『岡崎家Afterその1〜温泉に行こう!<後編>』
「こらこらっ」
「えっ?!」
浴衣を脱ぎ始めていた杏を、俺は慌てて呼び止めた。
「ちょっと待てっ。いきなり一緒に入るのかよっ?!」
俺は、既に帯を解いて、浴衣を肩まで脱いでいた杏に言った。
どこか、心ここにあらずな表情をしていた杏は、やっと自分の今していることに気付いたのか、
「え? あっ…。ゴメンゴメン」
そう言うと、脱ぎかけの浴衣をもう一度羽織りなおした。
一瞬見えた白い肩が、背中が、目からしばらく離れなかった。
「じゃあ、先に入るからな」
「…うん」
俺は杏からの答えを聞くと、服を脱いで家族風呂へと向かった。
「ふぅ…」
俺は、大きく息を吐いて湯船に浸かった。
塩素の匂いが全くしない、源泉かけ流しの湯が気持ち良かった。
前を見ると、若葉に覆われた山があり、目に安らぎを運んでくれた。
しかし、さっきの杏の行動を思い出し、俺は複雑な気持ちだった。
俺と一緒に風呂に入ろうとしていたことを。
夫婦で一緒に風呂に入ることは、何ら不自然なことでは無いのだが…。
だが、1つ屋根の下で過ごしながら、今まで全くそんなシチュエーションが無かったから、
杏の行動に対する驚きなのか、困惑なのかよくわからない感情が、胸の中に渦巻いていた。
ばしゃっ。
湯船の湯で顔を洗った。
すると、背後で扉が開く音がした。
「ともや〜」
その声の主は1人しかいなかった。
しかしながらその声は、どことなく控え目に聴こえた。
「ん?」
俺が答えると、
「背中、流そうと思ったんだけど…いい?」
そう言って風呂場へと入ってきた。
湯煙の向こうにいるはずの、杏を見やると…ちゃんとバスタオルは巻いた状態だった。
「ああ、頼む」
バスタオルは巻いた状態とは言え、限りなく裸に近い状態の杏を正視することはとても出来ず、
俺は湯船から上がり、杏には背中を向けるようにイスに座った。
「よいしょっと」
杏は俺の背後に座ると、タオルに石鹸をつけて泡立て始めたようだ。
シャカシャカ…と言う音で、泡立っていくのがわかった。
「…よし。じゃあ洗うわね」
「おう」
そう言うと、杏は泡立てたタオルで俺の背中を洗い始めた。
「うん…っ」
時に強く、時に優しく…。
この感覚は……久しく味わったことの無い感覚だった。
自分ひとりで洗う時には決して感じる事の無い、人の温もりを感じられるような…。
何故だか懐かしい気がしていた。
「朋也の背中、おっきいわねえ…」
背中をこすりながら、杏がぽつりと呟いた。
…そうか、と俺は思い出した。
この感覚は、渚に背中を流して貰って以来の感覚だったのだ。
その時も決まって渚は、
「朋也くんの背中、おっきいですねっ」
って言っていたのだ。
その当時のことを懐かしく思うのと同時に、今その感覚を思い出させてくれる杏に対し、
申し訳なく思う自分もいた。
何時の間にか背中の心地よい感覚は無くなり、
ばしゃーんっ、
と湯で洗い流される感覚に変わっていた。
しばらく、俺は杏に背中を向けた姿勢のままで座っていた。
杏が「はい、おしまい」と言えば、再び湯船に浸かるつもりでいたのだ。
…しかし、何時まで経ってもその声はかからなかった。
「…杏?」
さすがに心配になって声を掛けると、突然背中に柔らかな感覚で包まれた。
「ともやぁっ」
杏が、俺の背中に抱きついていた。
バスタオルの、厚いとも薄いとも言えない布地越しに、杏の身体の感触が伝わってきた。
俺は、突然の杏の行動に驚いた。
が、抱きしめる杏の力に対し、抵抗しようと言う気持ちは全く湧かなかった。
そっと、自分の身体に回された手に手を重ねた。
一瞬、ビクッ、と言うような反応はあったが、その後は再び俺を抱く力を強めた。
俺と杏の間を遮るタオルは、濡れてその質感を減らしていた。
柔らかな感触の向こうから、どくん、どくん、と鼓動が伝わる。
その鼓動が激しさを失うまで、俺たちはそのまま、お互いの感触を確かめ合うようにしていた。
俺たちは、向かい合うように湯船に浸かった。
すると、杏はためらいがちにだが、俺に訊いてきた。
「あの子とも、こんなことしてたの?」
あの子と、こんなこと…。
