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tomiyumi webせむかたなきよしなしごと ― 2008年2月後半

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2/16(土)

雪がよう降るね。


2/17(日)

R-1だ。

COWCOW山田よし。
「純」はもはや、生理的に笑ってしまう。

点数をひとりだけ明かす方式はそのままか。
なんちゅうか中途半端な。
ひとネタしかないから、点数を全員公開すると
最後のひとりのネタが終わった時点で
優勝が決まってしまうからだが、
モヤモヤしてしかたない。


世界のナベアツ。
いやー、このネタがこんなに膨らむか。

「10006 - 10003」あたりでは本当に爆笑した。
「10006」という数字の出し方と、
それをわかりやすい「3」に着地させるために
「10003」を出すという小学生的アホっぷり!

ネタの枠組み(ルール)は極めて知的なのに、
その答えの出し方が極めてアホ!
それを完全に計算しているクレバーさ!
もう「バカ知」の極致!


右脳と左脳の両方を活性化させてくれるネタだ。
まさに世界レベル。国境を越える面白さだろう。
理系の人間はみんな爆笑するんじゃないだろうか。

こんなネタをどうやって思いついたのかが
不思議でたまらない。
仮に「3の倍数だけアホになる」を思いついても、
「3のついた数字もアホになる」が普通思いつけないと思う。
そしてそれがこのネタの最大のキモなのだ。
これがあることで、
「じゅーっにっ、じゅーっさんっっ」
の部分が異物になる。
アホになるだけでも面白いのが、
アホが続くとすごく面白いというのがわかるのだ。
それが「にじゅさんっ、にじゅしっっ」で再確認できる。
それに続く、30代への、とんでもないことになる予感。
そして、30代ではその期待以上のものが待っている。

今回の「5の倍数のときに犬っぽくなる」や
「8の倍数のときに気持ちよくなる」などを加えるバージョンもあるが、
基本は3の倍数。
この「3」というのも絶妙。
「2」だと頻繁すぎるし、
「4」だと間が空きすぎる。
「3」の間隔がちょうど気持ちいいんです。

ということで、これだけ色々と考えてしまう
素晴らしいネタだと思います。
これを思いついたというだけで、
500点満点でいいくらいだとすら思ってしまう。
ごめん、言い過ぎた。

でも、こういうふうに
新しい面白さを発見したのってすごい功績だと思うんですよ。
バカリズムの「トツギーノ」もそう。
「こんな面白さがあったのか!」っていう。
なんか、感動するんですよ。
で、感動以上に、とにかく笑えるんですよ。


……R-1の話に戻ろう。

中山功太。
すごく面白いけど、
このネタ、ずっと引っかかりを感じてるんだよな。

たとえば「ゲレンデが溶けるほど恋したい」の対義語として
「海干からびるほど離婚したい」というのがある。
基本的に、厳密に対義語にしてるわけはない訳で、
言葉のニュアンスで笑うネタだというのはわかってるんだけど、
頭のどこかで考えてしまうのです。
「ゲレンデ」と「海」は本当に対になってるか? とか、
両方とも固体→液体→気体の方向への変化だよなあ、とか、
「恋」の対義が「離婚」か? とか、
そういうことをうっすらと考えてしまって、集中できないんですよ。

ちなみに、大輪教授の因数分解のネタも
同じような引っかかりを感じる。
その因数を全部掛けても元に戻らんよな、とか。
いや、その引っかかりが的外れなのはわかってます。

なだぎ武。
2コンとか(これ、審査員の世代はわかるのか?)、
ファミコンのショックで音ループとか、
虎舞竜とか、宋兄弟とか、
「おもしろアイテム」の羅列が基本だけど、
それだけで終わらないのが
なだぎのすごいところだと思った。
動きで笑わせる人は多いけど、
なだぎのは独特だよなー。

ネタが終わったとき「もう終わり?」と思った。
もっと長めにやると
苦しくなるほど笑えるネタになるような気がする。

鳥居みゆき。
あのキャラクターの奥に
頭良くてまともな本性がよく見えるよなー。
妄想紙芝居も妄想人形劇も、
「頭で笑う笑い(意味で笑う笑い)」だよなー。
だから、あのキャラクターとネタが
本当は合ってないんじゃないかと思ったり。

