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tomiyumi webせむかたなきよしなしごと ― 2006年9月後半

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2006年9月後半

 
 
 
 
 
 
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9/16(土)

大玉をクリア。
最終面のボーナスステージが最高です。
とことんユニークなゲームだ。
何度も最初からやりたくなりますな。
たぶん、二度目はかなりスムーズに進めることだろう。



ゲントウキ「感情のタマゴ」を中古で購入。
まさか売ってるとは。
買ってから思ったが、
新品を買って売り上げに貢献したほうが良かったかな。



来週のやりすぎコージー(関西地方)の予告では、
某番組の裏側を東野が暴露? ということで、
「これオンエアできへんわ」と言いながら
いろいろ喋っているのをちょこっと映していた。
内容から察するに、たぶん、
スピリチュアルな、オーラな、泉な感じのあの番組っぽい。
……期待してるぞ、東野!(笑)


9/17(日)

後輩が、バイト先の先輩に、
承諾なく勝手に旅行の申し込みをされていたそうだ。
「もう申し込んどいたから。お前来れるやろ?」
というノリらしい。
考えられない世界だ。
そういう人とは付き合いたくねえなあ。


9/18(月)

「バトルオワライアル」のDVDを見る。
見る側も想像力をフルに働かせないといけないので、
すごく疲れた。
でも、笑いに次ぐ笑い。面白すぎた。

映画ドラえもん「のび太の宇宙開拓史」も見た。
(どんな組み合わせだ。)
なんと、のび太対ギラーミンの対決がない!!
しかも、ギラーミンの存在に全く意味がない!!
すごいアレンジだ、これは。



夜、「サプリ」最終回をちらっと見る。
すげえ。何もかも。
「出来の悪いベタドラマ」だ。
今日の最終回を見ただけで、
これまでにどんな展開があったのかだいたい察せる。

そして、伊藤美咲の演技に爆笑。
これはすごい。いいのかこれで。
またドラマのヒロインやって笑わせてほしい。


9/19(火)

たとえば、
「大阪人は嫌いだ。
 ひったくり、違法駐車、列の割り込み、
 大阪人にとってはこれが常識なのだ。」
と書く。

しかしこれは、
一部の馬鹿のために全体をけなしているのである。
「木を見て森を見ず」ではなく
「木を見て森とみなす」である。
あくまで統計的な、傾向の話なのに、
それをデジタルに解釈しているのだ。
こうしたほうが、言いたいことがわかりやすくなる。
(だから血液型占いなどがウケる。)

ものを書くときには、そうやって世の中を単純化してしまいがちだ。
これは文章を面白くするコツでもあろうが、
「一部の馬鹿のために馬鹿の一員扱いされてしまう非馬鹿」はあわれだ。
「傾向」について話しているときは、
「○○だ」と言い切らずに
「○○である傾向がある」とちゃんと言うべきではないか。



ああ、ゲントウキが良い。
曲もいいし音もいいし歌もいいし演奏もいいし歌詞もいい。

「そうさ
 君がいるから僕は笑う
 長い夜だから眩しい朝
 全ては猫のあくびひとつと無関係じゃない
 そして
 新しく描かれる記憶
 描かれたら色褪せる記憶
 不思議なことばかりだろう」

なんてすばらしい歌詞だろうか。

でも、全然知名度がない。売れてない。
ほとんどの人が「誰それ?」だろう。
知っててもスピッツのトリビュートアルバムの「青い車」くらいか。
もっと売れてもいいのになあ。


9/20(水)

「統計でウソをつく法」(ダレル・ハフ / 著 高木秀玄 / 訳)
という本を読んだ。
すごく古い本だが、現代にも通用する。
ナントカ大事典とか、ああいうのを信じてしまう人に読んでほしい。

あと、「脳とコンピュータはどう違うか」(茂木健一郎・田谷文彦 / 著)
という本も読んでいる。
クオリアというのは、わかるようでわからない。
「感覚的クオリア」「志向的クオリア」の話が面白かった。
でも、結局今のところはほとんど明らかになってないのだなあと。
まだまだこれからだ。

それはそれとして、
コンピュータを脳に近づける必要はあるんだろうか。
そういう研究は、もう止まらないと思うけど。



マザー3の二周目はいま第4章であり、面白い盛りだ。
以前いろいろ書いたが、やっぱりすげー面白い。
で、これをどんどんやりたいのだが、
最近安部公房「箱船さくら丸」を読み直してもいて、
これもまたすげー面白く、どんどん読みたいのだ。

さらに、大玉ももっとやりたいし、
ピクミンもあとパーツ3つで止まってるし(残り12日くらい)、
巨人のドシンもまだ6代目くらいだし、
ドラクエ8を初めからやり直したい気にもなってきてるし、
やりたいことだらけだ。って、ほとんどゲームだな。

