※このSSは、HPに掲載されている「汐小学生編」「汐中学生編」「汐高校生編」シリーズの最終章となっています。なので、「岡崎家」とは違う流れです。また、渚死後のAfter汐編の続きで、朋也と汐のふたりきりの生活が続いたら…というif設定のアフターです。 
 以前のSSをご存じないのであれば、その辺を頭に入れてお読みくださることをオススメします。面倒なら「ファザコンすぎる汐」という設定だけでもOKです(ぇ。 
  
  
  
  
『卒業』(汐高校生編〜最終章) 
  
  
  
  
 わたしは、今日卒業する。 
 今までのわたしから。 
 過去のわたしから。 
  
 今までのパパとの関係から。 
  
  
  
  
「パパ、今日で最後だね」 
「…ああ」 
「制服姿の汐もおしまい」 
「そうだ…な」 
  
 わたしも、パパもいっぱい思い出の詰まったあの場所を。 
 この、思い出の詰まった制服とも。 
  
 くるっと180度回って、制服姿の後ろ姿も見てもらう。 
  
「ちゃんと目に焼き付けておいてね?」 
「ああ…もちろん…だ」 
  
 パパが涙もろいからそう言ったんだけど、 
言ったそばからもうわたしは見えなくなってしまってるような…。 
  
「汐…」 
  
 そういって、後ろからぎゅって抱きしめてくれる。 
 頭のあたりが、熱いもので濡れるのがわかる。 
  
 前なら、パパが泣く時には離れていなきゃ…って思ってたけど、 
今は動くことすら出来ない状況なわけで…。 
  
『泣く時は、パパのお胸の中か、それがダメならトイレで泣きなさい』 
  
 早苗さんに言われた言葉を思い出した。 
  
 じゃあ、パパは何処で泣けばいいんだろう? 
 そんな疑問があの、電車に乗ってる時に湧いたっけ。 
 だからわたしはトイレに行ったんだけど…。 
  
 それからも、パパが泣きそうなときはトイレに行ったり、 
無理やり日常に戻したりして泣き顔を見ないようにはしてたけど、それって本当にパパのためだったんだろうか? 
  
 本当なら、わたしがパパの泣く場所になれたらよかったんだろうか。 
 だって、パパには本当に頼れる人がいないから。 
  
 あっきーや早苗さんに職場の芳野さん。おじいちゃんやひいおばあちゃんもそうだけど、公子さんや杏先生、智代先生とか、いっぱい頼れそうな人は周りにいる。 
 …だけれど、パパは一定以上には頼ろうとはしていないみたい。 
 たぶん、出来るだけ自分ひとりでやりたかったんだと思う。 
 わたしを育てることを。 
 わたしと生きていくことを。 
  
 だから本当は、わたしがなるべきなのかもしれなかったのだけれど…。 
 早苗さんがわたしに言った意味は、また違ったのかもしれない。 
 けれど、パパの唯一の心の拠りどころになりたいし、ならなければいけないと思った。 
  
 色々と考えている間、ずっと頭のあたりが熱いもので濡れていた。 
  
  
  
「さあ、行くかっ」 
「うんっ」 
  
 気を取り直して、出かける支度をする。 
 パパは、入学式の時と同じようにスーツ姿。 
 惜しいけど、パパの涙で濡れた髪もセットしなおして…。 
  
 そして、いつも出かけるときの儀式をする。 
  
  
 ちゅっ。 
  
 まずは頬に。 
  
 ちゅぅっ。 
  
 今度は唇に。 
 両の手をパパの首に回して、思いっきり背伸びして。 
 パパも少しかがんで協力してくれる。 
 ちょっとだけ唾液の交換もしたりとか…。 
  
 つーっ、とわたしの気持ちを代弁するように、 
二人の間を名残惜しそうに糸で繋がれた。 
  
「えへへ…」 
  
 さすがに、自分から唇にするのはまだ少し恥ずかしい。 
 けれど、今日だけは気持ちを抑え切れなかった。 
 朝からいつもより激しくパパを求めてしまって。 
  
 特別な日、だからかもしれないけれど、 
唾液の必要以上の交換とか、そんなことをしてしまってた。 
  
「じゃあ…出るか」 
「うんっ」 
  
 そして、いつもの挨拶をして家を出る。 
 ママにごめんね、って心の中で謝って。 
  
「「いってきまーすっ」」 
  
 最後の、パパと二人の登校が始まる。 
 たくさんの、思いと決意を胸にして。 
  
  
  
  
  
 最後の登校。 
 この道を、パパとこうやって歩くことは、これから何度あるんだろう?  
 何度出来るんだろう? 
  
