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CLANNAD小説(SS)の部屋
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63    『風の居場所(前編)』(CLANNAD 風子プロローグ)
2004.08.11 Wed. 
『風の居場所(前編)』
 
 
 ――いますか。
 ――おねぇちゃん。
 ――聞こえますか。
 ――風子の声、おねぇちゃんに届いていますか。
 
----------------------------------
 あの日まで気づきもしなかったこと。
 あの子のことは、すべて把握していると思っていた。
 私の知らないあの子の本当の姿…。
 あの子が、そんなことすらできない子だったなんて…。
 あの時、海に行かなければもっと気づくのに遅れていただろう。
 
 
 私の妹…風子は、昨日、中学校を卒業した。
 「ふぅちゃん。卒業おめでとう」
 卒業式が終わり、家に帰ってきた妹にそう声を掛けた。
 「ありがとうございますっ」
 素直に感謝の言葉を口にする妹。その表情は他の感情は映っていないように見えた。
 私はどうだろう? この子のように、素直に「おめでとう」って言えたのだろうか?
 言えるわけが無かった。
 「ふぅちゃん。今日は学校で誰かとお話した?」
 あの夏の日の後、悩んだ末に考えたこと。
 それは、学校から帰ってくる妹に対して、この同じ質問を繰り返してきたこと。
 …他人と接することを恐れていた私の妹。
 対人恐怖症と言うのだろうか?
 それが、あの日はじめて私が、妹がそうであると気づいたことだった―――。
----------------------------------
 
 「ふぅちゃん。夏休み、どこか行きたいところある?」
 夕食時。いつも交わす何気ない会話の中で、私はそう妹に訊いてみた。
 いつもは仕事が忙しくって、一緒に過ごす時間があまり取れなかったけど、
 夏休み中なら時間の都合はついたからだ。
 動物園や遊園地、いつもはそんなところばかり行っていた。2人きりで。
 「おねぇちゃんに任せます」
 「風子、とても大人なので、おねぇちゃんの行きたいところに合わせます」
 そういえば、こうやって自分を「大人」って言うようになったのは、何時くらいからだろう。
 「じゃあ、遊園地に行って、一緒にメリーゴーランドに乗ろっか?」
 「うーん。あれは魔性の乗り物ですっ。仕方が無いので一緒に乗ってあげますっ」
 …中身は全然子どもなんだけど。
 私の妹、風子は昔から私によく懐いていた。もちろん、そんな妹が私は好きだった。
 ちょっと子どもっぽいし、たまに自分の妄想の世界に入ったり、言動がヘンだったりしたけど、
 そんなところも含めて、妹のことが好きだった。
 2人きりの生活だったけど、風子がいてくれるから、寂しくは無かった。
 
 トゥルルルル…。 夏休みへ向けて楽しい会話をしていたとき、不意に電話が鳴った。
 電話は予感無く鳴るものだから、いつも「不意に」だったけど、
 妹との楽しい会話を「不意に」止められたのだから、そう感じたのかもしれない。
 「おねぇちゃん、電話です」
 そう妹が、会話を切って言った。
 「ごめんね。後で話の続きしようね」
 何で謝ったのかはわからないが、そう妹に謝る自分がいた。でも妹は、
 「おねぇちゃんが謝る必要はないです」
 と鋭い指摘をしていた。
 「そうだね。ちょっと待っててね、ふぅちゃん」
 「はい」
 その指摘に答えつつ、私は急いで受話器を取った。
 「はい。伊吹です」
 「公子さん? 元気にしてた?」
 声の主は…親戚の叔母さんだった。私たち2人の生活を気遣ってか、こうやってたまに電話をくれていた。
 「はい。いつもありがとうございます。あの、今日は何か?」
 さすがに、何も用も無いのに電話を掛けてくることは無かったから、用件を聞いてみた。
 すると…、
 「夏休みなんだけど、親戚同士で海に行こうって話になってて」
 
 叔母からの話の内容はこうだった。
 |親戚同士で海水浴に行く、と。
 |良かったら、私たちもどうか? と。
 そういえば、いつも2人きりで過ごしてきた夏休み。
 たまにはそういうのもいいかもしれない。そう軽く考えていた。
 