あべこうじ。
良かった。面白かった。
八方のコメント、なんだよそれ!
あべこうじも「そういうネタ……」と言いかけていた。

芋洗坂係長。
「余興」と言った時点でめちゃくちゃ面白く、
BOAの曲はタイトルだけでもう面白かった。
替え歌のところは、
見ているときはそんなに面白さを感じなかったが、
いま「係長の余興」だということを思い返すと面白くなってきた。

土肥ポン太。
さすがに面白い。
去年と同じようなネタをするとは思っていなかったが。


で、結果は。

1位 なだぎ武
2位 芋洗坂係長
3位 世界のナベアツ
4位 中山功太
5位 あべこうじ
6位 鳥居みゆき
7位 土肥ポン太
8位 COWCOW山田よし

へー……そうかー。
僕は、ナベアツが良かったかなー。

なだぎが恐ろしく号泣していたが、
去年も優勝したのに
それでもあんなに泣いてしまうということは、
あれこれ考えると、
そんな心境にさせてしまう
テレビの世界って恐ろしいなーと思った。
ディラン以外が認められてよかったなー。

しかし、本当のピン芸人が優勝できないね。
あべこうじとか、
あれでも優勝できないんだから、厳しいよなー。
でも今さら、コンビ芸人の出場禁止、
なんてことはできないだろうし。


今回は生放送だったが、
生放送っぽくないというか、
緊張感がそんなに伝わってこなかった。

それは、審査員の雰囲気とか、
審査のしかたがけっこう大きな原因のような。
あれじゃ密室審査と一緒だし。
もっと他の審査員と審査方法で見たい。

そして、なんだあの客は。
へんな声援とか、
ポン太がズボンのすそをめくったときに悲鳴上げたり。
そのへんも、入り込めない原因か。
テレビの前と会場との一体感がない。
M-1は、たぶんテレビを見ている多くの人が
テレビの中と同じ空気を感じてる気がする。

放送が終わってからいろんなブログを見たが、
感想にめちゃくちゃばらつきがある。
M-1のときはかなり似たような感想だったと思うが
(上位三組が妥当というのはほぼ全員が感じていたと思う)、
R-1に対しては、好みの差が激しいのか何なのか。
これも、会場の空気が
テレビの前に伝わっていないことの表れのような気がせんでもない。


なんとなく、
楽しみきれなかったR-1でした。
それでも来年を楽しみにしています。
その前に、今年のM-1か。我ながら気が早いなあ。



そのあとはレッドカーペット。
なんとなく、この番組もあまり楽しめなくなってきた。
ビヨンセの人とか、
面白い人はいっぱいいたけど。

「はんにゃ」とか、面白かった。
非関西のコントの若手って
ああいうの多いな、とも思った。
あと、しずるは謹慎中じゃなかったのか。

柳原可奈子、ああいうのもやるのか。
やっぱり友近的なネタになるのね。

そして、バカリズムを見て、
R-1に彼がいなかったのを本当に残念に思った。


2/18(月)

あえて自分のことを棚に上げて言うけど、
「うんちく話が全く面白くない人」っているよね。

訊いてもいないのに始まるうんちく話。
「ああ、またスイッチが入ってしまった……」
という空気がどんよりと流れる。
「ええ、これは知っていて当然の知識なんですけどね」
という雰囲気を醸し出すところがミソ。

同じように、訊いてもいないのに
うんちくを話し出す人の中にも、
その話が面白い人もいるんだよなー。

この「面白くない勝手にうんちく話」は
自分でもやってるかもしれないので、
戒めのために書いておく。

あ、こういう自分のサイトは、
「見たい人だけ見てください」
という場所なので、
なんの遠慮もなく書いていきますが。



HD-DVDは、
名前が悪かったような気もする。


2/19(火)

「コヤ奉行」という
小藪とゲストが一対一でディベートする番組が。

岡田斗司夫はやっぱりすごいな。
この人に勝てる人はなかなかいないだろうな。
どんだけ頭の中がすっきりしてるんだろう。


2/20(水)

卒論発表。
今年はなかなか大変だった。
ここまで完成がギリギリになったのは初めてか。
まあともかくお疲れさん、だ。

明後日は修論発表&打ち上げ、
土曜は友達の結婚式、
日曜は友達と飲み&後輩家でゲーム三昧と、
この時期らしくあれこれあるのは楽しいが、
それはすなわち「別れの季節」でもあるので、
なかなか寂しくもある。


