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[三段論法]




2004.08.01


アーケードゲーム『ポップンミュージック』(以下『ポップン』)への楽曲提供などで有名な、新堂敦士さんに盗作疑惑が持ち上がり、渦中の本人は休業宣言を発表しました。盗作の真偽などを明らかにする公式見解は無く、コナミが管理する『ポップン』公式サイトからは、新堂氏のサイトへのリンクが消されました。

それぞれの曲に対する考察や批評、誹謗中傷などはこれまでにネット上でさんざん行われていますが、当サイトでそれに対して何か意見を申し立てるつもりはありません。一連の曲に対してコメントできるほど私に音楽の知識やらセンスはありませんし。
 ただ、一『ポップン』ファンとして突きつけられたこのニュースは、相当な衝撃でした。『ポップン』から新堂敦士が消えた、という現象は、ポップンの歴史上非常に大きなことなんです。
 今回は『ポップン』と新堂敦士の関係、そして『ポップン』がファンから愛される理由について、これから延々と講釈たれますんで、暇な方は頑張って読んでください。

ちなみに私は『ポップン』原理主義者であり、『ポップン』に参加する特定のアーティストを過度に信奉したりはしていません。




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1)『ポップンミュージック』というゲームについて


コナミが発表したリズムゲーム『ポップンミュージック』が稼動し始めた当初、その人気は現在と比べ物にならないほど低いものでした。

当時の『ポップン』の特色は『ビートマニアよりも多くのジャンルの曲を扱える』『キャラクターが豊かな分、ビートマニアの訴求対象から外れていた客層も取り込める』という、『ビートマニア』との差別化を図っていることが傍目からでも理解できる作りのものでしたが、「ジュークボックス的」の一歩手前で止まり、様々な欠点(魅力的な曲、特に一般の人でも楽しめる軽めの曲が少ない。キャラクターが致命的にブサイクなど)が足枷となった結果、コアなファン以外のハートを掴むことができずにいました。


2)『ポップン』におけるキャラクターの存在


過去の『ポップン』にあり現在のそれにないものは、プレイヤーとその周りで曲を耳にする通行人など、不特定多数のリスナーにアピールする曲。そして『ポップン』に登場するキャラクターを活かせる曲でした。
 『ポップン』のキャラクター(ゲーム中では『ライバル』という名称で統一されています)は、基本的には譜面の横で踊っているだけです。ですから、有名声優の声で喋ったり同姓同士でカラミあったりパンチラしたりという、「分かりやすい」アピールはありません。絵です。
 ではなぜ、そのキャラクターが世の婦女子様方に大人気なのか。

『ポップン』のキャラクターは、曲を補完する立場にいるイメージだからです。
 つまり、ワンプレイで一度聞いただけでは分かりづらい曲のイメージを具体的な「モノ」で表しプレイヤーに伝え、意識下に残す。逆にキャラクターは、各々が担当する曲によってその性格が肉付けされていき、それにより絵は絵以上の意味を持つ。例えば暗い曲ならば内省的なキャラがハマり、明るい曲にはハジけたキャラがあてがわれる、といった感じで。極端な例ですけどね。
 この辺りは非常に感覚的な言葉で説明しなければいけないため、『ポップン』未プレイの方には理解し難い部分だと思うのですが、しかし一般の『ポップン』プレイヤーがそれらの絵に対して、「ただの絵」以上の意味を感じているのは確かです。
 強いて言えば、『ポップン』における楽曲とキャラの関係は、お互いがお互いのイメージを強調しあっている、という点において言えば、一般的な歌謡曲とプロモーションビデオの関係に似てるのかもしれません。

その感覚の一部分のみをつまみ出して「このゲームは曲と絵がイイ!」と説明してしまうプレイヤーが多いからこそ、本作が女子供向けのユルいゲームと勘違いされてしまう事が多々あるのですが、本ゲームにおける「曲」と「キャラ」の関係は、「流行」という言葉だけでは言い表せない、非常に入り組んだものなのです。


3)新堂敦士と『ポップン』の蜜月


しかし『2』までの『ポップン』シリーズに、その仕組みを忠実に遂行している曲は何一つとして存在しませんでした。
 名曲は存在するのに、キャラクターは横にいるだけ。そして、多くの人を一度に引き込める曲が無いまま、『ポップン1』『2』はただただ稼動していました。