 
 「ふぅちゃん。夏休みにどこかへ行こうかって話なんだけど」
 電話が終わり、少し考えた後、私は妹にそう切り出した。
 「メリーゴーランドじゃなかったんですかっ」
 当然のように、妹は疑問を投げかけてくる。
 「遊園地なら、他の季節でも行けるから…海行こっか?」
 そう言ってみた。海なら妹も大好きな場所だ。だから悪い気はしないはずと思った。
 「ヒトデいますか?」
 妹の大好きなもの。それはヒトデ。
 何でそんなもの好きなのかわからなかったけど、
 「ヒトデを見て、また和みたいです」
 と言うくらいのヒトデ好きだから、
 「ならおねぇちゃんと一緒に、海行こっか?」
 と誘ったら、
 「断る理由なんて無いです。おねぇちゃん、早く行きましょう」
 とあっさりOKしてくれた。
 「夏休みになってからね」
 最後に、そう釘を刺しておいたけど。
 ――今年の夏は、おねぇちゃんと海に行くことになりました。
 ――また、ヒトデを見てまた和みたいです。
 ――ウミウシとの逢えます。
 ――今からとても楽しみです。
 
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 夏休みに入った。
 その日が来た。
 「じゃあふぅちゃん、行こっか」
 「ヒトデ、たくさん待ってくれているでしょうか」
 「大丈夫。ヒトデは逃げたりしないから」
 駆け足で逃げるヒトデは恐いけど。
 「行きましょう。おねぇちゃん」
 私たちは、生まれ育ったこの町を出た。
 
 
 町から電車を乗り継ぎ、そして目的地である海へと着いた。
 そこは、2人でもよく来たことのある場所。
 妹の大好きな、ヒトデやウミウシが生息している場所が。
 「着きましたっ」
 「着いたね。ふぅちゃん」
 明らかにはしゃいでいる様子の妹を見て、微笑ましい気持ちになった。
 「早くヒトデたちに”つんつん”したいですっ」
 「じゃあふぅちゃん、先に着替えてきて」
 妹の逸る気持ちを押さえようと、そう言った。
 「じゃあ、先に行ってきます」
 そう言って、更衣室のある海の家に駆けて行った。
 「さて、と」
 私は、誰に言うでもなく、そう呟いて人を探した。
 待ち合わせにはちょっと早かったけど、来ていてもおかしくはない時間だからだ。
 辺りを見回しているうちに、どこからか声が聞こえてきた。
 「あら、公子さんじゃない」
 それは…電話で話した親戚の叔母さんだった。
 一緒に海に行く約束はしたのだが、お互いの住む場所が全く違ったために、
 現地で落ち合おうという話になっていたのだった。
 「お久しぶりね」
 「ええ。お久しぶりですね」
 一緒に来ていた他の親戚の家族も一緒に来ていた。
 「随分と大所帯になりましたねっ」
 「親戚中に声かけたらたくさん来たのよ」
 叔母さんはそう、困った様子でそう言った。
 「賑やかで楽しいと思いますよっ」
 いつも2人きりの私たち家族にとっては、たまの大家族は楽しい空間であるはずだった。
 そうして、大人たちと立ち話をしている間に、親戚の家族の子ども達は、
 何時の間にか思い思いの格好に着替えていて、浜辺へと駆け出して行っていた。
 私たちは、海の家の休憩所で、昔話や近況について話の華を咲かせていた。
 
 
 「そういえば、風子ちゃんは元気にしてる?」
 そう叔母に訊かれるまで、妹の存在を忘れていた。
 そもそも、いつも2人きりでしか行けなかった旅行。
 たまには大勢で来るのも良いかもしれない、そう思って一緒に来た海だ。
 妹が楽しめるだろうと思って来た海だ。
 「ええ」
 そう軽く微笑みながら返答した私は、長い髪をリボンで纏めている小さな少女の姿を求めた。
 少なくとも、ここから見える範囲にはいないらしい。
 それだけのことだったが、何か胸を過ぎる予感があった。
 自分の知らない妹。
 自分の視界にいないときの妹。
 「ちょっと、見てきますね」
 私は立ち上がると、その姿を捜した。
 程なくして、浜辺で一緒に来ていた親戚の子ども達と遭遇した。
 そこに…妹の姿を見つけることができなかった。
 「ふぅ…、あの、背が小さくて、長い髪を後ろで束ねてる女の子見なかった?」
 親戚の子ども達にそう聞いてみた。
 「えーっ。よくわかんない」
 そういえば。風子とこの子たちには面識はあっただろうか。
 「私の妹の風子って言うんだけど…」
 「公子お姉ちゃんの妹さん?」
 「そう。見なかった?」
 最近は会っていなかったかもしれないけど、以前には家族ぐるみで会ったことがあったはずだった。
 だから、妹のことも知っているはずだった。
 「あのね。声掛けたらどっか行っちゃったよ」
 そう親戚の子のひとりが告げていた。
 「どっか行っちゃったの?」
 私は思わず訊き返していた。
 「うん。一緒に遊ばない?って言ったら、何も言わずにあっちに」
 そう言って、人気の無い岩場の方を指差した。
 「ありがとう」
 私は、岩場のほうへと向かうことにした。
 
