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急な移転なので2009/5/29現在はまだですが、5月末〜6月頭を目処に追記や改訂を行おうと考えておりますので、よろしければまたご覧下さい。

旧SNK倒産までの軌跡(私見)

・はじめに

 以下の文章は全て私ことCrymson個人の私見です。
 ゲーム雑誌やムック、書籍や公式発表などをもとにして得た、私自身の意見ですので、「真実」ではありません。読んだ貴方が「考える」ための題材、切っ掛け、叩き台としてくれる事を望みます。

 このようなサイトを開いている事からもわかるように、私は「株式会社SNKプレイモア」および、その前身であり倒産した「株式会社SNK」のゲームが好きです。
 つまり、
私の文章はSNKに肩入れをした、決して中立とは言えないものです。それをご留意ください。
 なお、この文章中で「旧SNK」と表記した場合は「株式会社SNK」を、「プレイモア」と表記した場合は「株式会社SNKプレイモア」を、「SNK」と表記した場合は「株式会社SNK」と「株式会社SNKプレイモア」の両方を意味します。

・旧SNKについて

 旧SNKは1978年に「株式会社新日本企画」としてスタートし、1986年になじみ深い「株式会社エス・エヌ・ケイ」の社名に変更しました(SNKという英語表記になるのはかなり後)。
 「怒」や「アテナ」など、アクションやシューティング、スポーツゲームを発売していましたが、91年11月に「餓狼伝説」を発売。カプコンが91年3月に発売した「ストリートファイターII」で巻き起こした一大格ゲーブームに乗っかった形でした。しかし他社とは違い、乗っかるだけで終わらなかったのが旧SNKの発展の切っ掛けでしょう。
 私がSNKのゲームに初めて触れたのは1994年、小学6年の時でした。
 94年は龍虎2、KOF94、真サムが登場し、ネオジオCDが発売された年です。当時のクラスメイトが小6にしてネオジオCDを購入して驚いたものです(注:定価49800円)。余談ですがこの友人は、95年の阪神淡路大震災の時に、身を挺してネオジオCDを守った漢です(笑)
 さて、この旧SNKですが、94年〜95年あたりから黄金期に突入します。
 この時期に発売されたソフトは、龍虎2、KOF94、真サム、餓狼3、風雲、KOF95、斬サム、RB餓狼。
 餓狼3と風雲は外したような気もしますが、KOFと真サム、RB餓狼はかなりヒットしたと記憶しています。
 その後、96年には「龍虎外伝」で外し、「KOF96」で浮上し、「風雲タッグ」でまた外し、「天サム」で少し盛り返すという浮き沈みの激しい荒技をやってのけます。
 97年には「RBS」、「KOF97」、「月華」、「侍魂」の4本をリリースしました。
 この中でもRBSは餓狼伝説シリーズ中最高傑作と呼ぶ人も少なくありません(この他に「餓狼SP」と「RB2」が最高だという声が多い)。KOF97はもはや不動の人気作で、前作で姿を現したオロチ四天王の残り3人を一気に出したばかりか、レオナと庵の暴走、オロチご本人の登場と、プレイヤーを驚かせてくれました。月華はロケテから見に行きましたが、一見地味。しかし地味ながらも何か不思議な魅力があり、プレイすると引き込まれる名作でした。侍魂は……後の「旧SNKの失敗」で述べますが、私は大好きです。
 98年は、「RB2」、「KOF98」、「アスラ斬魔伝」、「月華2」がリリース。
 RB2とKOF98は、それぞれシリーズ最高傑作の声が多く、システムもキャラのバランスも、かなり調整されていました。アスラは……これもやっぱり「旧SNKの失敗」で書きますが、私はもとより私の周囲の友人はみんなハマりました。私は名作だと思っています。「月華2」は、2D格ゲーの一種の到達点だと思える名作でした。2D格ゲーの名作を3つ挙げろと言われれば、私は「月華2」と「RB2」、そしてカプコンの「ストIII3rd」を挙げます。
 SNKの黄金期はこの時期で既に終わりを告げていました。
 この後の旧SNKはどんどんと失敗を重ね、2001年10月30日に倒産します。

・旧SNKの成功

 旧SNKが成功の切っ掛けを掴んだのは、間違いなくカプコンの「ストII」が巻き起こした空前絶後の格ゲーブームに乗れた事でしょう(それ以前にも「T.A.N.K」、「怒」、「怒号層圏(怒II)」、「怒III」の怒シリーズでビル建ててますけどね)。
 SNKは「餓狼伝説」で2D格ゲーで初めて、奥行きを表現しました。こちらの攻撃を相手が画面奥へ移動して避けたり、画面奥から襲いかかって来る、この感覚はストIIにはないものでした。
 そして後の作品にも受け継がれるSNKの特徴、「キャラの印象的な動作や声」も既に片鱗が見られました。例えば、酒を飲んで真っ赤になったと思ったら急に強くなる。いきなり天井を掴んでぶら下がって攻撃してくる。小さくひ弱そうなお爺ちゃんがいきなり巨大化して暴れ始める。このような、印象的な変化は見事に成功し、プレイヤーの頭に「ストIIではない格闘ゲーム」の存在を記憶させました。当時小学生だった私の周りでも、みんなストIIをやっていても、体育の時間になればテリーの「OK!」と言って帽子を投げるポーズを真似して、赤白帽を投げるという光景が見られました。

 そして「龍虎の拳」では格ゲー界に衝撃をもたらした「超必殺技」と「隠し技」の存在に加えて、一撃必殺&一発逆転の快感、ドラマ性を持った格闘ゲームをユーザーに提示しました。餓狼でも「親の仇を倒すために、仇が開いている格闘大会に参加する」というドラマが用意されていましたがあまり徹底されておらず、主人公が大会優勝した時、まだ仇を倒していないのに「長かった戦いもこれで終わった」と言ってしまったように、穴が多かった。「餓狼」時点では「ストII」の方がドラマ性が高かったのは確かでしょう。
 話を戻して、この龍虎で旧SNKはドラマ性と男臭い世界観、一撃必殺という豪快さでユーザーを惹きつけました。