そのまま衰退の一途を辿る様子ばかりが目立った『ポップン』危機を救ったのが、新堂敦士でした。




端的に言ってしまえば、新堂氏の作品は「程よくアーティスティックなJ-POP」です。遠回しに過激な歌詞と、「ロック的」な音を散りばめた曲が特徴の新堂ソングは、誤解を恐れずに言えばつんくっぽい曲ばかりです。
 しかし、そういった誰の耳にも届く曲は、それまでの『ポップン』には殆ど収録されていませんでした。ゼロではありませんでしたが、結果的にその想いはプレイヤーへ届いていません。
 そしてそれは、『ポップン』に絶対必要な要素だったのです。

新堂作品のほとんどに登場するキャラ『アッシュ』は、ビジュアル系バンドに所属する狼男、という設定です。その野生的な外見と新堂氏の曲は、驚くほど合致しました。
 そして、その成功がプレイヤー側にも見てとれた頃から、後の『ポップン』シリーズの指針が見えてきます。「キャラクターと曲はより親密に寄り添うべき」。そのスローガンとノウハウが『なんか変だ!』の収録された『3』によって確立され、『4』で進化しました。

それからポップンは変わりました。『ポップン』の歯車と上手く噛み合い、システムを引き立てるアーティストが多数現れ、キャラクターは技術的にも内面も綺麗になりました。客も集まりました。
 全ては新堂敦士の『なんか変だ!』『君を壊したい』と『アッシュ』が礎を築きました。これは誇張でも無理やり新堂氏の手柄に仕立て上げているわけでもありません。『3』以前のファン(少ない)が同じ危機感と安堵感を感じていたはずです。


重ね重ね申し上げますが、私は新堂氏のファンではありません。街やテレビでこのタイプの曲を聴けば、むしろ嫌悪感を抱くでしょう。
 しかし『ポップン』原理主義者として、一連の新堂氏の楽曲提供は本当に有難かったんです。それが新堂氏・コナミ制作サイドの本来狙うところでは無かったとしても。
 ですから、こんな形で新堂氏と『ポップン』のプレイヤーが離ればなれになってしまう、という事が残念でなりません。




----------キリトリセン----------




1)『バルーンファイト』というゲームについて


1985年、任天堂から『バルーンファイト』が発売されました。


「背中に風船をくくりつけた自キャラが、空を飛んで敵を叩き落したり電流を避けたり」というキャラクターの動作に、昔懐かしい風船おじさんの姿をフラッシュバックさせたプレイヤーも少なくないと思われる本作。
 絶妙の操作性を誇った『バルーンファイト』は、当時多くのゲーマーを虜にしました。特に、現代の弾避け系STGを髣髴させる、雷(障害物)をひたすらかわすだけの「バルーントリップ」モードなどは、その独特なゲームデザインと慣性の法則に基づいた浮遊感が相乗効果を起こし、素晴らしい中毒性を呼び起こしました。その堅牢なシステムは現代の複雑なゲーム構成と比較して、より一層特徴的かつ美しく見えます。

現在、『バルーンファイト』はファミコンを代表するソフトとして語り継がれ、ファミコン創生期のゲーム史にしっかりと名を残しています。
 このゲームのプログラマーは、当時まだHAL研究所に在籍していた岩田 聡氏。ディレクターは故・横井 軍平氏という、名作として今日に伝えられるのも必然といえる制作メンバーでした。


2)『ハローキティワールド』というゲームについて


1992年、キャラクターソフトという聞き慣れないメーカーから『ハローキティワールド』というゲームが発売されました。


この『キャラクターソフト』という会社、過去の自社制作作品から想像するに、どうやらサンリオ製品のゲーム化のために設立されたゲーム会社のようです。
 キャラクターソフト社発売のゲームには他に、『サンリオカーニバル』や『サンリオカップ ポンポンバレー』などがあります。
 ちなみにこの『キャラクターソフト』、現在はゲーム業界から撤退しているようです。ポケモンの亜流GBソフト『サンリオタイムネット過去編/未来編』も、バンダイ制作でしたし。

