双眼鏡の性能(6)
コーティングを考える
前の章ではレンズの材料について考えてみました。
レンズの元になる光学ガラスは透明度が高いと書いたのですが、実際の双眼鏡を見るとレンズには色がつけられています。
店頭で観察してみると、レンズの色によって双眼鏡の値段が大きく変わってくることはありませんか。
緑色や赤紫色のレンズを使った双眼鏡は高く、青色のレンズを使った双眼鏡は安い傾向があるはずです。
ひょっとしたら、赤くギラギラしたレンズの双眼鏡が高く売られているかもしれません。
なぜ、レンズに色をつけることで双眼鏡の値段が変わってくるのでしょうか。
そして、それほどまでに性能が違ってしまうのでしょうか。
はじめに コーティングって何?
双眼鏡に入った光は対物レンズ・プリズム・接眼レンズと通って目に入ります。
しかし、レンズにあった光がすべて有効に利用されるわけではありません。
レンズにあった光のうち約4〜5%は表面で反射され失われてしまうのです。
たった4%と思われるかもしれませんが、双眼鏡には空気とガラスとの境界面が10前後存在します。
それぞれの面で4%ずつだとしても、最終的には33%の光が失われてしまいます。
これでは昼間は良いかもしれませんが、暗がりでは大問題です。
また、双眼鏡の中で反射した光は迷光となって像のコントラストを悪化させる原因となります。
このレンズと空気の境界面で起こる反射を抑えるのが、表面に薄い膜を蒸着させるコーティングというわけです。
双眼鏡の歴史は17世紀までさかのぼれますが、レンズの反射防止コーティングが登場したのは第2次世界大戦中といわれていますから比較的若い技術であることが分かると思います。
では、なぜレンズの表面に薄い膜をつけると反射が抑えられるのでしょうか。
レンズの表面に薄い膜ができると、膜表面で反射する光とレンズ表面で反射する光が出てきます。
光は波の性質を持っています。
レンズ表面で反射した光はコーティング表面で反射した光に比べて、コーティングの厚さの2倍だけ長い距離を進むことになります。
光は波の性質を持っていますから、両者は膜の厚さ分だけ波長がずれてしまいます。
このとき、波のずれが波長の1/2であれば、互いの光は波長の振幅により打ち消されることになります。
このとき膜の厚さが波長の1/4であれば、その波長の光は膜表面の反射光とレンズ表面の反射光でちょうど打ち消しあうことになります。
模式図にすると、上の図のようになります。
波の青い部分と赤い部分がちょうど反対になって、互いを打ち消すのです。
つまり、コーティング膜の厚さが波長の1/4であれば、コーティング表面からの反射光とレンズ面からの反射光が干渉して、反射が抑えられるのです。
先ほどの図ではこのような結果になるはずです。
しかし、現実では人間が見える光の波長には幅がありますから、すべての波長に対して反射を抑えることは一層のコートだけでは不十分で、多層膜コーティングの出番となります。
実際の単層のコーティングでは 弗化マグネシウムや水晶石が用いられます。
人間に最も明るく見える550umにあわせて蒸着させます。
これで緑や黄色はほぼ100%透過するようになりますが、赤や青は少し反射されてしまいます。
このため、このようなコーティングをマゼンダ(赤紫)コートと呼んでいます。
このような単層のコーティングで可視波長全域に対して98%の透過率が可能になります
ガラス―空気の境界が10面あるとすれば、あわせて80%強の透過率となります。
単層のコーティングだけではこれが限界ですが、レンズ表面に異なる材質で複数の層を蒸着させることでさらに透過率を上げることが出来ます。
このような領域になるとコンピューターでもないと設計できないのでしょうが、3層膜から5層膜で1面の反射損失を0.5%以下にまで押さえ込めるようです。
このような複数膜によるコーティングを一般的に「マルチコート」と呼んでいます。
現在では14層を超えるコーティングも実用化され、双眼鏡全体で透過率97%を謳う商品まで登場しています。
この辺りの原理はYamaca様のホームページに詳しく解説されています。
「雑記帳」のページを見てみてください。「怪しいコートの原理」に分かりやすく書かれています。
光の波としての性質は、住田光学のホームページにわかりやすい解説が掲載されています。
分かりにくいところに素晴らしい解説が隔されています。
あまりにも分かりにくいので、 掟破りの直リンクはこちら。
コーティングのデメリット?