 ううん。 
  
 再び、歩くことはあるんだろうか? 
  
  
  
 3年間、ずっと続いてきた学校への路。 
 パパとママも歩いたこの坂道。 
 景色は、わたしが通った3年間でも、たぶんパパとママが通ってた頃からすればもっと変わってるんだろうけど、 
わたしにとって、それはずっと変わらない道で。 
  
 見上げるとそこには、今にもほころびそうな桜のつぼみが、今か今かと『その瞬間』を待っていた。 
 それはまるで、伝えたいことを胸に秘めてこの日を迎えたわたしのような。 
  
 わたしが踏み出さなければ始まらない。 
 わたしが踏み出さなければ、時計の針は動かない。 
 だから、わたしは踏み出さなければならない。 
  
 今まで、歩いたことのない道へ。 
  
  
  
「どうした? 汐」 
「…えっ?」 
  
 こっちを向いたパパが、不思議そうにこっちを見てる。 
 一人で考え事をしてたのが長かったのかもしれない。 
 せっかくの、最後の一緒の登校なのに…。 
  
 しなきゃいけないことと、今堪能して置きたいこと。 
 それらが頭の中でごちゃごちゃになってて、何を優先したらいいのかがわからなくなってきてしまった。 
  
「いや。なんかぼーっとしてるなって思って」 
「あー、うん。ちょっと考え事をしてて」 
「そっか…。まあ今日で最後だもんな」 
「…うん」 
  
 そういうと、頭に手を置いてくしゃくしゃっとしてくれた。 
 せっかくセットした髪がぐちゃぐちゃになっちゃうんだけど、 
パパのごつごつした大きなてのひらでされるのは凄く好き。 
 わたしのことを大切に想ってくれてるってことがわかるから。 
  
 これも…最後かもしれないけど。 
  
  
  
「じゃあな、汐」 
「あっ…」 
  
 校門を過ぎて、わたしたち生徒が向かう方向と、パパたちが向かう方向との分岐点に来てた。 
 そこで、わたしたちの、手が、離れ、る、のは、当然、で。 
  
「やぁっっ」 
  
 離れる愛しい手を反射的に握り返した。 
  
「汐?」 
  
 驚くパパ。 
 当然の流れを拒否したんだから当然だ。 
  
 でも、こういうことなんだろう、って思う。 
 わたしが、今まで…過去にしがみついていること。 
 わたしが、現状維持を願っていること。 
 だからこんな、往生際の悪い、醜い行為に走ってしまうんだろうって。 
  
「ごめんなさい」 
  
 次の瞬間、その手を、離した。 
 これは、今までのわたしと決別するのには必要な行為で。 
 それ以前に、手を握り返した時点でもうダメなんだけど、でも、それでも。 
  
「? どうした? もっと握っててるか?」 
  
 ダメだよ、パパ。 
 優しくしたら。 
 優しくしすぎたら、ダメにしちゃうんだよ? わたしを。 
  
 再び差し出された手を、握り返したい感情を押し殺して向き直った。 
  
「いいっ」 
  
 そして告げる。 
  
「今日で終わりだね」 
  
 優しくしてくれたパパとの決別。 
 今までのわたしとの決別。 
  
「ばいばい、パパっ」 
「えっ、ちょ…汐っっ」 
  
 駆け出すわたし。 
 戸惑って立ちすくむパパ。 
  
 ごめんね。こうするしか無かったんだ。 
 ほんとごめんっ。 
 心の中で何度もごめんなさい、を繰り返して、後ろを振り返ることなくわたしは教室へと向かった。 
  
  
  
  
 式の最中…は、よく覚えてない。 
  
「汐ちゃん、今日で終わりなんだね…」 
「う…寂しいよぉ」 
「進む道はバラバラでも、また一緒に遊ぼうねっ」 
「うん…うんっ。みんなありがとう」 
  
 教室に戻り、クラスメイトたちと別れの挨拶とか抱擁をしていても、心は別の場所にあった。 
 それをみんなはわかってくれてるから、敢えてつっこんだり詮索したりもしない。 
 それどころか…、 
  
「パパとのこと、頑張ってね」 
「どんな結果になるかわからないけど、汐ちゃんの信じる道を進んでね!」 
  
 こんな激励の言葉をかけられた。 
  
 わたしは決して付き合いがいい方じゃなかった。 
 だって、いつもパパとのことを優先していたから。 
 家に友だちを呼んだことも少しはあるけど、ほとんどはパパと二人きりで過ごしていたから…。 
 でもこんなわたしなのに、みんなはわたしのことを想ってくれている…。 
  
