『岡崎家<第9話>』 
  
 何時の間にか、あたりが明るくなっていた。 
 無理な態勢で寝ていたせいか、身体の節々が痛かった。 
 しかし、懐は妙に暖かかった。 
 それどころか、凄く気持ちよかった。 
 自分の腕で抱きかかえているものが。 
 目を開いた。 
 すると、目の前には長い髪が見えた。 
 朝陽に反射して輝いていた。 
 俺の抱きかかえているものは、どうやら人らしい。 
 その人は、俺の懐で気持ち良さそうにしていた。 
  
 「…やぁ」 
 「……もやぁ」 
 何やら寝言を言っているらしかった。 
 夢でも見ているのだろうか? 
 「…ともやぁ」 
 俺の名前を呼んでいた! 
 「…杏?」 
 俺の懐で気持ちよさそうに眠っている張本人の名前を呼んだ。 
 …返事は無い。ただのしかばねのようだ。 
  
 がばっ!! 
  
 「誰がしかばねよ〜っ!!!」 
  
 「よっ、杏。寝起きが良いな」 
 そう呼びかけてみたものの、当の杏には反応は無く、そのまままた眠ってしまった。 
  
 「すー、すー」 
 再び、俺の懐に顔を摺り寄せるようにして眠っている。 
 表情からは、とても悪い夢を見ているようには見えなかった。 
 そんな杏の寝顔を見ながら、俺はあることを考えていた。 
 コイツは一体、どうして俺たちと一緒に生活しているのだろうか? 
 それに、そんな状態がどうして「幸せ」なのだろうか? 
 学生時代から、他人に世話を焼いたりするのは好きだというのはわかっていた。 
 ただそれは、仕事の中で満たされているはずだった。 
 幼稚園の先生――。 
 これ以上無いくらいに、世話を焼くのが仕事になっていたのだから。 
  
 再び寝顔を見た。 
 可愛い、と思う。 
 ただ、昔から不思議と男のウワサが無かった。 
 今もおそらくは…いないのだろう。 
 でなければ、ウチで生活するなんてことは出来ないだろうから。 
  
 長くてストレートの髪。 
 少し好戦的に見えるツリ目。 
 ほぼ理想的な体型。 
 性格も、全然嫌いじゃない。 
 女子どもに人気があったように、性格も人当たりも良い。 
 じゃあ、何で良い男が寄って来ないのだろうか…。 
 それが不思議でたまらなかった。 
  
 男嫌いなのかとも思って聞いてみたが、 
 真顔で思いっきり否定されたところを思い返すと、そうでも無いみたいだ。 
 モテないわけが無いだろうし…。 
  
 そんなどうでも良さそうなことで悩んでいると、風子と汐が起きてきた。 
 「おはようございます」 
 「おはよう」 
 「おはよう、風子、汐」 
 俺の方を見た2人は、懐にいる杏に気づいたみたいだ。 
 「あっ!? 杏さん、岡崎さんで寝てますっ」 
 どういう表現だ。 
 「風子も、岡崎さんでもう一度寝て良いですか?」 
 俺も中途半端に起きてしまったので、まだ眠気が残っていた。 
 「いいぞ」 
 そう言うと、嬉しそうに俺にピッタリと寄り添うようにしてきた。 
 それを見ていた汐も、少し羨ましそうな顔をしていたので、 
 「汐も来るか?」 
 と呼んでやった。すると、 
 「うんっ」 
 と元気よく俺の傍らに滑り込むようにしてやってきた。 
 3人の温もりを感じながら、俺は再び眠りについていった…。 
  
  
  
 元日の正午頃。 
 ようやく目覚めた俺たち4人は、それぞれ支度をしていた。 
 「あー、頭いた〜」 
 案の定と言うか何と言うか。 
 杏は二日酔いらしい。 
 顔色は悪くなかったが。 
 「そんな調子で大丈夫か? 久々に実家に戻るんだろ?」 
 そう。 
 これから、杏と風子は実家に戻るのだ。 
 正月…とりわけ元旦くらいは戻ったらどうかと、家の人から言われていたからだ。 
 かく言う俺たちも、これから古河家へに行く。 
 2人も、実家であいさつなんかを済ませてきたら、俺たちと合流するらしかった。 
 もっとゆっくりしていけば良いのに、と言うと、 
 杏は、 
 「うるさく言われるだけだから、長居しなくて良いの」 
 と言い、 
 風子は、 
 「岡崎さんたちといるほうが楽しいですから」 
 と言って合流するほうを選んだのだった。 
 迎える側の早苗さんや秋生も、 
 「ぜひ皆さんで来てくださいねっ」 
 「こりゃ正月から賑やかになりそうだなっ」 
 と歓迎していた。 
  
