第2章 十番目の来訪者
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次の日、何事も無かったように朝が訪れた。
昨日と同じように、シグルドの部屋のドアが、エーディンによってノックされる。
それによって目の覚めたシグルドは、着替えて下のフロアへ降りる。
一階の食堂には、すでに食事の用意が出来上がっていた。
トーストにベーコンエッグ、サラダと、ごく日常的なメニューだったが、大勢で食べると、いつもより、おいしく感じられた。
そんな食事の中、アレクが、
「そういや、ここって、これだけすごい造りなのにテレビがないっスねえ。」
と、不満気に言う。アンテナも無ければ当然だとシグルドが思っていると、
「テレビは電波が届かなくって、映ってもチャンネルは二つくらいだからつけてないの。ごめんなさい。」
エーディンがアレクに平謝りする。
「いや、別に謝らなくても・・・」
「・・・あ、ラジオならあるわよ。持ってくるわね。」
アレクが言葉を最後まで言い終わらないうちに、エーディンは席を立ち、どこからか、ラジカセを引っ張り出してきた。
すぐに電源スイッチをONにして、チューンをするが、電波が入るのは一局だけだった。
「・・・ごめんなさい。あんまり役に立たなくて。」
「うあ、だ、だからエーディンさんが謝ること無いんだってば。」
アレクは困った顔になって、頭を下げた。
ラジオからはニュースと天気予報しか流れてこなかった。天気予報では、今週、一週間の予想天気を放送している。
それを聞きながら、ブリギッドが、
「−−−明日から、天気が悪くなるみたいだな。よし、今日の内に屋外で練習をしておこうか。」
と、提案する。
部長の提案ということで、すぐに全員が賛成となった。
食事が終わると、今朝の食事当番のジャムカとミデェールが食器を洗い始める。
それを見たシグルドが、昨晩と同じように手伝おうとすると、ブリギッドがそれを無理に止める。
「−−−確かに昨日はありがたいって言ったけど、調子に乗ることはないよ。」
「いや、そんなつもりじゃなくて・・・」
「いいって、私が手伝うから。・・・そんなに手伝いたいんなら当番表を作り直すからさ。」
シグルドは、言われるままキッチンから追い出された。仕方なく、食堂を出て行こうとすると、後ろから憎むしげな口調の低い声でつぶやかれた。
「あんた、相当の物好きだねえ・・・」
その正体は、シグルドが予想した通り、アンドレイだった。
「これで、朝食の片づけは終わったな。」
ジャムカが奇麗になった皿を備え付けの食器棚にしまいながら言った。
それを聞いたブリギッドは、
「・・・あ、後、テーブルクロスを直さないといけないけど・・・。それは私がやるわ。
二人は先に戻っていいわよ。」
と、ジャムカとミデェールに先に部屋に戻るように勧めた。
朝食の片づけすべて終わり、自分の部屋に戻ろうとするブリギッド。
だが、自分の部屋の前に誰かが立っているのを見て、あわてて曲がり角に隠れる。
壁際からそっと顔を覗かせてみるが、向こうはブリギッドに気付いたらしく、近づいてくる。
ブリギッドは、一瞬ためらったが、何も知らないフリをして、自分の部屋に足を進めた。
「−−−ブリギッド。」
案の定、その人物はブリギッドを呼び止めた。
「・・・私に何か用かしら。」
「少し気になることがあって・・・。それに、その手にあるものについても・・・」
ブリギッドの手には、トレーに乗ったパンやベーコンエッグがあった。
「こ、これは、・・・その、朝食が足らなくて・・・」
「それにしては多くないか?
ほぼ一人前だぞ。
それに、今朝のメニューと同じものをわざわざ作ったのか?
−−−ベーコンエッグなんか作ったら、また、フライパンを洗う必要が出るだろ。それなのに、手間をかけて・・・。
部屋に何かあるんじゃないか?」
それを聞いて、ブリギッドは半ば諦めかけたように口を割った。
「−−−さすがだな、シグルド。」
シグルドにごまかしきれなくなったブリギッドは、自分の部屋の中を見せることを承諾した。
だが、その顔色は優れているとはいえない。
「−−−でも、どうして、私の部屋の前にいたんだ? 何か用があったのか?」
「いや、今朝、ちょっと変だったから。」
「え? 私が?」
「ああ、昨日、片づけをしていたとき、『シグルドに手伝わせるなら、アンドレイにさせる』って言ってたのに、実際は、ブリギッド自身が手伝ったろ。
つまり、キッチンに最後までいなきゃいけない理由があったってことじゃないか?」
「−−−そんなことで・・・。でも、もし私が本当に親切心でやってたらどうしたんだ?」
「ま、その時はその時で、『新しい当番表の改正の話し合いをしようとした』っていう用もあるしね。」
あっけに取られるブリギッド。
だが、いざ、部屋の中に入れる寸前になると、その表層は一変。
「こいつのことは、誰にも言わないでくれ・・・」
と、うつろな目つきで深く懇願してきた。
シグルドは何も言わず、うなずくことで、代返とした。
ブリギッドがシグルドを部屋に入れる。
シグルドの部屋と何ら変わりない、部屋の内装。
この別荘の個室は、どの部屋も同じようなもののようだ。
部屋の中に入ったシグルドの目にまず飛び込んできたものは、ベッドに腰掛けた、一人の少年だった。
ブリギッドよりも小柄で、年もずっと若そうだ。
その少年がブリギッドの顔を見ながら尋ねかけた。
「・・・ブリギッドさん? え、そこの人は?」
少年の質問に、シグルドが答える。
「私の名前はシグルド。・・・君は?」
「オイラ、デューって言います。よろしく、シグルドさん。」
デューがニコッと笑って挨拶する。その顔は幼かった。
「−−−あっ、こちらこそよろしく。・・・デュー、君はいくつだい?」
「あ、シグルドさん、オイラを子供と思ってるでしょ・・・。
オイラ、これでも18歳!
