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第501話:嘘つきは語り手にしておく・b

作:◆5KqBC89beU

 神社にいた三人との交渉をどうにか終えて、あたしたちは来た道を戻っている。
 三人に会う前、木の枝に引っかけておいた上着は、そのまま置いていくことにした。
傘の代わりに使ったせいでずぶ濡れだから、乾くまでは邪魔になるだけだろうと思う。
 辺りは夕闇に覆われ始めていた。雨は止み、霧は晴れたけれど、雲に遮られて月は
見えそうにない。あたしは立ち止まり、デイパックを開けて懐中電灯を取り出した。
「あの三人の話をどう思う?」
 ヒースロゥが、三人から渡されたメモを指さしながら、あたしに訊いてきた。
 刻印解除構成式とやらのことを尋ねたいらしい。
 会話を盗聴しているらしい連中には、「火乃香の知人に関する情報をどう思うか」と
尋ねたように聞こえているはずだった。
 一応「刻印の仕組みについてはさっぱり判らない」と彼には前もって伝えてある。
 それを彼が信じたかどうかは、この場合、あまり関係ない。
 問題は“あの三人に嘘をつかれているかどうか”ということ。
 構成式については理解不能だけれど、腹の探り合いなら、あたしの専門分野だ。
「鵜呑みにするのは論外だけど、深読みしすぎるのも危険なのよね」
 肩をすくめて苦笑する。交渉の席では“まったく疑っていない”という態度を見せて
おいたけれど、当然それは演技だった。
「半信半疑といったところか」
「どっちかというと信じてるわ。だいたい六信四疑くらい」
「根拠は何だ?」
「女の勘、ってことにしときましょうか」
 ヒースロゥの眉間には、しわが寄っている。やはり、まだ少し警戒しているらしい。
 利害が一致している以上、共存共栄できるならお互いに利用しあうべきなんだから、
無駄に警戒されすぎても困る。ま、油断していい理由にはならないけど。
 とにかく、ちょっと解説しておいた方がいいか。
「メモに書いてあることが嘘だっていう証拠はないし、嘘じゃないという証拠もない。
 あいつらは『解る奴には解る』なんて言ってたけど、『誰にも解らない』って結果に
 なったとしても、ちっとも不自然じゃないのよ。今のところ、何も断定はできない。
 でも、デタラメにしては内容が細かいような気もするのよね。ボロを出さないように
 したいなら、もうちょっと情報量を減らしてきそうなものなんだけど」
「だが、そう感じるように仕向けられているのかもしれない」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。考えても答えは出ないわよ」
 半数以上の参加者が既に故人となっている。
 メモの内容を理解できそうな参加者が、もう全員殺されている可能性だってある。
 出会った相手が特殊な能力を使えたとしても、その能力では刻印を解析できないかも
しれない。
 けれど同時に“参加者は誰も刻印の解析ができない”という可能性もある。仲間を
集めるために「刻印の解析ができる」という嘘をつかれた、と考えることもできる。
嘘だとしたら、“本当に刻印を解析できる誰か”が現れたときに立場が悪くなるけど、
「殺し合いをやめさせたかったから仕方なく騙した」とでも主張すれば、交渉次第で
どうにか罪を軽くできるはず。情状酌量の余地は充分すぎるほどある。
 黙考するヒースロゥに対して、気楽そうな表情を作って向けてみせる。
「これがきっかけで優秀な人材が集まれば、とりあえずそれでいいわよ。あの三人、
 手を組む相手としては上々だし」
 あたしは最初から、過度の期待をしていない。
「見たところ、殺し合いを楽しんでいる手合いではなさそうだった……だが……」
 ヒースロゥが顔をしかめ、わずかにうつむく。
 そんな態度の原因には、心当たりがある。
 しばらく逡巡したけれど、今ここで指摘しておくことに決めた。
「さっきの放送が、そんなに気になる?」
 一瞬、彼が視線をこちらに向け、すぐにそらした。やっぱり図星か。
「死者の数が多すぎる。これまでは『乗って』いなかった者たちが、次々に『乗って』
 いるのかもしれない」
