『岡崎家<第17話>』
入院してから暫くが経った。
俺の傷は順調に回復し、とりあえず退院間近となっていた。
杏が置いていったラジオのスイッチを入れた。
退屈な入院生活において、非常に貴重な存在だったものだ。
モノラルのスピーカーから聞こえる、ややくぐもったような音。
クリアすぎるよりも、むしろ落ち着く感じがした。
朝の番組は、割と清々しいタイプの人が、パーソナリティを務めていることが多い。
選曲も、朝に相応しい曲が選ばれることが多かった。
「今日も元気に、行ってらっしゃい!」
と、言われて出勤するのは、
1人で出勤することを思えば、かなり明るい気分になれるのでは無いだろうか。
…そんなことを、出勤する予定も無い日の始まりに、1人で考えていた。
この日も同じ局に合わせていたので、馴染みの爽やかな声で番組を進めていた。
朝食も終わってヒマだったこともあり、声に耳を澄ましてみた。
「…それでは、次のハガキに行きたいと思います。
ペンネーム"サイバー"さんから頂きましたー。ありがとうございます。
始めました? あ、初めまして、ですねー。
僕は初めてハガキを書きました。
僕の親友が、怪我をしたんです。
それで、元気付けるために、僕らの思い出の曲をかけてほしいんです。
お願いします。
…親友が怪我ですかー。
それは心配ですよねえ。
そんな時に青春の曲をかけるなんて、いい話じゃないですか」
何だか白けてしまうような話だった。
それに、読んだハガキの文章がところどころおかしい。
パーソナリティが挙動不審なわけではなく、ハガキに書いてある文章がおかしいのだろう。
「…そんな思い出の曲をかけます。
m.c.A・Tで『Bomb A Head ! 』」
曲が始まる。
どこかで聴いたことのあるフレーズ…。
「♪ボンバヘッ!ボンバヘッ!…」
…そうか。
俺は思い出していた。
俺と杏に散々いじられていた"ヘタレ"の存在を…。
「ぐあぁっっ…」
何で朝っぱらからアイツのことを考えなければならないんだ…。
そしてこの日は、1日を最悪な気分で過ごした…。
俺の入院期間中は、ほぼ毎日誰かが見舞いに来てくれるのでありがたかった。
特に杏は、特別な用事が無い日以外は、いつでも顔を出してくれていた。
風子や汐と合わせて4人でいるときなんかは、無機質な病室が自宅に入れ替わったかのようだった。
それでも、自由に動くことも出来ず、一日の大半をベッドの上で過ごすことは、
もはや苦痛でしかなかった。
早く家に戻りたい…。
その一心で、折れた骨がくっ付いてからはリハビリに勤しんだ。
その甲斐があってか、はたまた家族たちの応援があってかはわからないが、
俺は予定よりも早く家に戻れることになった。
「岡崎さん、凄いですっ。こんなに早く退院できるなんて、ギネス級ですっ」
…ギネスに申請しなければならないのは、むしろコイツ自身だ。
でも、風子は風子なりに俺の退院を喜んでくれていた。
「パパ…すごい」
「そうだ。パパは強いからなっ」
「うんっ。パパは強いっ」
俺は娘と、ぐっと拳を突き合わした。
汐とは、それほど言葉を交わさなくとも意思疎通は出来た。
血の通った父娘だからこそのものなのだろう。
「朋也…。良かったわね」
「そうだな。色々心配掛けてすまなかった」
杏にそう礼を言うと、俺は自由になった脚で、慣れつつあった病院を後にした。
久々に戻った自宅。
住み慣れたアパートの一室は、俺が怪我する前と何ら変わってはいなかった。
そこにいる顔ぶれも変わっていない。
それが俺にとっては一番嬉しかった。
「今日は、朋也の快気祝いも兼ねて、すき焼きよっ」
「わっ。あのお肉はこのためのものでしたかっ。すごく楽しみですっ」
「♪うっえをむ〜いて…」
すき焼きと言う贅沢な料理も嬉しかったが、
一つの鍋を皆で囲む料理をしてくれたことに、俺は感謝していた。
ぐつぐつ煮立つ鍋。
しょう油と砂糖、そして日本酒で味付けし煮込む関西風だ。
肉と割下が奏でる絶妙のハーモニーが、ただでさえ動物性たんぱく質に飢えた食欲を刺激する。
「病院の食事、飽きたんじゃないですか?」
「…かなりな」
「風子は岡崎さんよりも長い期間食べてましたから、すごく飽きてしまいました」
風子は、入院というありがたくない経験では先輩だった。
だからこそ、院内食の味気なさもわかっていた。
入院中はよく、こそこそとお菓子なんかを差し入れしてくれたものだ。
-o-o-o-o-o-o-
「看護婦さんに見つかったら大変ですっ。肌身離さず持っていてくださいっ」
そう言って渡されたのは、数々のヒトデパンだった。
ご丁寧に、手のひらに収まるサイズで焼いてくれていた。
中には、パンでは無くクッキーの硬さに焼いてあるものもあった。
ラップにキレイに包まれたものを渡された。
「おっ。さんきゅな」
「いえ。お言葉には及びません」
そう言って渡されたヒトデ型のパンたちは、素朴な味だったけど、
なぜか凄く美味しくて、しかも懐かしく感じられた。
「あの時はありがとうな」
「いいえ」
風子は、俺の考えていたことがわかるのだろうか? と思う瞬間がたまにある。
共通の記憶についてだ。
たまたま思い出していた記憶が同じだっただけなのだろうか?