光の透過率を上げ視野を明るくするコーティングは光学機器に革命的な進歩をもたらしましたが、デメリットもゼロではありません。
まず、コーティングされたレンズには色がついて見えるのですから、視野への着色が起きてきます。
双眼鏡ではコーティングのメリットに比べれば取るに足らないことかもしれませんが、各メーカー間で考え方の分かれるところです。
光の透過率を重視しているメーカーと、色の発色にこだわるメーカーがあるように見受けられます。
異なるメーカーを見比べてみると違いが分かると思います。
身近なところではニコンとペンタックス、舶来物ではツァイスとライカあたりが対照的で面白いのでは。
次に問題となるのは、コーティングの耐久性です。
前に述べたとおり、コーティングの膜は非常に薄く 大昔は拭いただけで取れてしまうようなものでした。
現在では、傷にも強い硬い薄膜が使用されていますが、マルチコーティングは単層膜に比べて弱いと言われています。
以前は、汚れやすい接眼レンズをわざと単層膜コートにしていたことがあったようですが、今では見かけなくなりました。
多層膜でも必要十分な強度が得られるようになったのでしょうが、少し気を使うのは私だけでしょうか。
双眼鏡を見てみると
実際に双眼鏡を見てみると10を超える境界面があるのにもかかわらず、簡単に分かるのは接眼対物の両レンズの最外面だけです。
悲しいことに、よく目立つ部分だけ派手なコーティングをして、カタログでは「高性能マルチコート」双眼鏡にでっち上げることも少なくありません。
カタログでどの面までコートされているか記載されていることもありますし、気をつけて観察すれば内部のレンズのコートの程度も推察できます。
外側だけマルチコートの粗悪品を 高級品の値段でつかませられないためにも注意が必要です。
もちろん、もっとも望ましいのはレンズプリズムの全境界面がマルチコートされていることなのですが、マルチコートは工数がかかるため高価になってしまいます。
双眼鏡の例 ビクセン・アルティマ PFMコーティング
まず、レンズ・プリズムの全境界面をマルチコートしたことをカタログ表記している双眼鏡から見てみましょう。
このような商品は一部マルチコートの商品と差別化するため、「全面マルチコート」「フーリーマルチコート」などと記載されていることが多いようです。
上の写真はビクセンアルティマの対物レンズと接眼レンズです。
典型的な緑色のマルチコートで、最外面だけでなく内面からの反射も緑色になっています。
接眼レンズですが、こちらもすべて緑色の反射で全レンズがマルチコートされているようです。
この手のマルチコートはフジノンやペンタックスの双眼鏡で見られます。
双眼鏡の例 キャノン・10X30IS 全面スペクトラコーティング
次にキャノン10X30ISです。カタログでプリズム・レンズ全面に「独自のスペクトラコート」と記載されています。
こちらはビクセンと異なる黄色がかった赤や黄緑の反射が見られます
接眼面は濃い紫と茶色の反射が見られます。
双眼鏡の例 ニコン・18X70IF・WP・WF 全面多層膜コーティング
ニコンの最高級機のコーティングを見てみましょう。
対物レンズの反射は非常に良く押さえ込まれています。
ある種の超高級双眼鏡に対して「吸い込まれるようなコーティング」と言われることがありますが、少し分かったような気にさせます。
一目で構成枚数の多さの見て取れる接眼レンズも 奥の反射光まで多層膜コートさてています。
プリズムのコーティングは見難いのですが、これだけ口径が大きいとレンズを透かしてみると分かることがあります。
青紫色の多層コートされています。
このようにプリズムまで含めた全面マルチコートを謳った双眼鏡は高価で、各メーカーの高級品として売られています。
双眼鏡の例 ケンコー・高倍率ズーム双眼鏡 マルチコート
次の例は最外面はマルチコートされていても裏面は単層コートの双眼鏡です。
カタログでは「マルチコーティング」としか記載がありませんが、分解したところ裏面はマゼンダコートでした。
対物レンズ最外面は緑色のマルチコートで反射が良く抑えられていますが、裏面からの反射は青白く反射量はあまり抑えられていません。
双眼鏡の例 ニコン・スポーツスターII 多層膜コート
次に多層膜コートを謳っていても、全面多層膜コートとは書かれていない双眼鏡です。
対物レンズ外面からの反射は緑色で、前に挙げたビクセンの例と似ています。
が、裏面からの反射はあまり抑えられていません。
接眼レンズでも、同じように、最外面からの反射は良く抑えられていますが、内部反射は青白く一部で単層コーティングの境界面があるのではないかと思われます。
一度メーカーに問い合わせをしたことがあるのですが、コーティングの詳細は企業秘密のようです。
このような双眼鏡が粗悪品な訳ではありません。
標準クラスの双眼鏡では一般的なものです。
このような商品は「マルチコート」とのみ記されていることがほとんどです。
