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第159話:クリティカル・シャドウ(戦いの終端)

作:◆7Xmruv2jXQ

「鬼ごっこは終まいや、嬢ちゃん」
 夜闇を震るわせるその音を聞いて、フリウは逃げ切れないことを知った。
 足を止め、後ろを振り返る。
 水辺を行けば誰かに――願わくばあのミズー・ビアンカに――遭遇するかもしれない。
 そう思い、砂利道を走ったのは完全に失敗だった。
 明らかなオーバーペースともあいまって疲労は深刻な域に達している。
 荒い呼吸を無理やり落ち着けようとしても、肩が上下するのを止められない。
 手足は鉛を巻いたように重たい。軽度だが頭痛も感じる。
 喉の奥が焼けたように熱く、それがフリウをいっそう不安にさせる。
(やっぱり、どっかで曲がればよかったのかな)
 川に固執せず、方向転換するべきだったかもしれない。
 苦々しい後悔が胸中を満たす。
 フリウの片側だけの視界の中、闇をくぐって、ワインレッドの影が進み出る。
 フリウとは対照的に、男――――緋崎正介は疲れた様子もない。
 フリウが右手に、正介が左手に川を置く形で両者は対峙した。
「だいぶ疲れとるようやな。悪いが今から第二ラウンドや。今度は逃がさへんで」
「あたしだって、もう……逃げない」
「さよか。なら、手っ取り早く済まそうや!」
 叫ぶと同時、正介が大きく踏み込む。
 足場の悪さを感じさせない、軽やかな動きだ。
 一瞬でフリウに肉薄し、右手で容赦なく殴りつけてくる。
 一方フリウの反応も迅速だった。
 ハンターに喧嘩は付き物だ。フリウ自身が殴り合いを演じたことこそ少ないが、場慣れはしている。
『絶対に相手から目を逸らすな。そうすりゃあ大抵の動きは見えるんだよ』
 同い年の少年から教わった話を思い出す。
 フリウはくぐるようにして攻撃を交わすと、大きく左に跳びながら念糸を放つ。
 銀の糸が闇を滑った。
 正介は糸をかわそうともせずにまっすぐフリウへと向かう。
 掴みかかろうとするその右手に、念糸が絡みつく。

「あたしの方が、速い!」
 フリウは叫んだ。
 そして見た。
 
 正介の両目が、鮮烈な赤に染まるのを。


「――――!?」
 目の前で弾けた炎にフリウは声なき悲鳴を上げた。
 紅い炎は一瞬だけ闇を払い、同時にフリウの視界を奪う。
 それだけで念糸は無効化された。
 意思の伸ばしてたるフリウが隙を作ってしまった。
 その機を逃さず、正介――――否、始末屋ベリアルが肘を叩きつける。
 いかに特殊能力者であろうとも、フリウの体は14歳の少女のそれだ。
 フリウの頭蓋を衝撃が突き抜け、たまらず体が宙を浮く。 
 わずかな浮遊感の後、硬い地面に激突した。
「悪魔がもうちっとまともに使えるんなら、もっとスマートにやれるんやけど……悪いな、嬢ちゃん。
 ここでは悪魔の力が制限されとるようでな、おかげで鬼火一個だすのが精一杯や」
 フリウは体をまるめ、ひたすら痛みが去るのを待った。
 全身が熱く、骨だけが冷えている。
 頭の中にはいくつも音が反響しているし、視界は夜なのに真っ白だ。
「あ…う」
 水の音も聞こえない。なのに近づいてくる足音だけが鮮明になる。
 一歩。また一歩。一定のリズムで進み……止まった。
 頭を蹴られる。
 突き抜ける衝撃に眼球が揺れた。
 打ち所が悪かったのか、意識が混濁してくる。
 考えがまとまらず、倦怠感だけを確かに感じる。
 何も考えられない。何もしたくない。
 ふいに髪を掴まれ、上を向かされた。
 
 ぼんやりとした視界。

男の後ろに、赤い、こぶしくらいの火の球が浮かんでいる。
 その火に、フリウは惹きつけられた。
 思い出す。
 彼女とは自分の村で初めて会った。
 彼女とは帝都で再会した。
 それだけだ。
 ほんの少しの間、道が交わっただけの他人。
 それなのに、同じ痛みを抱えていた人。
 あの火と同じ色の髪をした人。
 彼女の名前は、


「ミズー・ビアンカ……」
「ん?」
 意識も虚ろな少女が漏らした名前にベリアルは訝しげな表情を浮かべた。
 少女の目は焦点が定まっていない。
 まあ、手加減なしで頭を打たれたのだから無理はないが。
 今ベリアルの手には手ごろな大きさの石が握られている。
 これを2、3度頭に叩きつければ、この少女は絶命するだろう。
 多少後味が悪いのは確かだが、それを割り切れる程度には彼は『悪党』だった。
 ベリアルは石を叩きつけようと持ち上げて……
 少女と、目が合った。
 

 フリウはベリアルの襟を掴むと、思いきり彼の顔を殴りつけた。
 こぶしがひどく痛んだが、まったく気にしなかった。
 意外な反撃にベリアルが思わず仰け反る。
 自分の髪を掴んでいる手を爪で引っかき、腕に噛み付き、ひたすら暴れる。
 念糸は使えない。
 発動までのタイムラグは、今の自分には致命傷だ。

