『岡崎家<第4話>』 
  
 あれからしばらくの日時が経った。 
 言ったとおり、風子と杏が日替わりで、汐を送ってくれる日々が続いていた。 
 もちろん、俺が早く上がれる日には自分で迎えに行っていたが、 
 次第に風子や杏が送り届けてくれる日のほうが多くなっていった。 
 と言うことは、家に帰れば誰かが待っている、と言うことだった。 
  
 「ただいま」 
 「おかえり、パパ」 
 「おかえりなさい」 
 「おかえりなさいです」 
 初めて聞いたときは、感動、と言うか驚いた。 
 しばらく、そうやって迎えられるなんてことは無かったのだから。 
 でも、その瞬間は凄く幸せを感じられた。 
 ぱたぱた、と走ってくる娘の頬にキスをして、美味しそうな匂いのする部屋の中へ入っていくのだった。 
  
 杏と風子が日替わりで汐を迎えに行ってくれるようになって、またしばらく時間が経った。 
 俺も早く帰れる日は幼稚園に迎えに行くようにしていたが、半分くらいは風子か杏に任せるようになっていた。 
 だから、仕事が遅くなって帰るときは、家には汐と、風子か杏、あるいはそのどちらもいる状態だった。 
 ただ最近は、風子と杏が両方とも家にいることがほとんどだった。 
 そして、抜群の腕前を誇る、杏の手料理に4人で舌鼓を打つわけだ。 
 そんなある日。 
  
 「最近、杏と風子って一緒にいることが多いよな?」 
 「そうねえ」 
 「はい」 
 俺は何となく起こっていた変化を訊いてみることにした。 
 「杏さんは凄いです。料理が上手すぎです」 
 確かに杏は料理が上手い。が、それと風子が一緒にいる理由は直接は結びつかないが…。 
 「最近は風子ちゃんと一緒に料理作ってるのよねえ」 
 「はい。色々と教えてもらってます」 
 どうやら、俺のいない間にすっかり仲良くなってしまっているようだった。 
 そして、食卓に並んでいる料理に、風子の手も入っているのが不思議な気がした。 
 「ふたりとってもなかよし」 
 隣でニコニコしながら汐がそう言っていた。 
 「でも汐ちゃんが一番ですっ」 
 「あたしも汐ちゃん大好きっ」 
 「おーい。俺は〜?」 
 この日になって初めて、女3人男1人の疎外感を味わうこととなった! 
  
 その夜、夕飯が終わった頃に公子さんがやってきた。 
 「こんばんわ、岡崎さん」 
 「こんばんわ、公子さん」 
 いつ見ても公子さんは穏やかな笑顔だった。 
 この人が怒る顔ってどんななのか、全く想像がつかない。 
 「いつもふぅちゃんがお世話になってます」 
 そう言って、ぺこり、とお辞儀していた。 
 俺としてはそんな大したこともしていなかったので、慌てて、 
 「そんな、楽しいからいいですよ」 
 と取り繕った。楽しいのは本当だったが。 
 「風子には、汐の面倒を見てもらっているんですよ。 
 頭下げないといけないのはこっちのほうですよ」 
 本人が望んだこととはいえ、俺の都合から娘の面倒も見てもらっているのだ。 
 「立ち話も何なんで、上がってください」 
 玄関先では失礼なので、上がってもらうことにした。 
 「そんな…。良いんですか?」 
 「夕飯が終わったばかりで散らかってるかもしれませんが、それでも良ければ」 
 「じゃあ、上がらせてもらいますね」 
 そう言って公子さんは、部屋の中に入っていった。 
 俺は公子さんの後姿を見ながら、 
 公子さんがウチに入るなんて初めてだったっけ?とぼんやり考えていた。 
  
 「お邪魔しますね」 
 「あ、おねぇちゃんですっ」 
 居間へと入っていった公子さんを最初に発見したのは、やはり実妹だった。 
 風子はテーブルの上にあった汚れた皿を、流しへと持っていっていた。 
 「ふぅちゃん、ちゃんと手伝ってるんだ。偉いね〜」 
 「これくらい当然ですっ。風子をあまり子ども扱いしないでくださいっ」 
 「でもふぅちゃん、家じゃこんなことしてないよね?」 
 「岡崎さん家では特別です」 
 そんな姉妹のやり取りを見ていた俺は、初めて風子がここに来たときのことを思い出していた。 
 確か、俺が料理を作っている間も、片付けている間も特に手伝う素振りは無かった。 
 だが今、現実に風子が片付けを手伝っている。 
 料理だって、杏と一緒に作っているらしかった。 
 何が風子をこれだけ変えてしまったのだろうか? 
 そこのところは、実姉である公子さんにとっても不思議なところだろう。 
  
 「あれ? お客さん?」 
 洗い物をしていた杏が、一旦手を止めてこちらを向いた。 
 「あ、お邪魔しています。えーと…」 
 公子さんが杏の姿に気付き、挨拶しようとして困っていた。 
 それを見ていてようやく気付いた。 
 この2人には全く接点が無かったことに。 
 「こいつは、俺の高校時代のクラスメイトで、藤林杏って言います」 
 「藤林さんですか。お邪魔しています」 
 そう言って公子さんはぺこり、とお辞儀をした。 
 「今は汐の幼稚園の先生でもあるんですよ」 
 「そうなんですか。それで…」 
 公子さんは、やけに納得した表情をしていた。 
 「朋也。この人って風子ちゃんのお姉さん?」 
 杏は俺の近くへ来て、小さな声でそう訊ねてきた。 
 「そうだ。けどよくわかったな」 
 「だって、さっき後ろから聞こえてたし…」 
 それもそうか。 
 「公子さんですか。どうぞよろしく!」 
 これでようやく自己紹介も終わったようだった。 
  