俺は頭の中で反芻したが、要は、渚と風呂でいちゃいちゃしたか、ってことだろうか。
しかし、家の風呂は狭い。
渚と一緒に風呂に入ったこと…は、数えるほどしか無かったように思う。
でも、背中を流してもらったことはあったし、一緒に浸かったこともあった。
「そうだな…。何度かあったな」
隠してもしようがないので、俺は正直に告げた。
でも渚は、風呂で抱きついたりはしてこなかったように思う。
「そう…」
そう言うと、杏は俺の近くまで来て、腰を降ろした。
「あたしたちって、夫婦よね?」
「そうだな…」
「ならさ……」
改めて、確かめるように訊いてきた後、俺の返答を待ってから杏が立ち上がった。
そして…。
「えいっ」
そう言うと…。
杏は身につけていたバスタオルを投げ飛ばした。
「…あはは。やっぱりちょっと恥ずかしいわね…」
そこには、生まれたままの姿で立っている杏がいた。
俺は言葉も発せずに、その姿を見ていた。
「どう? 朋也」
何時まで経っても、言葉を発さない俺に我慢できなくなったのか、杏の方から訊いてきた。
俺は…別に何の感想も無いわけではなかった。
ただ、綺麗だと思った。
だけど、言葉にならなかった。
再び杏は俺と視線を交錯させると、湯に浸かり俺の腕に抱きついた。
腕には杏の、柔らかな部分の感触があった。
「…あたしのカラダ、ヘンじゃなかった?」
やはり、一言も感想を言わない俺に、不安があるようだった。
「…胸は、そんなに大きくないけどね」
自分の胸を押し付けながら言った。
大きくない…と本人は言っているが、渚よりは大きいのは明白だったが。
ただ、杏が不安に思っていることは取り除きたかった。
俺の気持ちを、ハッキリと伝えておかなければならない。
「ヘンじゃない。…綺麗だよ、杏」
抱きしめられていた腕に、ビクッ、と言う反応が直に伝わった。
俺は、抱きしめられている力が弱まったのを感じて、その腕を抜き取った。
そして、杏のカラダに自分の腕を回し、抱きしめた。
「…朋也」
カラダに感じる杏のカラダは火照っていた。
少しカラダを離し、お互いの顔を見つめた。杏が俺を見つめる瞳は潤んでいた。
俺は、自然と杏のくちびるに、自分のくちびるを重ねていた。
「んうんっっ……」
少しくぐもった声を出し、杏も応えてくれた。
その体勢のまま、俺たちはしばらく抱き合っていた。
「…やっとしてくれたわよね」
「ん? 何がだ」
「キスよっ。わかってしてくれたんじゃないのっ?!」
「…ああ...、あ、いや」
キス…。杏とのキス…。
意識はしていなかったが、そう言えばあまりした記憶が無かった。
ましてや俺からした記憶はほとんど無い。
「朋也とはさ。初めてキスしたのよね…」
俺は、ハッとした。
お互いの裸を見るのが初めてなのは当然としても、キスしたのすら初めてだったのだ。
俺自身は全く意識していなかったが、それが自然に出来たということは、
俺にとって杏は、もはや色々なものを飛び越えた、特別な存在になっているのだ。
そう思うと、余計に杏のことがいとおしく思えてきた。
俺は、正面から杏を抱きしめた。
頬や睫毛、くちびる…顔の感触や、胸や背中、お腹などの感触が直に伝わってきた。
「朋也…。いいの?」
「良いも何もあるかっ! 好きなやつを抱きしめるのに、良いも何も無いだろ?!」
「あ…、うんっ」
杏の柔らかな腕が、俺の身体を抱きしめる。
俺たち2人は、精神的にも肉体的にも1つになろうとしていた。
肩から下は抱き合った体勢のまま、もう一度俺はキスをした。
今度はより杏の感触を確かめながら…。
風呂の中で、俺は杏の感触を焼き付けるように抱いた。
互いの気持ちを確かめ合うように。
互いの身体を確かめ合いながら…。
風呂から上がり、1つの布団に横になった。
2人とも、生まれたままの姿で抱き合うように…。
「裸で寝るのって気持ちいいわね」
「そうだな」
パリパリのシーツが心地よかったのは事実だが、
今抱き合っている杏の素肌の感触のほうが、数十倍気持ち良かった。
2人で抱き合いながら、わかってしまったことがあった。
それは…お互いがお互いのことを、好きだと言うこと。