2/21(木)

富弓メモは不定期にバージョンアップ(?)し、
サブタイトルを変化させている。
サブタイトルは、まあまあわかりやすいものから、
全く意味はない言葉のコラージュでなんとなく面白がるものまで
いろいろと勢いのみで付けているものだ。

去年の9月末から年末までは、
「考えオチの波状攻撃」というサブタイトルだった。
これも特に意味はない語感だけのものだったのだが、
この前の世界のナベアツのネタの、
「答えが3の倍数のとき……」の部分は、
まさに「考えオチの波状攻撃」だったなあ。
……「オチ」ではないか。


2/22(金)

修論発表と打ち上げパーティー。
研究室の後輩が活躍できたので良かった。

これが終わったことで、
意識的には、季節が切り替わったような感を受ける。


2/23(土)

高校・大学時代の友人Y君の結婚式へ。

控え室では、新郎新婦二人の歴史を収めたアルバムを見る事ができた。
そのアルバムの作りの緻密さと、
想い出のさらけ出しっぷりに驚いた。
みんなで盛り上がりつつ、時に笑いつつ見ていたが、
あまりに素朴な喜びのひとつひとつを
ひしひしと感じて、心の中では泣きそうになった。

Y君は5年も前から彼女と付き合っていたわけだが、
ぼくはその事実を、結婚式に招待されるまでまったく知らなかったのである。
Y君の恋愛関係についての顔を見るのはなんだか新鮮だった。
いい彼女と出会って、楽しい恋愛をして、
こうしてめでたく夫婦となったことに、感激があった。

とにかく、おめでとうございます。



結婚式に呼ばれていたメンバーには、
何人かの友人がいた。

そこで、例の自作CDについて少し話をすることができた。
お褒めをいただいた。
さらに、ちょっとずつ広めてもらってたりした。

もうひとり、大学のときの友人は、ぼくの名前を検索したときに、
曲を登録しているNEXTMUSICのページに辿り着いて、
ぼくがこういうことをしているのを知ってくれたという。

んで、「素人にしてはすごい」と言われた。
いろんな意味に受け取れるので、
すべての意味で受け取ります。

あと、「よくあんなクサい詞を書けるなあ」とも。
これは、ほんとにそうだ。ぼくもそう思う。
そういう意見を聞けたのはよかった。
そして、これがネガティブなニュアンスではないことをわかっていながら、
微妙に落ち込みもした自分が笑える。

他にもいろんな感想を言ってくれた。
これは本当にありがたいことだ。

伝える力が足りていないことを、
他者の視点からも確認できてよかった。
やる気出たです。


2/24(日)

なんというか。
僕は、真剣であるようで真剣でない奴だ。
真面目なようで真面目でない奴だ。
それを忘れないようにしなければならない。


2/25(月)

・ 他人に対する、批判的な感情。
 世の中はそれで溢れている。

・ 頻発する言葉が、
 「許せない」
 という言葉だ。
 僕の小さい頃、
 「許せない」という言葉をこんなに聞いただろうか。

・ 本当に許せないこととは何か。

・ 「許す」とは何か。

・ 辞書的には
 「過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。」
 が「許す」の意味。

・ 「許す」は、その語の中に
 否定をともなっている。
 つまり、その否定である
 「許さない」という概念が先に存在していることになる。

・ あ、「許せない」の否定は「許せる」になるのか。

・ 「許さない」と「許せない」、
 あるいは「許す」と「許せる」のニュアンスの違いは何か。

・ 「許さない」は対象を直接前にして放つ言葉で、
 「許せない」はそれを放つ対象との間に距離があるニュアンスか。

・ ……これだけでは2つの違いを
 すべて言い表せていない気がする。

・ 「許さない」は行動を伴っていて、
 「許せない」は行動を伴っていない。

・ これ、ちょっとしっくりくる気がする。

・ 「気がする」というのは僕の口癖だな。
 僕は思考が曖昧だ。
 「とことん」論理を積み重ねるのが苦手だ。
 「人間の思考なんて曖昧なもんだ」
 といった、わかったような諦念で正当化しているんだと思う。

