゃない。
我儘なのだと言うのなら、なんて世の中に生きる全部の生き物(モノ)は、みんな我儘で傲慢なのだろう。
生きるために、犠牲は必要なんだ。少なくとも、この世界では。
ボクは正しくなんかない。
それゆえに、誰よりも正しい。
正しいという自信がある。
キノは大きく深呼吸をした。心臓の音は、まだ続いている。
此処で終わらせるつもりもない。
「とりあえず、何処を目指すか……」
悪夢を見た時にあった動揺も焦りも、今はない。驚くほど冷静に頭が回った。
死にたくないなら、生き残るためには、冷静にならなければならないと思う。
怒りも悲しみも憎しみも迷いも戸惑いも躊躇いも、冷静さを欠くような感情は必要ない。
人殺しには不要なモノだ。ただ、視界に映る全ての物を確実に壊していくだけ。
壊していくために、非力な自分は思考し、知略を張り巡らせなければならない。生き残れない。
「問題はこの商店街に人が居るかどうか……さっきみたいに隠れてる人が居るかもしれないけれど」
可能性は極めて低い。居たとしても相手が団体だった場合、確実に返り討ちに遭うだろう。
奇襲を念頭に置いた場合、高台に潜伏して通りかかる人間を撃ち殺していくのが確実なのだろうが、生憎手元にはフルートなどといったライフルがない上、遠距離に適した武器すらない。
カノンや森の人では射程距離に限界があるし、高台からの奇襲には明らかに向いていない。
それでも、森の人やカノンなどがあるだけ自分は恵まれているのだろう。
銃器は命綱だ。なければのたれ死ぬしかない。その点では圧倒的に恵まれている。
キノは今回の放送を聞いていないため、禁止区域が分からない。
闇雲に移動すれば、禁止区域に足を踏み入れてお終いだ。そんなまぬけな死に方は嫌だ。
問題は山積みになっている。
それでも生き残るために、確実に殺していくために、どうすればいいのか。
答えなどない。誰も教えてくれない。応えてくれない。
エルメスも居ない。師匠も居ない。誰も居ない。ジブンダケシカイナイ。
「……少しだけ商店街を回ってみるか」
誰も居なければ、ほかの場所を目指せばいい。
目指せなければ、障害になるモノを壊せばいい。
片っ端から壊していけばいいのだ。何も恐れることはない。
もう一度深呼吸をしながら、パースエイダーを胸元に押し当て、キノは祈るように目を閉じた。
「ボクは、殺人鬼になるんだ……」
ならなければ。
死んでしまうのは、此処で終わってしまうのは、絶対に嫌だから。
死にたくない。
まだ、生きていたい。
いつの間にか思考に歪みが生じ始めていることに、黒髪の少女は気付かなかった。
気付けないまま、彼女は颯爽とした足取りで歩き始める。
少女は正しくなんかない。
それでもただ、生きていたかっただけ。
いつの間にか霧は晴れ、血塗られた赫に彩られた空が。
哂ったような、気がした。
【C―3/商店街民家/1日目・18:45】
【キノ】
[状態]:体中に擦り傷(ほとんど影響はなくなっている)
[装備]:ヘイルストーム(出典:オーフェン/残弾6)/折りたたみナイフ
カノン(残弾4)/師匠の形見のパチンコ/ショットガン(残弾3) ソーコムピストル(残弾9)/森の人(残弾2)
[道具]:支給品一式×4(内一つはパンが無くなりました)
[思考]:最後まで生き残る(ただし、人殺しよりも生き残ることが最優先)
もう少しだけ商店街を回り、その後潜伏場所を探す。
[備考]:キノは18時の第三回放送を聞き逃しました。
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