『岡崎家<第2話>』 
  
 運動会のはずだった日から数日が経った。 
 汐はあれからすっかり体調が良くなり、明日からでも幼稚園に行ける位に回復していた。 
 「熱も上がらないし、もう大丈夫か? 汐」 
 「うんっ」 
 杏のおかゆを食べてからかなり元気を取り戻したようで、食欲の回復と共に、体調も上向いていったようだった。 
 「じゃあ、明日から幼稚園に行くかっ」 
 「うんっ。すごくたのしみ♪」 
 汐は力強く答えた。 
 この分なら大丈夫そうだ。 
  
 とぅるるるる―。 
 電話が鳴った。 
 「はい。岡崎ですが」 
 「あ、もしもし。朋也さんですか」 
 声の主は…早苗さんだ。 
 汐が心配で掛けて来てくれたのだろう。 
 「汐のことですか?」 
 「はいっ。その…具合はどうですか?」 
 「もう大丈夫みたいなんで、今日からまた幼稚園に通わせますよ」 
 早苗さんにはまた世話になってしまっていた。 
 俺としては、汐が熱を出している間くらいは仕事を休んで看病するつもりだったが、 
 「汐のことはわたしに任せて、朋也さんはお仕事に行ってください」 
 ―と、送り出されてしまったのだった。 
 後ろ髪を引かれる思いだったが、汐を良く知る早苗さんだからこそ、安心して仕事に行けたのも事実だった。 
 だが、想像以上に男手一つで子どもを育てることが大変だということに気付いた。 
 (結構大変なものなんだな) 
 汐が元気に過ごせている間はわからなかった子育ての苦労が、体調を崩して初めてわかった気がした。 
 それに、いつまでも早苗さんの好意に甘えるわけにもいかなかった。 
 (何とかしないとな…) 
 早苗さんに頼らないで今回のような事態を乗り切る…。 
 簡単なことではなかったが、いずれはやらなければならないことでもあった。 
 汐を自分の手で育て上げることを決めた以上は。 
 ただし、仕事に行けなければ、自分たちの生活すら成り立たなくなるのも事実だった。 
 「じゃあ、わたしはパンを焼いておきますねっ」 
 「ええ。是非そうしてください」 
 「おすそ分けしましょうか?」 
 「それは遠慮して…じゃなくて、オッサンに食べさせてあげてください」 
 「はいっ」 
 胃薬一つ分が浮いた…ではなく、これで古河パンにまた日常が戻るだろう。 
 あの、2人きりの旅行から帰ってきてから、俺たちは古河家とは違う道を歩み始めたんだから。 
  
 「寝るかっ、汐」 
 「うんっ」 
 そう合図すると、汐は俺の布団にごそごそともぐりこんで来た。 
 「えへへ。パパといっしょ」 
 布団はいつも2組用意はしていたが、結局はどちらかが片方の布団に入ってしまうので必要は無かった。 
 「おやすみ、汐」 
 「おやすみ。パパ」 
 今晩も、俺は汐を胸の中に感じながら眠った。 
 熱は下がったとは言うものの、子ども特有の高い体温を感じながら。 
 互いの温もりを感じつつも、ふたりきりであることを思いながら。 
  
  
  
 「あらっ? 朋也じゃない」 
 翌日、汐を幼稚園に届けたら杏がいた。 
 「おうっ」 
 「おーっ」 
 汐が俺のあいさつの真似をしていた。 
 「こらっ、汐。先生にはちゃんとあいさつしないとダメだろ?」 
 「まあ良いじゃないの。元気があって」 
 相変わらず、杏は汐のことになると、俺の前では見せたことの無いような笑顔になっていた。 
 「で、朋也。もう汐ちゃん大丈夫なの?」 
 「昨日連絡しただろっ」 
 この前、杏がウチを家庭訪問したときに「元気になったら連絡する」って約束したものだから、 
 熱が下がった前々日と、通園を再開する前日に連絡していたのだった。 
 もっとも、何故か伝えなければならない用件はそこそこに、バカ話を長々としてしまっていたのだったが。 
 「ともかく、汐ちゃんが元気になってくれて良かったわね」 
 「そうだな。お前のおかげかもな」 
 俺は正直にそう返してやった。 
 杏があのタイミングで来てくれたおかげで、汐の体調が持ち直したような気がしたからだった。 
 すると杏は少し照れたのか、 
 「…なら、いいんだけどね? 汐ちゃん」 
 と、汐にそう訊ねていた。 
 もちろん汐は正直に、 
 「うんっ。せんせいのおかげ」 
 と答えていた。 
 杏は元々、他人の世話を焼くのは好き、と言うか性分みたいなものだったから、自然とそうしたのかもしれなかった。 
 でも、俺たちにとってはありがたいものだった。 
 「あらそう。じゃあ、また来てあげてもいいわよ〜」 
 杏はちらり、とこちらを見てそんなことを言いやがった。 
 まるで俺の心を読んだかのように。 
  