で、この「キャラクターソフト発売」の『ハローキティワールド』の内容。


言い訳のしようがないくらいバルーンファイトに似てるんです。


操作性やゲーム全体のテンポなど、オリジナルに及ばない部分もあるものの、登場キャラと画面、右から左というあまり類を見ない強制スクロールの構成、雷や水面から飛び出る魚など、様々なギミックがほぼ完璧に流用されています。
 どうやら、このソフトを偶然見つけて憤慨したレトロゲーマーも既に何人か存在するらしく、『ハローキティワールド』を『バルーンファイト』の亜流、と蔑むゲーム系サイトもチラホラと見えます。

…が。

わたしは、違和感を抱きました。『ハローキティワールド』と『バルーンファイト』の関連性と、それらを取り巻く種々雑多に。

この『キャラクターソフト』という会社、決して面白いゲームを作るメーカーではありません。純粋なキャラゲーとしての魅力や、ステキなVGMなど、楽しめる部分は随所に存在するのですが、いかんせん根本のゲームデザインに努力を要する部分が多すぎるため、巷ではごく普通のキャラゲーメーカーとして評価されているのが現状です。
 その二流っぽい泥臭さは個人的に大好き(主に判官贔屓)なのですが、『ハローキティワールド』の洗練されたゲーム性には、前述の未熟さなどカケラも感じられません。このゲーム自体にも要努力の部分がいくらか見受けられるのですが、それには前述のキャラクターソフト作品とは違い、どこか「ゲーム制作の能力が高い人が携わった跡」が残っています。

正直、『ハローキティワールド』以外のキャラクターソフト制作の作品って、作りこまれた形跡が無いんです。
 例えば、「バレーボールなのに相手の陣地へ踏み込むことができる」と、わざわざ斬新なルールを立ち上げつつも、異常に遅いボールのスピードのせいでゲームとして成立していない『サンリオカップ ポンポンバレー』のように、ディテールという概念すら無いのが、キャラクターソフト本来の"匂い"なんですが、今回の『ハローキティワールド』には細部をプレイヤーに寄せた"跡"があります。
 他のキャラクターソフト作品からは感じられなかった形跡です。そう、それはまるで別のメーカーが制作に関わっていたかのような、ゲームに内包された力強い自己主張。


そこまで思考を進めた時点で、初めて気付きました。タイトル画面の『1992 MALIO CO, LTD』という表記に。
 …株式会社マリオ?


3)『バルーンファイトGB』の黒幕


2000年、任天堂から『バルーンファイトGB』がニンテンドウパワー書き換え専用で発売されました。
 15年もの時を経て、遂に姿を現した『バルーンファイト』の続編。古株のファミコンユーザー待望のソフト。

その内容は『ハローキティワールド』そのものでした。


今回は、構成とキャラだけ流用したような生易しいものではありません。オリジナルからやや劣る浮遊感、全く同じ道順のストーリーモードとサウンド、各種トラップの細部まで全て同じです。

この時点で確信しました。
 「ハローキティーワールド」は、HAL研究所か任天堂、もしくは両メーカーに近しい別の開発会社のスタッフが携さわった、『バルーンファイト』の正統な後継作です。


この事に気付いてから数年後、Nintendo iNSIDEでその事が報じられたのを確認したとき、何となく「勝った」と思ってしまった自分が少しだけ気恥ずかしくもありましたが、安易にパクリの一言で切り捨てずに『バルーンファイト』関連の作品を愛し続けた結果がこのような事実に結びつき、非常に嬉しかったのを覚えています。




----------のりしろ----------




つまり、パクリなんてものは見方と情報一つであっさり覆ってしまうものなのです。




…しかし、それをそのまま新堂氏の盗作騒動へ当てはめるのは詭弁でしかありません。弁護したいのはやまやまですが、自分にはそれを行えるほどの音楽面のスキルはありません。

ただ、一人の『ポップン』プレイヤーとして、この場で氏に敬意を表したいのです。アーティストとしてではなく、『ポップン』という、ステキなゲームの灯を消さないでくれた人として。




まあ本テキスト執筆のウラには、『ポップンミュージック』にいつまでもこびり付く「とにかく媚び媚びのキャラゲー」というイメージをどうにか振り落としたい、との思惑もあったんですが。





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