「ぐすっ」 
「あ、汐ちゃん。泣かないでよ〜。私まで泣いちゃうじゃん…」 
  
 ありがとう。ありがとう。 
 もし決着がついたら、その時はまた遊ぼうね。借りは返すからね。 
  
 そう胸に誓った。 
 でも今は、言わなきゃいけないことがあるから。 
 だから、口には出さないでおいた。 
  
 さあ、次が本番だ。 
  
  
  
  
「パパっ…」 
「汐っ」 
  
 駆けているわたし。 
 手を広げて待ってくれているパパ。 
 いつもなら、そのまま飛び込んでいた。パパのごっつい胸の中に。パパのごっつい腕で抱きとめられて。 
 でも…今日は違う。 
  
 今日まで、何百回、何千回と繰り返してきたこと。 
  
「どうした? 汐。来ないのか?」 
  
 わたしは、手前で、止まった。 
  
「汐?」 
  
 心配そうに訊いてくるパパ。 
 でも今日だけはダメなの。 
  
「パパ…あのね」 
  
 言わなきゃいけない。 
 この坂道で。ここで。今。この瞬間に。 
  
  
  
  
「パパのことが大好きです」 
  
  
  
  
 咲いたばかりの桜が散るような強い風が駆け抜けた。 
 その風は、温度こそ優しいものだったけれど、これからのわたしたちを象徴するような厳しさも含んでいるような気がした。 
  
  
「汐…?! パパも汐のこと、好きだよ」 
  
 違う。 
 パパの口から出た「好き」は、わたしの「好き」とは違う。 
 そこに気づいてほしいから、わたしは次の球を投げた。 
  
「好きって、父親としての好きじゃなくて…一人の男性としての好き、です」 
「っっ?!!」 
  
 どう捉えようが、変えようがないくらいの決定的な言葉。 
 それを受けて、パパがどんな答えを出してくれるのか。 
 わたしは次の言葉を待った。 
  
「な、なあ…。パパはどうしたらいい? 
 どう…したら一番いいんだ?」 
  
 混乱しているパパ。 
 狼狽していると言ってもいいかもしれない。 
 こんなパパ…見たこと、ある。 
  
 何時だっただろう? 
 どんな世界だっただろう? 
  
 わからないけれど、感覚として残っている。 
 …ママが死んじゃった時かな、って。 
 あの時と、たぶん同じ反応なんだと…思う。 
 あの時はそれを、遠くで見ていた気がする。 
  
 でも今回は、誰も死んでない。 
 何も失われてない。 
  
 だから、強く言おう。 
  
  
「汐を、ママと同じように愛してください」 
「!!!」 
  
  
 するりと、間に風が流れた。 
 パパと、わたしの気持ちの差が大きいことを示しているかのように。 
  
 酷な言葉かもしれない。 
 けれど、わたしにとってそれは、気づいた時からずっと想っていた願いなんだ。 
 それが、わたしの中での分岐点。 
 決して引き返せない場所。 
  
 だから、あとはパパに決めてもらうしかない。 
 パパと、わたしの"これから"を。 
  
「ダメ…ですか?」 
「うぅ……」 
  
 断るわけがない。 
 パパの、わたしへの接し方や性格を考えても、きっぱりと断るなんてことは無いはずで。 
  
 でも、断られたらどうしよう? という気持ちも無くはなかった。 
 だって、世間的にはどう説明のしようも無いことになるから。 
 真っ当な社会人で人並みの常識はあるパパだったから、受け入れてくれない可能性なんて排除できない。 
 現に、すんなり受け入れられるのなら、パパがこんなに悩むなんてことは無いわけで。 
  
 伝えたいけど伝わらないこと。 
 それは…わたしの中にいるもうひとりの"わたし"のこと。 
  
 "わたし"の、パパへの想いはずっと変わらないんだ。 
 わたしが生まれる…ずっと前から。 
  
「パパ…」 
  
 わたしは、パパを、抱きしめた。 
 いつもとはちょっと違うシチュエーション。 
 受け止めるパパの手が無いから。 
  
 だから、代わりにわたしが抱きしめた。 
 包み込むように…。 
  
  
  
  
「…ははは」 
  
 乾いた笑い声が頭上から聞こえる。 
  
「渚に…なんて言おう…かな…」 
  
 声と同時に、自分が抱きしめられてる感触が伝わる。 
  
「だって…ムリだろ? 突き放すなんてできっこないじゃないか…」 
  
 小刻みに震えてるのがわかる。 
 頭が熱いもので濡れるのも。 
  
「こんな…ダメなパパだけど…いいのか?」 
  
 こんな、って他にどんなパパがいると言うんだろう? 
 パパだから、パパだからいいのに。 
  
「うん。ありがとう、パパ」 
  
 もう一度、ぎゅっと抱きしめた。 
  
  
 願いは叶った。 
 想いは通じた。 
 でも…。 
  
  
 でも…どうしてだろう? 
  
