『岡崎家<第15話>』 
  
  
 「卵割りますっ」 
 「あ、上手上手〜。風子ちゃん、料理の腕上げたんじゃない?」 
 「杏さんのいないところで頑張ってました」 
 「あたしも負けてられないわねっ」 
 「風子も負けられませんっ」 
  
 俺は、仲睦まじく料理している2人の後姿を、ぼうっと見ていた。 
 昨日のことを思い出しながら…。 
  
 唐突に帰ってきた杏。 
 親友でも、同居することを選んだ。 
 俺は、やたらエプロンが似合う杏の後姿を眺めながら、 
 複雑な自分の気持ちを整理しようとしていた。 
 だがそんな俺の心の中の糸は、余計に絡まってしまっていた。 
 楽しそうに料理している姿を見ていると、 
 まるであの日の出来事が無かったかのようだったからだ。 
  
 「なあ。汐も先生が帰ってきて嬉しいか?」 
 俺はヒザの上で抱いている汐に、訊くまでも無いことを訊ねていた。 
 すると、少しうとうとしていた娘が嬉しそうに、 
 「うん。せんせいのことだいすきだから」 
 と言い、杏の姿を眺めていた。 
  
  
  
 汐の熱は、結局微熱程度から悪化すること無く、2,3日もすれば平熱へと戻っていった。 
 杏のおかゆが良かったのだろうか? 
 そういえば、以前運動会の前に熱を出したときも、杏のおかゆをキッカケに良くなったようなものだ。 
 薬膳料理みたいなものでは決して無かったと思うのだが…。 
 ともあれ、汐もいつもどおり通園できるようになった。 
 俺は汐を連れて、杏の待つ幼稚園への送り迎えを再開していた。 
 心にはもやもやしたものを抱えながら…。 
  
  
 再び杏のいる日常が戻ってきてからしばらくが経った。 
 仕事の昼休み。 
 俺は荷物から包みを取り出した。 
 「岡崎、昼飯買いに行かないのか?」 
 声の主は芳野さんだ。 
 結局2人ともお偉いさんになることなく、こうして現場で共に汗を流していた。 
 いつものように、近くのコンビニか弁当屋に向かおうとしていたのだか、 
 それに同行しようとしない俺に、促すように言ったのだった。 
 しかし俺の手には、家から持ってきた弁当箱があった。 
 それは、昨晩のこんなやり取りから生まれたものだった--。 
  
  
  
 俺が夕食の後片付けをしていると、近くの冷蔵庫を漁っている杏が話し掛けてきた。 
 「朋也さあ。お昼どうしてるの?」 
 お昼…。昼飯か。 
 昼は、渚がいた頃は毎日弁当を作ってもらっていた。 
 が、渚が寝込むようになってからは、コンビニや弁当屋の弁当のお世話になることが多くなっていた。 
 「外で買ったりしてるけど?」 
 「お弁当、作らないの?」 
 「作るかっ!!」 
 男が、自分で自分の弁当を作るのは、何かみっともない気がしたからだ。 
 自分で自分の食事を作るのには、あまり抵抗が無かったのだが、 
 弁当となると話は別だった。 
 「ふ〜ん。…じゃあさ、作ってあげよっか?」 
 きゅぴ〜ん 
 「マジか」 
 「うん、マジで」 
 いやしかし…。親友に弁当を作らせるヤツがいるのだろうか? 
 でも、料理の腕は確かすぎる。 
 ただそれに俺は甘えているだけでは無いだろうか? 
 そう思ってしまったのだった。 
 しかし杏は、 
 「あ、別に気にしなくて良いのよ。あたしと汐ちゃんのお弁当のついでだからさ。 
 2人分も3人分も、4人分も大して変わらないんだから」 
 と、俺のためらいを押し切ってしまった。 
 なるほど…。 
 確かに、1つのおかずを1人分作るのは困難を極めることだ。 
 「わかった。じゃあ頼む」 
 そう言って俺は、杏の好意に甘えることになったのだが…。 
  
