作:◆5KqBC89beU
EDが想定していたよりも早く、雨は降ってきた。水滴が徐々に体温を奪い取る。
視界は狭まり、地面は泥濘に覆われた。これでは湖底を探索するどころではない。
EDはB-6の森へ向かった。これ以上、雨に打たれ続ければ、いざというとき満足に
動けなくなる。可能な限り、体力は温存しておくべきだろう。
彼は、森で雨宿りする気だ。隠れ場所としては便利な地形なので、誰かが隠れている
可能性は充分にあった。警戒しながらも、EDは森の様子を観察する。
遠距離からの攻撃はないだろう。木々と雨とに遮られて、狙撃しても命中しにくい。
罠があるかもしれないので、あまり奥へは行かない。魔法を使って罠が仕掛けてある
とすれば、せいぜい近寄らないようにするくらいしか、対応策が存在しない。
手頃な木陰に荷物を下ろし、EDは服を脱ぐ。大雑把に絞り、その服で体を拭いて、
また濡れた服を絞る。気休め程度の対処だが、今はこれで精一杯だった。
しわだらけになった服を改めて着て、仮面の男は溜息をついた。
(汗や埃を洗い流せたのはいいが、下手をすると風邪をひきかねないな)
他の参加者たちも、この雨に濡れているかもしれない。衰弱している者ならば、
体調を崩すことも有り得る。デイパックの中にある解熱鎮痛薬が、交渉材料としての
価値を少し増したわけだが、役に立つときは来るのだろうか。
湖底の探索は中断を余儀なくされた。だが、近くを移動していた参加者が、EDと
同じように森へ雨宿りしに来るかもしれない。こうしている間も、人探しは続行中だ。
(探している誰かか、あるいは“霧間凪”に会えるといいが)
“霧間凪”。名簿に記された、EDが関心をもつ名前。それは、人の名であるという
感覚と共に、とある印象を、見る者に与える言葉でもある。
(“霧間凪”――“霧の中の揺るがぬ大気”。“霧の中のひとつの真実”と、何らかの
縁がある人物なのかもしれない)
“霧の中のひとつの真実”とは、界面干渉学で扱われる研究対象の一つだった。
界面干渉学は、一言で表すなら、異世界から紛れ込んでくる漂流物を研究する学問だ。
異世界の書物の中には、“霧の中のひとつの真実”と書かれた物もあって、それらに
EDは興味を持っている。要するに、EDは界面干渉学の研究者でもあるのだ。
胡散臭くて怪しげな研究分野だが、彼らしいといえば彼らしいのかもしれない。
異世界で造られた銃器も、界面干渉学の研究対象だ。業界用語ではピストルアームと
呼ばれている。研究の過程で、EDはピストルアームの扱い方をいくらか覚えていた。
無論、彼の手元に銃器がない現状では、まったく役に立たない技能だが。
風が森を揺らした。水の匂いに混じって、緑と土の香りが漂う。
木々の枝葉の隙間から、空を見上げて、戦地調停士は思案する。
(この雨が、放送で言っていた『変化』なのか?)
今までに得た情報から、有り得る、と彼は判断した。主催者側は、幾人もの超人や
人外の存在を拘束できるほどの力を持っている。単に天気を予測できるだけなのかも
しれないが、彼らが天候を意のままに操れるという可能性も非常に高い。
(物陰や建物に人が集まる。殺人が誘発されやすくなる反面、仲間探しは楽になるか)
こつこつと音をたてて、EDの指が仮面を叩く。
(僕らは、主催者側の彼らに勝てるのか?)
同盟の最大の利点――それは、呪いの刻印を解除できるかもしれないということ。
未知の異世界から集められた参加者たちなら、EDたちの知らない能力で、刻印を
解除できるかもしれない。おそらく一人では無理だろう。しかし、大勢の人材を集め、
各自が刻印を解析し、情報を相互補完したならば、あるいは上手くいくかもしれない。
だが、この策は希望的観測でしかない。結局は、机上の空論なのかもしれない。
(まず、刻印を解除できなければ、殺し合いを終わらせる手段がなくなってしまう)
首尾良く刻印を解除できたとしても、この島から生きて出られるかは、判らない。
(そして、刻印による即死攻撃を無効化できても、主催者側の力はあまりに強大だ。
どのような力がどれだけあるのか、何ができて何ができないのか、把握できない)
それでも、彼は諦めない。
(成功する保証はない。しかし、他に方法はない)
諦めれば、最後の一人になるまで殺し合わねばならない未来が待っている。
近くを流れる泥水の小川が、わずかに川幅を広げたようだ。
さっき会った奇妙な紳士のことを、EDは脳裏に思い浮かべた。
(彼は今、何をしているだろう?)