  
 何で、なんで嬉しくないんだろう…。 
 飛び上がるくらいに嬉しいはずなのに。 
 10年以上も、今日みたいな日が来ることを思い続けていたのに…。 
 どうしてだろう…。 
  
  
「…ごめん。ごめんな、渚」 
  
  
 理由がわかった。 
 パパが嬉しそうじゃないからだ。 
 むしろ…悲しそうに泣いてる。 
  
 どうして悲しいの? 
 どうして泣いてるの? 
  
  
  
 …泣く場所が無いから? 
  
  
  
 わたしがその場所になればいい…んだけど、どうしたらそうなるの? 
  
 ずっとそのことを考えていた時期もあった。 
 パパが泣いていい場所に。 
  
 パパが泣いていい場所って何処なんだろう? 
  
  
 行き着いた場所は…ママ。 
 わたしの中にいる気がする…ママのお胸の中。 
  
 だから、わたしがママになれたらいい。 
 わたしがママになったらいい。 
  
 わたしが、ママと同じことを、パパにしてあげたら…いい。 
 それはつまり…。 
  
  
「パパ」 
「…どうした…汐」 
  
 やつれきった声。 
 可哀そう…。 
  
 わたしがママになれたらいい。 
 それは…つまり…。 
  
「うしおを…愛して」 
「…うん?」 
「うしおを、ママにしたみたいに…愛して」 
「う…し……お…?!」 
  
 そういうことなんじゃないかって。 
 もうこの年齢になればわかる。 
  
 わたしがどうやって生まれたのか。 
 パパがずっとそういうことをしてなかったことも、その意味も。 
  
 ママがいればそんなことも無かっただろう。 
 パパの、全部を受け止めてただろうから。 
  
 だから、今度はわたしが、それをすればいい。 
 パパのためだったら何だってできる。 
  
「ね? …パパ」 
「ダメ…だ………う……しお」 
  
 何より、わたしが、したいから。してあげたいから。 
 抱きつく、絡みつく。 
 いつもよりも、しっかりと、わたしの全てを感じられるように。 
  
「受け入れて…ね?」 
「………ああ………」 
  
  
 誰に見られてもいい。 
 むしろ見てほしい。 
 そんな思いを込めて、わたしはパパと、思い出の坂でキスを交わす。 
 今までのわたしたちの卒業を誓うキスを。 
 そして、その先へ…。 
  
  
 この先、わたしたちはどうなってしまうんだろう…。 
 全くわからない…。 
  
 けれど、ふたりでなら何とかなる。 
 わたしには、パパさえいれば大丈夫。 
  
 それは、はじまりになるか、おわりになるかわからないけれど。 
  
 ありがとう、パパ。 
 そして、いつまでも…一緒に。 
  
  
<おわり> 
  
  
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【あとがき】 
  
 りきおです。いかがでしたかね? 自重しない方向で進めようかと思ったんですが、案外暗い方向になってしまいました。まあ背徳感は父娘シチュには重要ですしね。…冗談はともかく、汐と朋也がくっつくというシチュはどうなんでしょうか…。アニメ派にもありなのか? とか色々と考えながら書きました。 
 まあ原作から知ってる方ならわかると思いますが、汐の中には幻想世界の少女がいて、その少女は、渚だった頃から朋也に、女性として愛してもらってたわけで、その感覚を引き継いだ汐も同じものを求める…ってのは必然だと思うのですよ。しかも、原作の汐編終盤での汐の朋也への懐き方は、もはや5歳児のそれではありませんでしたからね。そこから10年以上経ったら…。 
  
 汐○○生編に関して言えば、ネタは無いことはありません。が、これも「岡崎家」同様、そろそろ区切りをつけたほうがいいだろうって思ったので、ここで終わります。CLANNAD熱もそろそろ醒めて来てますしね。最後に、09年夏コミで汐本を出せたらって思ってます。 
  
  
  
 もし、このSSへの感想や、汐SSの要望やらシチュのリクエストとか、あるいはCLANNADのSSへの期待とかそんなものがありましたら、 
  
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