しかし、そういうことに使える時間は
一日にせいぜい3時間くらいか。
ビデオに録っておいたテレビを見ながら
ネットしたりしてたら1時間くらいすぐ経つし、
なかなかやりたいことが進まない。


9/21(木)

こういう個人サイトで、
モノにツッコミを入れるネタを披露するというのはよくある。
要するに、VOWみたいなもので、うちもよくやる。

この、ツッコまれる「モノ」には、
人がつくったモノとそうでないモノがある。

この、「人がつくったモノ」には、
真面目につくったのだがおかしくなってしまっているモノと、
意図的にツッコませようとしている「ボケているモノ」がある。

前者は、みうらじゅんの「いやげもの」みたいなものだが、
後者をいかにも「俺が、俺の視点で発見した!」という感じで
「ネタにする」のはなんか違う気がする。
いや、まあ別にいいんだが、
個人的に、それをやると「負け」な気がするのです。
と書いたが、僕もやってるかもしれん……


9/22(金)

PS3が49,980円に。
発売前に値下げするっていうのもなかなか珍しいね。
ていうか、まだ発売してないんだから「値下げ」じゃないか。
まあ、依然として高い。Wii2台分だ。
Xbox360は11月にソフト2本つけて29,800円という「コアシステム」を発売するし、
「ブルードラゴン」も出るし(これを同梱するコアシステムも出る)、
PS3はつらいところだなあ。

岩田社長によるWii開発者インタビューを読むと、
どんどんWiiを楽しみたくなってくる。
これは、ほんとにすごいことになりそうだ。
思惑がまんまと成功しそうな気配がプンプンする。



ああ、日が変わってから菓子を食ってしまった……
以前はこうして夜中に菓子を食っても平気だったが、
最近は間違いなく次の朝に胃がもたれる。
「歳」だ。


9/23(土)

完全に忘れていたが、
tomiyumi webは3周年を迎えた。
毎日更新ということはなかったし、
ちょっと間が空いた時期も何度かあったが、
それでもけっこう更新したと思う。
トップページのページビューは年平均7000ほど。
全然多くないが、それでもありがたい。

ここの日記を復活させてから、
はてなのアクセスがめっきり減った。
まあ、あまり(というかほとんど)書いてないのだが。

富弓メモ(表の)は一応毎日更新している(ことになっている)。
大予言も、ブログに載せたぶんだけでもう335だ。
今年いっぱいは予言し続けるが、来年どうするかは未定だ。
大予言とは別のなにかを毎日やるかも。


9/24(日)

やりすぎコージーで
東野がオーラの泉に出演したときの話をしていたが、
みんなどこまで本気なのかわからんなあ。
あ原……じゃなくて江原啓之って、
よっぽど…………なんだな。
(…………の部分は適当に補完してください)


9/25(月)

SMAP×SMAPで名場面集。
タモリがビストロスマップに出ていた回は
見るべきだった……知らんかった……
タモリの変態論とか……見るべきだった……



古本市場で、
なにわ小吉「くぴっと一杯」2巻を発見、即購入。
「王様はロバ」のときから絵柄がずいぶん変わっているが、
ネタの発想とか展開のうまさとか
何より面白さが王ロバの頃と変わらず。

なにわ小吉は今どうしてるんだろう?
調べてみると、
2003年まで「爛漫漫ノ華高校」という漫画を
なんと「Cookie」で連載していたことがわかったが、
それは単行本すらなさそうだし、
その後は一年に一回読み切りを書いている程度。
大丈夫なのか?

面白いと思うんだがなあ。


9/26(火)

はてなのアクセスが減っていたのは、
デザインを換えたときに
スタイルシートが書き変わってしまっており、
カウンタのタグがなくなっていたからだった。
ここ10日ほどのアクセスが取れなかった。
まあどうでもいい。



中崎タツヤ「身から出た鯖」6巻を入手。
中崎漫画って、文学やね。純文学。
これを人に勧めて
「面白さがわからん」とか言われたらショックだから、
人に勧めたくない漫画だ。


9/27(水)

ものを捨てるのが苦手だ。

「ものがかわいそう」とか
「ものを大切に」とかそんなものではなく、
ものを見ると、
それを使っていたときのことを思い出すからだ。
ものの向こうに思い出を見てしまうのだ。

うちのCDラジカセの一台は壊れているが、
どうも捨てられない。
これを買ってもらったときのことや、
高校時代のことを思い出すからだ。

じつは、歯ブラシなんかもちょっと捨てにくい。
まあ、これを取っておくことはさすがにしないが。

先日、たまっていた空き缶・空きビンなどを捨てるとき、
「この缶はあのときああいう事情であのスーパーで買った……」
などと思い出してしまい、
捨てるのが一瞬だけためらわれた。病気だ。