 杏は、大きくなったボタンとともに幼稚園の奥へと消えていった。 
 イノシシを従えて歩く様は、幼稚園の先生と言うよりは…、 
 「猛獣使いだな…」 
 ある意味ではすごくお似合いだった! 
  
 この日は土曜日で、幼稚園も半日だった。 
 俺の仕事も、土曜は半日はある週が多かったので、今流行りの週休二日になっていないのは助かっていた。 
 「こんにちは」 
 「あら、岡崎さん。汐ちゃん元気になったの?」 
 「はい、おかげさまで」 
 「そう。良かったわねえ」 
 迎えに来ると、思いのほか俺に声をかけてくれる奥様方が多かったのには驚いた。 
 気にかけてくれている人が多いのは、汐にとってすごくありがたいことだったから素直に喜んだ。 
  
 「やっ、朋也」 
 しばらく待っていると、汐の手を引いて杏が現われた。 
 見ると、もう荷物を持って帰る気満々だった! 
 「杏…もう良いのか?」 
 「え? 何が」 
 「お前の仕事だよ」 
 おそらく、ほとんどの親が子どもを迎えに来ているとは思うが、まだ園内に残っている園児もいるだろう。 
 そう思って訊いてみたが、 
 「もう上がりよ」 
 らしかった。 
 「今日は汐ちゃんにおうちに招待されたからねぇ」 
 「うんっ」 
 どうやら、目的地は俺の家らしかった! 
 「良いでしょ? 朋也」 
 良いも何も、汐が連れて来るんだったら断るわけにも行かなかった。 
 「パパ。チャーハン」 
 ああそうか。 
 「あんたの作ったチャーハンを食べさせてもらうわよ」 
 汐が杏に勧めていたんだっけか。 
 「受けて立とうじゃないか」 
 俺は、その挑発的な態度に、真っ向から勝負を挑むことにした。 
  
 帰り道。 
 俺と杏に手を引かれていた汐は、ずっと嬉しそうにしていた。 
 渚がいたら、きっと毎週こうやって送り迎えしていたのだろう。 
 「ねぇ、朋也」 
 「ん?」 
 「買い物しなくていいの?」 
 「チャーハンのか?」 
 「そう」 
 こんな日常的な会話もしながら。 
 ただ、渚がいたとしたら、俺は料理を作るようにはならなかったとは思うが。 
 「ちゃんと家にあるから大丈夫だ」 
 ついでに、家の冷蔵庫の中身が頭に入っていることも無かったと思うが。 
  
 「ただいま」 
 「ただいま」 
 「お邪魔しま〜す」 
 家に帰ってくると、俺はさっそく冷蔵庫から冷ご飯を取り出した。 
 「…どうやってチャーハンを作るか、見させてもらうわね」 
 杏も俺の後を追うように台所に来て、俺の調理風景を監視するようだった。 
 俺は構わず、作業を続けることにした。 
  
 まずはどんぶりに入れた冷ご飯のラップを外して、霧吹きを少々かける。 
 そしてレンジへ。 
 「へぇ〜っ」 
 後ろにいた杏が声をあげていた。 
 「意外に芸が細かいわねえ」 
 「だろ?」 
 …冷ご飯のまま炒めないのは、パラパラ感を出すためだ。 
 レンジで温めるときも、ラップをかけたままだと湿気が篭もりすぎて「ベチャッ」となるからだ。 
 テレビの受け売りなのだが。 
  
