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「夜蘭<小狼編4>」


大地を振るわすかのような強大な魔力に驚いた夜蘭が庭園に駆けつけたとき、全ては終わっていた。
その場に足を踏み入れた瞬間、夜蘭は全てを理解した。ここで何が起きたのか、何が起こらなかったのかを。
そこで彼女が見たものは、自失している息子。全身から黒煙を吐き続けている家衛。そして…。
夜蘭は慌てて夫に駆け寄ったが、カッと目を見開いたまま事切れている夫は、もはや彼女に気付いてなどくれなかった。
(…あなた…)
とっさに死者に手向ける言葉など出ようはずもなく、突然逝ってしまった夫の亡骸を抱きしめて、夜蘭の思考は一瞬停止した。
しかし、この場所に向かいつつある多くの人の気を感じて、夜蘭はすぐに自分を妻から李家の当主へと切り替えた。
まず、息子に駆け寄り、身体に異変がないかどうかを確かめると呪文を唱えはじめた。
瞬時に結界がはられ、夜蘭を含めた四人の姿は外界から完全に遮断された。
どうにか他の誰にもこの凄惨な現場を見せなくてすんだこと、そして自分が自制心を失わなかったことを夜蘭は喜んだ。と同時に、こんな時に「喜べる」自分を嫌悪した。
(それでも、やらなくてはならないことがあるのです)
己にそう言い聞かせて、夜蘭はなお、呪文を唱え続けた。
独特の旋律によって、その場は夜蘭に支配され、森羅万象全てが彼女に屈服した。
小狼は、膝から頽れ、そのまま眠りにつかされた。
夜蘭はまだ呪文を唱える。
家衛はーその姿は、不格好に太い蝋燭が火を消されてもなおくすぶり続けているようだ、と夜蘭は思ったーやがて黒煙を吐くのをやめた。
そして、恐怖の色を浮かべたままの両眼がそっと閉じられた。
呪文は続く。
夫の背中から血糊が消え、その表情に安らぎが浮かぶまで、夜蘭は唱え続けた。

「中で何が起こってるんだ?」
「今の恐ろしい魔力はなんだったんだ?」
「当主は何をなさっておいでなのだ?」
外界では集まってきた者たちが口々に言い合っていた。
「なにも見えん!なんだこの結界は!」と誰かが叫んだ時、音もなく結界が消え失せた。
そこにいた人々は小狼を抱きかかえて静かに立つ夜蘭を見た。次に、地面に倒れ伏す二人の男を。
「夜蘭様…」皆を代表して年長の男が性急に問いかけた。
夜蘭は、その男の方に視線のみ向け、すぐに集まっている人々の方へ顔を向けた。唇は強い意志を秘めてかたく結ばれていた。
「夫が死にました。」
一同は息をのみ、一斉に狼狽えた。が、かまわず夜蘭は続ける。
「家衛も死にました」
その言の葉の恐ろしさに、皆がどう反応していいか解らず戸惑う様子が夜蘭にはよく解った。だれもが「なぜ?」と眼差しで話の先を促していることも。
なんのためらいもなく夜蘭は答えた。
「不幸な事故です」
「嘘だ!」即座に声が挙がった。当主の威厳の前に、大きな声ではなかったが、また、一人、二人の声でもなかった。
そこにいる誰もが不信の目でじっと夜蘭の顔を見つめていた。刺すような鋭い視線が集まったが、夜蘭は平静を保ち続けた。
「夫が死に、その衝撃で小狼の魔力が覚醒しました。けれど不幸なことに、息子には魔力を制御する力がなく、偶然側にいた家衛を巻き添えにしてしまったようです。
私は家衛に、そして妹と姪にも詫びなくてはなりません。」

夜蘭の言葉が終わると誰もが沈黙した。夜蘭は偶然を強調したが、皆はその言葉の裏にある隠された真実を正確に読みとった。そして、誰もがこの悲劇に気付かないふりをした。
「そ、それは運のお悪い」
「実にお気の毒なことで…」
「惜しい方々を…」
「それにしても小狼さまはご無事なのでだろうか?」
適当なおためごかしの悔やみの言葉や、評価が一変した小狼へのお追従が囁かれた。

そう、良くも悪くも李家は統制の取れた一族なのだった。
  夜蘭は無言のまま、小狼を抱いて自室へと足を向けた。



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