 
 空からは、容赦なく陽光が降り注いでいた。
 砂浜から程近い、岩場と砂浜の境目あたりに、ぽつんと小さな背中があった。
 この前の休みの日に、2人で隣町まで行って選んだ水着を着て。
 「…ふぅちゃん?」
 そこにいたのは、間違いなく自分の妹だったのだけど、
 なぜか一瞬、声を掛けるのが躊躇われてしまった。
 そこに、妹が1人きりでいる理由がわからなかったから。
 「ふぅちゃん。どうしてこんなところで1人でいるの?」
 最初の問いかけに対しての返事が無かったから、もう一度そう声を掛けた。
 「…話が違います」
 しばらく間が空いて、妹はそう答えた。
 でも、私には何のことかさっぱりわからなかったので、
 「話って? わけわかんないこと言わないの」
 と、いつもの口調でそう返した。
 けれど、妹はいつもの様子ではなかった。
 「おねぇちゃん、ズルしました」
 「ズルって?」
 「おねぇちゃん、風子と2人で海に行こうって言ったはずです」
 妹は、岩場にへばりついていたヒトデを、指でつんつんしながらそう言った。
 「たまには大勢でってのも良いと思ったんだけど?」
 「知りませんでした。なら風子は来たくありませんでした」
 「だって…。いつも2人きりで寂しいと思ったから、今回は親戚同士で来たんだけど?」
 …今回の旅行は、いつもは2人きりでいる妹に、たまには大勢でいるのも楽しいだろう、
 そう思って連れて来たのだった。
 それだけに、「来たくなかった」という言葉に、少なからずショックを受けていた。
 「どうしたの?」
 背後から声がしたので振り向いて見ると、先ほどまで浜辺にいた親戚の子どもたちの声だった。
 「その子が公子お姉ちゃんの妹さん?」
 ちゃんと紹介をしていなかったから、妹は輪に入れなかったのかもしれない。
 そう考えた私は、妹の紹介をしておくことにした。
 「そう。この子が私の妹の…」
 ばっ。
 
 「んーっ」
 私が、妹の頭の上に手を置こうとした瞬間、それを振り払うかのようにどこかへ駆け出してしまった。
 「ふぅちゃん?」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 激しい拒絶。
 今までに無かったこと。
 「公子お姉ちゃん?」
 呆然としている私は、親戚の子どもたちが呼びかける声で我に返った。
 「あ、ごめんね。ちょっとビックリしたから…」
 自分でも訳がわからないことを言って取り繕おうとした。
 明らかに混乱している自分がいた。
 
 
 ――おねぇちゃん、ウソつきました。
 ――風子は、おねぇちゃんと2人だから海へ来たんです。
 ――知らない人がたくさんいるなんて…。
 ――知らない人と仲良くなんて、風子にはできません。
 ――ヒトデと再会できた喜びも、はんぶんになってしまいました。
 
 
 その後はよく憶えていない。
 何度か、妹と親戚の子ども達とを引き合わせようとしたが、
 その度にあの子は逃げ出してしまった。
 「ふぅちゃん。みんなで一緒に遊んだほうが、きっと楽しいよ?」
 そんな問いかけに対しても、
 ばっ。
 逃げ出してしまう。
 ちょっとヘンだけど、普通の子だと思っていた妹。
 「どうしちゃったの? ふぅちゃん?」
 「どうして逃げるの?」
 「どうして…」
 
 夜。
 宿に帰ってからも、部屋の隅のほうで1人小さくなっている妹に、
 私がかける言葉はなくなっていた。
 焦っていたのかもしれない。
 見かねた親戚の叔母さん達が、私たち姉妹だけ別の部屋を用意してくれた。
 「ふぅちゃん。お姉ちゃん、疲れちゃった」
 背中を向けて、布団に包まる妹に向けてそう呟いた。
 「…楽しくないなら、明日はもう帰ろっか?」
 「…はい」
 この子が楽しめないのなら、いつまでもここにいる理由なんて無かったから。
 開け放たれた窓から流れていた潮風は、いつしか止んでいた。
 