 確かに、あの三人は今のところ味方だけど、最後まで味方だという保証はない。
「そうね。でも、死者のうち少なくとも二人は『乗った』参加者だった。あたしたちが
 知らない死者だって、返り討ちにされた殺人者なのかもしれないじゃない」
 判っている。そうだったとしても、ヒースロゥの不安が消えないことくらい。
「そうだったとしても、もう誰も死なないという結論にはならない。これからも誰かが
 きっと殺されていくだろう」
 あたしもそう思う。だからこそ、あたしは彼と行動を共にしている。
 故に、いざというとき彼が躊躇しないように、今ここで思考を誘導させてもらおう。
「生き残ってる殺人者が極悪人ばかりだったら、あんたは何も悩まずに戦えるのにね」
「何が言いたい」
 あたしはいきなり立ち止まる。続いて歩みを止めたヒースロゥの背中に、世間話でも
するかのように語りかける。
「例えば、楽しくも嬉しくもないけれど殺してる殺人者がいるかもしれない。普通の
 人間は誰もがそうなる必然性を秘めている。死にたくないから。生きていたいから。
 元の世界に帰りたいから。24時間ずっと誰も死ななかったときには、全員の刻印が
 発動するのよね。“誰も死ななかった”って放送が三回続いたら、殺したくなくても
 殺そうとする参加者が、たぶん大量に現れる」
「…………」
 ヒースロゥは振り向かない。前を向いたまま、彼は鉄パイプを握る手に力を込めた。
「例えば、この島にいる誰かを守るために、その誰か以外の全員を死なせようとしてる
 殺人者だっているかもね。殺して殺して殺しまくって最後には自殺するつもりで、
 愛に生きて愛に死ぬ気の、それ以外に選択肢を見つけられなかった参加者が」
「…………」
 ヒースロゥは振り向かない。彼が今どんな顔をしているのか、あたしには判らない。
「例えば、絶望のあまり発狂して、ありとあらゆるものをメチャクチャにしたいとか
 考えるようになった殺人者がいてもおかしくない。この『ゲーム』に参加させられた
 せいで、極限まで追い詰められて壊れちゃった参加者が」
 挑発的な口調で、奮起を誘う声音で、あたしは言葉を投げかける。
「そういう連中を殺してでも、悲劇を終わらせる覚悟はある?」
 ヒースロゥは振り向かない。彼は、ただ前だけを見ている。
「どんな理由があろうとも……俺は、『乗った』者を許すつもりはない……!」
 そう言い放ったヒースロゥの声からは、強い意志が感じ取れた。
 あたしは無造作に片手を上げ、彼に向かって腕を伸ばし、目に見えない何かに指先で
触れるような仕草をしてみせ――そのまま何もせずに手を引っ込めた。
「……おい」
 一瞬で振り返ったヒースロゥが、何か言いたげにあたしを見ている。
「やめた。その決意には『鍵をかけて』あげない。迷いは自力で克服してちょうだい」
 飄々とした態度で応答し、ヒースロゥの隣を通過して、あたしは先に進む。
 罪人への憤りを固定したら、むやみに敵を深追いしたがるようになるかもしれない。
決断力が向上した分だけ判断力が劣化してしまっては、あまり意味がない。
 後ろから、苦笑するような吐息が聞こえた。

 あたしたちは市街地へ戻ってきた。もうすぐ海洋遊園地の出入口に到着する。
「!」
 隣を歩いていたヒースロゥが、不意に何かを察知した。
 あたしたちは素速く背中合わせの位置に移動し、小声で必要最低限の会話をする。
「敵?」
「単独行動しているらしい。殺気は感じない。おそらく気づかれていない」
 相手の探査能力は、一般人と同等かそれ以下ね。だからって安心はできないけど。
「そいつを囮にした襲撃者は?」
「いないはずだ。万が一いるとすれば、襲われるまでどうしようも……ん?」
 説明が途切れ、背中越しに怪訝そうなつぶやきが聞こえた。あたしは短く彼に問う。
「何?」
「気配の主が海洋遊園地に向かった」
「潜伏するつもりかしら」
「とりあえず会ってみるか」
「そうね」
 彼の剣技と身のこなしを思い出し、あたしは頷く。
 ヒースロゥがいれば、遭遇者に襲われたとしても対処できるはずだ。勝てなくても、
逃げるくらいは可能だろう。
 あれでも「普段のようには体が動いてくれない」などと本人は言っていた。冗談の
ような話だけど、その言葉のどこにも嘘はないようだった。
