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KEY系ゲーム考察

KEY系ゲームを検証して、色々な謎へと迫ろうというコーナーです。
最初はCLANNAD一色になるかと思いますが、AIRの考察もしていきたいですねえ。
   CLANNAD考察2 エピローグ検証(トゥルー)
※この考察は、親サイトに掲載したものを、そのまま転載したものです。
 
 いきなり飛びまして、渚トゥルーエンドのエピローグで、風子が見つけた可愛らしい匂いの正体=タイトル画面の少女についての検証を書きます。
 えっと、何のことかさっぱり、って人は、このイベントが発生するための条件を満たしていないと思われます。ので、やり直してくださいw
【タイトル画面の少女について】
・結論
 少女=幻想世界の少女=この町(の意思)≒汐・渚であると言うことです。≒なのは、そこに「複数の人格」があるからです。この図式は、渚が町と一体になった瞬間、渚と汐(汐編の)の違い、幻想世界の検証、「ソララド」の「空に光る」で明らかになりました。ちょっと汐シナリオと幻想世界の2つだけの視点でしか見てなかったのが、全体像を見えなくしていました。
 鍵は「人格(パーソナリティ)」と「意思/目的」です。
・渚
 渚は、不慮の事故(みたいなものでしょう)で瀕死になります。どうしようも無かった渚は、秋生に連れてこられた「この町の願いが叶う場所」で、渚を助けてくれるよう願い、それに町が応えて渚は助かります。ただ、この時に渚は「この町」と一体になります。何で町が助け、町と渚が一体となったのかはよくわからないのですが、当時は自然が多く、光の玉も相当数舞っていたと思われますし、何より「この町」を愛してやまないオッサンの頼みだったので、町もそれに応えたのかもしれません。
 ただ、この時点で渚は、「この町」というもう一つの人格を持ってしまうことになります。そのため、その人格が幻想世界の言葉を発したり、町の自然が破壊されるたびに寝込んだりという事態を招きます。冬に動けなくなるのは、単に緑が無くなるからなのか、幻想世界の少女とリンクしているのかわかりませんけど。
・誕生編
 誕生編では、渚は「母親の強さ」と、支えていた朋也のおかげで汐を生みますが、渚が「この町」と一体になっていて、それが汐に移ってしまったために、渚個人の人格は支えを失い渚が死にます。「この町」の人格が2人についているのもおかしな話なんで。ただ渚は「母親の強さで…」生んだことにより、自身の目的は達成されてしまいます。ここで渚が死んだとしても、渚は後悔していなかったと思います。
・汐編
 ここでの汐を、どう取るかが非常に難問なのです。と言うのは、汐を「現実的な面」と「願望的な面」の二面性のあるキャラと捉えると、汐もまた、汐という人格と「この町」の人格の2つを共有していることになりますが、汐はまだ5歳なんで、汐の人格は育っておらず(もしくは無い)、「この町」の人格に限りなく近いものしかなかった可能性もあります。朋也との2人の生活を求め、朋也との旅行で存在を認めてもらい、そしてその願いは叶います。ただ、「この町」の自然はほとんど消滅してしまいます。そのため、汐は一度の発熱で立ち直れなくなり、そして最後のりょこうへと繋がります。
 ここでのポイントは、汐の人格は、渚から「この町」の人格だけ引き継いでいると言うことです。渚のときは一杯愛してもらえたのに、汐として生まれてからは5年もの間、その好きな人と離れさせられてしまいました。で、やっと認めてもらえてからの汐の朋也への懐きようは、渚の生き写しである汐、というよりは、「この町」の人格を引き継いでいる汐だからこそ、あそこまで急速に懐いたのだと考えると頷けます。そう考えると、汐の朋也を見る目は、シビアな面もありますが、娘としてだけの視線ではありませんでしたよね。それが、最後の言葉にも繋がると思います。「…だいすき…」って。
・幻想世界
 時間軸は、ゲームの冒頭のところ以外はすべて、ゲーム本編の流れと同じだと思います。色々とループしている本編と違い、こちらはループすらしていないと思います。そうやって考えると、ややズレがあるかもしれませんが、小屋の周辺=学校編、旅が始まる=同棲編以降(学校から卒業する)と考えるとわかりやすいでしょう。
 そして、朋也(光)がこの世界に来たタイミングは、「この町」の人格と一体となっている、渚に声をかけた瞬間です。ちなみに学校の外で出会ったことが隠されたポイントだと、勝手に思ってます。