 「餓狼伝説2」ではその超必殺技を全キャラに導入し、「体力が少なくなったら無条件で使える」というので、初心者でも頑張れば逆転できるという楽しさを提供。また、アジア市場を見据えてキム・カッファンというキャラを作った事が成功し、アジア圏での支持も集めました。
 これまでの流れで旧SNKは、
「ドラマ性を持たせてキャラクターに人気を集める」、「一発逆転の要素」、「派手な演出(ボイス含む)」、「アジア圏での商売」といった基本路線を確立させたのです。

 この時点でSNKが作り出したシステムは、
・前ダッシュ、後ダッシュ
・ラインシステム(2D格ゲーにおける奥行きの概念)
・相手との距離でのズーム
・ガード不能技
・避け攻撃(餓狼2時点で登場していた)
・体力の変化による追加技(ライフ点滅で超必が出せるようになる等)
・ゲージ溜め動作
・挑発
・超必殺技
・当て身技
 といったところ。
 ラインは餓狼以外に活用されている作品を知りませんが、軸をずらす事によって攻撃を避けたりカウンターを狙ったりというのは、後の攻撃避けや緊急回避へと繋がって行ったのではないでしょうか。

 「餓狼SP」で連続技が導入されるものの、この時期には様々な格ゲーが乱発されており、自然発生的に連続技は登場していたと思われます。
 「サムライスピリッツ」で和風格闘ゲーム、武器格闘ゲームという分野に斬り込み、武器を使うことによって龍虎で培われた一撃必殺に、より説得力を持たせた。さらにサムスピでは「怒りゲージ」を導入した。これは、「被ダメージによってゲージが溜まる」という点と「ゲージが溜まると攻撃力が変化する」というシステムの最初でしょう。

 そして、「KOF94」ではユーザーのみならず業界にも大きな驚きを与えた「チームバトル」を導入。
 この「KOF94」では「ガードキャンセル」と「パワーゲージ」という要素も取り入れているのですが、1ヶ月早く発売されたカプコンの「ヴァンパイア」にも同要素があり、ガードキャンセルの実用性は「ヴァンパイア」の方が優れていました。これは、やはり他の要素と同じく、面白い格ゲーを作ろうと頭を悩ませているうちに、出るべくして出た要素なのでしょう。
 しかし「KOF94」には「連続技にコマンド投げを組み込む」という地味ながらも重要な要素がありました(ストIIの「キャンセル」のようにバグかも知れませんが)。何より「攻撃避け」を実用レベルにして広めたのもこの作品でしょう(他社のマイナー作品で「コンビネーション」や「攻撃避け」は既に実装されていたそうです)。
 「餓狼3」で超必以上の威力を持った切り札「潜在能力」が導入。それを「RB餓狼」でパワーゲージと体力量の条件が揃った時にのみ使えるというように進化させました。
 
つまりSNKが作り出したシステムで、今の格闘ゲームで一般化するほど浸透しているものは、
・前後へのダッシュ
・ガード不能技
・パワーゲージ
・ゲージ溜め動作
・挑発
・当て身技
・超必殺技
・潜在能力・MAX超必などの上位超必殺技

 などが代表例ではないでしょうか。パワーゲージについては、先述の「ヴァンパイア」や同年春に出た「スーパーストリートファイター2X」がKOFより早く導入しましたが、それ以前に龍虎やサムスピなどが原型として登場していると判断しました。
 全ての格闘ゲームの基本やガードキャンセル、コンボなどはカプコンが進化させ、逆転や反撃を狙うためのシステム、超必殺技、ゲージシステムなどをSNKが進化させたと私は考えています。
 また、確実にSNKの功罪として「キャラクターの人気」という点も上げられるでしょう。
 設定部分でドラマを作り、良く喋る掛け合いなどの演出により、キャラクターの人気が上昇し、良くも悪くもプレイヤーを虜にしたのはSNKの方針が成功した部分です。ユーザーにとっての成功はこのような感じだったと思います。

 でも忘れてはいけないのは、お店側にとってのハードウェア的な成功。
 
MVSと海外市場、これが旧SNK最大の成功ではないでしょうか。
 
MVSとはマルチ・ビデオ・システムの略で、一つの基板に4つのソフトがさせるという画期的なものでした。これはつまり、一台の筐体で餓狼・龍虎・サムスピ・KOFが遊べるというもの。もしくは、格闘・アクション・スポーツ・シューティングといった別ジャンルを一台の筐体で遊べるというものです。
 当時も今も筐体の単価は非常に高く、中小のゲーセンでは設置できる筐体の数が費用的にも場所的にも限られていました。そして、一台の筐体には一本のソフトしかさせません。新作ソフトが出て購入しても、今人気がある旧作を外して、人気が出るかわからない新作に交換するかどうかという、苦しい選択を強いられるわけです。これでは店側のリスクがとても高い。
 しかしMVSは違いました。一台に4つのソフトが搭載できる。これは旧作を入れたまま新作も入れる事ができ、旧作のユーザーも新作のユーザーも獲得出来るという大きな利点がありました。店側のリスクがかなり軽減されたわけです。(注:初期型のMVSは6つのソフトを搭載できた)
 さらにMVSのもう一つの特徴が店側のリスクを下げました。それは値段が安いこと。一般ユーザーからすれば高い金額ではあるものの、旧SNK末期に出た「餓狼MOW」で149,000円、「KOF2000」だと169,000円、名作「月華2」で128,000円。真サムやKOF94だと68,000円と店側からすれば、他メーカーよりも安い値段設定だったのです。MVS創世記に出た餓狼1だと36,000円、他ジャンルならば3万を切るという低価格。
 この低価格と、4つのソフトを搭載でき、ユーザーが好きなものを選んで遊べるという2点だけでも大したものだったんですが、MVSにはさらにもう一つ利点がありました。
 操作が簡単。
 この点は本当に強かったようです。アーケードゲーム専門誌、月刊ARCADIAの2002年1月号(通算20号)の、SNKの倒産に関連したアンケートで、オペレーター(ここで言う店側の人ね)への「MVSの存続を希望しますか?」という質問に対して、74%がYESと答えています。SNK倒産時点で既にMVSは時代遅れの低スペック基板となっていたにも関わらずです。
 同じ項目で、オペレーターとMVSでゲームを作ったメーカーを含めた共同質問で「MVSがもたらした功績は?」というものには、80%がすばらしい、20%が普通という返答をしています。返答の一例を見てみると、店側の意見は
「資金の乏しいオペレーターの命綱といえるほど安価だった」という直球なものや、オペレーターサイド(店側)に立った素晴らしいシステムと絶賛。メーカー側の意見は「複雑でない構造は、開発のしやすさからソフトハウスの新規参入を促進させた」というものや、「駄菓子屋の軒先でもゲームができるようにしたことは、ゲーム業界への多大な貢献である」というものがあった。
 この「駄菓子屋の軒先で――」というのが非常に重要。
 
