『風の辿り着く場所』 
 作:りきお 
  
 もう2年以上も眠りつづけている妹。 
 そして、もう目覚めることは無い妹。 
 そんな妹に対して私たちは、出来るだけ声を掛けている。 
 眠ったままの妹が、少しでも幸せな夢を見られますように。 
 私が得た幸せを、少しでも感じられますように。 
  
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 唐突にウワサが耳に入った。 
 それはひどく懐かしいものだった。 
 今も眠りつづけている、少女のウワサ。 
 ウワサ話の類に付き合うような性格では無かったが、 
 懐かしいそのウワサには、聞き耳を立てずにはいられなかった。 
  
 ぼんやりとだが、思い出していた。 
  不器用だけど、一生懸命で。 
  危なっかしいけど、真っ直ぐで。 
  儚いけれど、ひたむきで。 
 そんな、少女の姿を。 
  
 欠落した部分を繋ぎ合わせるように、断片的に思い出していた。 
  一緒にいることしか出来なかった。 
  側で見守るだけしか出来なかった。 
  寂しそうな表情をすると、そっと抱きしめてやることしか出来なかった。 
  存在を忘れそうになると、手を繋ぐことしか出来なかった。 
 そんな、自分の姿を。 
  
 そして、俺の、そいつに対する想いも。 
  最初は、危なっかしいことをされて、放っておけなかった。 
  目的に対するひたむきな姿に、心が惹かれていった。 
  俺に対して向けた無防備な笑顔に、愛おしさを感じた。 
   
  …好きだったんだな、たぶん。 
  恋愛感情としての「好き」には、未熟すぎる感情かもしれない。 
  友達とも違う、より近しい者としての「好き」という感情。 
 俺は確かにそんな感情を持っていた。 
 ただ、今は伝えられない状態だから、色々な部分を忘れているだけだ。 
  
 そんな不確かだけど確かな記憶は、ウワサ話が膨らめば膨らむほど、鮮明になっていくことは間違い無さそうだった。 
  
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 結婚式を済ませてから1ヶ月と少し。 
 私は夫とともに、妹の見舞いに来ていた。 
 あれからも、隣町に借りたアパートから、毎日妹と面会していた。 
 口元には、生命維持装置である人工呼吸器が取り付けられていた。 
 小さくて可愛い唇が見られないのは、少し残念でもあった。 
 「ふぅちゃん。今日はふぅちゃんの好きなヒトデ型のパンを焼いてもらったよ」 
 そう語りかけると、古河パンで特注でお願いした、星…じゃなく、ヒトデ型のパンを枕元に置いた。 
 祐くん…夫が、ドアにもたれたまま、微笑みながらその光景を見ていた。 
 「祐くんも、何かふぅちゃんに言ってあげてくれない?」 
 妹の面会に来たときは、いつも夫は見ているだけだった。 
 ただ、妹を拒絶していると言うよりは、私たち姉妹だけの空間を、見守っていてくれているように感じた。 
 そうは言っても、もう妹にとって夫は他人ではなくなった。 
 立派な家族の一員になったから。 
 だからそう頼んでいた。 
 「…そうだな……」 
 もたれていたドアから、よっ、と身を起こし、ベッドに近寄ってきた。 
 そして、視線を布団から、顔の方に移そうとした。 
 が、その視線は、布団…妹のおなかの辺りだと思うが…から動かないでいた。 
 「どうしたの? 祐くん」 
 何か気づいたのだろうか? 私もその視線の辺りを観る。 
 「…動いてないか?」 
 何が? と思ったけど、妹のおなかの辺りに掛かっていると思われる布団を凝視してみる。 
 すると…、 
 規則正しく動いていた。 
 心臓の鼓動の何分の一かのペースで。 
 私たちは目を合わせた。 
 瞬間、私は、容態の変化が乏しいがゆえに押すことのほとんど無かったナースコールのボタンを押していた。 
  
 後で気づいたのだけど、その日は、妹の18回目の誕生日だった――― 
  
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 妹は意識を取り戻した。 
 2年と少しぶりに。 
 人工呼吸器が取り外され、目を薄っすらと開けた妹の唇が、何かの言葉の形に動いていた。 
 ―おはようございます― 
 そういう風に。 
  
 リハビリは奇跡的なくらい順調に進んでいった。 
 問いかけに対する反応はできていたし、言葉はすぐに話せるようになった。 
 身体を起こして上半身、そして下半身の運動と、医者も驚くほどの順調さで機能は回復していった。 
 ただ、ここから妹がわけのわからないことを言ったり、色々と不思議なことを言ったりするようになるんだけれど…。 
  