 その他の具材をみじん切りにしていたときのことだった。 
 こんこん。 
 扉をノックする音が聞こえた。 
 が、あいにく俺の手は、包丁やらを握っていて物騒だった。 
 「悪いっ、杏。ちょっと出てくれ」 
 あまり深い考えも無く、今は座って汐とテレビを見ていた杏に頼んだ。 
 「仕方ないわねえ」 
 かなり渋々だったみたいだが、腰を上げて扉のほうへ向かってくれた。 
 がちゃり。 
 「どなたさま?」 
 杏が扉を開け、音の主に問い掛けた。 
 すると…、 
 「風子です。また来ました」 
 そこには…風子がいた。 
 「えっ? どこ?どこっ?」 
 身長差があるとはいえ、新喜劇の池乃めだか師匠を探すような素振りをする杏。 
 …10cmくらいしか身長変わらないぞ、杏。 
 すると、そんな杏の姿を見た風子が、驚いたような表情をしていた。 
 「岡崎さんが女の人になってますっ。しかも美人ですっ」 
 ここで、ようやくふたりの視線が交錯した。 
 「あれっ? あんた、お客さん?」 
 「わっ。目が合ってしまいましたっ」 
 全く噛みあわない会話。 
 そもそもこれは、会話として成り立っているようにも思えなかった。 
 「…ったく、しようがないな」 
 俺は一旦手を止めて、お互いの紹介をしてやることにした。 
 「わーっ。男の岡崎さんも存在してますっ。風子、ますます混乱してしまいましたっ」 
 …本物なんだが。 
  
 「…と言うわけで、渚の恩師の妹さんってわけだ」 
 ようやく風子の説明が終わった。 
 「10年も意識が無かったのはすごいわよね…」 
 「ああ」 
 「でも、朋也とは面識は無かったんでしょ?」 
 風子とは…あの公園で出会ったのが初対面だった…はずだった。 
 けれど、俺にとっては何故か「再会」に感じられて仕方なかったのだった。 
 俺があの高校に入学したその日から眠っていたのだったから、出会う機会も無かったのだが…。 
 「そうなんだけどな」 
 「岡崎さんとは、前にも会ったような感じがしました」 
 同じような想いを、風子も感じていたみたいだった。 
 「何て呼べばいいのかな? 風子ちゃん、で良い?」 
 「…構いません。ですが、おねぇちゃんには"ふぅちゃん"って呼ばれています」 
 「ふぅちゃん、ねえ…」 
 杏は、少し顎に手を当てて考えていたが、やがて、 
 「やっぱり、風子ちゃん、って呼ばせてもらうわ」 
 そう決めたみたいだった。 
 「そうですか。風子は…杏さんとお呼びしてもよろしいですか?」 
 風子は杏に提案した。 
 「いいけど…。でも年齢っていくつだっけ?」 
 「同じだ」 
 「同じっ?! …そうよね。うーん」 
 全くそうは見えないが、風子は俺たちと同級生だ。 
 もし風子が事故に遭わずに進級していたら、どこかでクラスメイトになっていたかもしれなかったのだ。 
 「風子、高校に復学することもできるみたいです」 
 まだこいつの高校生活は、入学式で止まっているのだった。 
 「そうすれば、風子はまだ高校1年生です」 
 見た目は、そちらのほうが納得してくれるだろう。 
 「なので、杏さんです。岡崎さんと同じです」 
 「そう言われると、納得しちゃうわね」 
 「はい」 
 どうやら決着したようだった。 
  
 「汐ちゃん。元気にしてましたか」 
 「うん」 
 「そうですか。じゃあ風子と一緒に帰りましょう」 
 「って、こらーっ」 
 まだ誘拐を諦めていなかったようだ。 
 「汐の意志も尊重してやってくれ」 
 俺も俺でよくわからないことを言ってしまっていた! 
 「汐ちゃんは、風子と一緒に帰りますよね」 
 風子はにっこり微笑んで汐にそう問い掛けた。 
 「うーん……………パパといっしょにいる」 
 間が長かったが、やはり俺を選んでくれた。 
 「苦渋の決断だったみたいね…」 
 杏が呆れた顔でそんなことを言いやがった。 
 「うーん。まだ懐柔されてくれないです」 
 「もうちょっとよ。頑張れっ、風子ちゃん」 
 「こらーっ。協力姿勢を見せるなーっ」 
 …頭が痛くなってきた。 
  
 アホなやり取りを繰り返している間に、お腹が悲鳴をあげ始めた。 
 「風子も食べるか?」 
 「何をですか?」 
 「パパとくせいのチャーハン」 
 汐が風子に説明してくれた。 
 「あれですかっ。あれはヤバイですっ」 
 そう風子は嬉しそうに言ったが、 
 「ヤバイだけじゃ、本当にヤバイかもしれんだろっ」 
 美味しいとか言ってくれ、と真剣に思った。 
  