しかし風子は、俺の言葉に対して即答していた。
不思議な繋がりを感じさせずにはいられなかった。
-o-o-o-o-o-o-
「もうお肉に火が通ってますっ。さっさと取らないと、いいお肉がかわいそうですっ」
風子は独自の理論を振りかざして、色が赤から変わった直後くらいの肉をかき集めていた。
「汐ちゃんも、お肉はこのくらいが美味しいんですよっ。食べてみてくださいっ」
そう言って、自分の皿だけでなく、汐の皿にまで肉を入れていく。
少し煮込んで、味が染みた状態が一番好きな俺としては、その光景を苦笑しながら見ていた。
はふはふ言いながら、卵につけた肉をほおばる汐。
それを、思わずうっとりと見つめる3人…。
「…おいしい」
汐がニコッ、としてそう言うと、俺たち3人は顔を見合わせて…笑いあっていた。
「さっ、食べましょ。お肉も野菜もまだまだあるから」
「よっしゃ! 久々に胃袋の限界に挑むかっ!」
「パパっ。ちょうせんっ」
「風子も負けてませんよっ」
何となくフードバトル風の雰囲気になってしまったが、
きわめて和気あいあいと、俺は久々の家族団らんを満喫した。
ほぼすべての材料を食いつくし、後片付けに入っていた。
皿洗いをしているのは風子だった。
「なんかさ。最近あたし、楽しちゃってるのよね〜」
「? どうしてだ?」
俺が入院している間、家事は杏に一任していたので、負担は重くなっているはずだった。
しかしそうでは無かったらしい。
「風子ちゃんが、かなりやってくれてるから」
「風子が、か」
「うん。掃除や洗濯は前からやってくれてたけど、料理もかなり出来るようになったから」
もう風子は、この家に来た頃の風子とは違っていた。
俺も杏も、風子に頼る部分がかなり多くなっていたからだ。
だから杏は、俺の看病によく来てくれているのか、と納得していた。
「あいつも成長してるんだよなあ」
「そうよ。汐ちゃんも手伝い頑張ってくれてるし…ね」
「そうだよなあ」
人間、誰もが変わらないままでいられる、と言うことは無いんだ。
娘たち…を見ていると、そのことが手に取るようにわかった。
「俺も変わらなくちゃいけないんだろうな…」
「…ん? 何か言った?」
「いや、ひとり言だ」
「そう」
自分だってそうだった。
もう汐と2人きりだった頃とは、何もかもが違っていた。
だから入院中に考えたんだ。
そして決めた。
既に夜も更けてきた。
風子と汐は、既に一つの布団に入って寝ている。
起きているのは、俺と杏の2人だけだった。
すっかり片付いた食卓を挟んで、まったりとした時を過ごしていた。
快気祝いだとか言って、既に発泡酒の空き缶が数個転がっていたが、
お互い乱れたりせず、汐がどうとか、風子がこんなことしてたとか、
そんな俺が不在だったときの家のことを、杏から聞いていた。
「何か、風子ちゃんと汐ちゃんを見てるとさ。あたし妬いちゃいそう」
「なんで?」
「だって…。あの2人って姉妹みたいじゃない。
あたしだけ浮いてる気がしてさ」
おまえだって! と言おうとして止めた。
確かに、風子と汐は実の姉妹みたいだ。
風子は汐の面倒をしっかり見てくれているし、汐は風子のことを慕っている。
そんな光景を、少し離れた位置から見ているのが、杏…と俺だ。
俺が2人を見る瞳は、もはや父親のそれでしかなかった。
じゃあ杏は?