ゲルハルト・フォン・バルシュタイン子爵は、人間ではなかった。幸いにも友好的に
会話できたが、彼との交渉は、いろいろと勝手が違っていた。
子爵には、表情も声音も存在しない。仕草は一応あるのだが、どういう意味なのか
厳密に理解するのは難しい。要するに、言葉以外の判断材料が極端に乏しいのだ。
おかげで、本気なのか冗談なのか、よく判らない発言も幾つかあった。
(最初は、どうなることかと思ったが……仲間になれて、本当によかった)
謎だらけの紳士だったが、自分から誰かを殺したがるような性格ではない、と見て
間違いはないだろう。EDと子爵の利害は一致していた。
危険を承知の上で始めた仲間集めだったが、順調だと言っても差し支えない。
(我ながら実に運がいい。まだ殺人者と会わずに済んでいる)
半日で36名が死んでいた。殺し合いに耐えられず自殺した者や、返り討ちにされた
殺人者が含まれていると仮定しても、かなり多い。四分の一以上が死んだことになる。
犠牲者たちが参加者以外に殺された可能性は低い。この『ゲーム』の目的は謎だが、
参加者を参加者に殺させるのが主催者側の望みだ。他の死因は考えにくい。
現在、この島を徘徊している殺人者は、一人や二人ではあるまい。
(『乗った』者たちは予想以上に多い。まったく、先が思いやられる)
殺人者たちを説得し、協力させるためには、刻印を解析できる仲間が必要不可欠だ。
それと並行して、単純で判りやすい抑止力も手に入れておくべきだった。
(相手によっては、和解策は意味を成さないだろう。どうしても戦力が必要になる。
こいつらに挑むくらいなら主催者側に逆らった方がマシだ、というくらいの戦力が)
他にも解決すべきことはある。どうしても避けて通れない問題がある。
(刻印が解除できたとしても、争う理由がなくなるとは限らない)
知人を殺された参加者は、その知人を殺した犯人と、手を組めるものなのだろうか?
一概に言えることではないが……そんなとき、誰もが冷静でいられるわけではない。
(復讐者となった人々は、仇の殺害を最優先するに違いない)
だが、それでは駄目なのだ。ただでさえ厄介な状況が、さらに悪化してしまう。
現状では、人材を選り好みすることができない。敵の敵を、敵に回してはならない。
殺人者や復讐者に、主催者側を狙わせる必要がある。生き残っている参加者全員の力を
合わせても脱出できるか判らないのに、参加者同士で潰し合っている場合ではない。
不安要素は他にもある。それはもう、山のようにある。
(なるべく急いで同盟を結成しなければ、おそらく手遅れになってしまう。けれど、
焦って打つ手を誤れば、自滅してしまう。迅速に、かつ慎重に動かなければ……)
たった12時間で、多くの参加者が死んだ。このままでは、主催者側の思う壺だ。
EDたちが最善を尽くしても、時間が足りない。人手不足はどうしようもなかった。
(まとめて協力者を得ることができれば、なんとかなるだろうか)
他の誰かがEDと同じ目的で同盟を結成していれば、お互いに助け合えるだろう。
だが、接触には細心の注意が要る。同盟同士の抗争にでもなれば、本末転倒だ。
(即席の同盟は脆い。疑念を抱かれれば、あっけなく壊滅してしまうおそれもあるな)
もしも仮に、参加者全員が殺し合いをやめたとしても、また別の問題が発生する。
刻印を解除する方法を発見できないまま、24時間、誰も死ななかった場合は、全員の
刻印が発動させられるのだ。それを回避するためには、誰かを殺さなければならない。
「能なしを死なせろ」「殺人者を犠牲にしろ」――そういった主張は、容易に諍いの
原因となるだろう。刻印の解除が間に合わなければ、同盟は団結力を失う。
心配事は尽きない。けれど、とにかく試してみなければ、どうしようもない。
(……やるだけやって、後は運を天に任せるしかないな)
やらねばならないことは多いが、今、どうにかできることは少ない。
鳴りやまぬ雨音を聞きながら、EDは再び嘆息した。
【B-6/森の端/1日目・15:00頃】
【エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)】
[状態]:やや疲労/全身が湿っている
[装備]:仮面
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/手描きの地下地図/飲み薬セット+α
[思考]:同盟を結成してこのイベントを潰す/このイベントの謎を解く
/ヒースロゥ・藤花・淑芳・鳳月・緑麗・リナを探す
/第三回放送までに地下通路の出入口まで移動し、麗芳・子爵と合流する
/動かずに雨がやむのを待つ/雨宿りより、待ち合わせを優先する
[備考]:「飲み薬セット+α」
「解熱鎮痛薬」「胃薬」「花粉症の薬(抗ヒスタミン薬)」「睡眠薬」
「ビタミン剤(マルチビタミン)」「下剤」「下痢止め」「毒薬(青酸K)」以上8つ
[行動]:雨宿りしながら、森の周囲を調査する
2005/11/30 修正スレ191
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