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tomiyumi webせむかたなきよしなしごと ― 2008年5月前半

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5/1(木)

カート・ヴォネガット(ジュニア)は
本当に素晴らしい。


5/2(金)

金曜ロードショーでカリオストロの城。
単純に、アニメーションが面白すぎるよな。
1979年作品か……うーむ、すごい。


5/3(土)

またも、たくさん歩いた。

先週は東に向かったが、
今日は西へ。

箕面から、宝塚まで歩いた。
ばかか。

ただ、思ったより近かった。
20kmもないんだな。
途中、休憩をはさんで、
5時間くらいで着いた。
着いたらすぐ阪急で帰ってきた。
電車だと30分もかからない。



よく、「こじゃれた店」の店先に、
「店員のメッセージ黒板」があるでしょう。
今日の道中にそういう店があって、
その黒板に、

「友人に薦められて
 きょうの猫村さんという漫画を借りた
 人間以上に人間くさくて
 ゆる〜い面白さがあるなあ」

と書いてあった。
句読点がないので
詩のようになっているが、この内容。
みつを風なシメかたも良い。



今日は30度を超えていたようだ。
ずっと直射日光で、
暑いなあ、とは思っていたが、
30度とは感じなかった。

気がついたら、
だいぶん肌が焼けていた。



高二のとき、高校のイベントで、
51kmを夜間踏破したことがある。

今日は20kmほど歩いたが、
51kmは無理だな、と思った。


5/4(日)

イデオン、TV版も全部見ました。

劇場版接触篇だけではわからなかった
いろんなディテールがわかった。
が、接触篇は、かなりおいしいところを
うまくダイジェストしてたんだな、
というのが、TV版を見終わるとわかる。

ほんと、やりきれない話だ。
でも、素晴らしい。
全部見て良かった。
またもう一度劇場版を見ないと。

あと、一枚目のサントラに入っていない曲に
カッコいいのがたくさんあった。
ほんとに、復刻してくれ。


5/5(月)

隣の部屋に、
ギャルっぽい女の子が引っ越してきたようで、
にわかに騒がしくなった。

昨日は女友達を連れてきていたようで、
話がなんとなく聞こえてきた。

これまで隣に住んでいた人は
静かに暮らしていたんだろう。
こんなに話が聞こえてくることはなかったから。
ぼくは9年も静かな人の隣に住んでいたのか。
吉良吉影は静かに暮らしたい。

こんなに話が聞こえてくることに、
やや愕然とした。
今までぼくの部屋で誰かと話していたことも
隣にかなり筒抜けだったかもしれない。
まあ、別にいいのだが。

で、昨日、
断片的にぼんやりと聞こえてきたその話は、
バイトやら、親やら、トモダチやら、オトコやら、
悪意やら、失意やら、欲やら、
そういういろんなものが
ないまぜになっているような、
とめどない話だった。と思う。たぶん。
おそらく、10歳近く年下だろう、という感じ。

面白い気もしたが、
微妙な気分にもなった。

で、今日は、
おそらくその女友達と、
さらに男友達(?)二人を連れてきていて、
うるささが倍になった。

ドストエフスキーなんて
読んでる気分じゃなくなった。


5/6(火)

カート・ヴォネガット・ジュニア
「チャンピオンたちの朝食」読了。
いくつかヴォネガットの小説を読んだ者にとって
たまらない小説でした。
いやあ、楽しかった。

逆に、これからヴォネガットを読む人には
お薦めしない。
他のをいくつか読んでからの方が絶対に面白い。
キルゴア・トラウトを知ってたほうが楽しいだろう。


こうして、
読んどいてよかった、と思う小説、
いや、小説に限らず、音楽でもなんでもそうなのだが、
そういうものとの出会い、というものがある。

で、よく言われるように、
「これと出会っていなかったことを思うとぞっとする」
という感覚もあるわけだ。

その感覚は、感覚的には非常に正しく、
よいものに出会ったときにいつも感じるのだが、
それを言っても仕方ないよなあ、
とも、いつも思うのである。
これは、偶然と必然とか、
運命論みたいなものとも関わってくるのだが。


5/7(水)

今日のレッドカーペットで、
天津木村が「22時台用のエロ詩吟」を完成させたな。
前回出たときはソフトにしすぎて失敗していたが、
今日のはちょうどいいあんばいだった。
とても良かったのではないでしょうか。