・ガラクタ人形の人格
 ガラクタ人形=朋也なわけですが、現実世界の朋也の性格や目的はどんなでしょう? ネガティヴで目的も何にもないやつだと思うんですがw で、好きになった人を求め、人との繋がりに自分が生きる目的を見つける、そんな「人格」だと思います。が、人形の人格はそれとは正反対ですよね。自らが知るあたたかな世界を目指して、少女の手を引いて進む目的を実行しました。
 共通点は、どちらも「その世界が嫌い」という感情だけです。嫌いな世界で1人浮いていた存在を見つけたのは、必然だったとさえ思います。
・少女の人格
 少女≒渚と考えるとわかりやすいのですが、この2人もハッキリしていますよね。渚って、朋也とは逆で、いつも何か目的を持って生きていますし、1つの目的が終われば次、という生き方をしていると思います。そしてAfter以降は、1人の人間として強く生きることを目的とします。
 反面この少女は、何の目的もなく生きてますよね。そして限りなくネガティヴです。獣が緑を食い荒らすのを見てても「仕方のないこと。変わっていくんだなって、思うしかないことなの」と感じていて、かなり受身な捉え方しかしていません。が、人形のおかげで日々の目的を持てるようになり、その中で感情が通い合う喜びなども得られたように思います。
 で、この少女の人格は、現実世界では真逆の形で表面化しています。いや、もしかしたら真逆な渚だからその人格が表面化できなかったのかもしれません。それは、汐編の汐が、朋也と一緒に暮らすことを実現した後発熱するまで、朋也と過ごす時間だけを楽しんでおり、目的はそこにしかなかったと言うことです。発熱した後、朋也に何がしたいか聞かれたときには、汐は自分で「りょこうしたい」と言いました。これは、幻想世界と真逆な感情が出た、と言うよりは、むしろ自分がしてもらって楽しかったことを、今度は自分から実現したかったんじゃないかって思います。少女の人格がかなり成長して、受身な状態から変わりつつあったような気がするのです。
 ちなみに、少女と渚・汐との共通点は、「その世界そのもの」であることです。単に少女の人格が、渚や汐の一部になっているだけなんですけどね。ただ汐編の汐に関しては「この町」よりも、願いが叶った場所である岬にかなり思いを馳せている感があり、少女の気持ちが変わり始めているのかもしれません。
・汐編ラスト〜幻想世界XII
 まるで、汐と朋也がそのまま幻想世界に2人が入っていったようなシーンですが、そういうイメージでも間違いではないと思います。
 汐編ラストでは、どんどん2人と周りの人との関係が希薄になっていきます。幼稚園に行けないことで、杏との繋がりが切れるのはわかるんですが、世話しに来てくれていた早苗さんや、生活費の差し入れをしようとした秋生までも拒絶したり、アパートに来れないような状態にしてしまいました。2人きりの状態です。
 一方、幻想世界でもやはり2人きりです。そこには、体を押してくれた「獣」のような存在すら消えています。
 ここはあくまで仮説なのですが、「この町=少女」は、自然が少なくなることでその力を弱めます。その力とは、例えば汐や少女自身の体力の消耗というのもあるんですが、人と人とを繋ぐ絆まで弱めてしまうような気がしました。弱ることで絆が弱まるのか、逆に絆が弱まることで少女が弱るのかは不明です(前者が自然だと思いますが)。が、そのため、汐編では第3者との、幻想世界では獣たちとの繋がりが途絶えます。
 そこで、初めて少女は記憶や、「自分が何であったのか」というのを思い出します。そして、人形が誰であったのかも。
 このタイミングで少女が記憶を取り戻すのは、人格が一つになったからでは無いかと思います。と言うのも、渚を助けるために同化した「この町=少女」の人格は、汐が生きてる頃までは、現世と幻想世界の2つに別れていました。が、汐という現世での人格を失いかけて、幻想世界での人格に合わさろうとしていたのだと思います。「もう時間がないの」と少女が言いますが、これは、現世での自分の人格が、今にも消えようとしていて、また朋也の人格も消えようとしていました。要は死にかけていたということです。現世での人格が無くなってしまうと、おそらく幻想世界からは脱出できなくなるのでしょう。そういう意味での「時間」だと捉えています。