旧SNKはMVSの無料レンタルをしていたのです。
 システムはこうです。旧SNKが店側にMVS筐体とソフトを無料で提供し、メンテナンスや新作の補充も旧SNKが担当。店側はただ設置場所を提供するだけ。旧SNK側はインカム(私たちが投入した100円玉ね)の一部を店側に支払い、残りを収益とする。ゲームセンターなどは有料で購入してインカムを自分の店の利益にしなければいけませんでしたが、駄菓子屋やスーパーなどでは、余った少しのスペースにMVSを設置するだけで良く、自分たちの負担は筐体が動いている間の電気代のみ。
 これで旧SNKがお金を払ってくれるうえ、子供達が遊ぶついでにお菓子やジュースを買ってくれるので、店としての売り上げも伸びる。こういった相互利用の形で、MVSの普及は凄まじいものとなったのです。筆者も小学生時代、ゲーセンには行きませんでしたが、ゲームショップやスーパーで度々遊び、中学時代は校則でゲーセンへの出入りが禁止されていたので、学校近くのお米屋さんのMVSでKOF96をプレイしまくりました。
 そして、安価で操作が簡単なMVSは海外への輸出も成功しました。
 MVSのほとんどのソフトには、日本語だけではなく最初から英語やスペイン語などが収録されていたので、各国に合わせた移植作業などの二度手間をせずに輸出できたのです。

・旧SNKの失敗

 さて、続いては旧SNKの失敗について。この積み重ねで倒産まで行ってしまうわけです。
 一応「アルゼとの確執」の項目で述べますが、結果的にトドメを刺したのはアルゼですけれども、瀕死に追い込んだのは旧SNK自身だという事は忘れてはいけません。
 旧SNK最大の失敗は「ニーズが読めない経営陣」の存在だったと思います。
 少し変な書き方ですが、ようは経営陣を筆頭に会社全体が流行やユーザーが何を求め何を楽しいと思うのかを読み取れなかったのではないか、ということです。そして読み取れなかったが故に、己の力量を見誤って無茶な展開をして失敗をする。
 スタッフには罪がないと言いたいのですが、外れるような企画が多かったのも事実なので、言えません。しかしそれを通すのも、そういう企画を出す社員を育てるのも、何より方針を決めるのも、やはり経営陣。今考えてみても、旧SNKの技術力は確かな物があったと思います。後述しますがアルゼもそこに目をつけたと言えるでしょう。
 では経営陣が読めなかったニーズ(ここでは、需要、ユーザーの要求、非ユーザーが興味を持つものという意味で使います)とはなんだったのでしょうか? 私が思い付くもので、大きな例を二つ挙げてみます。

・アミューズメント施設への進出
・専用ハードへの執着


 まずは
アミューズメント施設について書きましょう。
 旧SNKは本拠地である、大阪の江坂にネオジオランドというゲームセンターを持っていました。1号店から3号店まであり、KOF94では1号店、95では3号店が日本チーム(京チーム)のステージで登場するなど、ファンにとっては聖地といった扱いだった。このネオジオランドの展開は大成功だった。しかし、他県にネオジオワールドやネオジオボウルといった店舗を展開しまくり、最終的にはその数12店舗。
 江坂ネオジオランド1〜3号店はゲーセンとしてはかなり大きい部類に入る2階建て×3店舗というものでした。江坂はビジネス街で大阪を代表する街の一つ、決して地価が安いということは無かったと思うのですが、この場所での出店に成功した旧SNKは、江坂よりもさらに大きい店舗を首都圏に作ろうという無茶をします。
 これが「ニーズを読めない」うちの一つ、「人気の原因が読めなかった」という事になると思います。

 江坂のネオジオランドが成功したのは、SNK本社のお膝元(2号店は後のSNK本社ビルであり、当時も旧SNKの開発チームが入っていたと記憶している)という立地で、コアなファンの聖地巡礼というものに加えて、度々ロケテストを開いていたために、ファンにとっては特別な場所だったという事。
 さらにはビジネス街のただ中にある大きなゲーセンという事で、地元の人間にも親しまれ、広く清潔な店内がゲームに興味のない女性客に足を運ばせた。例えばネオジオランド3号店では、それが高じて1階ホールにクレープなどが食べられる喫茶スペースを設置して独自メニューで女性の固定客を掴み、さらに1階は女性客が好むクレーンゲーム等を設置。2階にゲーム機を置いたが、やはり女性やカップルで楽しめるような大型筐体を階段近くに設置し、格ゲーは奥に。3階はビリヤードとカラオケボックスとし、1階の軽食メニューをオーダーできるというサービスを行っていました。
 そのような要素に加えて、同じ名前の大型店が3つ並び立っている(距離的に隣あわせとは行かないけど、本当に至近距離)という事が妙な安心感を抱かせたようでした。一種のネームバリューのようなものでしょう。
 これらが、江坂ネオジオランドが成功した理由だと思います。そして旧SNKの経営陣はそれが読み取れなかったのではないか? もしくは、他の地域でも成功できるという過信があったのだろうか? それは、やはり読み違えたと言わざるを得ないでしょう。
 そもそもSNKは「格闘ゲームメーカー」です。他のゲームも出していたという反論はあるでしょうが、世間一般的にもゲーマー的にも、格ゲーを作る会社という印象しかないでしょう。
 そんな「格闘ゲームメーカー」がどのようなアミューズメント施設を作るというのでしょう。格ゲー好きが喜ぶような施設にすると、それはネオジオランドより小規模なゲーセンで事足りるし、いくらファンでも格ゲーだけでは飽きが来る。一般層に受けるような施設にしようとすると、格ゲーファンはついて来にくいし、何よりSNKには格ゲー以外でヒット作がないので、一般層が楽しめるゲームが少ない。
 他のゲームメーカーでもアミューズメント施設やテーマパークなどに手を出している会社はあります。
 主立った会社は、ナムコ(ナムコワールド、プレイシティキャロット、ナンジャタウン、餃子スタジアム等各種フードテーマパーク)、セガ(セガワールド、ハイテクランド、東京ジョイポリス、Bee)、コナミ(チルコポルト、コナミスポーツクラブ)、タイトー(ハロータイトー、スパワールド)あたりでしょうか。この中で一番成功しているのはナムコかな。
 タイトーはさておき、ナムコ、セガ、コナミの3社は、アミューズメント施設に手を出しても成功する要因があったのです。
 ナムコとセガは格闘ゲームもヒットを飛ばしていますが、レースやアクションといったジャンルでもヒット作を持っている他、アミューズメント施設には絶対にある大型筐体用ゲームでもヒット作を持っています(当時なら、スキーやスノボの体感ゲーム、ガンシューティングなど)。コナミはビーマニやDDRで絶大な支持を得て、一般層への浸透度は抜群でした。
 そして3社に共通すること、それは「一般層に受けるセンスの良さ」でした。SNKは格ゲーファンにはコアな人気を得ていましたが、そのせいで一般層に受けるセンスは培われていなかったのです。
 そのあたりを読めずに、アミューズメント施設への夢を膨らませた結果が、失敗に繋がりました。