 そんなに強かったヒースロゥでさえ、故郷の世界で無敵だったわけじゃないらしい。
 彼の故郷は、普通の生物が平凡に暮らしているだけの場所だとは言い難かった。
 なんだかよく判らないものに人が殺されていく世界を、あたしは簡単に想像できた。
 でも、嫌な世界だとは感じない。
 特別な何かなんて、あってもなくても人は死ぬ。栄養補給ができなくなれば死ぬ。
大量に失血すれば死ぬ。重要な器官を潰されれば死ぬ。呼吸ができなくなれば死ぬ。
滑って転んで頭をぶつけただけでも死ぬときは死ぬ。
 あたしだって、いつどこで死んでもおかしくない。
 これまでもこれからも、いつまでもどこまでも、死の恐怖は身近にある。
 どんな世界で生きたとしても、それは少しも変わらない。
 忍び足で移動しながら、ふと思う。
 この島から生きて出られるとしたら、ひょっとすると、未知の世界へと自由に行ける
ようになるかもしれない。そんな移動手段が手に入ったとしても不思議はない。
 そうなったら、いろんな世界をあちこち旅してみる、っていうのも悪くないかな。

 あたしたちの尾行は、数分で気づかれたようだった。
「わたしに用があるなら、出てきたらどうですの?」
 問題の人物は今、海洋遊園地の真ん中で、懐中電灯を使ってこちらを照らしている。
 遭遇者は、東洋風の装束を着た、銀の瞳と長い髪を持つ少女だった。
 あたしたちの知らない参加者だ。火乃香の知人でもない。
 逃げようとする様子はない。勇敢な性格だからか、絶望しているからか、それとも
『乗った』参加者だからか。
 ヒースロゥが姿を見せると、少女は忌々しげに口元を歪めた。
 ……嫌な予感がする。違和感があるのに、その原因が把握できない。
 あたしは今、物陰に隠れ、ヒースロゥと少女との対峙を覗き見ている。
 弱そうな外見のあたしと真面目そうな言動のヒースロゥが一緒にいれば、無害そうな
印象を相手に与えられるかもしれない。ただし、神社での一戦と同じく、ヒースロゥに
対する足枷としてあたしが利用されてしまうおそれもある。
 とりあえず、あたしは伏兵として待機中だった。神社のときとは違い、今度の相手は
一人きりなので、こういう作戦を選ぶ余裕があった。
 たたずむ少女から距離をとり、鉄パイプを構えて、ヒースロゥが声をかける。
「お前は『乗って』いるのか?」
「殺し合うつもりはない――そう答えれば信じるんですの?」
 会話が成立する程度には理知的な相手らしい。理知的な殺人者かもしれないけど。
「いや、疑う。明らかに『乗った』と判るなら、疑う余地はなくなるわけだからな。
 言っておくが、俺は『乗って』いない。だが、殺人者が相手なら戦う気だ」
「……正直な方ですのね、あなたは」
 ヒースロゥを値踏みするように眺めながら、少女が口を開く。
「こちらからも、一つ訊いていいでしょうか?」
 油断なく相手を見据えたまま、ヒースロゥが応じる。
「答えられる内容なら答えよう」
 ゆるやかに、穏やかに、湿った風が吹き始めていた。
 真剣な口調で、少女は問う。
「あなたには、守るべき相手がいますか?」
 尋ねる声は、どこか悲しげに響いたような気がした。
 ……嫌な予感がする。首筋を悪寒が這い回っている。
 ヒースロゥは堂々と頷き、即答した。
「ああ」
 そして、あたしは見た。
 答えを聞いた少女が、銀の瞳に冷たい光を浮かべる瞬間を。
 懐中電灯が少女の手を離れて落下し、地面に転がる光景を。
 長い髪を風になびかせて、少女が後ろへと跳躍する様子を。
 跳躍しながら少女が文言を紡ぎ、紙片を撒き散らす過程を。
「臨兵闘者以下略! 絶火来々、急々如律令!」
 紙片が激しく燃え上がり、空中に炎の塊が生まれ、数秒で消滅する。
「……!」
 いち早く状況を把握するため、あたしは五感を研ぎ澄ませる。
「お前は――殺人者か!」
 ヒースロゥが叫んでいる。とっさに伏せて、攻撃をやりすごしたようだ。どうやら
無傷らしい。一秒で起き上がり、再び鉄パイプを構えている。
「くっ!」
 少女が片手に紙片を広げる。まるで手品師のような、熟練した挙動だった。
 よく見ると、紙片の正体は、奇妙な文字や紋様が記されたメモ用紙らしい。
 呪符……のようなものなんだろうか?