がむしゃらに四肢を動かすと、ベリアルがフリウを解放して距離をとった。
 いつの間にやったのか、端正な顔に大きな引っ掻き傷が出来ている。
 体が燃えるように熱かった。
 さっきまでが嘘のように意識が鮮明だ。
 ミズー・ビアンカ。その名前が、フリウに力をもたしていた。
(あの人に会うまで、あきらめない!)
 フリウはデイバックを下ろし、素早く剣を取り出した。
 鞘に納まった剣を見てベリアルが警戒をあらわにする。
 フリウは剣を鞘から抜いた。
 重い剣をなんとか両手で支える。
 不可視の刀身が夜気に触れる。ベリアルが怪訝な顔をした。刃が見えないのだ。
 フリウは身を捻った。ベリアル目掛けて、両手に抱えた剣をぶん投げる。
「ちいっ!」
 ベリアルは機敏な動作で回避に移った。
 しかし刀身の長さを測りきれなっかったのだろう、ガラスの刃が肩付近を大きく裂く。
 ベリアルは肩の痛みに耐えながら、反撃に転じるために崩れた体勢を立て直す。
 赤い瞳がフリウを射抜く。
 フリウは眼帯を外した。


「通るならばその道」
 開門式を唱える。
 白い眼球に大気が触れる。
 ひんやりとしたその感触こそが滅びの感触だと、フリウは知っていた。
「開くならばその扉。吼えるならばその口」
 体勢を立て直したベリアルが迫る。
 フリウの詠唱に危険を感じたのか、その表情には濃い緊張の影がある。
「作法に記され、望むならば王よ。
 俄にある伝説の一端にその指を、慨然なくその意志を。
 もう鍵は無し」
 ベリアルが火玉を呼び出しフリウへと投げつけた。
 腕に焼けた痛みが奔る。熱い。
 じくじくとした痛みが腕を這い回る。
 しかしフリウはそれを黙殺し、最後の一文を唱えた。

「開門よ、成れ」


現れたのは銀色の巨人だった。
 その体は力に満ちている。
 削られた氷河のように荒々しく、鍛えられた刃物のように美しい。
 音もなく。気配もない。
 それが自然であるかのように、巨人は世界に溶け込んでいる。
「なんや、それ……」
 ベリアルは呆然と呟いた。その存在は、彼が今までみたどんな悪魔よりも強大だった。
 フリウは答えない。
(まずい……とんでもなくまずいで…)
 ベリアルはすぐさま逃走を選んだ。
 ただで見逃してくれるとは思わない。腕の一本や二本は捨てる覚悟だ。
 巨人の左に回りこみ、一気に駆け抜けようとして――――
 銀色の巨人は、彼に一切の時間を与えなかった。
 ベリアルが反応するよりも速く、振り上げられたこぶしが叩きつけられる。
 瞬時に大気が荒れ狂った。
 弾けるように空気が消し飛ぶ。闇が震える。
 刹那の間に暴風が川原を蹂躙。
 衝撃が地面を抉り、水面にぶつかって盛大に飛沫をあげた。
 それだけだ。
 その一動作で、すべてが終わった。
 あとには抉れた地面だけが残り、ベリアルの姿は存在しない。


 わずかな静寂は挟んで。
 フリウは静かに閉門式を唱えて、破壊精霊を封印した。
 左目の世界が閉じる。
 必要なときに呼び出し必要なくなれば封じる。
 精霊使いとして完璧な制御だった。
 封印が終わると、再び頭がぼんやりとしてきた。
 疲労が一気にぶり返してくる。

「なんか……疲れちゃったね」

 体も、心も。
 今だけは何もかも忘れて眠りたい。
 フリウは気を失った。



「やってくれるわ、あのガキ……」
 地面に転がったまま、ベリアルは悪態をついた。
 全身が水に濡れそぼり、長い銀髪も前髪が顔に張り付いている。
 銀の巨人の攻撃は直撃ではなかった。
 近距離で受けたとはいえ、余波に過ぎない衝撃波で右腕を折られ、あばらも数本やられた。
 止血はしたが、血もかなり流した。
 衝撃で川に放り込まれ、どうにか岸に上がれたのは奇跡だった。
「どこまで流されたんか知らんが、生きてるだけ儲けもんか」
 正介は歴戦の悪魔持ちだ。今まで様々な相手と戦い、そのことごとくを討ち滅ぼしてきた。
 その経験から言えば、あの巨人の攻撃を受けて自分が生きてるのは不自然だ。
 本来ならバラバラに四散していてもおかしくはない。
 それだけの力を確かに感じた。ということは……
「あの化け物も、悪魔と同じように制限を受けている?」
 そういうことなのだろう。
 ならば、やり方によっては互角に渡り合えるはずだ。
「もっとも、もう会わんようにするのがベストやろうな。それ以前に、どっかで治療せんと、まずいわ」
 ベリアルは苦痛を堪えて起き上がると、ゆっくりと闇へと消えていった。


【残り95人】
【B−5/川辺/1日目・02:25】

【フリウ・ハリスコー】
[状態]: 気絶。右腕に火傷。
[装備]: 水晶眼(ウルトプライド) 、ガラスの剣はその辺に放置されてます。
[道具]: デイパック(支給品一式)
[思考]: ミズーを探す。殺人は避けたい。


【川のあるエリアのどこか/1日目・02:30】

【緋崎正介】
[状態]:右腕骨折。あばらも少々。血も流してます。
[装備]:探知機(半径50メートル内の参加者を光点で示す)
[道具]:デイパック(支給品一式)
[思考]:ケガの治療をしないと死にそう。

2005/05/05  改行調整、文章一部追加・改変
2005/07/16 修正スレ133

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