 次に、
専用ハードへの執着について書きます。
 SNKの専用ハードと言えば、皆さんご存じ「ネオジオ」。実は先述のMVSもネオジオと呼ばれますが、ここでは家庭用ハードのネオジオを意味します。
 バブルの末期に登場したネオジオは当時最高のスペックを誇りました。その当時の最新機種は任天堂のスーパーファミコン(ネオジオと同じ年に登場)。128ビット機が主流の現在では信じがたいですが、16ビット機でも当時の子供達は凄い凄いと喜びました。
 そこに100Mのゲームを動かせる化け物が登場したのです。CPUこそスーパーファミコンと変わらない16ビットでしたが(注:ネオジオのCPUは32ビットとして設計され、一部が32ビットのスペックになっているらしい)、その他のパワーが違う。スーパーファミコンでは末期の最大容量でも24M、最後の最後で「スターオーシャン」と「テイルズオブファンタジア」で48Mという今までの壁をぶち破るソフトが発売されましたが、ネオジオは「餓狼伝説」で既に55Mという他機種では移植不可能な大容量だったのです。その後、「龍虎の拳」で102Mという大台に乗せると、旧SNKは100メガショックのキャッチコピーで業界はもとより意味がよく分からない子供にも衝撃を与えたのです。
 そのままソフトの容量は増えていき、100Mを優に突破し続けると100メガショックのコピー表示をやめて、公式のスペックである「MAX330M」を表示するように変えましたが、まだ容量は膨らみます。ファミ通で連載されていた柴田亜美の漫画だったか、伊集院光だったかに「330M越えてるじゃん」とか突っ込まれてからは、気付けば「GIGA POWER」という妙な表示に代わり、旧SNK末期の格ゲー「餓狼MOW」に至っては、なんと702M。スペック表の「直接ROMアクセス能力:330M」というのはどこに行ったのか。10年前の16ビットマシンでここまで出来るのかと、旧SNKの技術とネオジオの凄まじい性能がうかがい知れました。
 しかしこれが高かった。
 当時スーパーファミコンが定価25,000円だったのに、ネオジオは58,000円。
 発売年のネオジオは一部ショップでしか取り扱わない試験販売を行っており、メインはなんとTUTAYAなどで本体ごとレンタルするという、まったく新しい手法でした。翌年には48,800円に値段を下げて一般販売を始めたが、まだ高い。そしてデカイ。ソフトまでデカイ。柴田亜美の漫画でよく「ネオジオのカセットで撲殺できる」というようなネタが出てくるが、それを納得させるぐらいの大きさで、ちょっとした辞書ぐらいでした。
 高いながらもネオジオはコアなファンに支持され、その後ネオジオCDを出しますが、読み込みが遅すぎて不評だったため、さらにネオジオCDZを出しました。
 
失敗と言って良いのかは難しいですが、これも失敗に数えます。
 ネオジオCDは94年9月発売。その3ヶ月後、「1.2.3でゲームが変わる」のキャッチコピーで実際にゲームを変えてしまったハードが登場します。94年12月3日、プレイステーションの発売。16ビット機のネオジオCDに対して、32ビット機のプレイステーション。値段はほぼ拮抗した4万円台。続いてセガサターンの登場。
 ライトユーザーがプレステ、サターン、ネオジオCDを提示されて、どれが欲しいかと聞かれた場合、ほとんどの人がライトでポップなうえ、次世代を感じさせたプレステを選ぶでしょう。次に昔からのセガファンを獲得しているサターン。次世代機に押されてしまって、ネオジオCDは影を潜めます。
 ネオジオCDはファンからの評判もあまり良いとは言えません。ネオジオの魅力である「業務用を完全移植」は完璧とは言えないまでも許容範囲内でなんとか守っていましたが、パワーのあるネオジオとは違い、細々としたデータをその都度読み込む必要のあったネオジオCDはロード時間が長く、そして格ゲーでは致命的なまでにロード回数も多かったのです。
 さらに、コアなファンからすれば、「約6万のネオジオ」→「約5万のネオジオ」→「本体は約5万で移植も遅いが、ソフトは安いネオジオCD」→「さらに値段は大差ないが読み込みが早いCDZ」といったふうに次々に新機種を出され、「高い金を出して買ったのに……」と落胆しきり。
 MVSだけで見ると大成功で、ネオジオ自体も買うべきファンは買っていたので、ここで終わっておけば、「旧SNKの失敗」とまで言わずにすんだのかもしれません。しかし――
 