 楽しい思い出を作るはずだったこの夏。
 気づかなかった。今まで気づくことが無かった妹の知らない顔。
 それを知ったこの夏。
 思いがけない形で、忘れられない夏になった。
 
----------------------------------
 住み慣れた町に帰った後、私たちは以前と変わらない生活へと戻っていた。
 夏休みの残りの時間が過ぎると、また私と妹は、違う学校へ行く。
 平日は、2人ぶんのお弁当を作って。
 妹が休みの時は、私はちょっと早めに起きて、妹が好きなパン屋のパンを買いに行く。
 そんな毎日。
 そんな、穏やかな日常。
 でも、知ってしまった真実は、私たちのそんな日常を変えようとしていた。
 
 妹には知らせずに、私は時間を作り、妹の通う中学校へと赴いた。
 もちろん、妹の学校での様子を聞くためだ。
 大きな不安と…微かな期待を胸に抱いて。
 
 「ふぅちゃん、学校では誰ともお話しないの?」
 結果は…やはり悪いほうに的中してしまった。
 妹は、学校ではいつもひとりきりでいるらしい。
 誰と話そうともしない。
 ただ、成績自体はそれほど悪くないし、出席状況も普通なので、大きな問題は無いだろう。
 そんな話を、妹の担任がしていた。
 特にいじめられたりはしているわけでは無さそうなのは良かったが、
 学校でも、海に行った時のような状態だと言うのは、やはりショックだった。
 「…どうしてそんなこと聞くんですか?」
 妹は、ヒトデ型にくり抜いたにんじんをかじりながら、そう訊ねてきた。
 何の脈略も無くそんな話をしたから、不思議そうにしていた。けれど…、
 「お話しません。おねぇちゃんとお話できたら、風子はそれで良いです」
 そうキッパリと答えていた。
 「でもね、ふぅちゃん。それだと学校がつまらなくない?」
 学校でひとりいる。そんなこと、私には堪えられない。
 友達も作らず、毎日ひとりで授業を受けるだけの学校生活なんて…。
 クラブにも所属していない妹だから、なおさらそう思っていた。
 「良いんです」
 妹は、あまり落ち込んだ様子も無く、私の質問には同じような答えばかりしていた。
 
 悩んだ。
 このままで良いのかと。
 表面上は、今までどおりの生活を続けていたけど、私はそれから毎日悩みつづけた。
 このままでは、妹は普通の学校生活を送れないまま、貴重な時間を終えてしまうのではないか。
 それは、あの子にも、そして私にも良いはずのないことだった。
 だから、私は毎日こう聞くことにした。
 「ふぅちゃん。今日は学校で誰かとお話した?」
 と。
 妹が、自分から誰かに声をかけること。
 それが、友達を作るキッカケにでもなってくれれば。
 そして、それが学校生活を、普通に、楽しく過ごすための第一歩であることに気づいてくれたら。
 そんな願いを込めて、私は問い掛けることにした。
 
 ――おねぇちゃん。
 ――どうして風子が他の誰かとお話しなければならないのでしょうか。
 ――風子には、その理由がわかりません。
 
 「誰ともお話してないです」
 妹は、毎日同じ答えを繰り返す。
 いつもは表情を変えずに、ある日はちょっと寂しげな表情で。
 そんなやり取りを繰り返しながら、時は歩んでいった。
 いつしか、青々とした葉は、色づき、落ちて、そして新しい命が芽吹いてきていた。
 
 
----------------------------------
 春休みに入る少し前。
 私は、付き合っていた彼に相談することにした。
 その人の名前は、芳野祐介。
 私が心から話せる相手といえば、彼を置いて他にはいなかったから。
 
 「…どう思う? 祐くん」
 これまでの私と妹の生活。
 あの夏の日の出来事。
 これから。
 考え、悩んでいたことを、できるだけわかりやすく伝えた。
 もちろん、私たち姉妹の問題だから、彼を巻き込むのは気が引けた。
 でも、この停滞した思考からは、何も生まれない。
 気の利いた助言なんかは求めていなかった。
 本当は、誰かに悩んでいることを打ち明けて、同情してくれたら良かったのかもしれない。
 「…そう言うことだったのか」
 はっ、と彼を見た。
 「ずっと、何か悩んでたみたいだったから。ようやく理由がわかったよ」
 それを聞いて、私は恥ずかしくなった。
 気づかれないように装っていたが、隠せるはずなんか無かったんだ、と。
 この人には。
 「で、思うんだけど…」
 彼は続きを話し始めた。その内容は、少なからずショックなものだった。
 「妹さんと、少し距離を置いたらどうだろう?」
 