 呪符がないと攻撃できないように見せかけて、いきなり予備動作なしに炎を放ったり
するかもしれない。余計な思い込みは捨てた方が無難か。
 弱点は“技の制御に難があること”だろうと思う。
 一撃必殺を狙ったにしては、発火が早すぎた。呪符が適切な位置まで届くより先に、
技が暴発したような印象があった。そのせいで攻撃に失敗したらしい。
 敵は遠距離攻撃に向いた能力の使い手で、たぶん能力を制御しきれていない。
 近づくことさえできれば、勝機は充分にある。
 ヒースロゥは怒っていた。すさまじい怒気の余波が、ここまで伝わってきている。
「それは、お前が殺した犠牲者の顔と姿なのか? 正体を現したらどうだ」
 ヒースロゥの問いを聞き、少女は興味深げに目を見開いた。
「この顔自体はわたしの顔ですけれど……何故、この姿がまやかしだと判りました?」
 吐き捨てるようにヒースロゥは言う。
「どこにも血がついていないように見えるが、お前からは血の匂いがする」
「なるほど。風上に陣取ったのは失策でしたわね」
 少女が襟首の辺りから呪符を剥がして捨てると、その姿が紫色の煙に包まれた。
 煙が消えた後に立っていたのは、確かに同一人物だった。けれども、細部がまったく
違っている。銀の双眸は氷のような眼光を放っていたし、装束を染める色彩は致命的な
ほどの失血を連想させた。しかし、彼女自身は怪我をしていない。あれは他者の体から
流れ出た血の跡だ。
「何故『乗った』? あいつらが本当に約束を守るとでも思っているのか?」
 少女の視線とヒースロゥの視線が交錯する。
「ええ……だからこそ、あなたはわたしの敵ですわ」
 二人の声を聞きながら、あたしは飛び出す準備をする。彼女が攻撃を放とうとした
瞬間に視界内へ姿をさらせば、きっと注意を引けるはず。わずかにでも隙ができれば、
後はヒースロゥが何とかしてくれると思う。
「抵抗をやめて投降するというなら、殺しはしない」
 そう言って、ヒースロゥは刻印を指さしてみせた。
「俺たちに協力すれば、一人ではできなかったことが、できるようになるだろう」
 指先が刻印の上を横切る。刻印解除を意味する動作だ。少女はそれを正しく理解した
ようだった。わずかに目を細めて、彼女は嘆息する。
「信用できませんわね」
「交渉決裂か」
「ええ」
 会話しながら、二人はそれぞれ武器を構え直す。まさに一触即発だった。
「ならば、お前をここで討つ」
「あなた一人では、わたしには勝てませんわよ。臨兵闘者――」
 飛び出すなら、今だ。
 ヒースロゥの背後へ現れると同時に、あたしは口の中で適当に言葉をつぶやく。
 ちなみに、あたしの手には今、扇状にトランプが広げられている。
「!」
 少女があたしに気づいて驚く。彼女の視線が、あたしの手元と口元を往復した。
 相手が符術使いだからこそ、このはったりは抜群の効果を発揮した。
 騙せたことを確認し、戦場の外へ向かって、あたしは全力疾走を開始する。
 次の瞬間、炎の燃え盛る音が聞こえてきた。ヒースロゥに対する牽制攻撃だろう。
動揺しているせいなのか、さっきよりも見当違いな位置で呪符が発火したようだった。
 あたしは少女の視界内を真っ直ぐに通過し、また物陰に隠れて様子をうかがう。
 ヒースロゥが一気に間合いを詰め、鉄パイプを振り上げようとしていた。
 水溜まりから飛沫を舞い上げ、水音と共に彼は突進する。
 少女は慌てているらしく、何枚も呪符をこぼしながら、それでも新たな呪符を掴む。
「臨兵闘者以下略! 電光来々、急々如律令!」
 後ろへと跳躍しながら、少女は呪符を投げつける。呪符が雷を生み、光り輝く。
 その直後には、もうヒースロゥの手から鉄パイプが消えていた。
 空中で、投げ捨てられた鉄パイプに電撃が当たり、火花を散らしている。
 一流の戦士は皆、そうすべきだと思った瞬間に躊躇なく武器を手放せる。武器を使う