・ 話が全く変わってしまった。


ひとつのことを考えようとすると、
こうやってどんどん話が変わっていってしまう。
ちっとも考えがまとまらない。



「王様はロバ」で、
「日本ちょっと沈没」というネタがあった。

「局地的地盤沈下で日本がちょっと沈没する」
という設定だったと思う。

あのネタ、そういう舞台設定のもとでの
「混乱」を描くんじゃなくて、
「日常」を描いてたのが素晴らしいな、
と、ふと思った。

まあ、ギャグマンガだから、というのもあるが。



「〜という○○の下で」という言い回しがある。
たとえば、○○には「仮定」とかが入る。
上の文章にも出てきたが、「設定」とかも。

で、この言い回し、
「〜という○○の上で」と言っても同じ意味だ。

なんか面白いなあ。


2/26(火)

「KY」という言葉が
流行っているというか、
すっかり浸透した感がある。

言うまでもなく「空気読めない」の略だ。
「空気読めない」という言葉の裏には、
「空気が読める」という概念がある。

当初、「空気が読める」という言葉は、
「雰囲気が察せる」という意味だったと思う。

しかし、「雰囲気が察せる」というと
なんだかいい意味に感じられるのに対し、
今は、「空気が読める」というと、場合によっては
少し「狡猾さ」のニュアンスを含むこともあると思う。
「あいつは空気を読むのが上手い」みたいな。

逆に、「空気読めない」すなわち「KY」も、
適用範囲がどんどん広くなっている。
いわゆる「すべった」感じのときにも使われたりしそう。

「イジメ用」の言葉にもってこいのような臭いもする。

KYあるいは空気が読める読めないという言葉を
適切に使える人が空気が読める人だな。


2/27(水)

かなり久しぶりにCDをレンタル。
スピッツ「さざなみCD」と、
ゆず「春風」「ストーリー」。

スピッツは、「スーベニア」以降の
ガシャガシャした音が苦手で、
個人的には、昔ほどの感動を覚えない。

まあ、そんなことを言うのが
申し訳ないほど良いのは良いのだが。
二回目聴いたら一回目より遙かに良かった。

ゆず「春風」は、
もう一年も前に出たシングルだ。
この曲はゆずの路上時代の曲だ。
オールナイトニッポンで歌っていたので、
もう9年前からよく知っていた曲だ。

葉加瀬太郎のヴァイオリンも加わり、
とてもシングルっぽく仕上がっている。
だが、路上時代の、ギターのみのバージョンを
初めて聞いたときの感動にはほど遠かった。
ただ、キーがAbのままだったのは本当によかった。
温もりのあるAbの響きがこの曲にはピッタリだ。

カップリングの「スナフキン」はとても良かった。
北川悠仁のこういう曲は唯一無二で素晴らしいと思う。

そして「ストーリー」。
ラクティスのCMで好感触だったが、
全部通して聴いても良い曲だった。
Aメロ〜Bメロは北川悠仁らしさがありつつ
オシャレさが加味されていて、
サビはやっぱり岩沢厚治っぽさを感じる。
岩沢厚治の歌声がピッタリだ。
歌詞はとても北川悠仁的だ。

「Your on story」「My on story」
というのは、いいのだろうか。
on は own の間違いではないのだろうか。
まあ、こんなのは別にどうでもいい。

「ウェイトレスとお客さん」
は、ゆずらしく、恐ろしく短い曲。
こういう曲も岩沢さんが書きそうだが、
これも北川曲。

「朝もや」は岩沢曲。
裏富弓掲示板で
無名さんが話題に出してくれた曲だ(この曲ですよね?)。

これは完全なる岩沢曲。
率直に言うと、目新しさは感じられなかった
(それを悪いと言っているのではない)。
僕は、岩沢さんが転調とか変拍子とか
変な曲ばかり書いていた頃の興奮を忘れられないので、
どこかでそういう曲を求めてしまっているのだ。

とは言っても、そういう曲ばかり書くわけないし、
そういう曲だけを望んでいるわけでも当然ない。
やはり良い曲です。
歌詞なんて、どうやって文句をつけられよう。

ということで、無名さん、
この日記で返事に代えさせていただきます。



いろいろ書いてたら、
これまで僕が聴いてきた曲の思い出を
いろいろ書きたくなってきた。

日記のネタにも困ることが多いので
(別に義務でも何でもないが……)、
今日からちょっとずつ、
今まで聴いてきた音楽について、
思い出や好きな曲を書いていこうかと思う。
ここを読んでくれるような人は、
「お前の思い出なんか知るか」
なんて言わずに読んでくれそうだし。