 
----------------------------------
 桜の蕾がほころび始める頃、妹は卒業した。
 その妹が4月から通う高校は、今私が勤めている高校。
 そう。願わくばできるだけ近くで見守りたかったから、私は妹に、自分の高校を勧めた。
 学力のレベルからすると、それほど優しいレベルではなかったのだけど、
 入試担当でもあった、恩師の幸村先生にもお願いして、推薦扱いで入学することができた。
 
 「おねぇちゃん、合格できましたっ」
 「おめでとう! ふぅちゃん」
 「はいっ。これで、春からは学校でも、おねぇちゃんと一緒です」
 「でも、お友達も作らないと…ね?」
 「……」
 
 合格通知をもらったときも、やっぱり同じようなやり取りをしたけど、
 それは別としても、あの子はよくやったと思う。
 推薦とはいえ、スポーツとか特技とかの推薦じゃなかったから。
 学校の成績自体は悪くなかったから、やればもっと伸びるんだと思った。
 
 「ふぅちゃん。今日は学校で誰かとお話した?」
 卒業式という晴れの日。 家に帰った妹に、もう何度目かわからない、日課のような質問を繰り返した。
 「いいえ。誰ともお話してないです」
 浮かれた気分を邪魔されたのか、妹は少し拗ねたような表情で、そう答えた。
 「そう…」
 私は、ある決断をすることにした。
 妹と過ごしてきた17年間。
 過保護なまでに接してきた妹に対し、距離を置くことを決めた。
 
 
 「おねぇちゃん、おはようございます」
 春休み初日の昼下がり。
 遅すぎる朝の挨拶を背中越しに聞いた。
 「…すごい時間です。今日は、起こしてくれなかったんですか」
 少し非難めいた声。
 「休みの日だからって、お姉ちゃんは毎日起こせないの」
 いつもより強い口調でそう答えた。
 自分でも信じられないような冷たいトーンで。
 「…パンはありませんか」
 「そうそういつもは買いに行けないの」
 休みの日には、いつも買っていた古河パンのことを言っているのだと思う。
 けれど、それも買っていないことを告げた。
 「そうですか…」
 明らかに落胆した声が耳に届いた。
 これだけでも、私の胸は締め付けられる思いだった。
 でも、ここでまたいつものように優しく接すると、妹は何時まで経っても変われない。
 そう自分に言い聞かせていた。
 「あと、お姉ちゃんは今から出かけるから」
 「いつ帰ってくるんですか」
 そして、もう一つ心に決めたことを実行しようとした。
 「お姉ちゃん、忙しいからいつ帰ってこれるかわからないの」
 そう告げて。
 
 ――おねぇちゃん、どうしてしまったんですか。
 ――今までそんなこと無かったのに。
 ――風子、悪いことしましたか。
 ――寂しいです。
 
 忙しいなんてウソだった。
 新学期の準備があるとはいえ、他の休みに比べると春休みは自由な時間があった。
 だから、本当なら妹と、いっぱい遊べるはずだった。
 でも敢えてその選択をしなかった。
 それどころか、私は自分の家でもある妹のいる家に、ほとんど帰らないことを決めた。
 「昨日電話をくれたときは驚いたよ」
 そして、春休みの間だけ厄介になることに決めたのは、私の彼の家だった。
 「妹さんのためになるなら」
 と快く承諾してくれた。
 でも…私が無理していることは隠せそうにも無く、
 「心配だったら、何時でも帰ればいい」
 とも言ってくれていたけど、その言葉に甘えるわけにはいかなかった。
 「ごめんね…」
 せっかく彼と2人きりで過ごせると言うのに、私の心は塞ぎこんだままだった。
 
 ――おねぇちゃんは、たくさん食べる物を買っていてくれたみたいです。
 ――でも風子は、そんなもの食べたくありませんでした。
 ――風子は、美味しいおねぇちゃんの手料理が食べたかったんです。
 ――おねぇちゃんは、風子の好きなものを何でも作ってくれます。
 ――でも、おねぇちゃんは今日、帰ってきませんでした。
 ――もう日も暮れました。
 ――ひとりで外に出るのは怖いので、家にあるものを食べるしかありません。
 ――風子は、おねぇちゃんがいないと、何もできません。
 