旧SNKは2つの大失敗を犯します。
 その名は「ハイパーネオジオ64」と「ネオジオポケット」。

 これは先述の、経営陣のニーズの読めなさも関連しますが、完全に失敗しました。

 
ハイパーネオジオ64(以下HN64)は、文字通り64ビットのCPUを積んだネオジオの上位機種でした。
 基本性能は高く、値段も高い。2Dの処理技術に優れるため、3Dゲームだけを出す。
 何を言ってるんだとお思いでしょうが、これが旧SNKの選択だったのです。
 低価格を売りにしてヒットしたネオジオ(MVS)なのに、この64は凄まじく高いのです。第一弾ソフト「侍魂」だとお値段670,000円。これは雑誌「月刊ネオジオフリーク」に掲載された値段ですが、旧SNK倒産時に「月刊ARCADIA」で組まれた特集を見ると260,000円となっています。矛盾するなと思った所に、当時の噂を思い出しました。旧SNKはHN64の発売当初、筐体ごとセットで売っていたというのです。店側はこれに憤慨しているという話を各所で聞きました。これは噂ではなく実際に、初代の「侍魂」とHN64本体はセット販売のみだったそうです。つまりHN64筐体の価格は410,000円となるわけですが、260,000円の侍魂がセットだから、670,000円となってしまった。確かに高い。しかもそんな高額のセットでしか売ってくれないのであれば、店側はそう何台も仕入れられない。ただでさえ発表されているゲームが売れるかどうか怪しいのに。
 そう、その時発表されていたのは「侍魂」、俗にポリサムと呼ばれる3Dサムスピです。そのグラフィックは果てしなく微妙で、いくらなんでもこのポリゴンはないだろうと思ったものです。実際人気は出ず、サムスピファンの間では駄作というイメージで定着してしまっているようです――が、私は大いにハマリました。それまでサムスピに興味が無かったのが手伝ったのか、服部半蔵の「3Dでしか無理だ!」と思わせるような連続投げに心酔したのです。
 続編「アスラ斬魔伝」は、私ばかりか周囲の友人全員がハマって、日夜ゲーセンに繰り出していたのですが……これも世間では駄作呼ばわり。余談になりますが、少し前に近所のゲーセンでこれが再入荷されたので友人らと遊びに行ったのですが、大抵順番待ちになるといったコアな人気がありました。
 さて、このHN64ですが、先述の通り2Dが得意な基板なのです。
 「侍魂」の時の一閃グラフィックや、「アスラ」のキャラ選択画面などは、今見ても驚くほど美麗です。2Dのスプライト表示能力はネオジオの4倍で、スプライト一つ一つの大きさを個別に変えることができるなど、様々な2D表現に特化したものだったのです。それなのに旧SNKが選択したのは、「流行りの3Dゲーム」でした。3Dのノウハウなど持ち合わせていないのにです。
 その結果、「餓狼ワイルドアンビション」で完全な失敗をやらかします。「アスラ」のようなコアな人気があるゲームではなく、この「餓狼WA」は気持ちいいくらい外しました。地元のゲーセンでも私しかやっていないというくらい。侍、アスラと来たのに進化するどころか劣化した3Dグラフィックに、盛り上がらないゲームシステムが合わさって、見事な駄作の完成です。カプコンの3D「ファイナルファイト」並に外しました。
 でもそこで止まらないのがSNK。満を持したつもりで「武力 BURIKI・ONE」を登場させます。女性キャラ無し。飛び道具無し。動けば動くほどスタミナが減るリアルさ。漢のゲームです。あまりにも男臭くて外しました。マニアックなものからメジャーなものまで、さまざまな流派の異種格闘技大会でしたが、今考えるとその流派の動きを再現できていたのかも疑問です。特に太極拳は、私自身が武術太極拳を始めてから、ちょこっと触ってみた限りではまったく再現できていませんでした。(後日注:どうもモーションキャプチャーしていたのが、やられるモーションだけで、それもスタッフなどで済ませたようです。つまり、武術の動きは想像によるプログラム)
 そんなこんなで、
「HN64は高いだけでろくなヒット作も出せずに終わった」わけです。

 続く
ネオジオポケットは携帯ゲーム機です。
 ネオジオやスーパーファミコンと同じく16ビットのCPUを搭載し、十字キーの代わりにグリグリと動くレバーを採用したという、格闘ゲーム特化の携帯機。スペックでいうと間違いなく2000年末までは最高でした(このあたりは、Webサイト「ネオジオフリークサポートページ(非公認)」さんに詳しいですので、当該記事にリンクを張っておきます)。
 プロモーションも力を入れ、雑誌はもちろんTVCMまで流し、キャッチコピーも「I'm not Boy」とゲームボーイを挑発するようなものでした。デザインも秀麗で、色も最初から8種類あり、そのうちの2色がゲーム機としては珍しい迷彩色だった事や、宣伝内容もシティ派ゲーム機といった雰囲気で押していたので、ネオジオを知らない人からも「なんだこれは」という注目はあったと思います。旧SNKはこれでグッドデザイン賞を取っています。
 しかしネオポケは「大失敗」に終わります。私はこれが成功しなかった理由は4つあると思います。
・周辺機器開発の遅れ等、時期を焦った
・ソフトラインナップが新規ユーザーを取り込めるものではなかった
・発売1週間前に、王者ゲームボーイの新機種、ゲームボーイカラーが発売された
・早すぎる新機種の発表

 まず、周辺機器として無線通信で対戦できるというものや、音楽が聴けるという、今のPSPの売りと同じような物が構想されていました。しかしこれらの発売日や価格、対応ソフトの数などが問題でした。ユーザーが欲しいと思う気持ちを醒めさせるには充分。ストラップでさえ本体よりも一ヶ月遅れ登場という愚鈍さ。次項目の「ゲームボーイカラー」とも関連しますが、業界の流れとユーザーのニーズをまたも読めなかったのです。
 その頃のユーザーは、カラーの携帯機を待っていました。携帯ゲーム業界に切り込んできたネオポケは、まだモノクロだったのです。そして発売日の丁度1週間前にカラーのゲームボーイが登場してしまっては、ユーザーの眼はそちらに行ってしまいます。皮肉にも「I'm not Boy」で登場したネオポケは、否定したその「Boy」によって叩きのめされます。
 ネオジオユーザー達でさえネオポケに夢を見ながらも、本心では「本当に大丈夫なのだろうか?」という不安が大きかったのです。それはラインナップからして失敗を予感させたからでした。
 本体と同時発売予定だったソフトは以下の通り。「KOF R-1(格闘)」、「めろんちゃんの成長日記(育成)」、「将棋の達人(将棋)」、「通信四人打ち どこでも麻雀(麻雀)」、「ネオジオカップ98(サッカー)」、「ベースボールスターズ(野球)」、「ポケットテニス(テニス)」、「連結パズル つなげてポンッ(パズル)」。
 このラインナップを見た瞬間、ユーザーは失敗を確信したのです。
 まず、主軸にすべき格闘がKOF一本。「めろんちゃん」は二昔前の萌え系イラストで描かれ、画面はモノクロのデフォルメ調。恋愛シミュでもないので、そういう層が取り込めず、取り込もうと思っても恐らく彼らは萌えなかったはず。
 「将棋の達人」は将棋ゲームなのにキャラがやはり二昔前の格好良い系イラスト。しかも、ネオポケを買う層が将棋をやるとは思えない。麻雀もしかりで、通信四人打ちは売りかもしれないが、ケーブル接続は二人まで。無線で多人数接続するための周辺機器は、先述の通り出遅れていた。なによりも、将棋や麻雀をやる層がネオポケを買うか否かと言えば否だろうし、ネオポケを買ったとしても彼らがネオポケのCPUで満足できるかというと……そうではないと思う。特に時代遅れ漫画調で描かれたイラストには不安になるだろう。
 スポーツ3種類は言うまでもない。一応ベースボールスターズはSNK伝統のスポーツタイトルだけども、イラストも雰囲気も全部スーパーファミコン時代のセンス。面白そうだとは微塵も思えないというのが、当時の私の感想でした。
 パズルは……上手くやれば成功したのかも知れません。でもやっぱり魅力を感じませんでした。なぜマジカルドロップを移植しなかったのか不思議でなりません。
 