  
 俺の取り出した包みはやたら厚みがあった。 
 しかも面積も広い。 
 「それは…弁当か?」 
 「…たぶん」 
 驚きの色を含んだ芳野さんの声に、力ない俺の声。 
 その馬鹿でかい包みは、杏が朝、俺のかばんに詰めていたものだ。 
 ずっしりと重い包みを取り出し、道端でその包みを解いた。 
 出てきたものは…重箱だった! 
 とんでもない「ついで」の弁当だった。 
 その重箱を開くと…。 
 「これは…その、1人分の弁当か?」 
 「…どうなんでしょうね?」 
 ぎっしりと詰められた色とりどりのおかずの数々。 
 そして、中央に飾られた星…もとい、ヒトデ型のそぼろご飯。 
 どれも美味そうだったが…量が半端じゃなかった。 
 優に4人分くらいはありそうだった。 
 「芳野さん、食べます?」 
 「…ああ」 
 そうして俺たちは、2人分でも明らかに多い弁当を食べた。 
 「これは美味いな。これもめちゃくちゃ美味いぞ!」 
 「そうですね。…美味い、確かに美味いです」 
 食べるおかずすべてに「美味い」と言いながら、あっという間に食べきってしまった。 
  
 でかい重箱が空になった後、芳野さんが疑問を俺にぶつけてきた。 
 「ところで岡崎。これは誰が作ったものなんだ?」 
 当然の疑問だった。 
 これまで弁当を持ってきたことなど無かったわけだし、たまたま持ってきた弁当がこの美味さだ。 
 その中に、出来合いの惣菜などは1つも無かった。 
 「そぼろの形からして…風子ちゃんか? 
 確かこの前、必死に公子に料理を習っていたみたいだったからな」 
 ヒトデ型のそぼろご飯を見たら、風子の手が加わっていたと見ても不思議では無かった。 
 ただ風子には、これだけのレパートリーどころか、そぼろすら満足に作れるレベルではなかった。 
 「違いますよ。風子じゃあないです」 
 「じゃあ、これは誰が作ったんだ? …新しい彼女か?」 
 彼女…。 
 やはり、これだけの弁当を作れると言うのは、すなわち彼女しかいないのだろうか? 
 でもこれを作ったのは、俺の彼女ではなかった。 
 どう答えようかと思案していると、芳野さんが顔面蒼白で立ち上がった。 
 「岡崎…。まさかお前、あの時の人じゃあ無いだろうな?!」 
  
 あの時…? 
 芳野さんは一体誰と勘違いしているのだろうか…? 
  
 「お前の嫁さんの母親か?」 
 「何年前の話ですかっ?!」 
 芳野さんは、早苗さんだと勘違いしているらしい。 
 しかもマジだ。 
 「お前の心の隙間をあの人が埋めた…。 
 そうか、それで…」 
 「だから違いますって!!」 
 万が一このことが、公子さんや、公子さんからオッサンに伝わったりしたら大事になる。 
 オッサンはともかく、公子さんが聞いたら卒倒しそうだからだ。 
  
 俺はその日一日をかけて、芳野さんの誤解を解くハメになった…。 
  
  
  
 その日の帰りの車中。 
 ようやく事情を理解した芳野さんが俺に訊いて来た。 
 「岡崎…。お前は、その子と再婚する気は無いのか?」 
 「再婚?!」 
 「ああ。そんなに驚くことでも無いだろう」 
  
 再婚――。 
  
 元旦の日だったか、オッサンにも言われたことだった。 
 あの時は酒の勢いで、としか考えていなかったが、 
 今では多少、現実的なこととして考えられる。 
 ただ、恋愛感情も無いまま、そんなことを考えてもしようがないとも考えていた。 
  
 「何で再婚を勧めるんですか?」 
 俺は1人でも汐を育てられると考えていた。 
 それは確かに大変だったが、こなせないものでは無かった。 
 だから、渚以外の女性と再婚する、などと言う選択肢は、無いに等しいものだった。 
 だが芳野さんは、そんな俺の考えを否定した。 
 「岡崎。男ってのはな、1人では生きていけないものなんだ」 
 「どうしてですか? 俺はアイツが来るまでの間は、1人でやってきましたよ?」 
 寂しさが無いわけではなかった。 
 けれど、汐と2人でも十分に楽しく暮らせていたのだ。 
 でも芳野さんは、 
 「短い期間ならそれでも大丈夫だろう。ただこの後何十年と人生は続くんだ。 
 1人よりも2人だと思うがな」 
 と、俺を諭した。 
  