はじめは蛇足に思えていた、
吟じた後の「あると思います」も面白くなってきた。



ゆず「WONDERFUL WORLD」聴きました。
まだあまりしっかりとは聴いてませんが、
パッと聴いての感想。


北川さんの曲は
いつものように多彩ですね。
毎回多彩で、北川さんの曲の感想は
どうも「うまく言えない」です。

「明日天気になぁれ」は
初めて全部通して聴きましたが、
イントロ終わりなどの
ギターのsus4の入れ方とか、
リコーダー(オカリナ?)とかは、
海援隊の「人として」(金八第2シリーズ主題歌)
へのオマージュですよね。たぶん。


で、岩沢さんの曲ですが、
僕はけっこう印象良かったです。
岩沢さんも多彩っちゃあ多彩だよなあ。

歌詞はあんまりちゃんと見てないけど、
「君宛のメロディー」の
「大好きな君に届くといいな」とか、
「らしくない」気もした。

「つぶやき」は久々の転調曲だ。
なんか、「トビラ」に入ってそうな感じ。
岩沢さん特有の、無茶にも思える転調。

Bメロのヘンなコード進行で
耳コピ欲が刺激されたので、
ちょっと耳コピってみた。
2フレットにカポで、
|C#m G#m7|A(9)|C#m G#m7|A(9)|B(9)|
|E Am|C#m G#m7|A|B(9)|
|E Am|C#m G#m7|A|B(9)|
|A B(9)|C#m|Dm9/A G6/A|A|Dm9/A G6/A|A|
|D E|A|D E|F#m|D E|A|D E|C#m|D E|A(9)|
|C#m G#m7|A(9)|C#m G#m7|A(9)|B(9)|
|E Am|C#m G#m7|A|B(9)|
|E Am|C#m G#m7|A|B(9)|
|A B(9)|C#m|FM7 G6|A|FM7 G6|A|
|D E|A|D E|F#m|D E|A|D E|C#m|D E|
|FM7|G6/F|Em|Am|FM7|Em|Bm|E|Esus4 E|
|D E|A|D E|F#m F#mM7/F F#m7/E D#m7(b5)|
|D E|A|D E|C#m|D E|A(9)|
|D(9)|A(9)|D(9)|A(9)|D(9)|A(9)|D(9) Dm|A(9)|

F#メジャーとBメジャー間の転調でした。
よくある下属調への転調だが、
転調前キーのbII度→bIII度を
転調後キーのbVI度→bVII度に引っかける、
というのはなかなか珍しい。

歌詞に「悲しい色の中で」とあるが、
「悲しい色」といえば上田正樹を思い出してしまう。やね。


にしても、ゆずは二人とも、
メロディや言葉の置き方やハーモニーの付け方が
いつまでたってもあまり洗練されてこない気がする。
で、それが良いとこなんですね。
そこが耳に残って、妙な、良い味になっているような。

北川さんは特にいろんな曲を書こうとしているし、
最近はいろんなアレンジャーと仕事をしているが、
曲が紛れもない「ゆずの曲」に聞こえるのは
そのあたりが一因のような。


あと。
「1」くらいから気になっているのが、
岩沢さんのハモりだ。
どうも、外れているように聞こえる。
「モンテ」のハモりは正直ちょっと気持ち悪い。
ちょっと低くないかなあ。
高音のハモりが、昔より辛そうに聞こえる。


とまあ、通して聴いて、
「1」や「リボン」より全体的な第一印象は良かったけど、
ああ、これはめちゃくちゃいいなあ、
と一発で思うような曲もなかった。
……まあ、それは期待が高すぎるか。
でも、「始発列車」とか
「風に吹かれた」とか、
前例があるからなあ。どうしても期待してしまう。

ともかく、もっと聴いてみます。



そういえば、
ちょっと前にaikoの新譜「秘密」も聴いた。
「夢の中のまっすぐな道」とか、
あのあたりからほとんど変化してない。
ここ3〜4年の曲をシャッフルして聴いても
違和感なく聴けるんじゃないだろうか。
いや、へたしたら「夏服」くらいでも違和感ないかも。

これはマンネリではないな、と思った。
安定感というか、ブレなさというか。
それはすごいものだと思う。


5/8(木)

「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」
を再読。
いかん、ヴォネガット熱が。

「プレイヤーピアノ」「スラップスティック」
「ジェイルバード」「タイムクエイク」
「ガラパゴスの箱船」などなど……
まだ読んでないものを読みあさりたい!