 「とりあえず行くかっ」 
 「うんっ」 
 「また後でね〜」 
 「また後でです」 
 俺たちは思い思いの方向に分かれた。 
  
  
  
 シャッターすら閉めていない、正月からやる気満々な店が見えてきた。 
 「やる気満々だな…」 
 「まんまん…」 
 しかしよーく店内を見ると、パンの姿形は全く無かった。 
 それ以前に、店に近づいてもパンの匂いすらしないのだが…。 
 その代わりカウンターには、何故かエプロン姿の秋生が立っていた。 
 「あっきー」 
 その姿を認めるや否や、汐は走って店内へと入っていった。 
 俺も汐を追って、古河パンの店内へと駆け込んでいった。 
  
  
 一足先に入っていた汐は、秋生の身体にしがみついてた。 
 「汐、よーく来たなっ」 
 それを撫でる秋生。 
 目尻が下がりっぱなしなところを見ると、どう見ても"おじいちゃんと孫"にしか見えなかった。 
 「誰が"おじいちゃんと孫"だぁ〜っ、小僧!」 
 いや、やっぱり"おじいちゃん"には思えなかった。 
 「ふむ…。わかってるじゃねえか、小僧」 
 その前に、俺の心の呟きを読むとは…。 
 「さすがだな、オッサン」 
  
 「秋生さんったら、朝からず〜っとカウンターで待っていたんですよっ」 
 こたつでくつろいでいると、早苗さんが大っぴらにヒミツをばらしてくれた! 
 「だぁーっ! 早苗。それは言うなっ」 
 「え? …でも秋生さん、今日は朋也さんたちが泊まるって決まってから、 
 ずっとその話しかしないくらい、楽しみにしてましたよね?」 
 「ま…まぁな」 
 やはり、オッサンも早苗さんには主導権を完全に握られたまんまなようだ。 
 「もちろん、私も楽しみにしてましたよっ。朋也さん、汐」 
 そう言って、屈託の無い笑顔を俺たちに向けてくれる。 
 いつ見ても可愛い…。 
 もう孫がいるというのに、ヤバイくらいだ。 
 「俺も、久しぶりに早苗さんの顔を見るのを楽しみにしてましたっ!」 
 自然とテンションが上がってしまった! 
  
 「飲むかっ。久々になっ。息子よっ!!」 
 「ぐわぁぁぁ〜っ」 
 先制攻撃されてしまった! 
 「そうですね。久々に語らいましょう。お義父さん」 
 「ぐわぁぁぁ〜っ」 
 きっちりお返しもしておいた! 
  
 「…で、どうなんだ? そっちは」 
 「楽しくやってるぞ」 
 「そうか…。なら良いな」 
 オッサンは、どうやら俺たちの「家族ごっこ」の様子が多少気になるらしかった。 
 「まあ、お前や汐が楽しくやってるならな」 
 「その点なら大丈夫だ。な、汐」 
 「うん」 
 俺たちは自信を持ってそう答えた。 
 答えた後のオッサンは、さらに上機嫌になっていた。 
 早苗さんも嬉しそうだった。 
  
 こたつ兼食卓には、これでもかっ、とばかりに手の込んだ料理が並んでいた。 
 早苗さんは、パン以外の料理はとにかく上手いし美味い。 
 渚も料理上手だったが、ここに帰ってきて早苗さんの料理を食べるといつも、 
 「やっぱりお母さんの料理は美味しいです。私にはこの味は出せません」 
 と脱帽しきりだった。 
 特に、ビーフシチューが絶品だったのだが、今日もしっかりそれは並んでいた。 
 「さあ、今日は俺の奢りだ! さっさと食えっ!」 
 「秋生さん! それは全部私が作りました。秋生さんはカウンターに立っていただけですよ?」 
 「…そ、そうだったな。すまん…」 
 この2人の寸劇も相変わらずだった! 
  
 「おいしい…」 
 「…美味いっ」 
 「そうですか? 良かったですっ」 
 俺の料理よりも、杏の料理よりも何回も味わったであろう、馴染みの味を汐は堪能していた。 
 それは俺も同じだった。 
  
 杏の料理もかなり上手いし美味い。 
 ただ、その味とは明らかに異なる美味しさが早苗さんの料理にはあった。 
 味では決して杏もヒケを取らないどころか、むしろ俺の舌には杏のほうが美味しくさえ感じられる。 
 ただ、早苗さんの料理には味では表現できないエッセンスが含まれているようだった。 
 これが、「おふくろの味」というやつなのだろうか? 
 渚の料理にも無く、杏の料理にも無かったもの。 
 そう表現するほかの無い美味しさがここにはあった。 
 どうも、汐にもそれはわかっているらしかった。 
 悔しいが、俺には一生出せそうにも無い味だった。 
  