 確かにそうかもしれない。 
 人生は長いのだ。 
  
 「男は、1人じゃ輝きつづけられない生き物なんだよ」 
  
 そう言い残して、芳野さんは去った。 
 ただ家路についただけではあるが。 
  
  
 その日は、幼稚園に寄って杏に汐を任せてから、古河パンを目指した。 
 オッサンにも訊きたかったからだ。 
 同じ男としての意見を。 
  
  
 「男は1人では生きられねえよ」 
 やはりオッサンにも同じことを言われてしまった。 
 「俺だって、早苗がいなかったらって思うと、どっかで野垂れ死んでいたと思うぜ」 
 「そうか…」 
 オッサンほどの男でもそう言うのだから、間違いないのだろう。 
 少しショックだった。 
 オッサンならば、1人でも生きていけると言ってくれると思ったからだ。 
  
 「朋也さん。お悩みの相談ですか?」 
 部屋に入るなり、オッサンと話しているのを見ていたのだろう。 
 早苗さんが、夕食の準備をしながら訊いてきた。 
 「ええ、そうです。オッサンと男と男の話をしにきました」 
 そう正直に答えると、早苗さんはにっこり微笑んで、 
 「そうですか。なら私は席を外しますねっ」 
 と、気を遣われてしまった。 
 オッサンのほうを見ると、「気にするな」と目で合図された。 
 俺は悪いとは思いつつ、心の中では早苗さんの心遣いに感謝した。 
  
  
 「汐にとってはどうだと思う?」 
 「汐にとって?」 
 酒も無しにここまで話したのは初めてかもしれなかった。 
 そうして話は、汐にまで及んでいた。 
  
 「そうだ。汐には母親は要らないのか? 
 そこは、お前の一存だけでは決められないだろう」 
 汐にとって…か。 
 「それに、汐はあの娘のことを嫌ってないんだろう? 
 もちろんその逆も、だ」 
 「ああ。むしろ好きだ」 
 汐は杏に懐いていた。 
 杏も汐のことを、俺が立ち直る前から可愛がっていてくれたらしかったし。 
 2人の関係には何ら問題は無かった。 
 本当の親子と言っても、何の違和感も無かった。 
 問題は、その2人を繋ぐ俺にあるのだろうから。 
  
  
 「なら、お前と汐の2人が、一番幸せになる方法を選べば良い。 
 ここから先は、お前が決めることだ」 
 「そう…だな。サンキュな、オッサン」 
 「気にすんな」 
  
 渚を、そして汐を、あそこまで育てた男の言葉には重みがあった。 
 俺はその言葉たちを噛み締めながら、家路へとついた。 
  
  
 「ただいま〜」 
 夜も更けてきた頃、ようやく帰宅した。 
 「おかえり〜」 
 迎えに出てくれたのは杏だった。 
 「他は…寝てるよな」 
 「こんな時間に起きてたら不良よ」 
 「だよな〜」 
 そう言いつつも、出迎えてくれた杏に対して、俺は感謝していた。 
 家に帰って「おかえり」と言ってくれる人がいるのは、凄く贅沢なことだと感じた。 
  
 「お弁当、どうだった?」 
 こたつでくつろいでいると、杏が早速感想を求めてきた。 
 「弁当、美味かったけど…」 
 「美味かった…けど?」 
 そう言うと、杏は少し不安そうな表情になった。 
 「量が凄かったな。あれは、ついでの量じゃあ無いだろう?」 
 俺の言葉を聞き終わると、杏の不安そうな表情は霧散していた。 
 「ごっめ〜ん。ハリキリ過ぎて作りすぎちゃったの。でも、残して無かったじゃない」 
 「仕事場の先輩と食べたんだよ。2人分でちょうど良かったぞ」 
 「あはは。じゃあ結果オーライね」 
 「まあな」 
 最後には2人で笑い合っていた。 
  
 「じゃ、寝よっか?」 
 「おう」 
 既に汐と風子の2人は固まって寝ていたので、俺たちはもう片方のサイドで床についた。 
  
 直ぐに寝静まった杏を、俺はぼんやりと眺めながら床についていった。 
  
 <第15話終わり→第16話に続く> 
  
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 いかがでしたか? 
 今回は男2人に登場してもらいました。 
 芳野さんはちゃんとした形で出てくるのははじめてかもしれませんね(^-^; 
  
 あまり話が進んでいないようにも見えますが、これで僕としては、ようやくエンディングへの形が見えてきたつもりです。 
 次あたりからは話が動きそうです(^-^; 
  
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