筆者の双眼鏡遍歴1999
筆者がここまで双眼鏡にはまり込んでしまった経過を簡単にまとめて見ました。
「双眼鏡欲しい病」は今も末期的な症状のまま継続中で恐るべき状態です。
救いは「双眼鏡欲しい病」から、「双眼鏡を使いたい病」に進化?しつつあることでしょうか。
潜伏期 「そして地獄の扉は開かれた」
筆者がはじめて自分の双眼鏡を手に入れたのは5年前のことです。
転勤生活で茨城県の地方都市に住んでいたのですが、買い物に立ち寄った大型ショッピングセンターのカメラ店で双眼鏡を目にしたのがそもそものきっかけでした。
ショーケースの中にキャノン・ニコン・ペンタックスとブランド名の輝いた双眼鏡が並べられていました。
それまで双眼鏡というとディスカウント店で売られる安物しか知りませんでしたし、恥ずかしいことにニコンやペンタックスが双眼鏡を出していることも初耳でした。
まだ勤め始めて間もないころで一眼レフの世界に踏み込むような余裕はありませんでしたが、双眼鏡ならブランド品でも手に入りそうな値段です。
少年時代に鉄道写真をかじっていた影響でしょうか、その手のブランドへの憧れは強かったんですね。
そんな一目ぼれですから、双眼鏡への基礎知識はまったくなし。
この時、候補に上がったのはニコン「クリモ8X40」とオリンパス「DSP8X40」の2台です。
ニコンが約2万円でオリンパスが7千円位だったとおもいます。
「高性能双眼鏡=口径の大きな双眼鏡=曲がった形の双眼鏡(ポロ型のこと)」と思い込んでいましたから、倍率が低く口径のデカイやつを選びました。
このお店では「7X50」が無かったのですが、ディスカウント店の双眼鏡しか知らない身では8X40や7X35でもすごいと思えたのです。
今思えば地方の店でありながら、中型のポロ双眼鏡がケースで一つ揃っていたのは驚異的なことだったんでしょうが。
結局、双眼鏡の品質に無理解だった私は ニコンの双眼鏡のほうが視野も狭いのに値段が高いのが理解できずにオリンパスの双眼鏡を選んだのでした。
試しに外を見てみるなど思いつきもしなかったのは言うまでもありません。
発症期 「思えば まだ幸せだったのに」
そんな訳で手に入れた双眼鏡ですが、今思えばBK7プリズム・短いアイレリーフ・甘いコーティングとあまり良い品ではなかったのでしょうが、当時はあまりの見えに感動すらしていました。
峠道から眼下の町並みを見下ろしたときの素晴らしさ、低倍率ながら港の船までがくっきり見えたのを思い出します。
このときに「双眼鏡病」が発症してしまったんですね。
その後はキャンプ・旅行・スポーツ観戦は勿論、その辺のお散歩にもこのオリンパスを持ち歩くようになります。
カメラと違って写真は残りませんが、双眼鏡はその場を重層的に楽しめるのが魅力的でした。
ある写真家が「カメラは自分にとってのレーダーだ」と言っていましたが、私にとっては双眼鏡が好奇心の「レーダー」になったのでしょう。
さすがに人目は気になりますから、街中で双眼鏡を振り回すことはしませんでしたが。
結局、このオリンパスの双眼鏡は4年間我が家唯一の双眼鏡として重労働に耐えてきました。
思う存分使うことが出来のは、手ごろな大きさで安価だったからでしょう。
それでも、手放すときにも光軸ズレなどは無く、性能は置いても耐久性は高かったと思います。
今はありませんが、私に双眼鏡の楽しさを教えてくれた忘れられない1台です。
無理の無い倍率が良かったのでしょうね。
進行期 「毒を喰らわば・・・」
とはいっても、オリンパスの双眼鏡は使い込んでいるうちに不満も出てきました。
昼間では十分な性能があると思っていたのですが、夜は暗く星を楽しむには不十分に思えました。
本当は小口径が原因ではなく、コーティングの悪さが足を引っ張っていたんでしょうが、だんだんと大口径の双眼鏡が欲しくなってきました。
また、防水機でないため雨のキャンプや登山では気を使いましたから、「出来れば防水双眼鏡が良いな」と贅沢になってきます。
が、「7X50の防水双眼鏡」なんて、各社の最高級機ですから簡単には手が出せません。
そんな矢先にある光学関係のサイトを見つけてしまったんです。
アウトレットにはぴったりの双眼鏡が売られているではありませんか。
7X50の窒素ガス封入防水双眼鏡でIF方式。
シングルコートでしたが、このときはあまり気にしませんでしたし、何より価格が魅力的でした。
もう、そのサイトを見てすぐ注文メールを書いてしまいました。
来たのは本当に無骨な双眼鏡。
「いかにも軍用」なデザインです。
見えは8X40に慣れた目には、驚異的な明るさでした。
解像力もオリンパスより高く、遠くの看板の文字の識別などは大きな差があります。
夜空を見上げると肉眼の数倍は星が見えます。
ここまで口径の大きさで見えに差が出るとは思っていませんでしたから、こいつを相棒にしていくことに決めたのでした。
末期? 「そこに光は見えるのか」
が、蜜月はそう長く続きませんでした。
たったの1週間後 日光への家族旅行で、腰の高さからアスファルトの上にそいつを落としてしまったんです。
双眼鏡の光軸がいかに脆いかは聞いていましたが、ラバーコートだしと油断していたら この結果です。
一発で光軸が上下にずれてしまいました。
本当にビルのアンテナが2本に見えるのです。
結局、その双眼鏡は工場へ逆戻り。
無事 修理されて戻ってくるのですが、手元に双眼鏡がなくなるのがちょっと心配。
で、早速注文しました、おんなじ双眼鏡をもう一つ。
あとは「双眼鏡日記」に書いているありさまです。
すでに双眼鏡が手元に無いと落ち着かないところまで病は進行している様子。
見る物も旅先の風景から、散歩先の鳥・庭からの星に広がり、今では鳥見旅行をするまでになってしまいました。
順番は逆ですが、正当な双眼鏡使いになりつつあるのでしょうか。 熟年の方が「カメラ趣味が昂じて山歩きや撮影旅行をはじめる」なんて聞きますが同じ状態になってきたようです。
双眼鏡のほうも順調に増えつづけています。
ビクセン7X50ZCF・ニコン小型ダハ10X25・鎌倉光機7X50防水・ペンタックス「タンクローミニ」・ペンタックス「タンクローV」と増殖・転移を繰り返し、今では自作・実験用にジャンク品をストックするまでになってしまいました。
家族には評判が悪いのですが、すでにもう一台双眼鏡を買い足そうとしている自分がここにいます。
これは本当に末期症状なのでしょうか、それとも・・・。