 「…と言うわけで、風子ちゃんには色々と手伝ってもらっているんです」 
 「そうだったんですか…」 
 公子さんが、風子が家事を手伝っている理由を杏に聞いていた。 
 「確かに、目覚めてからはお料理の仕方を勉強しようとはしていたんですけど」 
 「そういや、前に『料理は勉強中です』って言ってたよな? 風子」 
 「はい」 
 「他の家事は?」 
 「…杏さんに言われて初めて気が付きました。 
 岡崎さんや杏さんがいなくても、汐ちゃんが困らないようにしたかったんです」 
 「なるほど…。それで杏に色々と教えてもらっているんだな?」 
 「はい」 
 「頑張ってるわよ〜」 
 風子は風子なりに、汐の面倒を見られるように一生懸命頑張っているようだった。 
 「偉いね〜、ふぅちゃん」 
 「風子を子ども扱いしないでください。 
 風子は子育てだってちゃんと出来る、一人前の主婦(予定)ですっ」 
 「(予定)ってなんだ?!」 
 「今はまだ1人では出来ません。だから(予定)です」 
 「そうそう。将来的には立派な主婦になるのよねえ」 
 「はい」 
 「そっか。でもそうやって頑張ってるだけでも偉いよ、ふぅちゃん」 
 そう言うと、公子さんは風子の頭を撫でた。 
 「んっ」 
 一瞬風子は嫌がる素振りを見せたが、後はされるがままになっていた。 
  
 「公子さんって何をされていたんですか?」 
 テーブルを囲んでくつろいでいたときに、杏が公子さんに質問していた。 
 それは俺も知っていることだったが。 
 「教師をしていたんです。高校の、ですけどね」 
 「俺たちの学校にいたんだよ。入学する前までな」 
 「そうだったんですか。何だかちょっと残念ですね…」 
 公子さんが学校を辞めたキッカケは、風子の事故だった。 
 その事故さえなければ、俺たちは公子さんの教え子になっていたかもしれなかったのだが、 
 逆に事故があったからこそ、今こうやって同じ空間で談笑しているとも言えた。 
 「渚の恩師の先生でもあるんだ」 
 「そうだったんですか?」 
 「恩師って言うほどではありませんよ」 
 「いいえ。あいつの恩師と呼べる先生は公子さんだけでしたよ」 
 渚は、公子さんと出会っていなかったら、あんなにも前向きにはなっていなかったと思う。 
 そして、学校に通うのも諦めていたかもしれない。 
 それに…。 
 「俺にとっても恩人ですから」 
 渚と出会えたのも、汐が生まれたのも、そこから始まっているような、そんな気さえしていた。 
 公子さんは困惑していたが、杏は理解してくれたようだった。 
  
 そして、俺は以前から思っていたことを訊いてみることにした。 
 「復職はしないんですか?」 
 「復職…。学校の教師に、ですか?」 
 「はい」 
 公子さんが教師として再び教壇に立つこと。 
 風子が目覚め、芳野さんと結婚までした今、公子さんにとって心残りはそこだけのはずだった。 
 「話は来ているんです。以前の学校から、非常勤で戻って来ないか、と。 
 とりあえず、新婚旅行に行ってからですねっ」 
 思わずズッコケそうになった! 
 が、どうやら再び教鞭を振るう立場に戻るようだった。 
 「…じゃあ、あたしが面倒を見た子たちが、将来公子さんの教え子になるかもしれないってこと?」 
 「何だか楽しみですねっ」 
 「はいっ」 
 「よくわかりませんが、凄く楽しみです」 
 「じゃあ、もしかしたら汐の先生が公子さんになっているかもしれないんですよね?」 
 「何だかやる気がでちゃいますねっ」 
 そうなると、汐が公子さんの教え子になる可能性だってあることになる。 
 「ほら。将来の先生になるかもしれない人だぞ、汐。今のうちに挨拶しておけ」 
 「うん。よろしくおねがいします」 
 幼稚園時代を俺の同級生が、高校時代を渚の恩師の先生が見守ってくれるなんて、 
 凄く幸せなことに思えた。 
  
 夜も更けてきて、そろそろお開きの時間となった。 
 「岡崎さん。今日はありがとうございました」 
 「こちらこそ、ありがとうございました」 
 俺と公子さんの、何に感謝しているのかわからない挨拶が済むと、公子さんは杏の方に向き直った。 
 「あと杏さん。風子をよろしくお願いします。色々と教えてあげてください」 
 公子さんは、杏に風子のことを託したみたいだった。 
 「はい。風子ちゃんも頑張ろうね」 
 杏もその意向を汲んだのか、そう言って応えていた。 
 「はいっ。どんな特訓も耐えてみせますっ」 
 「修行かよ!!」 
 風子は相変わらずだったが。 
  
  
 「じゃあ寝るか、汐」 
 「うん。おやすみ、パパ」 
 「ああ、おやすみ。汐」 
 そう言って、いつもの布団に潜り、目を閉じた。 
 腕の中に小さな温もりを抱きながらも、人と人の繋がりの中に生きていることを、 
 深く実感できた一日だった。 
  
<第4話終わり→第5話に続く> 
  
  
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いかがでしたか? 
今回はちょっと内容が薄いですね…。 
公子さんが出てきて、杏とかと絡んだだけですから。 
まあでも、後半のくだりは楽しく書けましたw 
  
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