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「夜蘭<小狼編3>」


夜蘭にとって、そして小狼にとって、また、李一族全ての者にとっての「運命の日」は突然やってきた。

その日は早朝から良い天気に恵まれ、小狼は庭園で父親から初めてのフェンシングの手ほどきを受けていた。
庭園の草木は朝の露をふくんできらきらと輝き、緑も鮮やかで、小狼は上機嫌だった。
フェンシングといっても、たかだか三歳の子供相手なので、練習用の剣を見せての説明から始まった。
それでも、こういうものを見せられると男の子は心が高揚するのか、小狼は大きな目をいっぱいに見開いてわくわくした様子を見せて父を喜ばせた。
(わたしもこうだった。初めて教師から剣を見せられたときは…。あのときはいっぱしの大人になった気がしたものだ)
一時、祖国に思いをはせはしたが、彼はすぐに目の前の息子に意識を集中させた。

「いいかい、小狼。これがフルーレで、こっちがエペ。それから、これがサーブルだよ」
小狼は父の説明を受け、三振りの剣を物珍しそうに、それでいて嬉しそうに見つめた。その瞳は真剣そのものだ。
小狼はそっとエペに手を差しのばした。それが一番「剣」らしいと感じたからだ。
「ああ、ダメだよ、小狼。これはとても綺麗だが、一番重いんだ。まずこのフルーレで慣れようね」
「るるーれ?」
「フルーレだよ」
「ふるれ?」
「ああ、今はそれでいい」
どうして父が笑っているのか小狼はとても不思議だった。けれど、父があんまり楽しそうなので、自分も一緒になって笑いかけた。
楽しそうな小狼の声が細いのどからこぼれそうになったその瞬間、小狼は口を開いたまま全ての言葉を飲み込んだ。
突然、別有洞天を模して造られた岩の洞窟から男が走り出てきたかと思うと、いきなり背後から父に突き当たった。
音もなく崩れた父は全く動かない。
倒れた父の姿ではなく、小狼は急に現れた男をジッと見つめていた。。
男が父の背から離れ、その父の背中から鮮血がほとばしってもそれに気付くことなく、小狼はじっと男を見つめていた。
(かーうぁいおじうえ…?)
それは夜蘭の義弟、家衛だった。

「かーうぁいおじうえ!」久しぶりに会う叔父をみて小狼は明るい声を上げた。
「うるさい!」
「…………?」
いつもは穏やかな叔父の怒声にただならぬ雰囲気を感じた小狼は押し黙った。
少し怖くなって父の方を見やるが、父はピクリとも動かない。
「ちちうえ、どうしたの?どうしておきないの?」
小狼は不思議そうに叔父にたずねた。
「はぁ?」
「おじうえ、ねぇ、どうして?」
(こいつ、魔力だけでなくオツムも弱いのか…?)
真面目に自分の目を見つめて問いかけてくる小狼に家衛は脱力した。
(あの姉上の子が、こんなガキ!)
その戸惑いは悲しみに変わり、すぐに激しい怒りと化した。
「死んだんだよ!お前の親父風に言うと、神様の思し召しってやつさ。李家にふさわしい魔力を持たない子供ばかりが生まれるのはこいつのせいだからな。その報いだ。
お前の姉たちはまだいい、まだそれなりの魔力はあるさ。だが、お前はどうだ、小狼?一度も使えないような魔力しか持っておらんだろうが!
偉大なクロウ・リード以来最高の魔力を誇る姉上に、魔力の弱い子ばかりが産まれるなど!そんなことはあってはならんのだ!」
吐き捨てるように言う叔父を見つめた大きな瞳から涙がこぼれた。死ぬというのがどういうことかは解らなかったが、なにか恐ろしいことだという察しはつき、 小狼は怯えた。
(しんだ?しんだ?ちちうえが?)そんな風に考えながら。
「だが、お前はまだいい。親父があんなだから、いや、だったんだからな。親父に似たのがお前の不幸さ。
だがな、なぜ、おれにまで魔力のない娘が生まれなくちゃならない?お前の叔母さんだって相当の魔力は持ってるんだぞ。夜蘭姉上の妹には相応しい程度にな。
それなのに、なぜおれたちの間には「全く」魔力のない娘が生まれてきたりした?」
(メイリンのこと?)くどくど言い募る叔父の声を聞きながら、小狼はまだ見ぬ従姉妹の名を思い出していた。
(メイリンにも、まりょくっていうのがないんだ。それで、おじうえはおこってらっしゃる。それがちちうえのせいだから、かみさまがちちうえをしなせた?)
「みんなちちうえのせいなの?」小狼は混乱して聞き返した。
「そうだ。みんなお前の親父のせいだ。
魔力のない、イギリス人牧師のせいで李家が窮地に陥っているんだ!
みんな異教の神を信じる奴のせいだ!だからこうして奴に責任をとってもらっただけだ。そら、見ろ!」
小狼には常軌を逸した大声でわめく家衛が何を言っているのかほとんど解らなかった。ただ、その時初めて、叔父の振りかざす刃物が鈍色に光るのを見たーそこに残る父の血をも。
「それじゃ、おじうえがちちうえをしなせたの?かみさまじゃなくて?」
「当然の報いだ!」家衛はヒステリックに笑いながら、小狼の父を何度も何度も足蹴にした。
「こいつは死んだ。もう李家に災いは起きないんだ!」そう叫びつつ、家衛はひたすら死者に冒涜を続けた。そこにはおぞましい憎悪のみがあった。
「やめて!」小狼が悲痛な叫びを上げた。

「馬鹿なガキめ」ーと家衛に嘲る時があったかどうかー小狼が叫ぶと同時に電光が轟音を伴って家衛を直撃した。
小狼の魔力が覚醒した瞬間だった。

こうして、小狼や姉たちは父を、夜蘭は夫を亡くした。
空には一片の雲もない晴天の日に。


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