5/9(金)


 神よ願わくばわたしに
 変えることのできない物事を
 受けいれる落ち着きと
 変えることのできる物事を
 変える勇気と
 その違いを常に見分ける知恵とを
 さずけたまえ

ビリー・ピルグリムが
変えることのできないもののなかには、
過去と、現在と、
そして未来がある。


「スローターハウス5」より。


5/10(土)

重要そうな文章や、気にとまった文章などに
線を引いていく、という読書法がある。

高校の担任の先生が
そういう読書をする人だった。

二度目の読書では、
一度目の読書で線を引いた部分だけを読んでいき、
その中でも重要な部分に、
色の違う鉛筆で線を引く。
これを三度ほど繰り返すと、
自分にとって大事な文章だけが残る、という。

ひとつのやり方ではあると思う。
だが、これだと、
最初に心にとまらなかった部分は
二度と読まないことになる。

僕は、いかなるものも、
体験するたびに印象が変わると思っているので
(自分が変わっているから)、
このやり方はやるべきじゃない、と思っている。



と思うと同時に、
「やるべきじゃない」
なんて、どうして僕に言えようか、
とも思う。
こういうことを考えるときに、いつも思う。

「べき」というのは、
嘘くさい言葉だ。


5/11(日)

DVD鑑賞と読書で、
あっという間に週末が終わった。

でも、ことごとく、
いいものを見たり読んだりしていると思う。


5/12(月)

頭の中で、
架空の人物と口論することがよくある。
「架空の人物」が、ありがちなテーゼを投げかけてきて、
それに対して猛烈に反論している僕。

「架空の人物」は、
「ものすごく嫌な奴」であることもよくあり、
その、想像上の嫌な発言に対して、
僕はボロカスに言い負かす。
(それが実際にあったら、たぶん言わない。言えない。)


「架空の人物」は、
もうひとりの僕、であることもある。

というか、何かしらの考えを思いつくと、
それに対して反対意見を述べたがる僕が、いつもいる。

だから、ほとんど「僕の主張」は完成しない。
絶対に穴があるから。

たぶん本当は、どんな主張も意見も主義も、
穴はあって当たり前なんだろうけど。
でも、「こう反論されたら言い返せない」
とちょっとでも思うと、
「僕はこう思う」って言えなくなるんだよなあ。
情けなくなる。


「一概には言えない」
なんていう、わかりきったような言葉は、
「逃げ」なのかもしれないなあ。はあ。



そういう頭の中の議論が交わされるのは、
例えばシャワーを浴びているときとか、
自転車をこいでいるときとか、
そういう、情報から遮断された状態であることが多い。

情報を仕入れているそのときには
あまり「考える」ということはない。
情報から遮断されてはじめて、
それを整理する=考えることができるのかも。

曲の種のようなもの(サビの前半だけ、とか)
を作るのも、シャワーや風呂のときが非常に多い。
というか、ほとんどそうかもしれない。

いっぺん、音楽も本もゲーム機も何も持たずに、
ノートと筆記用具だけを持って(楽器もあっていいかも)、
いわゆる一般的な、現代的な意味での「情報」が
あまりない場所へ行って、何日か暮らしてみたい。

あ、作家やミュージシャンが
ホテルとかで「かんづめ」をするのは、
そういうことか。

なんか、どんどん、
今さらな話になってきた気がしてきた。まあいいや。


5/13(火)

ずっと前に「罪と罰」
……ロクヨンのゲームじゃなくて、
ドストエフスキーのアレですけど、
その「罪と罰」の上巻を買って、
半分くらい面白く読んだが、
それからなぜか読まなくなってしまった。
読書熱が急にしぼんでしまったのだ。

先月、何度も書いているように読書期に入ったので、
その上巻を一気に読み終えた。
なぜ途中で読むのをやめられるのか不思議なほど、
次々に読めた。

ちょっと前に、ブックオフの100円コーナーで
下巻を発見して、即買い。
帰って気付いたが、訳者が違っていた。
しかも、昭和58年発行!
文章は読みやすいが、
字が小さくて非常に読みにくい。

でも、今、がんばって読んでいる。
第5章に入ると、俄然盛り上がってきて、
もりもりと読めるようになってきた。

いや、ほんとにすごい小説。
これを読み終わったら
新訳の「カラマーゾフの兄弟」が読みたい。
でもヴォネガットも読みたい。

ちょっとずつ読んできゃいいんだけど、
一刻も早く読んでいきたい、この気持ちは何なのだ。


5/14(水)

レッドカーペット。
バカリズムとナベアツは格が違う感じ。


竹下首相の孫・DAIGOは
最近よくテレビに出るが、
もしナンシー関が生きていたら
格好のネタになっていただろうな。


5/15(木)

「罪と罰」読了。
なんというか……
大きな小説、だった。

ラスコーリニコフが最後のシーンで見た夢は
イデオンを連想してしまった。


ところで、内容には関係ないけど、
ロシア人の名前は語感が良いなあ。
「スヴィドリガイロフ」っていう
いかにも悪そうな名前がお気に入りだ。



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