 で「…わたしも…昔は遠い世界にいた…」「…きみが居た世界と同じ世界に」と少女が告白しますが、昔というかつい最近のことでもあります。そう、汐の人格として現実世界にいたんですから。
 ここの台詞の内容は、すべて非常に意味のあるものですが、全部紹介すると膨大な量になるので割愛しますが、少女が「幻想世界」であること、そして「その世界の意思になること」を告げます。つまり、この「幻想世界」自体が「この町の意思」と言うことです。日本語がおかしいですが、少女は、心を持たない「町」という存在でありながら、渚や汐という人格と並存する形で「人」としていられ、また朋也がその存在に気づいて声をかけたから、ずっと一緒にいられた、ということです。その流れで、少女の幸せが「最後の…人としての心を持っている時間を…わたしは寂しい思いをせずに過ごすことができた…」となるわけです。要は、「町」という心や意志を持つはずの無い、また誰も気づくことの無い存在が、それ自体が特殊な存在であった朋也との出会いをキッカケに、人としての感情や、人と人との繋がりを知ります。そのあたたかさや良さを、朋也に対して感謝します。そして、意思を持ちます。
 ここで、遂に少女は、朋也を幸せにするために、世界となろうとします。世界となる=現世での人格を失うと言うことだと思うんで、渚や汐と共生してきた人格から、自分の人格だけを取り除きます。で、町の意思となって「たくさんの光たちの幸せを願う…心」となります。また、そんな自分と一緒にいる朋也を、現世へと戻します。で、今までゲーム中で集めてきた光の玉=少女の幸せを願う心で、大切な人を助けるようにと言います。
 ちなみに、ヘンな話ですが、少女は朋也を、人形としても朋也と言う人格も好きだったと思います。汐編の最後の言葉にもありましたが、汐編ではそんな少女の朋也への思いがぎっしり詰まった感じがありました。が、そんな幸せさえ長くは続かなかったのです。そして、好きな人は一緒にいてくれるとは言うけれど、一緒にいても朋也は幸せにはなれません。少女は人でなくなり世界そのものになるわけですし、そうなった世界で朋也は消滅してしまうでしょう。だから、一緒にいることを捨てて、幸せになるようにと現世へと送り返したのです。
・「空に光る」の歌詞
 そんな少女が、朋也を送り出した瞬間の光景を歌った唄です。それを知った瞬間、その歌詞の意味を知った瞬間、涙が溢れて止まりませんでしたが、歌詞の内容はここの場面を指していると思います。
 「少しだけ息を吸った…その美しさに」ってのは、最後の最後で人間としての感覚を「美しい」と感じているということでしょう。「君の手に託した輝き」は、少女が幸せを願う心、でしょうし、「君の目に何も映さず」とか言うのは、世界と同化し始め、人の形を失いつつある少女が、朋也には見えなくなってきているということでしょう。「いつまでもここにいる ずっと見守っている」は、町の意思となり、その存在を見守るだけの存在になることを受け入れた少女の意思でしょうし、「声が届かなくても」と言うのは、最後に「…さようなら…」「…パパっ…」の後に続く、届かなかった感謝の言葉だったと思います。
 こうやって聴くと、「小さなてのひら」よりも破壊力のある、深い歌に仕上がっていると思います。
・「…パパっ…」について
 これが、木の下の少女=汐説に繋がると思うんですが、そうではないと思うんです。それは、少女が「幸せだった」のは何故か?という質問には答えられないと思います。が、こう解釈すると解決すると思うんですよ。
 汐編の汐は、かなりの部分で「少女」の人格が入っていたと思うんです。そんな少女の人格が、「最後の…人としての心」を持った時間が、汐編の汐だったんじゃないかと思うわけです。そう考えると、そんな少女の人格が、朋也のことを何て呼んでいたか? と言うことだと思います。渚の人格では「朋也くん」なのですが、汐=少女の人格では「パパ」なのです。だからそう叫んだんだと思います。
・エンディングについて
 風子シナリオのラストを見ると、かなり似ていますよね。それは、風子が風子シナリオで復活できたのは、学校の皆が名前も姿も知らないような風子の帰りを待つ、という一種心が一つになったことで復活しました。渚トゥルーエンドでも、集めた「少女が幸せを願う心=光の玉」を使って、渚が汐を、無事出産しました。