1998年10月28日に7,800円で発売したネオポケでしたが、実はこの同時発売ラインナップのうち、野球と将棋と麻雀はひと月発売延期になったのです。つまり、同時発売されたのは「KOF]、「めろん」、「テニス」、「サッカー」の4本のみ。焦りすぎて完全にスタートに失敗しています。重ねて言いますが、なぜサードパーティのゲームを出さずに旧SNK製ソフトだけで行こうとしたのか(一応、夢工房とADKは開発に名を連ねていた)。
 そして、発売直後のゲームショーで、ユーザーに激震を走らせる発表が行われます。

 
セガの家庭用ハード「ドリームキャスト」との連動と、「ネオジオポケットカラー」の発表。
 発売してひと月で上位機種の発表です

 これには喜びよりも、戸惑いや怒りの方が勝ります。7,800円出して買った新機種が、ひと月で古い機種の烙印を押されたのですから。これでネオポケカラーが「作りますよ」という声明程度ならばよかったのですが、すでに実機の試作品が公開され、画面にはカラーになった「KOF」が表示されていました。
発売日は1999年3月19日、価格は8,800円。なんと、モノクロから半年も経たないうちにカラーの上位機種が発売されてしまったのです。しかも値段はわずかに1,000円増えただけ。
 ネオジオ→ネオジオCD→CDZ→他機種への移植開始という数度の「裏切り」に耐えてきたユーザーや、それを「仕方のないことだ」と容認してきたユーザーの中でも、この一件で完全にSNKに不信感を覚えたという人は少なくありません。当時高校生で、財政が逼迫しているなかでネオポケを購入した私も、カラーが出て嬉しいと思う反面、この7,800円はなんだったのかと腹が立った記憶があります。
 ユーザーの気持ちもそうでしょうが、もう一つ重要な点がありました。カラー発売までの5ヶ月間、モノクロ版が売れないのです。そうして売れないのにソフトを出す会社も少なく、ユーザーも買い控えました。発売直後に5ヶ月も空白期間を置くというのは自殺行為です。カラーが発売されても、ユーザーの心はあまりついて来ず、モノクロを買った人がカラーを買わないということも多々ありました。
 一応私は購入したのですが、カラー購入には後悔していません。カラー発売後のネオポケソフトは中々頑張っており、「SNK VS. CAPCOM」シリーズは名作揃いでした。ただ、モノクロ版購入は後悔しています。
 そしてさらにカラーの発売から半年後、1999年10月21日に6,800円で軽量化に成功した新型ネオポケが発売。
 今度は8,800円で買った、あのカラーは何なんだという事になりました。

 HN64とネオポケで、ユーザーからも店側からも不信感を持たれた旧SNKはどんどんと衰退していきます。
 MVSも当時流行りのプリクラに便乗するため、「ネオプリ」という筐体の基板として流用しまくったせいで、ゲームが欲しい店側に行き渡らないという事態が起こったそうです。ネオポケは海外展開にこだわったものの、完全に失敗してしまいます。
 自社の専用ハードにこだわった結果が、自力での立て直しが不可能だと思えるほどの業績悪化でした。
 プレイステーションの発売とネオジオCDの発売がぶつかり、プレステ、サターン、ニンテンドウ64の次世代機戦争に巻き込まれ、ゲームボーイカラーとネオジオポケットの発売がぶつかり、ワンダースワンという2番手争いの強敵も現れた。これは偶然と言うよりも、業界の流れが読めなかったと言えるのではないでしょうか。
 ライバルだったカプコンは、プレステ発売後「バイオハザード」の発表で一気に業績を上げています。鉄拳を出していたナムコに至ってはプレステの盟友といった位置で成功していました。同じ自社ハードにこだわったセガはサターンで敗北を喫します。
 プレステ2発売後はそちらに迎合すれば良いものを、旧SNKはなぜかまた自社ハードにこだわるセガのドリキャスと迎合します。私個人の意見としてはドリキャスはたぐいまれな名機で、旧SNKとの相性も良かったと思います。しかしメジャーにはなりきれませんでした。
 
自社の何をユーザーが求めているのか、非ユーザーが魅力を感じるのは何か、自社の力量で何が出来るか、業界全体の流れはどうなっているのか、こういった全てを読み取れず、馬鹿の一つ覚えのように自社ハードという夢に執着しすぎたのです。これは愚かと言わざるを得ないでしょう。でも私はそんな旧SNKが大好きでした。
 そうして
最後の失敗、アルゼとの提携がやってきます。

・アルゼとの確執

 アルゼとはパチンコ・パチスロメーカーの大手です。
 K-1のスポンサーをしているし、様々な家庭用ゲームを発売しているので、ご存じの方も多いでしょう。
 ではアルゼの家庭用ゲームがある時期から急に増え、クオリティが上がったのはご存じでしょうか?
 その時期とは、旧SNK倒産前後。ここでは、アルゼとSNKの確執について描きたいと思います。