人の書いた感想やら批評やらって
けっこう楽しく読んでしまうからなあ。
僕の文章が読んで楽しくなるかどうかはわかりませんが、
良ければ読んでください。


2/28(木)

僕が「ものすごく聴いてきた」音楽は、
ゲーム音楽ではドラクエ、
それに次いでマリオとFFだ。
邦楽ではミスチル、グレイプバイン、
ゆず、スピッツだ。
洋楽ではビートルズだ。

まあ、非常にメジャーなところを聴いてきた。
グレイプバインはそこまでメジャーでもないが。
あまり幅広く聴いてきたとは言い難い。
上に挙げたアーティストの他には
主に「有名どころ」の「代表的なアルバム」が多い。
洋楽に関しては、「ほとんど聴いてない」
と言っても言い過ぎではない。
こちらも、ビートルズ以外は
「有名どころ」の「有名なアルバム」に限られる。



僕は幼稚園からエレクトーンをやっていたので、
「歌のついていない音楽」
に最初はなじみが深かった。

で、ファミコンが好きになり、
ドラクエとマリオにハマったので、
それらの曲を聴くようになったのは必然だった。
ラジカセで録音したり、サントラを買ったりして、
ゲーム内以外でも聴くようになった。
この頃は、「PSG音源の音」か
「オーケストラの音」しか聴いていなかったことになる。

小学校高学年になると、
「歌のついた音楽」を周りが聞き出す。
1992年あたり、
「君がいるだけで」とか
「ラブストーリーは突然に」などが流行っていた頃だ。

全然興味がなかったが、
聞かないと取り残される空気を感じたので、
姉に当時のいろんな歌をダビングしてもらった。
それなりに聞いたが、
「がんばって聞いていた」ような感じがあり、
熱中することはなかった。
それは、中一の終わり頃まで続く。

そして、中二の頃は、
とうとうほとんど「歌のついた音楽」を聞かなくなった。
あまり音楽自体を聞いていなかったような気がする。
音楽よりも、ゲームにハマっていた。
FFにハマっていた頃で、
FFの音楽をけっこう聴いていたと思う。

恐らくこのあたりになると、
「マイナーな」音楽を探し出したり、
洋楽にどっぷりハマる子が出てくる頃だが、
まったく違う世界にいた。

中三になると、
なぜかヒットチャートの音楽を聴き出すようになった。
小室哲哉が最高潮に売れていて、
僕もそれなりに喜んで聴いていた。
1995年。ミリオンセラーが年に何十曲もあったすごい時代だ。

それらの流行りの音楽の中でも、
ミスチルの音楽は面白いなと思った。
言葉遊びや複雑な曲構成、
聞いた事のないメロディが良かったのだ。
友達にテープを借りたりCDを買ったりした。
そして、どっぷりとハマっていった。
「名もなき詩」あたりが決定打だった。

高二までは、ほぼミスチルばかり聴いていた。
CDもすべて集めて歌詞を全て覚えるほど聴いた。
「歌のない音楽」をあまり聴かなくなった。
高一の12月にDQ3のリメイクが出たときはCDを買ったが。

カラオケで上手く歌いたかったので、
細部まで丁寧に聞き込んで部屋で歌を練習した
(そういうことができる田舎でよかった)。
基本的な歌の技術(ビブラートとか)は
そのときにある程度身に付いた。
「自分流に歌うタイプ」ではなく、
「完全にコピーしたいタイプ」だったのが幸いした。
おかげで、基礎がおろそかにならなかったと思う。

「ボレロ」で活動休止したときは、本気で落胆した。

高二の終わり頃から、
スピッツをよく聴くようになった。
「空の飛び方」「ハチミツ」を皮切りに、
インディーズ時代以外のすべてのアルバムを集めた。
そして聴きに聴きまくった。

この頃は、姉がヒットチャートの音楽をよく聴いていたので、
ダビングしてもらってめぼしいところは聴いていた。
また、FMの番組もたまに聴いていたので、
なんとなくいろんな邦楽を聴くことができた。
この頃ものすごく流行っていたのが
小室系ではglobeや安室奈美恵や華原朋美。
他に、GLAYやB'zのベストがものすごく売れたり、
SPEEDなども非常に売れていた。