風子と一緒に、料理を作ったり掃除や洗濯をしたり、汐の世話をしたりと、
完全にそれは、家族としてのものだった。
風子に教える様は、母娘みたいに見えたりもした。
もはやここでは、杏は"母親"だった。
そして、父親役の俺と、母親役の杏は、いまだ"親友"のままだった。
明らかに違和感があった。
それは…俺の杏に対する想いも変化してきていたからだ。
もう俺は、杏がいない毎日なんか考えられなかった。
杏は、俺が酷く傷つけた日からさらに積極的に俺と接するようになっていたので、
真意のほどはわからなくなっていた。
しかし俺は、母親役としての杏、
そして、1人の人間としての杏も必要としていた。
「そんなこと無いと思うぞ。すっかり"岡崎家"の一員だと思うけどな」
「そう…かな? 解けこめてるかな?」
「間違いないって」
「…うん」
自信なさげに答える杏。
もしかすると、繋がりが希薄だからかもしれなかった。
肉親である俺と汐。
壁を作ることなく俺たちと接することが出来る風子。
そんな中、杏と俺は"親友"、汐とは"先生と園児"のままで止まっているのだ。
俺たちの家族関係は、所詮今でも"ごっこ"のままなのだ。
「ともやぁ〜」
お互い黙ったまま、ちびちびと酒を飲んでいたら、
突然甘ったるい声で杏が俺を呼んだ。
「ん?」
「耳そうじしてあげよっか?」
「ああ、頼む」
耳そうじなんて、他人にしてもらうようなことでは無かったが、
つい何の考えも無しに頼んでしまった。
「じゃあさ、ここ来て」
そう言って指差したのは…自分の膝元だった。
「えっ? そこでするのか?」
「そうよぉ。でなきゃ出来ないじゃない」
それもそうだ。
俺には記憶に無いが、子どもは母親の膝の上に寝転がってしてもらうものだから。
ここは、杏の好意に甘えてお願いすることにした。
「じゃあ、お願いします」
「な〜にかしこまってるのよ。寝て寝て」
俺は、足を崩して座っている杏の膝…と言うか、太もものあたりに頭を載せた。
…柔らかな感触。
…心地よい温もり。
…ほのかに漂うせっけんの香り。
思わず、そこに顔をうずめていた。
「ほらほら。どっちかに向いて。そうじ出来ないじゃない」
「…ああ、すまん」
名残惜しかったが、耳そうじが出来る体勢に向き直った。
ほじほじ。
最初はくすぐったかったが、慣れるとめちゃくちゃ気持ち良かった。
「かゆいとこ無い?」
「そうだな…。そっちの、その奥の…そうそう、そこそこ」
杏は「はいはい」と言いつつも、どことなく嬉しそうにやってくれた。
自分では生み出せないような感覚を得て、
俺は、至福の時を過ごした。
「はい、おしまい」
「…おう」
イイ感じにまどろんでいた俺は、杏の声で現実へと引き戻された。
いつまでも膝の上でごろごろしているわけにもいかないので、
俺はどうにか起き上がった。
「どうだった?」
「最高だ」
俺はグッと親指を突き立てて応えた。
同時に思った。
もうこいつと離れたくは無い。
俺は杏に向き直り、覚悟を決めた。
「こんなこと言うのは失礼かもしれない」
恋愛感情は…あるのかどうかわからなかった。
でも俺は、杏のことが好きだった。
そして、これから先もずっと、共に歩んでいきたいと思った。
だから、その瞳を見て言う。
「俺と、結婚して欲しい」
杏は…一瞬何を言われたのか、わからない様子だった。
だが意味を理解したのか、次の瞬間には表情が崩れていた。
「…ほんと? 本当に?」
俺の真意を確かめるような杏の言葉に、俺は、
「ああ。これからもずっと一緒に暮らしたいから」
そう答えた。
すると、杏の目尻からは涙が溢れ出した。
ぽろぽろっ。
刹那、杏は俺の懐に飛び込んだ。
「うんっ。あたし、待ってた。
嬉しいっ。嬉しくって…ぐすっ」
俺は首元が濡れるのを感じながら、杏を抱きしめていた。
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次の日の朝。
俺と杏は、風子と汐を前にして、前の夜に決めたことを打ち明けた。
「…と言うわけで、俺と杏は結婚することになったんだ。
まあ、今までとそんなに変わるわけじゃ無いけどな」
「そういうわけなの。よろしくね」
わかってくれるか不安だったが、娘たちは意外に冷静だった。
「それは良かったです。お2人はすごくお似合いです」
風子はにっこり微笑んで祝福してくれていた。
「ありがとな」
思わず俺は、感謝の言葉を発していた。
「と言うわけで、新しいママだ」
「これからママになっちゃうけど、よろしくね。汐ちゃん」
俺たちは、改めて汐に紹介した。
汐はきょとんとした表情をしていた。
そしてこう言った。
「…ママ? ううん。ママじゃない」
<第17話完→第18話に続く>
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多少強引かとも思いましたが…。
当初の予定のところまで進みました。
今回で終わりか?!と思った方もいたかと思いますが、終わりませんでしたw
長らく連載を続けてきた「岡崎家」ですが、次回で恐らく最終回になります。
さて、どんな結末を迎えるんでしょうか?(わかるって)
今回も、感想や、最終回に対する期待などございましたら、
新掲示板
SS投票ページ
Web拍手
などにお寄せください。
感想があるからこそ、連載が続いてきたようなものなので…。
それでは、次回にご期待ください!
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