杏の俺に対する気持ちはわかっていたつもりだったが、
俺が杏に対して持っている気持ちも、何時の間にか、かなり大きなものへと変化していた。
今は愛おしくてたまらない。
「杏…」
そう呟いた俺は、今日何度目かのキスをした。
そして唇を離し、互いの顔と顔を密着させるように抱きしめた。
その体勢のまま、俺たちは眠りについた。
何故だか、心が満たされたような気分だった。
――夢を見た。
――杏がいた。
――俺の手を取って笑っていた。
――手のひらの感触が直に伝わってきた。
――少し遠くに、汐と風子がいた。
――俺は2人に駆け寄った。
――それに杏もついて来た。
――汐と風子は、俺たちに気付く素振りもなく、どこか寂しそうにいじけていた。
――俺たちはそっと近づき…、
――2人で2人を抱きしめた。
――汐と風子は驚いた感じだったが、直ぐに穏やかに微笑んでいた。
…目が覚めると、直ぐ側に杏の笑顔があった。
「おはよっ」
「…おはよう」
杏と俺が暮らすようになってから、一番安らいだ気分の朝だった。
ああ、そうなんだ。
これが、夫婦なんだと。
夜寝る前には、一番好きな人の顔を見ながら寝て、
朝起きるときにも、一番好きな人の顔を見て起きる。
お互いで抱きしめ合っていたからか、感触までも寝る前のまんまだ。
杏の唇の位置を確認すると、今日初めてのキスをした。
「…んっ。ともあぁ、すきぃ……」
「杏…。俺も好きだ…」
俺の求めに素直に応じるように、杏も情熱的なキスを返してくれた。
…いつまでもキスをしていたい気分だったが、タイムリミットはすぐ近くにあった。
こんこん。
扉をノックする音。
「!!」
驚いた俺たちは、合わせていた唇だけではなく、抱きしめ合っていた身体さえ離していた。
がちゃり。
開いた扉の向こうにいたのは、仲居さんだった。
慌てて離れたのを感じてか、仲居さんは微笑みながら、
「朝食のご用意が出来てますよ」
そう言って立ち去った。
俺たちは呆気に取られたが、その後、お互いに顔を見合わせて…笑った。
どことなく祝福されているみたいで、幸せな気分だった。
それからは意外に淡々としていた。
もちろん、今まではとんでもないこと、と思っていたことが、自然と行えていただけだった。
同じ部屋で服を着て、朝食を食べて、家族風呂で朝風呂を一緒に満喫して…。
チェックアウトまでの時間を、最高の形で過ごした。
チェックアウトを済ませると、もう帰るだけしかすることが無かった。
適当に、駅前の土産物屋で土産を見繕うと、俺たちは家路へと就いた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン…。
規則正しい、線路と列車が奏でる音を聴きながら、俺は思いに耽っていた。
…杏と本当の意味で「夫婦」になれた、と言うこと。
もう、お互いに遠慮することもしなくていい、と言うこと。
俺の肩にもたれ、幸せそうな寝顔をしている杏を抱いて、
行きとは異なる、満たされた気分でその温もりを刻み込んでいた。
数時間後に着く、生まれ育った町に思いを巡らせながら…。
見慣れた町の風景。
俺たちが、生まれ、育ち、これからも生きていく町。
そこに戻ってきた。
「戻ってきちゃったわねぇ〜」
その、杏の言葉に、俺の気持ちも集約されているのかもしれない。
また、夫婦となった俺たちが、元の親友みたいな関係に戻らなければならない…
…かもしれない、だとか。
「…あ、でも、あたしたちは夫婦…なんだからね?」
「おう。わかってるって」
でも、そんな心配は杞憂だった。
温泉街と同じように、杏は俺の腕に抱きついてきた。
そのまま、見慣れた町を歩いた。
古河パンの前に着いた。
杏は少し名残惜しそうにはしていたが、意を決したように俺から離れて、
「さーて。ここからはおかあさんに戻らないとねーっ」
そう言いながら、旅で疲れた身体を伸ばしていた。
しかし、旅行前の関係になど戻れるはずも無かった。
それでは、何のための旅行だったかもわからない。
俺は、離れた腕を名残惜しく思いながら、思わず口走っていた。
「またいつでも、恋人同士に戻っても良いからな」
…真意は伝わっただろうか?