それらの曲をたまに聴きつつも、
反発感も覚えていた。
高校生的な、「商業音楽への反感」みたいな恥ずかしいアレだ。
ミスチルやスピッツも売れていたのに、
「これは他の売れている音楽とは違う、本物の音楽だ」
的な思想を持っていたと思う。
恥ずかしくてたまらない。

また、高二の秋に音楽の授業でギターをやったのがきっかけで
ギターにどっぷりハマった。
ミスチルの全曲集を買って弾きたおした。
コードというものがよくわかった。

高三の夏、ゆずが急速に流行り出した。
ギターがある程度弾けるようになった僕にとって、
最高のコピー対象だった。
たぶん、全国的に同様のアコギ少年がいたのだろう。

ゆずのCDも全て集めて
とにかく聴いて弾いた。
全ての曲を耳コピし、
友人と音楽室で歌った。
自作曲も作り出した。

この頃ものすごい勢いだったのが
ラルクアンシエルだ。
他にも、T.M.Revolutionや
Kiroroやhide with Spread Beaverや
Every Little Thingやthe brilliant greenや
モーニング娘。などが出てきて、勢いがあった。

高三の終わり頃になると、
バンドが静かに流行りだした。
グレイプバイン、トライセラトップス、くるり、
という三組がその先頭だった。
グレイプバインとトライセラトップスをよく聴くようになった。
特にグレイプバインは新鮮だった。
歌詞も面白かったし、
音も、黒くてそれでいて切なさがあって、好きになった。

あと、この頃大好きだったのが
My Little Loverの「NEW ADVENTURE」というアルバムだ。
その前の2つのアルバムもよく聴いたが、
これは特によく聴いた。「スターダスト」が大好きだ。


……と、ここまでが高校までの僕の音楽の歴史だ。
好きなアーティストの曲をとにかく全て聴きたいと思った。
同じアルバムをとにかく何度も、ものすごい回数聴いた。

そして、とにかく、洋楽が出てこない。
高校生にもなると、
周りはかなりマニアックなところまで行っていたが、
僕はなかなか興味を持てなかった。
なんとなく、めんどくさかったのだ。
「良いはず」なのはわかるのだが、
良さをわかるまでの時間が鬱陶しかったのだ。

あと、もともとエレクトーンをやっていたこともあって、
音楽を「音として」というよりも
「音符の流れとして」捉えがちだったと思う。
ギターを練習して、曲をコードの流れだと意識したことも大きい。
だから、鳴っている音が何の楽器かとか、
特定の楽器への思い入れとか、
どういうエフェクトがかかっているかとか、
そういう意識がほとんどなかった。
つまり、「音」そのものよりも、
「曲(メロディ・ハーモニー・リズム+歌詞)」を聴いていた。
それは今もあまり変わっていないが、
この頃よりは「音」そのものを意識するようになった。
自分でアレンジとかミックスとかをするようになったからだろう。

で、洋楽を聴かなかったのも
このあたりが原因のような気がする。



ということで、大学以降は次回。
何書いてるんだろう、と途中から思い始めた。
いくらでも書ける気がする。
こんなの読んでも楽しくはないな、と思いつつも、
まあここまで書いたら残りも書こう。
「思い出」だからな。

ざっと歴史を書いた後は、
よく聴いたアーティストについて
個別にもっと詳しく書くつもり。


2/29(金)

で、大学に入った後は
音楽を始めたこともあり、
もっといろんな音楽を聴かにゃならん、
と思ったので、
いろいろと洋邦問わず有名どころをレンタルした。

だが、これも所詮は
「がんばって聴いていた」に過ぎない。
そういう聴き方をしても面白くない。
もともといろんな音楽に興味があるわけではなかったのだ。
義務的に聴いたところで身には付かなかった。
後に好きになるビートルズも
その時は大して良さがわからなかった。
大学一年の冬に借りた
レディオヘッドの「OKコンピューター」はけっこう聴いた。
学校が面白くなく厭世的に(笑)なっていたので、
ダウナーな気分にピッタリだった。

世間ではGLAYやドラゴンアッシュや椎名林檎などの人気がすごかった。
「姉からのダビング」がなくなったので、
ヒットチャートの音楽を聴かなくなった。

この頃はけっこうな勢いで曲を量産していた。
いかにエレガントなコード進行を編み出すかとか、
凝った曲の構成を考えたりとか、
アコギのみでもしっかりベースラインを意識するとか、
いかにテンションを付けるかとか、
言葉のメロディへの置き方とか、
そういう方向にどんどん意識が向かっていた。
だから、「音」よりも「曲」を聴く傾向は変わらなかった。
むしろ、その傾向がより深化していった。
この癖は今も変わらないが、
これが耳コピの精度を上げていったのだと思う。