  
 「おじゃましま〜す」 
 「失礼しますっ」 
 夕方になり、杏と風子が合流した。 
 それまでに、全開のシャッターに勘違いした客がちらほらと来ていたが、本格的な来客は俺たち以来だ。 
 「いらっしゃいませ〜」 
 それを、パンも無いのに毎回出迎える早苗さん。 
 「あらっ。藤林先生に風子ちゃんじゃ無いですか。ごめんなさいっ。今日はパン売り切れてますっ」 
 いや…最初からパンは無かったはずじゃあ…。 
 「今日はパンを買いに来たわけではありません。汐ちゃんに会いにきました」 
 「そうですかっ。汐なら奥にいますよ。上がりますか?」 
 「はい。それでは失礼しますっ」 
 何となく主題から外れたような会話だったが、これで通じているのだからそれで良いのだろう。 
 「先生も上がっていかれますか?」 
 「え? あ、はい。それじゃあおじゃまします」 
 杏も、おそらく俺と同じようなことを考えていたのだろう。 
  
 「まさか、汐の先生と飲めるとはなあ」 
 「あたしも、汐ちゃんのお父さんと飲めるなんて思わなかったです! …って、お父さんじゃなかったですね!」 
 まだ夜も更け切らないうちに飲み始める2人。 
 俺も飲んでいるのだが。 
 「がっはっはっ! まああんな甲斐性ナシよりも俺のほうが、ずっと汐のお父さんっぽいがなっ」 
 「そうですよね〜」 
 俺のことを悪く言われているようだったが、とりあえず気にしないで置く。 
 しかし、杏とオッサンはどうも気が合うようだった。 
 何となく意外な取り合わせだったが。 
 風子はと言うと、オッサンにも早苗さんにも可愛がられていた。 
 汐に対する接し方よりも、ある意味では上だった。 
 ある意味と言うのは、汐に対する多少の厳しさが、風子に対しては全く見られない、と言うことだ。 
  
 ともかく、杏も風子も、古河家には十二分に馴染んでいた。 
  
  
 「よぅ、坊主」 
 「何だ?」 
 酒も十分に入った頃、赤い顔をしたオッサンが俺の側に来て、杏のほうを見ながら言った。 
 「お前、あの娘と再婚なんか考えてるのか?」 
 ぶ〜〜〜〜〜〜っ!! 
 あまりに唐突な質問に、俺は思わず吹き出してしまった。 
 俺が杏と再婚? 
 考えもしなかったことを聞かれ、一気に酔いが醒めていった。 
 ただ、それを訊いたオッサンの顔は、赤いながらも真剣だった。 
 「毎日、同じとこで暮らしているんだろ? それ、好きでもなけりゃあできないだろ」 
 俺は一瞬、はっとなった。 
 ごっこ、とは言え、毎日同じ部屋で生活しているのに、全く嫌と感じた事など無かった。 
 むしろ、杏の良さばかりが見えてきているのは事実だった。 
 だからと言って、杏のことが好きだとかどうとか、そういう感情は湧いてはいなかったが。 
 「汐のことを気に入ってるだけじゃあ、こんなことは続けられないぜ」 
  
 俺は、杏は汐のことが好きだから、こんな遊びみたいなことをやってくれているのだと思っていた。 
 でもよく考えれば、そこに付属している俺が嫌いであれば、こんなこと2日と続かないだろう。 
 ましてや、俺と杏は夫婦という設定だ。 
 杏は、俺のことをどう思っているのだろうか? 
 そして俺は? 
  
 「まあ、そんなことはどーでもいいなっ。おらっ、飲め!」 
 考えもまとまらないうちに、グラスになみなみと注がれた酒を俺の前に差し出してくる。 
 俺も勢いに押されてそれを飲み干す! 
 ぐいっ。 
 「あらぁ〜。朋也も結構やるわねぇ〜。じゃあ、あたしも〜っ」 
 そう言って杏も、ぐいっとやってしまった! 
 「だぁ〜っ。俺も負けれられねえなぁ〜っ!」 
 オッサンもぐいっと行った! 
  
 意識が朦朧とする中、俺は杏のことを考えていた。 
  
 <第9話終わり→第10話に続く> 
  
  
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 いかがでしたか? 
 一応「元旦編」ですが、思いっきり遅れましたm(_ _)m 
 その代わり、割と会話部分などを重点的に書きましたので、最後以外は端折った感じは無いかと思いますが…どうなんでしょう? 
  
 今回、ついに秋生が登場しました。 
 若干掴みきれていない部分がありますが、上手く表現できていれば幸いです。 
  
 そして、ついに朋也の気持ちにも変化が?! ようやっと気付き始めました。鈍感極まりなかったですが。 
  
 とは言え、今後一気に話を進めるかどうかは未定です。末永いお付き合いをよろしくお願いしますm(_ _)m 
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