…しかし、言葉では伝わらないものもあるだろう。
そう思った俺は、咄嗟に杏の身体を抱いた。
「えっ?!あっ…」
驚いた素振りを見せる杏だったが、それすら今は愛しく思えた。
「別にさ…。あいつらのために、無理して俺たちが距離を取ることは無いってこと」
「……う…ん」
杏は、抱きしめられた体勢のまま答えた。
俺は、杏が納得するまでそのまま抱きしめつづけた。
お互いの温もりが、心を落ち着かせることを感じながら。
「もう大丈夫よ、朋也」
そう言うと、杏は自分から俺の身体から離れた。
そして、古河パンの扉を開いた。
「ただいまーっ」
威勢のいい声に続けとばかりに、俺も、
「帰ったぞ〜っ」
と、続いた。
「あっ。パパっ!!」
そんな声が聞こえると、俺の胸の中に、感じ慣れた感触が飛び込んできていた。
俺は、久々に感じる愛娘の柔らかさに、安堵を覚えていた。
オッサンと早苗さんには散々冷やかされた後、それに便乗する風子と汐にも手を焼かされながら、
俺たちは帰路に就いていた。
ただ、手を繋いでいるのは、風子と汐だけだった。
俺と杏は、そんな2人を両脇から見守っているだけ。
そのことに不満を感じたのか、風子が大胆なことを言った。
「岡崎さんと杏さん…仲悪いですか?」
俺たちは、思わず吹き出しそうになってしまった。
むしろ、あまりベタベタするところを見せないように…と振る舞っていたのだったが、
逆にその姿は過剰に映ったらしかった。
「いや…。むしろ仲は良くなったけどな」
俺は目配せして杏に伝えた。
杏もそれに応えてくれたのか、俺の隣に来て、すっと腕を絡めてきた。
「そうよっ。だから心配しないでね」
そう風子に告げると、俺の顔を見て、にこっと笑った。
「…うしおもなかよくなる〜っ」
そう言って俺の胸に飛び込んでくる。
軽くとも勢いのある娘を受け止め、思いっきり抱きしめてやった。
「えへへ…」
腕の中に居る娘は楽しそうだった。
「あははっ。汐ちゃんにパパ取られちゃったわねっ」
それをすぐ隣で見る杏も楽しそうだった。
「…」
1人呆然と立ち尽くす風子。
俺たちが、あまりにも仲良くしているから驚いているのか、
何か疎外感を感じているのか…。
俺にはわからなかったが、片手で娘を抱き上げ、杏に腕を取られているほうの手を
風子の方へ向けて差し出した。
「風子も…来るか?」
そう言うと、風子は遠慮がちに俺に近づき、俺の腕に抱かれた。
「…はい。風子もいっしょがいいです」
「当たり前だ」
「…はい」
3人を抱いたり抱かれたりしながら、俺はこの上ない幸せを感じていた。
帰る場所があるという幸せを。
家族がいるという幸せを。
「じゃあ帰るか」
「そうね」
「はいっ」
「うん」
俺たちは、4人で手を繋いで家に向かった。
かなり近づいた、杏との距離を感じながら。
今までと変わらない、2人の娘の温かさを感じながら。
<温泉に行こう!後編・完>
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いやあ、随分と遅くなってしまいましたm(_ _)m 丸2ヶ月かかりましたね…。この間、ほぼ毎日SSはちょこちょこと書いていたわけですが、どうもダラダラしてしまっていたみたいで(^-^;
まあ、内容については何も言うことはありませんw 2人でいちゃいちゃしているだけですから(台無し)。
どうせここまで書くんであれば、思い切って18禁にしても良かったんじゃねえ?とも思ったんですが…。そんな要望がもしあれば、アンケートページかWeb拍手にでも寄せてくださいm(_ _)m
『岡崎家After』ですが、今後も需要がある限り書いていきたいと思ってます。ネタ自体はあるんですが…。
では、感想や要望等ありましたら
『温泉に行こう! アンケートページ』
『Web拍手』
にどうぞ。
もちろん、掲示板ならなお喜んで回答しますんでw
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