 「ねぇ、ふぅちゃん。聞いてくれる?」 
 私は、ある重要なことを妹に伝えようとした。 
 それは…私が結婚したこと。 
 妹が眠っていた間に決めたこと。 
 隠すことではなかったから、早めに伝えておこうと思った。 
 「おねぇちゃん、結婚したの」 
 でも、そんな告白に対する妹の返答は、全く予想外のものだった。 
 「おめでとうございます」 
 「えっ?!」 
 思わず私は聞き返していた。 
 なぜなら、結婚するとかそう言う話は、妹が事故に遭うまでにはしたことが無かったから。 
 さらに…。 
 「ユウスケさんが、風子のおにいさんになるわけですね。素敵です」 
 「祐介さんって?! 祐くんのことも知ってるの?」 
 もうわけがわからなかった。 
  
 そんなある日。 
 妹から私にあるものを見せられた。 
 「ふぅちゃん。それ、どうしたの?」 
 それは…いわゆるとんがり帽子。 
 パーティーなんかで使いそうな、ちょっと子どもっぽいアクセサリ。 
 それを妹は、大事そうに取り出して、被って見せた。 
 「これは、風子の大切な人からのプレゼントです」 
 「大切な人?」 
 「はい」 
 「ユウスケさんよりは格好はよくありませんが、いい人です」 
 病院の中で、素敵な人と出会ったのだろうか? 
 でも妹の性格を考えると、そんなことはあるわけなかった。 
  
  
 そして、秋が深まる頃、妹は晴れて退院になった。 
  
 「おめでとう、ふぅちゃん」 
 「ありがとうございますっ」 
 私がそうねぎらいの言葉をかけると、満面の笑顔でそう答えてくれた。 
  
  
 明日は2年半ぶりに、妹が登校する日。 
 高校に通う、2回目の日。 
 晩ご飯を食べているときに、妹に不安があるだろうと思って聞いてみた。 
 「ふぅちゃん。明日から学校だけど、心配とか無い?」 
 でも、そんな私の不安は妹には関係ないようだった」 
 「いえ。むしろ楽しみです」 
 「どうして?」 
 「待ってくれている人がいます」 
 2年も登校していない妹に、どうしてそんなことが言えるのだろう? 
 またわけがわからなかった。 
 もしかすると、妹が眠っている間に学校に通っていた、って思うことはあったけれど、 
 毎日のようにベッドで眠っている妹も見ていたから、そうした思いは自分の中で打ち消していた。 
 そして…。 
 「明日は、おねぇちゃんに重大発表できると思います」 
 「重大発表って?」 
 「それは内緒です。明日のお楽しみです」 
 妹の胸の中には、木彫りの星型のものが抱かれていた。 
 またもやわけがわからなかった。 
  
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 眠れる美少女(?)のウワサが囁かれ始めて数ヶ月。 
 ウワサは日に日に高まっていっていき、最高潮に達していた。 
 そして確信した。 
 今日がその日だと。 
 朝から気持ちが昂ぶって授業に集中できそうにもなかった。 
 元々、授業に集中することは無かったが。 
  
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 「行ってきます」 
 「気をつけてね。絶対、事故なんか遭ったらダメだよ」 
 「はい。わかってます」 
 ついに登校日が来た。 
 昨日はわけがわからないことを言われたけれど、とにかく今日一日を無事に過ごして、そして家に帰ってきてくれたらいい。 
 そんな思いを抱いて妹を送り出した。 
 とにかく、不安で不安でしようが無かったけど。 
  
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 放課後。 
 俺は慣れ親しんだ空き教室を訪れていた。 
 机やイスが、雑然と放置されている教室。 
 その中に、ひどく懐かしい姿があった。 
  
  
 「よろしければ、風子とつきあってくれませんか?」 
 目の前の少女は、頬を赤らめてそう告白した。 
 俺は、その名前を耳にして、欠けていたパズルのピースが埋まった気がした。 
 そしてその言葉に対しての、俺の答えは既に決まっていた。 
 それを伝えるために、今日ここへ来たのだから…。 
 「ああ。もちろん」 
  
  
 それだけ言うと、俺は我慢できずに目の前の小さな存在を抱きしめていた! 
 「風子っ!」 
 だきっ。 
 しかし風子は、そんな俺の行動に驚いたようで…。 
 「わぁーっ!!」 
 パコーンっ。 
 「ぐあっっ」 
 思いっきり、持っていたヒトデの彫り物で殴られてしまっていた。 
  
  
 「すみませんでした。ビックリしてしまったので」 
 そういえば、前にも同じような経験をしていた。 
 「いや。俺のほうこそすっかり忘れていたんだ」 
 驚くと、手に持っているもので殴ることを。 
 「次からは大丈夫です。ので、遠慮なく抱きしめてください」 
 「ああ」 
 少しだけ時が戻った感じだったが、そんな時間も徐々に埋められていくのだろう。 
 「風子」 
 「はい。何でしょうか? 岡崎さん」 
 こうやって、俺が名前を呼ぶと振り向いてくれる。 
 「俺たち、恋人同士になったんだな」 
 何となく気恥ずかしいような気持ちもあったが、俺は改めて確認してみた。 
 「そうです。両想いですからそうなります」 
 風子の言った理由が即恋人、とは思わなかったが、どうやら本当にそういう関係になったらしい。 
 「これからよろしくなっ」 
 俺は笑顔で風子に言った。 
 すると風子も、 
 「はいっ。こちらこそ、よろしくお願いしますっ」 
 笑顔でお願いされた。 
  