 まずは大まかな流れを。
1.旧SNK、経営悪化
2.アルゼ、旧SNKに提携の申し入れ。提携へ。
3.アルゼ、旧SNKに貸し付け金の50億円分である500万株の新株を発行させる。
4.アルゼ、約983万株中の500万株を取得し旧SNKを子会社化。
5.旧SNKとアルゼ、社員交換やリストラを行い、旧SNKの技術者が減っていく。
6.旧SNK、民事再生を避けるため特定調停を申し立て、アルゼも同意。
7.旧SNK、アルゼに切られて不渡りを出す。民事再生手続きへ。
8.旧SNK、再建案が株主(アルゼ)に認可されず、民事再生手続き断念。
9.旧SNK、倒産
 このような流れになります。

 この件についてはアルゼは多くを語らず、真相は分かりませんが、旧SNKやプレイモア、ゲーム雑誌や一部書籍に事の顛末が載っています。しかしこれらは大体がSNK側の主張ですので、そこはご留意ください。忘れてはいけないのは、トドメを刺したのがアルゼでも、トドメをさされるほどの瀕死に持って行ったのは旧SNK(の経営陣)自身であるということ。
 参考にするのは下記の資料です。
・月刊ARCADIA 2002年1月号(エンターブレイン)
アルゼ王国の闇――巨大アミューズメント業界の裏側(鹿砦社)
・旧SNKのプレスリリース等
・プレイモアのプレスリリース等
 この中で一番詳しく書かれているのは「アルゼ王国の闇」ですが、この書籍は冒頭で「公正中立ではない」と宣言する反アルゼの書籍なので、この文章と同じく「これが真実か」と鵜呑みにはしないで下さい。

 経営悪化という危機に瀕した旧SNKに手を差し伸べたのは、アルゼという会社でした(書籍によると、99年11月末)。
 ユーザーはその巨大な会社が手を貸してくれるのならば、旧SNKは安泰だと喜びましたが、次第に風向きがおかしくなります。ネオポケはどんどん新作が出るのに、肝心のアーケード新作が出ない。それまで年間4作ペースで格闘ゲームを出していたのに、2000年はKOF2000の1作のみ。そのKOFも頑張ってはいたものの調整不足が丸見えで、ゲーセンでは無限コンボが横行し、プレイヤーが一気に離れるという始末。
 この裏で何があったのか、先述の書籍「アルゼ王国の闇」を参照したい。
 まず、アルゼがSNKの親会社となった件ですが、当時の旧SNKの発行株式は483万株弱だったそうです。旧SNK側は1株を6,500円と算定してアルゼに資本参加を要請しますが、アルゼは6,500は高いとして申し出を拒否。アルゼは1株1,000円として500万株、つまり50億円分の株式を発行させ、それを買い取るという形で旧SNKに資金を提供します。つまり、アルゼは500万株を手にし、旧SNKは50億円を手にするという事です。旧SNKの発行株式は一気に増え、983万株弱になりますが、過半数をアルゼが持っているため、アルゼは親会社となって旧SNKを子会社化する権利を得ました。
 SNK会長の川崎氏は「経営にも責任を持つという覚悟なんだな」と思ったそうです(書籍では川崎氏にも取材しているので、川崎氏の考え等は「真実」だと思っても差し支えがないでしょう)。
 アルゼは旧SNKを子会社とし、社長の岡田和生氏(現・アルゼ会長)自らがSNKに乗り込み、代表取締役会長となりました。
 あまり詳しく書くと、書籍の著作権を侵害する可能性があるので、ここでは書籍やプレスリリースなどを読んだ上で生じた、主観的な私の考えを書きます。客観的ではありませんので悪しからず。

 まず、アルゼは旧SNKの技術力と海外市場が欲しかったのではないかということ。
 現在のパチンコ・パチスロがアニメーションを前面に押し出した作りになっている事は、それらをたしなまない私でも知っています。そのような技術はTVゲームやビデオゲームのノウハウを持っている会社ならば、すぐに転用して身に付けることが出来るそうです。
 旧SNKはキャラクターの描写に定評があり、映像表現などの技術はかなりのものがありました。これは推測ですが、ネオジオという10年以上前のハードで現行のゲームと渡り合ってきた事もあって、ハードの限界を把握して性能を活用する技術というのも、アルゼのお眼鏡にかなったのではないでしょうか。
 もう一つの海外市場は、カプコンやセガ、ナムコといった業務用の格闘ゲームを出しているメーカーの中では随一。特にアジア圏では旧SNKの独壇場でした。アメリカなどでも一定以上の支持は集めていたようです。
 旧SNK末期、作品のクオリティが下がり、発売される数も減ってきた頃、「SNKの社員がアルゼに引き抜かれている」と言われ始めました。これは実際に引き抜かれており、旧SNKが末期に作った「クーデルカ」の続編的なソフト「シャドウハーツ」がアルゼから発売され、現在でも家庭用ソフトの主力となっています。ただこれは、彼らがSNKに残ってもここまでのヒット作を開発するための予算や期間、下手をすれば機会さえ与えられなかった可能性が高いので、ソフト開発者としては幸せな事かも知れません。元SNK社員が今何人アルゼに残っているかは別として。後述しますが、SNK名物広報の高津祥一郎氏もアルゼに引き抜かれた後、退社して起業しています。