 その後、無数の光たちが町を覆います。これは、町=少女が祝福してくれているのでしょうか? そう考えるのが正解かもしれませんね。人形=朋也の幸せを願っていましたし。で、このタイミングで朋也が町(=だんご)を遂に好きだと告白します。これが、風子の幸村エンド通過と似た条件ではないかと思います。少女=町の両方を受け入れたということで。そして、町の意思となった少女が見守る中、朋也の家族旅行のシーンが実現し、それを夢として見ます。
 風子が少女に気づいたのはその頃でしょう。少女の目的=朋也が幸せになる(渚の命が助かる)+旅行としてあの場所に行く」ことが、自分抜きなのか自分が汐になりきって行った夢なのかがわかりませんが、叶います。そうすることにより、風子と同じく「夢の中」で実現した感覚が残ります。そして、現世へと戻ってくるわけです。
・エピローグについて
 風子は、汐編で「匂い」という感覚で汐を記憶します。それが、「可愛らしい匂い」としてエピローグへと繋がるのです。この「感覚」ですが、朋也が風子の頭を触ろうとして拒絶されるシーンが、風子シナリオと汐編でループして「懐かしい感覚」として残っていたりします。こういう「感覚」はループされて覚えているのかと思います。同じく「匂い」も感覚ですしね。
 では、何故「匂い」なのでしょうか? これは、2通りの考えが出来ますが、結局2通りとも同じ答えになってしまいます。1つは、町をイメージしたときに、視覚や聴覚、触覚という感覚では見えませんが、「嗅覚」という感覚であれば「その町に流れる空気」を匂いとして感じることは出来ないでしょうか? という考えと、もう1つは、「風子」という名前です。「風子→風→空気→匂い」という連想ゲームです(^-^;。
 そして、風子は名前を覚えていません。記憶はループできないので当然なのですが、ここで寝ている少女は、あの時は汐の一部だった少女です。
 風子が好きだった渚も、少女(町)が一体となっていました。その両者を繋ぐのは、やはり一体となっている町=少女だと言う訳です。
・並列の関係として
 風子≒学校の風子という図式です。完全に同一人格ではあると思いますが、ここに、「学校の象徴」であり「意思」である「幸村」が絡んできます。彼のこの学校での幸せは、幸村エンドにあった、朋也と春原の「ありがとうございました」という感謝の言葉でその世界を旅立ったということです。それで「学校の意思」である幸村が幸せになること=学校に憑いていた風子が「学校」という幻想世界から解き放たれたという図式です。風子自身は風子シナリオで思いを遂げていますが、それだけでは足りないわけです。「学校=幸村」という場所(属性)が幸せになれなければ、その場所に居付いていた風子は、現世へと戻って来れないわけなんです。もちろん、学校の生徒の多くが風子を思い、学校へと帰ってきた風子シナリオの風子とは、また別なんです。
 風子が現世に復活してくるタイミングは、汐編なら汐と朋也が2人の生活を始めた(朋也が汐を受け入れた瞬間に目覚め→リハビリを経たくらい)ですが、渚トゥルーなら、「この町=少女」が思いを遂げた頃でしょう。その「思い」とは、朋也が家族とともにあの「願いが叶う場所」を旅行できた頃…幸せな光景を夢見ている頃でしょう。その願いを叶えると、「この町」という人格だけで独立した少女が具現化され、あの木の下に出現します。が、誰もその存在には気づかないのです。ですが、「病院」が嫌いだがその少女の「匂い」は知っていて好きなのは、風子だけです。この辺は、頭の中では整理できているつもりでも、いざ書くとなるとちゃんと書けませんね…。
 渚が誕生編で、汐を生んでこの世界を離れたのともちょっと似ています。
 長すぎですね…。ので、フォントサイズを小さくしました。大体書きたい事は書きましたが、わかりにくいことこの上ないですねwただ、僕の中では答えが出た感じです。これでクラナドの二次創作とかも書けそうです。
 
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↑で、「二次創作が書けそう」とか書いてますが、果たしてどの辺をどうやって書いたら良いものか…。今めちゃくちゃ困っています。
 それに、電撃G'sマガジンで、Keyスタッフによりアナザーストーリーも連載が始まるし…。プロローグものは先手を打って書いてしまう(予想する)しかありませんねw
更新日時:
2004/07/07

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最終更新日:2005年4月19日