 中断していた調理を再開した。 
 具材はいたってシンプルだ。 
 ご飯と、チャーシュー・白ネギ・卵。以上。 
 お好みで、ごま油とかしょうが・にんにくを入れるのも可だ。 
 チャーシューは、ハム会社のハム焼き豚でも構わないが、できればラーメン屋のチャーシューに近いものがベターだと思う。 
 肉本来の旨みが出るからだ。 
 さっそく調理を開始する。 
 フライパンにサラダ油を入れて熱し、ネギとしょうが・にんにくを入れてとろ火でエキスを抽出する。 
 このとき、にんにくとかを焦がしてしまうと苦味が出るので注意が必要だ。 
 立ちこめる匂いが変わってくると火を強くして、チャーシュー・とき卵を投入する。 
 そして卵を入れた直後に、ご飯を入れてしゃもじで切るように炒める。 
 「なかなか手際が良いわね」 
 また側で俺の調理風景を観察していた杏が、そんな嬉しいコメントをしてくれた。 
 ただチャーハンはスピードが命。ココからが勝負だった。 
 ご飯が卵と絡み合ってパラパラとしてきたら、いよいよ味付けだ。 
 塩少々と、コショウは多めに。そして、スーパーなんかに無料で置いている、「焼き豚のタレ」を入れてやる。 
 ジュワッ、と香ばしい匂いが立ち込めてきたら完成だ。 
 ただ、一度に4人分も作れるわけが無かったから、とりあえず3皿分をお皿に盛ってやる。 
 「普通に美味しそうね…」 
 完成品を見て、杏がそう漏らしていた。 
  
 「これですっ。ヤバイですっ。また出会えましたっっ」 
 …また味に関する感想が消えているぞ、風子。 
 「おいしい」 
 汐は俺の求めていた感想を真っ先に言ってくれた。 
 さすがは俺の娘だった。 
 「どれどれ…」 
 問題はこいつだった。 
 料理に関してはなかなかうるさそうなので、美味しいと言わせられるかが心配だった。 
 ぱくっ。 
 「…どうだ?」 
 俺はとっさに感想を求めた。 
 「…美味しいじゃない。すごく意外」 
 「よっしゃぁーっ」 
 その言葉を聞いて、俺は思わずガッツポーズをど派手にしてしまった。 
 「ちょっとコショウが効き過ぎてるけどね。でもあたしたちにはちょうど良いわね」 
 「だろ?」 
 「でも、ある意味屈辱よ」 
 美味しいと言ってくれたのに対しては素直に嬉しかったのだが、屈辱、と言われたのはよくわからなかった。 
 「どうしてだ?」 
 「だって、朋也の手料理を食べる日が来て、ましてや"美味しい"なんて言う日が来るなんて…」 
 杏は俺の作ったチャーハンを見つめながら、感傷に浸っているみたいだった。 
 そんなに俺の手料理が美味しかったことが意外だったということだろうか? 
 その後、3人が美味しそうに食べている様を見ていた俺は、自分の分を作ることすら忘れてしまっていた。 
  
  
 「今度は、あたしの料理を食べてもらうからね」 
 よほど俺のチャーハンにショックを受けたのか、指差して俺に宣言してきた。 
 怒られる謂れは無かったが、杏の手料理については興味があったので、 
 「楽しみにしてるぞ」 
 と答えておいた。 
 「風子も、負けないようなパンをプロデュースしてきます」 
 相変わらず、自分では作れないようだった。 
 「可愛いパン、期待してるぞ」 
 と言っておいた。 
  
 「また来るわね」 
 「また来ます」 
 「おう。いつでも来てくれ」 
 「まってる」 
 思い思いの言葉を残して、それぞれの家へと帰っていった。 
 いつしか、訪問者を心待ちにしている自分がいた。 
  
 <第2話・完→第3話に続く> 
  
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 いかがでしたか? 
 風子登場ですっ! 
  
 これで、ようやく汐編登場キャラのメインキャストが出揃いました。ここからがこの話の本当のスタートですね。 
 実は、当初ここまでが、第1話の予定でした。が、長くなりすぎると思ったので二つに分けましたが…正解だったみたいですねw 
 杏の再婚SSが読みたい!ってリクエストや感想が多かったのですが、これは、書いていくうちにどう動いていくかを、キャラに任せているのでどうなるかわかりません。そういう方向で書いていくことになるとは思いますけどね。 
  
 他の連載SSサイトのSSはよくわからないのですが、ウチの場合は1話が結構なボリュームになると思います(今回でも6千字くらいあります)。ので、頻繁に更新は出来ないかもしれませんが、週1回更新を目指して連載を頑張りますので、応援よろしくお願いします\(_ _) 
 また感想や要望などありましたら、「SS投票ページ」や「掲示板」にお願いします。 
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