ことと武器に頼ることは違う。その違いを知らない者は、強者たりえない。
 ヒースロゥは、武器に拘泥しなかった。
「……!」
 でも、勝ったのは少女の方だった。
 ヒースロゥは意識を失い、水溜まりの上に倒れて動かなくなった。
 認めたくはないけど認めるしかない。どうやら、敵の方が一枚上手だったらしい。
 呪文を唱える前に、彼女は地面に呪符を落としていた。投げつけた呪符を囮にして、
彼女は地面の呪符にも雷を発生させた。足元の水溜まりがヒースロゥへ電撃を伝えた。
跳躍していた彼女が着地したときには、既に決着がついていた。
 隙だと思っていたものは、罠だった。
 横たわるヒースロゥのそばに立ち、少女があたしに語りかける。
「あなたの相棒は、まだ生きていますわよ。単に気絶しているだけですから、わたしを
 撃退できれば死なずに済むでしょうね」
 得意げな様子でも喜んでいる様子でもない、淡々とした声音だった。
「あなたはこれからどうしますの? わたしと戦いますか? それとも、彼を見捨てて
 逃げますか? どちらを選んでも構いませんわよ」
 三秒だけ考えて結論を出した。物陰に隠れたまま、あたしは返事をする。
「どっちも選ばない。あたしは取引を提案する」
「あらあら、面白いことを言う人ですわね」
 意外そうな、そして愉快そうな声が返ってきた。上手くいくかもしれない。
 さぁ、ここからが正念場ね。
「こっちが提供できるものは“あたし”で、あんたに提供してほしいものは“彼”よ」
 あたしは彼女に姿を見せる。手には何も持っていない。掌を広げて示し、頭の後ろで
両手を組んでみせる。トランプは今、ポケットの中に入っている。
 すぐに武器を構えることはできないけれど、武器を捨ててはいない。安心はさせず、
警戒もさせず、様子を見たくなるように仕向ける。
 少女は黙って呪符を構えている。「続けなさい」という意思表示だろうと解釈した。
「あたしたち二人をしばらく殺さないでくれるなら、あたしはあんたの捕虜になる」
 緊張も焦燥も胸中に封じ込め、あたしは交渉人の役を演じる。
「抵抗はしないし、情報の出し惜しみもしない」
 勿論、嘘だけどね。できることなら、ギギナみたいに『鍵をかけて』説得したい。
教えても問題なさそうな情報しか伝える気はないし、バレない程度に嘘だってつく。
 無害な弱者を装いながら、あえて余裕たっぷりの口調で、あたしは捕虜の必要性を
説明する。
「この『ゲーム』の終盤には、“ひたすら隠れ続けてる相手を24時間以内に探し出して
 殺さないと刻印が発動する”なんて事態が待ってそうだとは思わない? そんなとき
 捕虜がいれば、捕虜を殺して時間を稼いだ後、隠れてる参加者をゆっくりと探せる」
 少女が無言のまま構えを解く。今も呪符は持ったままだけど、悪くない反応だった。
 親しげに、あたしは彼女に笑顔を見せる。
「いざというときの保険として、確保しておいて損はないんじゃない?」
 少女が口を開いた。
「わたしがその取引を拒んだら、どうしますの?」
 当然、その質問は想定済みだった。あらかじめ答えは用意してある。
「あたしは今すぐ自殺する。あんたの足元にいる男は、あたしよりも頑固で意地っ張り
 だから扱いにくいわよ。情報提供者としての価値は、あたしの方が上でしょうね」
 本当に取引を拒まれたら、はったりを駆使して抵抗するつもりだけど。
 あたしと少女は対話する。お互いに腹を探り合う。
「とりあえず捕虜になって好機を待ちたい、というわけですわね」
「怖くなんかないでしょう? あんたは強いんだから」
「そう言われて調子に乗るほど、わたしは子供じゃありませんわよ」
「それは残念」
 この交渉で窮地を切り抜けられないなら、かなり困ったことになる。
 さて、彼女はどう出るだろうか。