大学二年もそんな感じだった。
邦楽ではaikoがすごいと思った。のでよく聴いた。
この頃は浜崎あゆみがものすごく売れていた。
「ディーバ」という言葉が流行っていた。
それに関して「けっ」と思っていたのが
今となっては恥ずかしい思い出だ。

洋楽ではビートルズの良さがわかり始めた。
「アビーロード」「リボルバー」「マジカルミステリーツアー」
などを聴き込んだ。

大学三年の途中で、音楽をやめた。

この頃から、なかなか抜けなかった
上記の「けっ」な部分が、
みるみる抜けていった。よかったと思う。
そして、いろんな音楽を
自然に聴けるようになっていった。
音楽を聴く意識に余計なバイアスがかからなくなっていった。

パソコンを購入した後は
iTunesに手持ちのCDやMDやテープから
すべての曲をエンコードした。
これは、整理することに快感を覚える僕にとって
素晴らしく面白いことだった。
全ての曲をシャッフルするのがたまらなく面白かった。
忘れていた曲にふいに出会えるのが嬉しかった。

それからは、
またいろんなCDを聴き出した。
長く聴かれ続けている音楽は、
軒並み面白かった。
前述のように義務のごとく聴いていた音楽も
聞き直すと非常に良かった。

そういう有名な洋楽なんかはもちろん、
邦楽にも面白い音楽はたくさんあった。
ゲントウキなどは特に好きになった。
それと、KANがとても素晴らしいのがわかった。
槇原敬之も素晴らしい。

他にも、日本の昔の歌を聴いたり
(「青春歌年鑑」とかだが)、
クラシックを聴いたり、
ロックを聴いたりポップスを聴いたり
プログレを聴いたり。
(と書くとものすごくたくさん聴いているようだが、
 特にそんなわけではない。)
どんなジャンルも面白いことがわかってきた。
「音」そのものに興味を覚えたこともある。

でも、そんな中ではっきりしてきたのが、
自分の音楽の好みである。
いくら音そのものを楽しめるようになってきたとはいえ、
基本は曲(作曲、編曲のうちの作曲のぶぶん)
に重きを置いているのは変わらない。
なんだかんだで、メロディとハーモニー重視だ。
ハーモニーといっても「ハモリ」だけを指すのではなく、
コードやその進行のことである。
そして、センチメンタルなものが好きなのは確実で、
そういう部分を基礎に持っているアーティストが好きだ。

それは、子供の頃に
そういうものを聞いていたからかもしれない。
午後三時に有線放送から流れてくる気怠い曲とか、
流行っていた歌謡曲とか、
そういうものが刷り込まれているのだろう。
あとは、もういい加減書くのがくどくなるが、
すぎやまこういちの曲のセンチメンタリズムだろう。
これは、絶対に一生抜けることはない。

同時に、高校から20歳前後に
聴いていた曲の影響も、一生抜けないだろう。
邦楽ではミスチル、グレイプバイン、
ゆず、スピッツ。
洋楽ではビートルズ。
このあたりは、僕の中では永遠だろう。

昔は、こういうことを
言ったり書いたりするのが恥ずかしかった。
それは、コアな音楽やマイナーな音楽、
「玄人の認める洋楽」みたいなものを
聴いてそれに影響を受けるのがカッコいい、本物だ、
みたいな、どうでもいい妙な見栄みたいな感覚を
消すことができなかったからだ。

いわゆる「音楽好きな子」の話や、
ミュージシャンのインタビューやプロフィールなんかを見ると、
「好きな音楽」「影響を受けたミュージシャン」に
全然知らないようなミュージシャンを挙げていたりするあの感じ。
ミスチルなんて言ったら恥ずかしいみたいな、
そういう感じ、あるでしょう。
その感じに侵されていたのだと思う。
この歳になって、ようやくそれが全部抜けたようだ。


ざっと僕の音楽歴や音楽観はこんなものか。
長々と書いて、けっこう満足してしまった。
アーティスト個別に詳しく書くと予告したが、
どうするかわからない。
まあ、気分次第で。



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