 短い春休みも中盤に差し掛かる頃、私は着替えを取りに家に帰ることにした。
 本当は、着替えを取りに帰る、なんて理由はどうでも良かった。
 妹の様子が知りたかっただけだった。
 料理も出来ないあの子のために、レトルトや冷凍食品のような食べ物は置いてきたから、
 ひもじい思いをしていることは無い。
 ひとりで動き回るような子でも無かったから、外出してどうこう、という心配も無かった。
 防犯という意味でも、昔から戸締りとか怪しい人には注意するようにと言っていたから、
 それほど心配になるようなことは無かった。
 …1週間も妹の顔を見ないということに、私自身が耐えられなかっただけ。
 ただ、私が帰ってきたことをあの子が知ると、この1週間が無駄になってしまうかもしれない。
 そう思った私は、妹の生活リズムを思い出して、あの子が絶対に寝ているであろう時間に、
 様子を見に行くことにした。
 ぐっすりと眠っている寝顔を見るだけで、それだけで安心できるはずだった。
 
 早朝。とは言っても午前7時くらい。
 休みの日は、私が起こすまではなかなか自分では起きて来ない。
 春休み初日だってそう。
 私は、家を出ることを告げるために、自分で起きてくるのを待っていたら、
 お昼時をとうに回ってしまっていた。
 だから、この時間には起きているはずが無かった。
 それなのに…。
 
 ガチャリ。
 鍵を開け、扉を開いたそこには…、
 「…おねぇちゃん…」
 ヒザを抱えて座り込んでいた、妹の姿があった。
 「!!」
 バタンッ。
 私は、その場から逃げ出した。
 妹の憔悴した表情を見た瞬間、目を逸らしていた。
 まともに、その顔を見ることができなかった。
 それを悟った瞬間、家に入ることは出来なくなっていた。
 後戻りは出来なくなってしまった。
 既に私の心の中には、軽い後悔の念が生まれていた。
 
 ――おねぇちゃん。
 ――せっかく帰ってきてくれたと思ったんですが…。
 ――風子、悪い子でしたか。
 ――毎日、玄関でおねぇちゃんを待っているのは、悪いことでしたか。
 ――それとも、毎日おねぇちゃんの言う事を、聞かなかったから、ですか。
 
 
 
 春休み最終日の夜。
 私は自宅に戻った。
 さすがに、彼の家からは学校には通えなかったからだ。
 「帰ってきてくれましたか」
 そんな妹の声にもほとんど耳を貸さず、
 「おやすみ」
 一言だけ返した。
 心変わりはしただろうか。
 このショック療法が、いい方向に向かせてくれるだろうか。
 そんな、期待と不安を抱えたまま、朝を待った。
 
 ――おねぇちゃん。
 ――風子は、やはりやらなければならないのですか。
 ――でももし、風子がそれをやれば、また風子と一緒に遊んでくれますか。
 ――風子は、おねぇちゃんの考えていることは全部わかりません。
 ――でも、おねぇちゃんはいつも、風子のことを大切にしてくれました。
 ――だから、風子もおねぇちゃんの言う事をやってみます。
 
 
 
 その日は、まるで妹の新たなスタートを祝うかのような、爽やかな朝だった。
 「決めました」
 朝食が終わり、私が一足先に玄関に行くと、妹が言った。
 「人に、たくさん話し掛けてみます」
 「頑張って、たくさんのお友達を作ります」
 …わかってくれたのかもしれない。
 私の心がそのまま行動に出たなら、瞬間、妹を抱きしめていただろう。
 でも、私はそれをしなかった。
 「じゃあ、おねぇちゃん、行ってくるから」
 それだけ告げて。
 
 「行ってらっしゃいです」
 背中のほうからそう声が聞こえた気がした。
 空を見上げた。
 抜けるような青空だった。
 まるで、新たな決意を胸に秘めた、妹の背中を後押しするかのような…。
 幸い、今日は帰りも早くなる。
 あの子が何か良い報告でも持って帰ってきたなら、久しぶりに腕によりをかけたご馳走をしてあげよう。
 こんな辛い接し方なんて、今日で終わり。
 早く、夕方が来たらいいのに。
 …そんな、晴れやかな一日が始まるはずだった。
 
<つづく>
 
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 りきおです。
 こういう話をずっと書いていました。が、未完です。後編は近々、必ず書きますので。
 本格的な後書きは、また後編を掲載したときに書きます。
 
 感想や疑問などありましたら、「新・掲示板」に書いてやってください。新スレは立てても全然オッケーなんで。

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