「決めました。彼もあなたも、今は殺さないであげましょう」
 あたしは、用心深く少女の様子をうかがう。
「交渉成立ってこと?」
「いいえ、わたしは逃げますわ」
「……え?」
 予想外の答えだった。一瞬、あたしは呆気にとられた。
「わたしを殺しにいらっしゃい。仲間を集め、知恵をしぼり、死にもの狂いで復讐しに
 おいでなさい。……遊び心を忘れてしまうほど、わたしは大人じゃありませんの」
 少女は、嬉しそうに笑っていた。
「きっと、楽しい殺し合いになりますわね」
 タチの悪い冗談みたいに、そのまま少女は走り去ってしまった。北側の出入口から
海洋遊園地の外へ向かうつもりのようだった。
 追いかけるべきだとは思えなかった。ヒースロゥを放置するわけにもいかなかった。
結局、あたしは彼女の背中を黙って見送った。
 もう灯りはない。地面に転がっていた懐中電灯は、少女が回収していった。
 辺りはすっかり暗くなっている。夜空は雲に隠されていて、月も星も見えない。
「ハードね、まったく――」 
 闇の中へ、あたしの溜息が拡散していった。

【F-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】
『嘘つき姫とその護衛』
【九連内朱巳】
[状態]:健康
[装備]:サバイバルナイフ/鋏/トランプ
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1300ml)/トランプ以外のパーティーゲーム一式
    /缶詰3個/針/糸/刻印解除構成式の書かれたメモ数枚
[思考]:とりあえずヒースロゥを物陰に運ぶ/ヒースロゥが目覚めたら移動を再開する
    /パーティーゲームのはったりネタを考える/いざという時のためにナイフを隠す
    /ゲームからの脱出/メモをエサに他集団から情報を得る
[備考]:パーティーゲーム一式→トランプ・10面ダイス2個・20面ダイス2個・ドンジャラ他。
    もらったメモだけでは刻印解除には程遠い。

【ヒースロゥ・クリストフ】
[状態]:気絶中(身体機能に問題はない)/水溜まりの上に倒れたせいで濡れている
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン5食分・水1500ml)
[思考]:朱巳を守る/マーダーを討つ
[備考]:朱巳の支給品が何なのか知りません。

[チーム方針]:エンブリオ・ED・パイフウ・BBの捜索。右回りに島上部を回って刻印の情報を集める。
[チーム備考]:鉄パイプが近くに転がっています。二人とも上着を脱いでいます。
       二人の上着は、ずぶ濡れの状態で神社の木の枝に放置されました。
【E-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】

【李淑芳】
[状態]:????
[装備]:懐中電灯/呪符(5枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:????/北側の出入口から海洋遊園地の外へ出る/どこかに隠れて呪符を作る
[備考]:第二回放送をまったく聞いておらず、第三回放送を途中から憶えていません。
    『神の叡智』を得ています。服がカイルロッドの血で染まっています。
    夢の中でアマワと会話しましたが、契約者になってはいません。
    『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。

※詳細は【嘘つきは語り手にしておく・a】を参照してください。

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第497話 ヒースロゥ 第502話