 その日の帰り。 
 俺は風子に家に来るように言われた。 
 「改めておねぇちゃんに紹介したいんです」 
 どうやら「付き合うことになりました」と、俺を紹介したいらしかった。 
 俺も、公子さんには色々と世話になっているので、風子から紹介してもらおうと思った。 
 「わかった。じゃあ一緒に行くな」 
  
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 「ただいまです」 
 どうやら、無事に妹が帰ってきた。 
 「おかえり。ふぅちゃん」 
 ごちそうの下ごしらえを中断して、私は妹を出迎えた。 
 でも、玄関に立っていたのは妹ひとりだけではなかった。 
 「こんにちは、公子さん」 
 見知った顔。 
 何度か、私の気持ちを繋ぎとめてくれた存在。 
 「岡崎さん…」 
 私は彼の名前を呼んだ。 
 そして、妹の口からされるであろう重大発表を待った。 
 「風子は、岡崎さんと付き合うことになりました」 
  
 長く、意識の無い状態が続いていた。 
 登校したのは、入学式の日のたった1日だけ。 
 ようやく2度目の登校をしたその日に、誰かと付き合うことになるなんて、冷静に考えるとおかしなことだった。 
 だけど私は、その相手を見て不思議と納得していた。 
  
 「ふぅちゃん。格好良い彼氏だねっ」 
 だから、こんな言葉が自然と口から出ていた。 
 すると、妹も笑顔で、 
 「はいっ。ユウスケさんほどではありませんが」 
 と、何となく失礼なことを言っていた。 
 「まぁな」 
 傍らにいた妹の彼氏も、やや照れたような表情で納得していた。 
  
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 その日、伊吹家に寄ったあと風子と町を歩いていた。 
 「…あの、岡崎さん」 
 すると風子が、もじもじした様子で俺の名前を呼んだ。 
 「ん、どうした?」 
 そう言うと、風子は少し恥ずかしそうに言った。 
 「…これからは、岡崎さんのことを、朋也さん、と呼んでもよろしいですか」 
 「いいけど…今さらどうして?」 
 俺としては、かなり長い期間、風子には「岡崎さん」と呼ばれていたから、違和感無く聞こえていたのだが…。 
 「…岡崎さんは、風子のこと、ずっと好きでいてくれますか」 
 質問が飛んだ。が、これは風子のいつものペースだ。 
 「そうだな…」 
 どう答えてやろうか。 
 ちょっとだけ、イジワルをしてやることにした。 
 「当分の間は、好きだな」 
 「当分の間だけ、ですか…」 
 少しビックリした後、すぐに寂しそうな表情に変わった。 
 …風子には、そんな気持ちになって欲しくなかったから、本当のことを言うことにした。 
 「風子が、俺のことを嫌いになるまで、当分の間ってことだ」 
 そう笑顔で返してやると、またきょとん、とした表情になった後、今度は笑顔になって、 
 「風子も、岡崎さんが風子のことを嫌いになるまで、ずっと好きでいますっ」 
 ぎゅっ。 
 それだけ言って、俺の腕にしがみついた。 
  
 「…さっきの質問です」 
 えーと。俺の呼び名を変えるって件だったか。 
 「…風子が、岡崎さんのことを『岡崎さん』って呼べなくなる日が来るからです」 
 ??? 
 「…だから、朋也さん、です」 
 それって…。 
 「ずっと…ずっと好きでいてくださいっ。朋也さんっ」 
 ぎゅっ。 
 腕にある風子の感触が、より強くなった。 
  
 長く、長く続く坂道。 
 その坂道を一緒に登る相手を、お互い見つけたみたいだ。 
 「ああ。風子も、ずっと好きでいてくれよ?」 
 「はいっ」 
  
 ちょっと危なっかしいふたりだけど、これからはふたりで何でもやっていける、そんな気がした。 
 夕陽が照らす落葉の絨毯を渡る木枯らしは、すぐ近くにせまる冬の匂いを運んできていた。 
  
 <終わり> 
  
  
 【あとがき】 
 いかがでしたか? 
 本当は、もっと風子と朋也のラブラブっぷりを描きたかったんですが、風子シナリオの補完的なSSになってしまいましたね…。 
 もっと内容を詰め込むはずでしたが、時間切れでこうなってしまいました。 
 いずれ別バージョンも書きたいと思います。 
  
 ラブラブなSSが読みたい方は、SSリクエストページでリクエストしてください。 
 風子好きな作者が、喜んで書くと思うので(笑) 
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