逆に考えると、「全面マルチコート」と書いていなければ内部のコーティングは多層膜ではないと考えられます。
また、レンズ全面はマルチコートでもプリズム面が単層コートのことも良くあります。
夜に比べると、確かに両者の違いはありますが、昼間では詳細に比べなければ差に気が付くことはないでしょう。
私たちが必要なのは「良いコートをされた双眼鏡」ではなく「十分に明るい双眼鏡」なわけですから。
双眼鏡の例 ミレイ・7X50ZCF マゼンダコート
次に、全面単層コーティングの双眼鏡です。
この双眼鏡は単層コートとしては一般的なマゼンダコートと呼ばれるコーティングが施されています。
対物レンズから見ても、これまでのマルチコートの双眼鏡に比べても反射量が多くなっているのが分かります。
接眼レンズも同じく青白い反射がそれぞれの面から生じています。
これでも真面目に作ってあれば80%程度の透過率があるはずです。
まあ、今時は最外面だけでも訴求力のある多層コートされていることが多いですから、見かけることは少ないのではないでしょうか。
双眼鏡の例 598円安物双眼鏡 コートについて記載なし
最後に、ぜんぜん全くコートされていない双眼鏡です。
今時こんな双眼鏡は超安物だけでしょうが、反射の多さは単層コートの比ではありません。
接眼レンズにいたっては、ギラギラとまぶしいくらいに輝いています。
こんなに光のロスが多くては明るい視野は望みようがありませんし、内部の迷光も多そうです。
まとめ
マルチコートは双眼鏡を明るくする手段として用いられます。
明るさが求められる天体用の双眼鏡や集光力で劣る小型双眼鏡では好んで採用されていますが、良質のコーティングは価格に跳ね返ります。
「マルチコート」「多層膜コート」とあると即に高級・高性能と思いがちですが決してそうではありません。
見た目重視のマルチコートの中には透過率でマゼンダコートを大きく下回るものも少なくありません。
対物レンズと接眼レンズの最外面だけがマルチコートされていてもプリズム面がコートされていないと、プリズムまで全面単層コートされた双眼鏡より透過率が落ちる計算となります。
私たちが本当に必要なのは、どんなコーティングがされているかではなく、双眼鏡がどれだけ明るく見えるかです。
それを知る手がかりが反射量の多さを確かめることであり、どのようなコーティングかを知ることです。
どのような使い方をするかによっても求められる水準は異なるでしょう。
上級者が天体観察に使う物や 海上監視に使う物は妥協のない条件が求められるでしょうが、昼間に使うことが多い小型双眼鏡や入門用の双眼鏡であればそこまでの条件は必要ないはずです。
入門機・標準機・上級機・高級機となるにしたがって値段は倍々と跳ね上がりますから自分の必要な性能を考えてみてください。
また、上でも述べましたが、メーカーの間でもコーティングに対する考え方の差もあります。
コーティングによる着色はおいても透過率を重視するメーカー(ツァイス・ニコン)と、コントラストで劣っても色の再現性を重視するメーカー(ライカ・ペンタックス?)など、それぞれに特徴があります。
いくつかの双眼鏡を同時に見比べてみると差が分かるかもしれません。
できれば触れずに済ませたいあのコーティングについて
ここまで書いて終わりにしたかったのですが、世の中では「IRコート」「ルビーコート」といった類いのコーティングが流行しています。
「目に有害な紫外線・赤外線をカット」とかいろいろ売り文句が並んでいて、ホームセンターで購入する親子を目撃したこともあります。
目に紫外線が有害なのは異論のないところなのですが、通常のマルチコーティングされた光学ガラスでも紫外線はあまり透過しません。
赤外線の眼水晶体に対する有害性も指摘されていますが、短時間しか使わない双眼鏡がどれほどの影響があるというのでしょう。
この手のコーティングがあまり有効でないのは、業界のリーダー企業が採用していないことからも明らかです。
ニコン・ツァイス・ライカ・ペンタックス・ミノルタ・キャノン・スワロフスキー・ミヤウチ、名だたる企業は決してこの手のコートをしていません。
日中長時間の仕様が予想される航海業務用双眼鏡で「IRコート」なんて見たことがありますか。
この手のコーティングのメリットが明らかでないのにもかかわらず、デメリットは甚大です。
「IRコート」の透過率は通常の単層コートより数%劣り、一部の商品ではノーコートレンズにも劣るとまで言われています。
さらに色の偏ったコーティングにより、視野は強く青色に染まってしまいまい観察の妨げになります。
少しでも双眼鏡を知る人なら一笑に付す物でも、一般には上級な双眼鏡と映っているので厄介です。
この「客寄せ色つきレンズ」は、高倍率ズーム双眼鏡と並んで、良い双眼鏡の普及の妨げになっていそうです。
双眼鏡を買う前にこのページを読まれた方がいれば、決して騙されないように注意してください。
売っている店員も洗脳されていることがありますから。
そのデメリットの詳細は、こちら。