こうして「思い出す」のは、
その「もの」を見ているときだけだ。
だから、捨ててしまえば思い出すこともない。
捨てるその一瞬の心の痛みを我慢すれば、捨てられるのだ。

だが、「その一瞬」を乗り越えるのがそもそも難しいのだ。
人間は、いまという一瞬に生きているのだ。
いま現在、それがすべてなのである。

(明日につづく)


9/28(木)

(明日につづく)と書いたが、
やっぱ明日書きます。



「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」
は面白すぎるな。

前回・今回と、一番笑えたのは
やっぱ落合だった。優勝してよかった。
一般人であれだけできるなんてなあ。
「某製薬会社」では明日大騒ぎだな。

TOSHI&YOSHIKIもそうとう笑った。
あと、小倉さんのも大好きだ。
横峰さくらの不思議な似っぷりも最高だ。
最後まで誰かわからんかったし(笑)。

くじらの名人シリーズもすごく面白いが、
マタギや鷹匠まで行くと、
「全然知らんが、似てるんだろうなあ」
とすら思えなくなってくるなあ。
バス釣り名人なんかはそう思えるんだが。
まあ、面白いんだけどね。

あと、河本はさすがに浮き始めてるかなーと。
貴さんを使わずにやってほしいとも思った。
まあ、そうは言ってもやっぱり面白いんだけどね。

次回は年末か年明けかな。
楽しみにしていよう。


9/29(金)

さらに明日に延期。



家に帰ってテレビをつけたら、
NHKでオンエアバトルをやっていた。
ものすごく久しぶりに見た。

えーと、なんか時間が止まってる感じがする。
ああ、オンエアバトルだなあ、という感じ。
ネタの目新しさみたいなものは全く感じられず。
この5組に、キングオブコメディとか、
昨日のモノマネでBabeの二階堂ゆかりのマネをやった
いとうあさこらが負けたんだなあ。


9/30(土)

三日前のつづき。


人間は、いまという一瞬に生きている。
いま現在、それがすべてだ。

というところから、
「死ぬ瞬間に何を思うか」ということをよく考える。

人間はいまという一瞬に生きているのだから、
昔どんなにいい思いをしたとしても、
いまいい思いをしていなかったら不幸だ。

逆に、昔どんなにいやな思いをしていたとしても、
いまいい思いをしていたら幸せだ。

だから、「死ぬ瞬間」にいい思いをしていたら、
「幸せな人生を生きた」と言ってしまえるのではないか。

では、どれだけ幸せに死ねるかは、
「死ぬ瞬間」にどれだけ満足していられるかということになる。

いまの僕では、まだこの世に未練が多すぎる。
きっといま死んだら、
満足を覚えながら「死ぬ瞬間」を迎えることはできないだろう。

はたして、「死ぬ瞬間」に満足していられるような
何らかの自分なりの哲学や信念を、
死ぬまでに完成できるだろうか。


ここまで考えて、ふと気付く。
上の考えは、「死ぬ瞬間」に何かを考えていることを前提としている。
だが、果たして、人間は
「死ぬ瞬間」をつかまえることができるのだろうか。
「死ぬ瞬間」に何かを考えることができるのだろうか。

「死ぬ瞬間」は「眠りにつく瞬間」と何が違うだろうか。
僕は「眠りにつく瞬間」をつかまえているだろうか。
いや、僕はいつも、「知らぬ間に」眠っている。
夏目漱石の「それから」で、
「眠りにつく瞬間」がつかまえられないと
主人公の代助が語る場面があった。
おそらくみんな「眠りにつく瞬間」をつかまえられないのだろう。
翌朝起きたとき、「いつ眠ったっけ?」と思う。
決して、意識のなくなった瞬間を思い出せない。
いい気分だったか悪い気分だったかも思い出せない。
思い出せないなら、なかったも同然だ。

おそらく、「死ぬ瞬間」も似たようなものだろう。
意識は、いつの間にかなくなる。
そのとき、いい気分も悪い気分もない。
あるかもしれないが、思い出せないのでないも同然だ。
「死んだ次の瞬間」は、ないのだ。

どんな人生を送っても、
最後は「なんでもない一瞬」で終わるのだろう。
その「一瞬」は、すべての人間に対して平等だ。

そして、そのあとは、なにもないのだ。

なんだか、こうして考えると、
なんとなくむなしい。


だが、こんなことを常に考えているわけもなく、
腹が減ったり、漫画で笑ったり、音楽を聴いたり、
歩道を占領する主婦たちに腹を立てたりする、
そんな「一瞬」が刻々と移っていく。

まあ、とりあえずは、
どうでもいい話でした。



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