 アルゼは何度も方針を変え続け、一度は提示した「ドリームキャストのチップを利用したネオジオ2による再起」を自ら破棄します。
 そして、旧SNKから吸血するように人的・物理的な資源を得たアルゼは、急遽方向転換をします。
 旧SNKの主張によると、アルゼは「自社への借金の完済」を再建協力の条件とし、旧SNKへのパチンコの出荷をストップしました。我々は「SNKなんだから、自分でゲームを作ればいいじゃないか」と思ってしまいがちですが、その頃になると旧SNKは親会社に開発能力を奪われていたのです。つまりは、パチンコの製造販売を主軸にせざるを得なかった。それなのにパチンコの出荷を止められると? 売る物がなくなるわけです。売る物がなければ「借金の完済」なんてできませんよね。つまり、アルゼは旧SNKに「商売する手段は全部取り上げたけど、貸した金は返さないと協力しないよ」と言ったわけです。端的に言うと、「潰れろ」ということです。
 アルゼは旧SNKに民事再生手続きをさせるように進め、不渡りを出させると、手の平を返したように債権者となります。しかも会長だった岡田氏はちゃっかりと退任し(旧SNKの発表によると不渡りを出してから、日付をさかのぼって退任した扱いになっているそうです)、経営責任から逃れます。
 追い込まれた旧SNKは自主再生による事業計画と再生計画を発表し、民事再生手続きを開始しました。なおこの間に、「旧SNKが開発し、アルゼが既に商品化して販売したパチスロについては、アルゼが対価を払う」という基本合意をアルゼが一方的に反古にしたと、旧SNKの書状にあります。当時、アルゼの四半期のパチンコ出荷の57%以上が旧SNKが作った「クレイジーレーサー」だった事を考えると、本来旧SNKに支払われるはずの額は相当な物になったと思われます。
 苦境におちいりながらも、なんとか踏ん張ってきた旧SNKですが、株主総会で異常事態が起こります。
 ゲームマシン2001年8月1日号でその事が触れられていますが、議案がことごとく否決されたというのです。株式会社の株主総会では、33.4%以上の株を持つ株主は否決権を得ます。その否決権を行使したのが、本来子会社を救うべき立場である、親会社アルゼだったというわけです。
 そして2001年10月30日、株式会社SNKは倒産しました。

・その後のSNK

 2001年に倒産したのにKOFは続いていますし、SNKの名前を見かけることもあります。この項目では、ブレッツァソフトという謎の会社から始まった、SNKの復活劇について書きましょう。
 旧SNKの倒産と前後して、なぜか「KOF開発スタッフ募集」をうたう会社が存在しました。その名はブレッツァソフト。サイトを見てもどんな会社かまるっきりわからない。ただ、出来たばかりの会社だという事と、旧SNK本社の側にあるという事だけがわかりました。
 気付けば、旧SNKの倒産前後にはプレイモア、サンアミューズメントという会社も誕生していました。
 旧SNKが息絶えたのとほぼ同時期に、プレイモア、サンアミューズメント、ブレッツァソフトは動き出します。なんと誰も聞いたことの無かったプレイモアが、旧SNKの知的財産を全て引き受けたというのです。(はっきりとしたソースは提示できないのですが、アルゼとの競売に買ったという話も聞きました)
 サンアミューズメントがネオジオやMVSの販売やメンテナンスを行い、プレイモアが版権を管理、ブレッツァソフトが開発という体制で、SNKゲームの再興をうたったのです。ユーザーは嬉しいながらも寝耳に水でした。どこの誰ともわからない、そう思っていたら実はこの3社、どれも旧SNKの社員が作った会社だったのです。
 プレイモアは韓国のメガエンタープライズと共同出資してSNKネオジオコリアを設立。同じく中国にもSNKネオジオチャイナを作り、アメリカにはSNKネオジオUSAを。
 ここに、韓国のイオリス社と日本のマーベラスエンターテインメントがKOFの販売権を得て開発を開始します。
 正確にはイオリスはKOF2001と2002のスポンサーとして出資し、開発者を派遣したというだけで、メインで作ったのはブレッツァソフトです。韓国側の意見や要望もかなり入り、2002の後は契約を続けていない。風聞では仲違いしたということだが、真相は定かではない。ただ、このKOF2001があまりにも韓国色が入りすぎて日本のファンを突き放す形となり、2ちゃんねる等を中心に「プレイモアは韓国の会社だ」という誤解が広まってしまいました。
 マーベラスが作ったGBAソフト「KOF EX」はマーベラス自身が「KOFのネームバリューを利用してヘヴィユーザーを確保する」と宣言し、調整も減ったくれもない、史上最低のKOFに仕上がった(全員小足払いで倒せるという、格ゲーでさえない状態だったそうだ)。発売後、マーベラスの公式掲示板は苦情や怒りの声であふれかえり、数週間経った頃には掲示板閉鎖。それ以後マーベラスは「KOF EX2」を最後にゲーム開発をマーベラスインタラクティブで行うようになり、マーベラスエンターテインメントはゲームを作らなくなりました。

 その後、サンアミューズメントはSNKネオジオと社名を変え、ブレッツァソフトを吸収。SNKネオジオコリアとチャイナは気付けばその名前が無く、SNKプレイモア香港という会社になっていました。SNKネオジオUSAはそのままSNKプレイモアUSAに。そして、プレイモアはSNKプレイモアを名乗ります。

 現在、SNKプレイモアはSNKネオジオを吸収し、新たなSNKとなっています。
 「コピペでしかゲームが作れない」、「過去の遺産を食いつぶしている」、「意見は聞くが反映はしない」、「良作は全部外注が作った」といった酷評を浴び続けていますが、今の「SNK」はSNKプレイモアなのです。
 一応擁護しておきますと、旧SNK最盛期に1200人を越えたスタッフは、旧SNK末期に220人程度まで減少しています。SNKプレイモアの2005年4月1日時点での社員数は230人。旧SNK倒産間際の人数しかいないのです。
 技術者はアルゼやカプコン、サミー、ディンプスなどに流れ、SNKイラストの顔だった森気楼氏もカプコンに在籍しています。
 でも我々ユーザーが求めるのは旧SNK全盛期のクオリティとサービス。
 これはいくら何でも酷ではないかなと思って、私は溜飲を下げることにしました。
 SNKの名前を継ぐ事のプレッシャーに負けず、諦めたり投げやりになったりせず、そして何よりもSNKブランドの名前に驕らずに、SNKプレイモアの方々には良いゲームを作るよう成長していって欲しいなと思います。SNKの復活劇はまだまだ途中なのですから。

2005/04/01 文責:Crymson
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--------SNKとアルゼに関してのその後--------
・SNK対アルゼの法廷闘争履歴を時系列ごとにまとめた表--05年07/09の雑記
・「アルゼ王国の闇」著者逮捕--05年07/13の雑記
・著者逮捕に関連してSNKプレイモアを捜索&パチンコ業界と警察の関係--05年07/29の雑記
・アルゼがプレイモアに対して旧SNKの知的財産権を不正入札したと訴えた件--05年09/29の雑記
・アルゼ社長がヒューザー事件に関連して辞任&その後--06年01/18の雑記
・「アルゼ王国の闇」著者に有罪判決--06年07/04の雑記


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