高校三年生!」
「えっ!?」
実年齢と顔とのギャップに言葉が詰まってしまった。
「そんなに、驚かなくてもいいじゃないか。」
そう言って、デューが頬を膨らませた。その仕草が、また彼の幼さを際立たせた。
そのデューにブリギッドが食事を差し出す。
「あ、ありがとう!! ブリギッドさん!!」
よほど腹が空いていたのだろう。
すっかり機嫌を直して、がつがつと胃にものを詰め込んでいく。
「−−−なあ、デュー。どうして、ここへ?」
「はむむ、ふぐ。」
デューは、口いっぱいに頬ばったままで喋ろうとするので言葉にならない。それを通訳するように、ブリギッドが変わりに答える。
「今朝、私が散歩していたら、こいつが倒れていたんだ。この近くに、友達とハイキングに来ていたらしいんだけど、途中ではぐれて、道に迷い、ここにやってきてしまったそうだ。」
その言葉に、デューは「うんうん」と首を縦に振る。
そして、口の中が空になると、ブリギッドの説明の続きをする。
「本当は、昨夜、ここにたどり着いたんだけど、驚かせちゃったみたいで、出るに出られなくなって・・・」
「じゃあ、昨日のエーディンが見た人影って・・・」
「あ、それ、きっと、オイラだよ。」
思わぬ犯人に、シグルドが茫然となる。
その時、ブリギッドはトレーの上を見て、
「あっと、飲み物を持ってきてなかったな。ちょっと待っててくれ、取ってくるよ。」
と言って、部屋を出ていった。
残された二人。
シグルドが質問しようと口を開こうとすると、それよりも早く、向こうから話しかけてきた。
「ブリギッドさんって、いい人だね。行き倒れの僕にこんなに優しくしてくれて。」
話すタイミングを逸したシグルドは、仕方なく話を合わせる。
「うーん、私が思ってた以上に優しいんだな。ブリギッドにも、エーディンみたいなところがあるんだな。」
「あ、そのエーディンさんって?」
「えっ? 聞いてなかったのか? さっき言ってただろ、君を昨日の夜、見かけた人だよ。」
「でも、ブリギッドさんは誰が悲鳴をあげたなんて言ってくれなかったよ。」
「そうか、ブリギッドは話していなかったんだな。エーディンという人はブリギッドの双子の妹だよ。」
「へえ、そうなのか。
ブリギッドさん、あんまり、ここにいる人のことを教えてくれないから。」
「えっ?」
「なんだかブリギッドさん、ここにいる人に仲が良くない人がいるみたい。
それで、その人に見つかるとオイラまで何言われるか、わからないから、おとなしく、ここにいてくれって言うんだ。」
「へえ・・・。(まあ、アンドレイのことだな。)」
デューが話し終えると、今度はシグルドが質問する。
「−−−デュー、ブリギッドには言わないから、教えてほしいんだけど、本当に行き倒れになってたのか?」
「どういうこと?」
「倒れてしまうくらいなら、逃げたりなんかしないのが普通だと思うんだけど。」
「げ、わかってたの!?」
デューの顔が緊張する。
「−−−実はオイラ、寝てただけなんだよ。蚊にかまれないように、この別荘の周りの、背丈の短い草の上に。
明るい時間に行けば、誤解も無く入れるだろうって、そう考えてたんだ。
それに、驚かせちゃったこともあるから、入るに入れなくて・・・。
でも、そんなオイラをブリギッドさんが見つけて・・・。
オイラ、まだ元気があったけど、あまりに優しくしてくれるから、つい、調子に乗っちゃって、・・・ごめんなさい!!」
頭を下げて、許しを請うデューを見て、シグルドも、ただあっけに取られるばかりで、
「い、いや、私に謝られても、どうしようもないから・・・」
と言うのが精いっぱいだった。
その後、デューが、しつこく聞いてくるので、仕方なく、ブリギッドがどういう人か、そして、ここに何をしに来ているのかを説明した。
その途中で、ブリギッドがジュースを持って入ってくる。
すると、デューは突然話し相手を変え、ブリギッドに話し掛けた。
「ねえ、ブリギッドさん。
エーディンさんとか、ここに来てる人の話をしてよ。」
ブリギッドは、一瞬、ドキッとした表情を見せたが、
「あっ、・・・そうだな、やっぱり言っとこうか。」
と、ここに来ているメンバーの話をし始めた。
それと同時に、シグルドは席を立ち、
「では、私はこの辺で。」
と言い残し、ブリギッドの部屋を後にした。
−−−−その人物は思索をめぐらせた。
(−−−これでいい。
何もかも私の思惑通りだ。
後は、時期を待つだけだ。
−−−『十番目の来訪者』としての出番を・・・)
そして、小さな微笑を浮かべた。
まるで、闇に憑依されたかのような邪悪な微笑を。